江戸期版本を読む

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伊吹
(大頭左兵衛本)

 義朝に三男、童名は文殊子、元服召され、その後、兵衛佐頼朝、いまだ若にておはせしが、待賢門の夜戦に駆け負けさせ給ひ、東国さして落ち給ふ。西坂本までは、父の御供召されしが、暗さは暗し、雪は降る、下がり松の辺りより、御父義朝に追ひ遅れさせ給ひ、夜のほのぼのと明くるまで、吹雪に吹かれて道も無き、雪の山にぞ迷はれける。御年は十二歳。いつしか都におはせし時は、輿、車、稀にも馬に召すをだに、世にも不思議におぼせしに、かち裸足なる雪の道、これが初めの事なれば、さこそ物憂くおはすらん。
 産衣と申す鎧をば、小原の里に預け置き、髭切の御佩刀を、杖についてぞ落ちられける。されども弓矢の名将とて、かかる吹雪の物憂きに、髭切ばかり捨てもせで、命と共に持たれたり。既にその夜も明けければ、「今は追手や懸かるらん。行方も知らぬ雑兵の、その手に懸かり中々に、源氏の名をくたさむよりも、清き自害をせむ。」とて、雪の上に柴折り敷き、御肌の守りより、法華経一巻取り出し、心静かにあそばして、追手懸からば尋常に、清き自害と思し召し、暫く息をつぎ給ふ。
 かかりける所に。蓑笠着たる男、二人連れて通りしを、頼朝、この由御覧じて、「この者どもを頼み、いづくへもひとまづ落ちばやなむ。」と思し召し、「なう。いかに、旅人。」と、御言葉をかけ給ふ。「何事にや。」と申して、御傍近く参りければ、頼朝、この由御覧じて、「我は、人目を包む者。しかるべくは御芳志に、助けて賜べ。」と宣へば、庄司、この由承り、「これは、間近き北近江、伊吹の裾に住まひする、草野の庄司とは、我が事なり。子にて候藤九郎、君の御供仕り、罷り出て候ひしが、待賢門の夜戦に、味方駆け負け給ひて、行き方知らずと承れば、その行方をも聞かむため、片田の辺にありつるが、都へ上り候ぞや。かかる差し合ひなかりせば、易き程の事なれども、人を助け参らせて、我が子は何と成るべき。」と、すげなくそこを通りけり。
 頼朝、この由御覧じて、「さては、運命尽きぬるや。暫しとどまり、願はくは、死骸をなりとも隠して行け。腹を切る。」と宣ひて、押し肌脱がせ給へば、庄司、心弱くして、御刀にすがりつき、「年の程を見申せば、まだうら若きみどり子の、松も久しき末までも、げに頼もしき年の程。我が子も生きてあるならば、この君にいか程、年増さむ。この君、御自害ましまさば、父母伝へ聞こし召し、さこそ庄司を疎ましく、鬼畜のやうに思すべき。この君をひとまづ落とさばや。」と思ひ、蓑に押し巻き奉り、十文字に結ひからげ、供の男にかき負ほせ、上に古蓑うち掛けて、都へは上らずし、片田を指して下りしは、情け一とぞ聞こえける。
 幾程なくて、後よりも、横川法師の大将に、大矢の註記、先として、五十余人、楯をつき、「怪ししや。旅人よ、止まれ、止まれ。」と追つかくる。庄司、荷持を先に立て、我が身は後に踏み留まつて、「これは、他所より来らず。御領内の百姓、小原の里に住まひする、二郎太夫と申す者。元三の菓子のために、野老を持たせて坂本ヘ、参る者にて候なり。落人は、この先へ、その数あまた御通りある。疾うして追はし給へや。」と、雪踏みのけて遣り過ごす。かくて、「義朝は、片田より御舟に召され、向ひの地へ。」と聞こえければ、力及ばず、追手の者ども皆、坂本に帰る。その後、静かに歩み、片田へ入り参らせ、知る人を頼み、一葉の舟に棹をさし、朝妻の浜に上がり、「さのみ蓑にはいかにとして、御身を包み申さむ。」と、それより御手を肩にかけ、草野の里に入れ申し、我が宿所にていたはりて、新玉の月を送りしは、めでたかりける次第かな。
 或る時庄司、申しけるは、「さもあれ御身は、義朝の御内にては、いかやうの人の公達にて御座候ぞ。御名字を御名乗り候へ。」頼朝、聞こし召されて、「義朝の御内にては、名もなき者にて候。」と、深く包ませ給ふ。庄司、承り、「それは、いかやうの人にても御座あれ、これまで助け申すまでの事。さて、これよりいづくを指して御急ぎぞ。御心ざしの所まで、送り届け申すべし。頼朝、聞こし召されて、「指して行くべき方も無し。いづくの里なりとも、『哀れ。』と言ふ人のあらば、住み果てなむ。」とぞ仰せける。庄司、承り、「我が子の九郎、まだ見えず。折節、来り給へば、九郎が生まれ来れるか、主とも子とも思ふべし。これにましまし候へ。」とて、深くいたはり奉る。
 かくて日数を経る程に、国内通計の事なれば、御父義朝は、尾張の国野間の内海にて、長田に討たれさせ給ひ、御首上り、獄門に懸かれる由を聞こし召し、「いかに、庄司。承れ。我をば誰とか思ふらん。義朝に三男、童名は文殊子、元服して頼朝なり。さりともと思ひし父は、討たれ給ひぬ。今は命生きたりとも、誰か哀れと問ふべきぞ。都へ上り、今一度父の御首一目見、もしも命の長らへば、様をも変へて、ひたすらに亡き人々を弔ふべし。暇申して、さらば。」とて、立ち出させ給へば、庄司を始め女房も、御袂にすがりつき、「さては、我が子の九郎めが、主君にてましますや。我が子にこそは離れめ、君さへ離れ参らせて、我等は何と成るべき。」と、袂にすがり泣きゐたり。
 頼朝、この由聞こし召し、「げにげに、申すも理なり。髭切をとどめ置く。これに置きては悪しかりなむ。美濃の国青墓の長者が元へ送りつつ、『いかならむ世までも、失はで置け。』と申すべし。これに刀一つあり。八幡殿の御刀、名を岩切と申すなり。憂き世の中の形見に、庄司殿に取らするぞ。不思議の世にも出たらば、この刀をしるべにて、尋ね来り給へや。」と、我が身は脇差ばかりにて、編笠にやつれ果て、都へ上り給ひける、心ざしこそ哀れなれ。
 さる程に、六波羅殿には、人々に勧請行はせ給ふ。弥平兵衛宗清には、美濃の国垂井を賜はり、罷り下り候ひしが、今津河原を通る時、頼朝に参り会ひ、「編笠の内、人に忍ばせ給ふ体、怪しく思ひ申す。」とて、笠引き落として見申せば、頼朝にておはします。「天の与ふる所。」とて、やがて生け捕り奉り、美濃の国へは下らずし、急ぎ都へ上り、六波羅にてこの由、かくと申しければ、清盛、聞こし召されて、「さればこそとよ、ここぞよ。恩は天の成す所、果報は過去の宿執。義朝は討たれぬ。悪源太、朝長は腹切りぬ。頼朝は生け捕りぬ。今は誰か残りゐて、平家に敵を成すべきぞ。やがて頼朝斬るべけれども、故刑部卿忠盛の、仏事折節差し合ひなり。仏事過ぎて斬るべし。それまでは宗清に預くるぞ。」宗清、頼朝を預かり申し、幾程ならぬ生涯を、見るこそ中々哀れなれ。
 「あら、いたはしや、頼朝。幾程ならぬ御生涯。」とて、心まします御僧達を請じ申し、後世の黄泉、暗き闇の、迷ひを頼み奉り、いまだ幼稚にましませど、持経者にてましませば、日夜に御経怠らず、暁方の廻向には、「この御経の功力によつて、父、兄々、先立つ人、一つ蓮に生まれ給へ。」と、一心に廻向し給へば、宗清も女房も、この由を承り、「たゞ、人の宝には、子に過ぎたるはましまさず。あれ程歎きの御中に、念仏申し、経を読み、廻向の心ざしをば、十方の神仏、さこそ嬉しく思すらむ。悔しくも又宗清が、生け捕り参らせ候ひて、憂き目を見る悲しさよ。」と、夫婦共に言ひ語り、深き思ひと成りにけり。
 小夜うち更けて殊更、心細げにまします所に、宗清夫婦参り、酒を勧め申せども、更に見入れ給はず。「若き人にてましませば、御心をも慰めばや。」と思ひ、「いかに頼朝、聞こし召され候へ。まことや、承れば、故刑部卿忠盛の、仏事折節差し合ひなり。その他、死罪の人々も、皆首を継ぐと承る。殊更御身をば、横川の僧都めいしゆむ、三井の僧正ゆふはむ、仁和寺のけいうむ、折りしきり申さるる御訴訟の前なれば、たとひ流罪は成さるるとも、死罪は更に候まじ。御心安く思し召せ。」と、偽りすかし申せば、頼朝、聞こし召され、「あら、愚かなり、宗清。命を惜しみ、頼朝が、歎く身にては無きぞとよ。昔は源平両家とて、鳥の二つの羽がひ、車の両輪の如くにて、劣りまさりは無くし、天下の守りとありつるが、前世いかなる事ありて、この時滅び果つるらむ。『父、兄々、先立つ人、一つ蓮に生まれむ。』と、この事ならで、他事も無し。今夜はこの酒、呑むべきなり。各々も参り給へや。」と、歎く気色もましまさず。
 頼朝、仰せけるやうは、「この程は、管絃すさめつる。余り思へば心無し。笛やある。」と仰せければ、宗清承り、漢竹の横笛を、取り出して参らせ上ぐる。頃は春の半ばなれば、双調に音を取つて、じゆむこむ楽をあそばす。憂き身の上の歎きには、くわひこむ楽をあそばす。宗清も女房も、感涙抑へがたうして、琵琶一面、琴一張取り出し、女房に琴を押し預け、我が身は琵琶の緒を合はせ、撥音気高く弾きければ、女房、涙諸共に、十二の絃を選り立て、為の緒に手を掛けにけり。これ仏教の器物、憂さもつらさもうち忘れ、これに慰み給ひけり。
 夜もほのぼのと明け方に、門を叩く者あり。人を出して問はすれば、「頼朝を今日斬るべし。」と申す使なり。琵琶、琴を取り潜め、頼朝に抱きつき申し、泣くより外の事は無し。頼朝、大人しやかに仰せけるやうは、「定めて某が首は、大路を渡さるべし。髪けづりて賜び給へ。」宗清も女房も、「名残のため。」と思ひければ、三十三枚の櫛と払ひを取り出し、「昨日までは一筋を、千筋百筋、千秋万歳と祝ひし黒髪を、いつぞの程に引き替へ、今日は又、六條河原の蓬が元の塵と、成さむ事こそ悲しけれ。」と、落つる涙に目がくれて、櫛の立てども見え分かず。
 さてあるべきにてあらざれば、夫婦共に分けけづり、行水せさせ参らせて、生絹の一重、肌に召させ、練貫に大口重ね、「憂かりけるかな。法なり。」とて、高手の縄を掛け申す。宗清も女房も、高手の縄に取りついて、「それ、『人は一樹の蔭、一河の水を汲む事も、他生の機縁。』と承るが、今生ならぬ御機縁に参り合ひ候て、今更憂き目を見る事よ。御用ゐもあるならば、我々夫婦が首を召され、頼朝の御命を助け給へや。悲しや。」と、流涕、焦がれ泣きければ、げに心なき方までも、哀れと問はぬ人ぞ無き。
 頼朝、逆修のために、卒塔婆を三本刻ませ給ふ。「一本は父のため、一本は兄々、今一本は我がため。」と、上に阿字をあそばし、中には経の文、下には旨趣の廻向の旨をあそばし、年号、日付、源頼朝とあそばし、宗清を召され、「この辺に、駒の蹄も通はず、車に圧されぬ所やある。立てて参れ。」宗清、承つて、三本の卒塔婆を賜はり、斎所を尋ね歩きしに、「いづくいづくと申すとも、駒の蹄も通はず、車に圧されぬ所は、池殿の山荘、中嶋なり。」と申し、西八條に持ちて行き、中じまにわたり。三本の卒都婆を立つる。
 かの池殿と申すは、故刑部卿忠盛の後家にておはします。清盛の御ためには御継母、慈悲第一の人なり。折節、縁行して御座ありしが、この由を御覧じ、「誰が卒塔婆ぞ。」と問ひ給ふ。「只今斬られさせ給ふべき、頼朝の卒塔婆。」と申す。「いくつに成るぞ。」と問ひ給ふ。「十三。」と申す。召し寄せて御覧じて、「人して書かせ給ひけるか。」「いや、自筆なり。」と申す。「年の程より遥かに、手は大人しくありけるぞ。要文ども多けれども、殊に殊勝なる名文なり。何々、『我従無数劫来、積集諸大善根、一分不留我身、施与十方衆生。』この文の心は、『我、無数劫よりこの方、積み集むる諸々の大善根、一分も我が身にとどめず、十方の衆生に施し与ふ。』これ、悲華経の文なり。この理を聞く時は、助けでいかがあるべき。車遣り出せ、牛飼。急ぎ供せよ、宗清。」と、取る物も取りあへず、六條河原に出させ給ふ。
 さる間、頼朝をば追つ立ての官軍、七、八十人が中にして、源五右馬允、縄取なり。介錯人は、難波、妹尾。五條の橋より六條河原へ引き出す。頼朝、早く敷皮に御直りありければ、介錯人は参り、西の方へ押し向け、「御念仏。」と勧むれば、手を合はせ高らかに、高声念仏申さるる。池殿の御車を、半町ばかり遣り寄するに、御念仏のその声が、車の内へ聞こえければ、池殿、聞こし召され、「尼が行くと思はば、やがて首を切らうず。人に知らせで、この車を速めよ。やれ、宗清。鞭を打てや、牛飼よ。只一所に躍るは、わざと頼朝斬らせむとや。頼朝斬らするものならば、尼は御所へは帰るまじい。やがて身を投げ、死なうぞ。いかにや、殿、宗清。抱き下ろして賜び給へ。只一飛びに走らうに。」物見の簾をざつと打ち上げ、車の榻へ、只今転び落ちむとし給ふ。
 検見に立つた後藤内、車の飛ぶを見付け、「いかさま、四箇の大寺より、大僧正か僧都の、召し人乞はむ車ぞ。疾く斬れやつ。」と指をさす。太刀取、後ろに廻つて、投げかけんとせし時、八幡の誓ひかや、河原の石に踏みくじけ、うつ伏しにかつぱと転び、太刀を河原へ投げかけ、起き上がつて、太刀を取らむ取らむとする間に、車をさつと遣り寄せ、いまだ止めもせざりしに、池殿、転び落ち給ひ、頼朝を引つ立て、同じ車にうち乗せ、「求めた殿が首かな。今はよも斬られじ。心安く思へ。」とて、はらはらと泣き給ふ。頼朝も、池殿の御袂にすがり付き、はらはらと泣き給ふ。物によくよく譬ふれば、罪深き罪人、倶生神の手に渡り、無間大城の底に堕とさるべかりしを、六道能化の地蔵の、錫杖をからりとうち振つて、「訶訶訶微婆麼曵。」と呼ばはりかけ、救ひ上げ、助けむとし給ふも、これ程ぞありつらん。八條殿に帰らるる。
 検見、奉行も斬り手も、六波羅殿に帰つて、清盛に、かくと申しければ、「疾く斬らぬこそ不覚よ。」と、御後悔は量り無し。やがて、主馬判官盛国を召され、「汝、八條殿に参り、あれにて申すべき事は、『力及ばず、頼朝をば池殿に参らせ置き候ひぬ。源氏に伝はる重宝に、鎧には、かむだか、産衣、七龍、八龍とてあり。太刀には髭切とて候を、今度義朝、待賢門を出し時、嫡子悪源太にも譲らず、二男朝長にも譲らず、三男頼朝に譲りぬる由、聞いて候。恐れながら、池殿の御口入により、尋ね出して賜はらば、平家の宝たるべし。」と、御使をこそ立てられけれ。
 池殿、聞こし召されて、頼朝にこの由、かくと仰せければ、頼朝、聞こし召され、「あら、何ともなの事どもや。命を惜しみ、いかにとして、家に伝はる重宝を、敵の手に渡すべき。」と、思し召されける間、とかく物をも宣はず、思ひ入つてぞおはしける。池殿、仰せけるやうは、「あら、愚かなり、頼朝。命だにあるならば、宝は又も求めて持つべし。只、みづからに御任せ候て、ありのままに仰せられよ。」頼朝、「げにも。」と思し召し、「産衣をば山科のじやうしんが元、太刀をば美濃の国青墓の長者が元に、預け置き候ひぬ。」と、ありのままに仰せければ、池殿、聞こし召されて、六波羅にてこの由、かくと仰せければ、やがて六波羅より使者を立て、召し出させ給ふ。かくて二つの宝、平家に納めらるべきにてありしかども、小松殿の仰せには、「これは、よからぬ御諚かな。源氏に持ちてこそ、宝とは成るべけれ、平家の方に持つならば、障礙をば成すとも、宝と成る事、候まじ。只々、返し給へ。」と、元の源氏へ返されたり。
 「その儀にてあるならば、頼朝をば、いかなる遠嶋へも流し置け。」との御諚なり。一番の度には、伊勢の国御座の嶋と聞こゆる。池殿、聞こし召されて、「御座の嶋とやらんは、伊勢平氏が多くして、叶ふまじ。」とぞ仰せける。二番の度には、伊豆の国北條蛭が小嶋。これも心元無くし、御身間近き侍に、纐纈の源五盛康が嫡子、盛長と申して、十六歳に罷り成るを、間近き様に召され、「いかに、盛長よ。頼朝が供をして、伊豆の国に下り、朝夕宮づき申すべし。いささかの事もあるならば、急ぎ尼に知らせよ。俄の事にてあるならば、盛長、先に腹を切れ。跡をは弔うて得さすべし。いかに、頼朝。生まずとも、尼をば親と思ふべし。御身を子とも思はうぞ。南無や、源氏の氏神、正八幡大菩薩。頼朝の御寮を安穏に守り給へや。」と、後ろ姿を拝み給ふ。頼朝も立ち帰り、伏し拝ませ給ひけり。「生まれ合うたる親子ぞ。」と、御悦びは限りなし。
 さる程に頼朝、盛長を伴ひ、伊豆の国に下つて、北條蛭が小嶋にて、二十一年の春秋を、送らせ給ひけるとかや。終に源氏一円の御代と成り給ひて、攻めし所はどこどこぞ。一谷鵯越、讃岐に屋島、長門に壇ノ浦、早鞆が沖までも、三年三月に攻め靡け、天下を治め給ふ事、八幡大菩薩の御誓ひとぞ聞こえける。

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鎌田
(毛利家本)

源氏左馬の頭義朝は。待賢門の夜軍にかけまけさせたまひ。東国さして落給ふ。爰にせんぞくかかけにて。横川法師の大将。おほやのちうきがはなす矢を。進朝長の弓手の膝口にうけとめさせ給ひ。其御手大事にて。美濃国青墓の長者に着せ給ふ。長者急き立出。義朝の御目にかゝり。扨朝長は御供かきかまほしやと有しかは。義朝聞し召れて。大事の手負最後のきはといふならは。長者の歎きふかゝるへしとおほしめし。さん候朝長をは。悪源太と打つれ。鎌倉へつかはして候。明年の夏の比。必くして参るへしと。深くつゝませたまひ。其後鎌田を召れ。如何に正清。朝長か体を見よ。尾張をさして一まつ。落へきにても有やらん委くとへ。鎌田承り。中宮大夫進朝長に参り。明日は都より。討手の参り候へし。夜半に紛て一先。おつへきにてもましまさは。御伴召れ候へと申す。朝長聞しめし御供申度は候へ共。痛手薄手に七ヶ所の手負。五体安からねは御供申難し。さあらは平家の者共に。かき頸なんとにせられては。骸の上の恥辱たるへし。たゝたゝ腹をきりなんと御返事を申させ給ひ。頓て鎌田召れ。如何に正清。弓箭に携り箕裘の家といひなから。自害をいまたしらぬなり。如何様にする物そ委く申せ。鎌田承り。さん候夫自害と申は。十方浄土は申せとも。先最後の時は。西にむかつて手を合せ。高声に念仏申し。腰の刀をするりとぬき。弓手の腋にかはとたて。妻手へきりゝと引廻し。かへす刀を取なをし。心もとにさしたてゝ。袴の着きはへをしをろし。臓をつかんてくり出し。寸々にきりて。捨たるを清きしかいと申なり。朝長聞しめし。やかて意得給ひて。をし手をしおきなをり。腰の刀をするりとぬき。弓手の脇にかはとたて。妻手へ漸々引まはし。返す刀を取なをし。心もとにさしたてゝ。きらんきらんし給へとも。痛手うすてに腕こはり。御身合期ならされは。自害を半に。しかけ給ひ鎌田はなきか首をとれ。正清此由見まいらせ。涙とともに参りつゝ御頸をとらんとしけれ共。三代相恩の主君に。いつくに刀をたつへきと。泣より外の事はなし。朝長は御覧して。不覚なり正清。はやとくとくとのたまへは。いたはしや御首を。水もたまらすかきおとし。義朝に参りつゝ御自害のよしを。申せは御落涙はひまもなし。其後義朝鎌田を召れ。是より尾張へは何として着へきそ。鎌田承り。さん候長者の弟に。鷲の栖の玄光を御頼あれと申す。頓てわしのをたのませ給へは。安き程の御事とて。柴舟下すにことよせ。人々を舟にのせ申し。かせをたかくゆひあけ。上に柴をつみかけ。府津の七郎か七百余騎にてさゝへたる関所の前を。兎角諌してをしとをし。内海の浦へ船をよせ。鎌田兵衛を御使にて長田をたのませ給ふ。長田難なく頼まれ申し。新造に御所をたて。君をいれ申しいつきかしつき奉る。此叓都に隠れなし。六原にさしあつまつて内義評諚とりとりなし。時刻移して叶ふましと。弥平兵衛宗清に三百余騎をくたしたふ。古松の内府の御諚には。をろかなる御はからひかな。彼東国と申は。源氏に心有かたなり。討手下ると風聞せは。東に残る源氏か。雲霞の如くはせあつまり如何様大叓も出来なん。所詮たはかり状をこしらへ長田をたのませ給ひ。過分の国所領を一旦あたへ味方にめされ。義朝をたはかり。安々と討て後。長田も討罰有へきになんのしさい候へき。此儀にしくはあらしとて。頓而たはかり状をこしらへ。長田か舘へ着給ふ。長田なんなくたのまれ申。御教書頂き。披ひて拝見申其御書に曰く。下状源氏左馬頭義朝は。親の首を斬のみならす。したしむへき兄弟をほろほし。六親不和にして三宝の加護なし。父母不孝にして天罰を蒙る。其いはれあひたかはす。去年の罪近年にかんし平治の。戦にかけまけ帝都をさつて遠嶋遠鄙に迷ふ纔に露命を。石草にかけ芭蕉の四大を。乱風に任す。粗頼み少き事は槿花。一日の影を。待かことし草風春の雨を待に似たり。とても自滅すへき物をや。此味方にくみせん事は唯深淵に望んて。薄氷を踏に。似たるへしはや義朝かかふへを斬て天下に捧け。申へしけしやうには。美濃尾張三河。三ヶ国を宛行ふ。同しく受領は望みたるへし。仍状如件。平治二年正月一日長田か舘へと書れたり。長田御教書を頂き。夜半に人をまはし。五人の子共を近付。是々拝み申せ。綸旨のむね至極の道理爰にあり。実も義朝は親の首を斬給ふ。五逆罪の人成を。主に頼みて何かせん。いさ此君を討申し。美濃尾張三河。三ヶ国をたまはり。うへ見ぬ鷲と思ふはいかゝはからふ。子共承りこはゆゝしき御大叓にて御座候。此人々三人をうたんには。尾張の国か動きても。輙くうたれ給ふまし御思案あれと申す。長田聞て。不覚なり汝等。勢を揃へてうたはこそ。たはかつて討へきに何の子細の有へきそと申す。かゝつし処に三男先生と申す者。鳥帽子のさきを地につけ。仰の如く此君は親の首を斬給ふ五逆罪の人。扨亦一代ならす二代ならす。三代相恩の主の頸をきりたまはゝ。五逆をは扨置ぬ八逆罪をいかゝせん。永々敷は候へとも。爰に喩への候を語つてきかせ申へし。昔天竺せつせんの傍に。めいみやうてうといふ鳥あり。彼鳥筒一つにて觜二つ。一つの觜か餌を求て服せんとせし時。一つの觜賢くて此餌をちうにてはふて喰。一つの觜思ふやう。如何なれはよの鳥は。とうも一つはしも一つ。我等如何成因果にや筒一つにて觜二つ。たまたま求る餌食をも。うはゝる事の口惜さよ。所詮一方を退治せはやとおもひ。毒の虫を求て。服するまねをせし時。常のことく心得此餌をちうにてはふてくふ。觜は二つと申せとも。筒か一つて。有間。其毒筒におさまりて。身体か破れつゝ。筒体か損して。をのれさへに。死ゝたると承りて候そ。我も人も自然は。もつてはひとしかるへし。此君と申は。政道かしこくおはします。鎌田兵衛正清は。双ひもなき強の者。童に渋屋の金王は。弓箭を取て。名人と名をえたる程の者なり。是三人をうたむには。尾張八郡。動きても輙くうたれ給ふまし。我々か心中には。とても捨る。命ならは君にたのまれ奉り。内海に城をこしらへ。敵むかふと見るならは。軍兵共をさしつかはしてめさまし軍せさせ。軍兵尽は腹切て。死出の山の御供こそ。弓矢を取ての面目なれ。昔か今に至るまて。婿と主とを討取ていや世に出たるはうや有然るへくは此事をたゝ思ひとゝまり給へとよ。長田間て。殊の外に腹をたて。何と申そあの冠者め。夫天地開け始てより以来。天は父地は母。親の恩を蒙り。庄司か申事を直に背くは奇怪なり。惣してあの先生めを見れは中々腹もたつ。まかり立と云まゝに。ゐたる処をつんとたち。簾中深くいつたるはとかふ申にをよはれす。荒むさんや先生は父にしかられ。常の所に立入つくつくあんしけるやうは。親のめいをそむかしとて主に弓矢をひくならは。八逆罪の咎。主と一所に成申し父に弓箭を攣ならは五逆罪の咎たるへし。しかしたゝ鬠をきつてさまをかへ。浮世をいとはゝやと思ひ。年十七と申には。みとりの。たふさををしきりて。刀とともに西へなけ。つたのふち笈肩にかけ。心と衣を墨に染。遁世修行に出たりし。彼先生を。見し人のほめぬ人こそなかりけれ。其後長田残る子共をちかつけ。実先生めは遁世したるとな。扨汝等は先生にとうすへきか。父か義にしたかふへきか早々返事を申せ。子共承り。とも角も御はからひの悪くはよもさふらはしと申す。長田聞て打笑ひ。かやうに申も汝等を。世にあらせんか為そかし。先婿の鎌田をは。先生か出居へしやうし。山海の珍物をとりかへとりかへ酒をしひよ。酔たらん所を見て。酌にたつたる者か。もつたる酒をなけかけ。ひらまん所を無手とくめ。一間所に能兵をかくしをき折あふて討へし。童の金王をは。内海の沖に大網ををろし。網の奉行にことよせ内海にて討へし。主の義朝をは此庄司めに任せよ。先金王を議てこそといふまゝに。蔀戸の木の塵とらせ。若き女を使にて金王をしやうする。渋屋さふなく来る。長田急き立出。三献盃過てのち。如何に渋屋殿を。万事頼み申へき事の候か。但憑まれ給はんならは申へし。金王聞て。何叓を仰せ候へき。長田の大叓たるへくは一命を成共しんすへし。長田聞て打笑ひ。夫まてもさふらはす。我君の是まての御下向を。一期の面目優曇花と存し。蓬莱をからくみ。君を祝ひ申さんため。蓬莱の下くみには。魚と鹿かいる事にて候程に。五人の子共をは。三河の国あすけの山へ鹿狩にこしさふらひぬ。又内海の沖に大網ををろして候か。奉行にはたとことをかひて候。若き時のあそひに。猟漁りと申して。くるしからぬ事なれは。奉行にたつてたへかしとうちとけ顔にそ議りける。金王聞敢す。やかて腹こそたつたりけれ。長なる髪を。からわにきつとわけたるか。ふるふるとほとひておほはらはにそなつたりける。爰に喩へあり樊会いさみをなせは。髪甲のはちをゝひぬく。是にはいかてまさるへき。いつもはなさすもちたりし四尺三寸の角鍔のうち物。つはもと二三寸くつろけ。長田をはつたとにらんて。何とさふ長田。君を大事に。おもひ申さはこふん成共出ましきか。さなくはりんたん隣郷に。傍輩共もありこそするらめなとよひよせていたさぬそ。陽明待賢郁芳門。とまりとまり関々にて。合戦にほねおり。物具にかたひかせ。下つて三日も過さるに。網の奉行にたてとさふや。鴉の子が白くなつて駒に角のおいんほと。待候へよ庄司。定て上へ申さるへし。太刀取縄取さたまつて。汀て切て捨らるゝとも全く金王いつましひ。見れは中々腹もたつ罷り立といふまゝに。銚子土器けちらかし。そとの出居まてをとり出し。彼金王かいきほひは如何成天魔疫神も面をむくへきやうそなき。去間長田は。金王にをとされ。ふるひふるひ座敷をたち。頭殿の御前に参り。何と物をは申さすしてたゝさめさめとなく。義朝御覧有て。あれは如何に長田は何事を歎くそ。さん候別の子細にてさふらはす。我君の是迄の御下郷を。一期の面目優曇花と存し。当生はやる蓬莱をからくみ。君を祝ひ申さんため。蓬莱の下くみには。魚と鹿かいる事にて候程に。五人の子共をは。家の子郎等さしそへ。三河の国あすけの山へ鹿狩にこしさふらひぬ。又内海の沖に大網ををろして候か。奉行にはたと事を闕て候程に。御内の渋屋をたのふて候へは。奉行にこそはたゝさらめ。剰へ年寄たる庄司めをさんさんに悪口せられ申。強面命存へ。是まて参りて候とてはらはらと泣。義朝聞しめされて。実々夫はさそ有らん。地体あの金王は。物狂しき者にて。我云事をさへ五度に三度はそむく。ましてこふんか申さん事を。いかて承引すへきそ。よしよし庄司腹ゐて帰れ。奉行にはいたさふするにて有そとて。長田をかへさせ給ひて後金王をめさるゝ。渋屋承り。あは庄司か訟訴申した。こさめゆゝしき大事と心得。御前に畏る。義朝御覧有て。あらけなくはのたまはて。やあ何とて汝はちかふたるそ。都より此国まて。長田を憑み下る身か。山ならは須弥山。海ならは滄海よりもなをたのもしう候に。一旦違ふ事有ともなと承引をせさるへき。其上猟漁りとやらんは。若き時のあそひにて。くるしからぬ事そとよ。奉行に立て魚をとり庄司か心を慰めよ。金王承り。謹而言しけるは。さん候某全く奉行に出ましきにてもさふらはぬか。長田か今の振舞を見候に。君に心代りを申し。五人の子共をは。かりくらに事よせ。催促廻し勢揃へ。我君を討申さんする。たくみをめくらすと見て候を。御存しなくてかやうに君は仰られ候よなふ。義朝聞し召れて。よし夫とても力なし。長田か心かはるならは。一所に有てもなにかせん。若もちうしんたるへくは。後のうらみを如何ゝせん。たゝ出て魚をとり庄司か心を慰めよ。金王承りあかぬは君の御諚とて。おうけを申して御前をまかりたつか。君も聞しめせと高らかに。人は運命竭ぬれは。智恵の鏡も。かきくもり才覚の花もちりはつる。郎等か。たはかるを御そんしなきそ口惜き。かやうにかきくとき一間所へつゝといり。はたには唐紅ゐひつちかへ。重目結の直垂の。上下四つのくゝりをゆるゆるとよせさせ。黒糸縅の大鎧。草摺長にさつくとき。惣して刀は三腰さす。四尺三寸の角鍔の打物。三尺五寸の太刀をかさねはきにはひて。四尺八寸の長刀をひき杖について。頭殿の御前に参り。東岱の前後の夕煙り昨日ものほりけふもたつ。北邙朝露の幻しは後れ前立世のならひ。若内海にてうたれすは。参りて御目に。かゝらんと涙とともに立出る。義朝は御覧して。いまはしゝ金王。首途いわへとの給ひて。自酒をそくたされける。御いとま申て金王は。内海の沖へ出にけり。契りはあれと。山鳥の尾をへたつるかことくなり。扨も内海には。組手の人数を定るに。先一番に岸岡十郎。野組小栗を先として。宗旨大力三十六人。大船八艘催し。上にあゆみの板を渡し。金王をのせ。沖をさして漕出し。爰にも魚はなきそ。かしこにも魚はなきかと。かなたこなたと目を見合せ金王をうたんとする。渋屋本より存しの事。ちつともさはく気色もなく。もつたる長刀にて。舟底をとうとうとつきならし。何とて面々は。夕日西に傾き給ふに。綱手をはとらすして。良ともすれは某に目をかくるこそ不審なれ。あふやかて心えたり。汝等か主の長田。君に心替りを申し。某を此沖にてうたんする。其工をめくらすと覚へたり。思ひ内にあれは色外にあらはるゝ。天しる地しる。我しる人しる。まちかくよつて叶ふまし。先長刀の切手には。こむてなくてひらくて。八方さひしき長刀の。手をつかふ物ならはあふさんをみたしてうたるへし。長刀をれくたけは。二ふりの太刀をもつて。さんさんにきるへし。太刀の柄をれくたけは。三腰の刀を。ぬきかへぬきかへ。取てひきよせさしころして。底のみくつとなすへきなり。運命竭果て。太刀も刀もをれくたけは。汝等たふさをとつて。五人も十人も。左右の脇にかひこふて。海底につゝといり。五日も十日も。底にて日を送るならは汝等か命はとゝまるへし。まちかくよつて叶ふましひと艫舳をかけりまはれは。内海を出し時には。金王ならは我くまん。誰くまんとはいさみしかと。此いきほひにをそれつゝ。舟底せかいにひれふしてふるひわなゝきゐたりけるはことおかしうこそ見えにけれ。是は内海の物かたり。爰に物の哀れをとゝめしは鎌田兵衛正清なり。宵迄は御前に伺公申し。みや使ひまいらせ。小夜更方に御暇給り。廊の屋に立帰り。弥陀石みた若とて二人の若の有けるを。弓手妻手の膝にひき。後れの髪をかきなて涙をなかし申けるは。正清都にて度々の合戦に。すそろに命のおしかりつるも唯汝等か有ゆへなり。いつか汝等成人し。父か供を仕り。はちある矢をも一筋いる。其折柄を見るならは。いかゝは嬉しかるへきと。明暮是を願ひしに。思ひの外に引替て。君落人と成給へは。御供申て正清も。うたれん事は治定なり。さあらん時に汝等は。三河の真福寺の。院主の御坊にふかく契約申すなり。院主の御坊にまいりつゝ。小経の一巻をも。よきに学して正清か。なからん跡をとへやとて。つゝむにあまる。其泪よ所の袂もぬれぬへし。らうのおかたは御覧して。是はいまた正月三日も過さるに。御身はの給ふそと。いひもあへぬに舅の長田。組手余多用意し。鎌田殿やまします物申さんと有しかは。正清舅の声ときゝ。是に候とて太刀をつとり出んとする。臈の御方は御覧して。袂を取てひつとゝめ。あはてたり鎌田殿さはひて見えさせ給ふ物かな。けふ此比のならひにて。親は子をたはかれは。子はおやにたてをつく。しかも御身は落人にて。万に心を置へき身か。明ましき夜にてもなし。今夜をあかし給ひて。夜明ておいて。ましませや鎌田殿とそとゝめける。正清聞ていつよりも。むつましけなる風情にて。立帰りうち笑ひなふさのみにとゝめ給ひそよ。めさるゝは御身の父正清かために舅なり。居なから返事を申さんは。不覚のいたりと存する也。やかて帰らんさらはとて。名残の袂。ひきさけて長田とつれてそ出にける。かりそめなから。別とは後にそ思ひしられたる。其後先生かてゐへしやうし。山海の珍物国土の菓子をとゝのへ。色をかへては三度もり。風情をかへては五度七度。盃の数もかさなれは。さしもに剛成正清も次第次第にひらめひたり。長田是を見て。あは時分はよひそとおもひ。帳台へつつといり。かいを一つ取出し。微塵さつとうちはらひにつこと笑つて申やう。如何になふ鎌田殿。此間の御つかれ思ひやられていたしうさふ。子共あまた候ひぬ。庄司も角て候へは。何かはくるしく候へきたゝうちとけておあそひあれ。かいのみにとつては。山田郷と申て。三百町の処の候を。鎌田殿に奉る庄司も三度たまはるなり。御身も三度まいれとて婿の鎌田におもひさす。去間正清舅の呑ふたる盃に。所領を添てえさするうへ。いつくに心のをかるへき。さしうけさしうけ呑ほとに。微塵積て山となり。砂長して岩となる盃の数もかさなれは。弓手の座敷か妻手へまはり。妻手の座敷か弓手へまはつて。てんしやうの大ゆかゝ。ひらりくるりとまひけれは。うしろの障子によりそひてとろりとろりと眠りけり。酌にたつたるともやなき。もつたる酒をなけかけ。をしならへて無手とくむ。鎌田もとより剛の者。さつしたりといふまゝに。友柳かたふさを取て。膝の下にひつしひたり。長田是を見て。居たる所をつむとたつて。鎌田かたふさを取て後へえひとおりつくる。鎌田是を見て。情なし長田。さやうにはせらるましひと。長田をかひつかんて。取て引寄たりけれ共。いかゝはもつてのかすへき。隠しをき兵か。すきをあらせすおりあひて一刀つゝとおもへとも。十三刀さゝれて樊噲といさむ正清もよはよはと成てかつはとふす。荒むさんや正清最後の言そ哀れなる。されは弓取のもつましきものは国をへたつる妻女なり。親のおこす謀反をなとかはしらて有へきそ。たとひ縁こそつくるとも。二人の若か有なれはなとさいこをはしらせぬそや。なゝの子はなすとも女に心ゆるすなと。申伝へて候。妻子珍宝及王位。臨命終時不随者。けにおもへは仇なり。子は三界のくひかせとは今こそ思ひしられたれ。三界のくひかせと煩悩の緤にひかれつゝ。不覚の死をするものかな。南無阿弥陀仏みたふつと。是を最後のことはにて。朝の露ときえにけり。正清の。最後の体をしはからて哀れなり。さすかに長田もふひんにおもひ。夜明て頸をとらんとて。むなしき死骸に衣引おほひ各々なりをそしつめける。あゝらいたはしや廊のおかた。是をは夢にもしらす。小夜更人もしつまり。兄弟の人々も皆々帰らせ給ふか。不思義やつまの正清は。何とてかをそく見えさせたまふらんと。うすきぬ取て髪にかけ。とうらうまはり。まこひさしをとをる時。人に忍ふたる声にて。鎌田殿やまします。正清とよひけれと。宵にうたれたる事なれは夜更て喚に音もせす。四間の出居を見てあれは。灯少かきたて。あたりに人一人衣引かつき臥てあり。うたれたるとはおもひもよらす。酔伏たるそとおもひ。するするとよつて。なふ御身は鎌田殿にてましますか。さやうに酒に酔給ひては。しせん我君のこせんに。何としてたゝせ給ふへき。おきさせ給へといふまゝに。衣引のけて見てあれは。くれなゐに身をそ染にける。あまりの事のかなしさに。死骸にかはと。うちかゝりしはしきえ入給ひけり。少し心を取なをし。さこそ最後にみつからを。うらみさせ給ひつらん。夢にも自しらぬなり。我をは誰にあつけをき。捨てはいつくへ行やらん。我をもつれてゆけやとて。さいこにぬかぬ。刀をぬき既に自害と見えけるか。まてしはし我心。明日にも成ならは。むさんや二人の若ともは父母か行衛をしらすして。父よ母よとよふならは。しやけんの祖父伯父にて。鵜鷹の餌を。うつやうにうたせたまはんむさんさよ。同し道にと思ひきり。又廊の屋に立帰り。二人の若を見給へは。兄か手をは。弟にかけ。弟か手をは。兄にかけ余念もなふて臥にけり。らうのおかたは御らんして。二人の若をかきいたき。父正清のふしたりし。前後にとうとをろしをき。如何に二人の若共よ。祖父伯父このしわさを見よ。情なの事やとて。泣涕こかれなき給へは。二人の若も。もろともにふし沈みてそ泣にける。扨有へきにてあらされは。如何にきくか兄弟よ。角うらめしき浮世に。存へてあらんより。父もろともにうちつれて。炎魔の庁にて。母をまてよと語りつゝ。兄弥陀石を引寄て。弓手の肱の。かゝりを二刀害してをしふする。をとをとか是を見て。あらおそろしの母うへや。我をは許し給へとて。ゐたる所をつんとたち。さらはよ所へも。ゆかすしてころすへき母にすかりつく。いとゝ心はきゆれ共。眼をふさきおもひきり。心もとを一刀。あつとはかりを最後にて。兄弟の若ともを。三刀に害しつゝ。我身ははたの守りより。しゆへんの珠数を取出し。西にむかつて手を合せ。いとゝたに。女は五障三従にえらまれて。罪の深ひと承る弓箭にかゝる自を。たすけ給へや神仏。南無阿弥陀仏を最後にて。刀を口にくはへつゝ。鎌田の死骸にうちかゝり。朝の露ときえにけり。廊のおかたの。最後の体哀れといふもあまりあり。荒いたはしや母うへ。是をは夢にもしろしめされす。鎌田うたれぬると聞しめし。さこそらうのおかたか歎くらん。吊らはゝやとおほしめし。らうの屋に立よりよへとこたふる者もなし。扨は鎌田うたれぬる所に有そとおほしめし。四間の出ゐを見給へは。らうのおかた二人の若。皆々あけにそみ同し枕にふしてあり。母此由を御覧して。なふ是は夢かや現かや。さりなから道理なり理りや。何に命のおしからん。子よりも孫はいとふしきに。花のやうなる若共を先にたて。齢ひかたふく自か。一人跡に残りなは。太山かくれの遅桜。梢の花はちりはてゝ下枝に一ふさ。残りて嵐を待に似たるへし。我をもつれて行やとて。母も自害をとけ給ふ。平治貳年正月の。二日の夜の事なるに。鎌田をはしめ。父子五人水の泡とそきえにける。天明けれは長田。鎌田か首をとらんとて。四間の出居を見てあれは。我女房を先として。皆々あけにそみ同し枕にふしてあり。さしも情なき長田とは申せとも心よはり。遁世するか腹をきるか。いかゝはせんと思ふか。いやいや身より出せる罪なれは。誰をさしてかうらみんと。心に内に存すれは。あゝら果報なの者共か成たる有様や。長田か世に出るならは。果報の妻女はいかほとも有へきに。南無三宝阿弥陀仏と。へんしゆの念仏を申し。鎌田か首をとつたるはとかふ申にをよはれす。其後義朝の御前に参り。今日は三ヶ日の御嘉例。八幡宮へ御社参有へく候。たかみの湯殿と申て。子細なき所の候へは。御出有て御行水と申す。義朝聞し召れて。先祖の郎等ならすは誰かかやうふるまふへき。かまへて長田弓箭の冥加。七代迄安穏なれやとの給ひて。御重代御剣御腰物。長田に預け給ふは御運の尽る処なり。角て義朝湯殿の内へ入給ふ。宵より定めし事なれは。都合二百余騎にて。湯殿を二重三重にをつとりまひてときをとつと上る。義朝聞しめされて。心替りか長田。さん候都より。討手のまいりて候に御自害あれと申。義朝聞しめされて。長田か事は兼てよりおもひまふけつる事。情けなし鎌田。たとひ舅と一所になり。我にかはるとも。三代相恩の主になと最後をはしらせぬそや。如何にえひ長田。刀まいらせよ自害せん。承ると申て。刀に鎌田か首をそへ。湯殿の内へまいらせ上る。義朝鎌田か首を。御膝のうへにかきのせ給ひて。あゝらはかなの只今のうらみ事や。我より先に立けるそや。死出の山にて待よへひ三途の川てをひつかん。腰の刀をするりとぬき。弓手の脇にかはとたて。妻手へきりゝと引廻し。返す刀を取なをし。心もとにさしたてゝ。袴の着きはへをしをろし。臓をつかんてくり出し。四方の壁になけつけ。ゆふねにて御手をすゝき西にむかつて手を合せ。何とて義朝しなれぬそ。さる事ありや父為義。天台山月輪の御坊に。ふかく忍ひておはせしをたはかり出し申て。御首をきり申す其因果忽むくふて。死なれぬ事は口惜し。如何にへひ長田。急き参りて頸をとれ。長田さふなくまいりへす。長刀にてさしまいらせ。をつをつ御首たまはり。知多の郡てうたれ給ふ唯人間の。因果はめくるにはやき物てあり。角て長田は。義朝の御首をも安々と給はりぬ。今は金王か首をゝそしと待る。扨も金王は。内海の沖に有けるか。れいならすむなさはき頻り成は。何叓か君にましますらんと。心もとなく存すれは舟をよせよと下知をする。力及はぬ次第とて。さふなふ舟をさしよする。金王ゆらりととんてをり。暇申て面々とて。五十町の所成をもみにもふてそ走りける。爰に鎌田かめしつかひし下女一人走り向ひ。なふ御身はいつくへ行てましますそ。鎌田殿は夕部うたれ給ひぬ。君は只今。たかみの湯殿にて御腹めされさふらひぬ。今は御身の頸を遅しと待させ給ふに。いつくへも一先しのはせ玉へと申す。金王聞あへす。泪をはらはらとなかし。さはかり某か申つる事を御承引なくして。うたれさせ玉ひて候や。扨は鎌田は。御心替りをは申さゝりけるや。あふ尤かふこそ有へけれ。定而長田は。我舘にはよもあらし。君の御最後所。田上の湯にそ有らん。某かうたれん事を一定と心得。うちとけたらん所へつゝと行。長田か首を打落し。御教養に報せんと。心の内に存すれは。田上の心かけてゆらりゆらりとあかりけり。長田是を見て。すはや金王か。内海にて討もらされ。是まてきたつたるは。あますなもらすなとて。真中に取籠る。金王是を見て。面白し長田。そなたは猛勢なり。我は只一人。まいりさふと云儘に大勢の中へわつて入。さんさんに切たりけり。去間長田。叶ふへきやうあらされは。我舘をさひて。もみにもふて北にけり。金王是を見て。いつくまてといふ儘に長田を目にかけて走けり。去間長田。我舘へつゝといり。堀の橋をひゝて四方の城戸をちやうとうつ。金王是を見て。あら物々しけらのたけりといふまゝに。三重の堀をは。ひらりひらりとはねこして。八尺築地の有けるに。手をかくるこそをそかりけれかけすゆらりとはねこへ。中門めんらう遠侍ひ。長田ををふて走りしは。あら鷹か。とやをくゝつて。雉子ををふかことくなり。去間長田。妻戸よりもつつとぬけ。行方しらす成にけり。金王是を見て。力をよはぬ次第とて。又取てかへして。大勢の中へわつて入。西東。北南くもてかくなは十文字。八はなかたといふ物に。散々にきつたりけり。手元にすゝむ兵を五十三騎きりふせ。大勢手を負せ東西へはつとをつちらしうみの渡りをさふなくし都をさひて上りける。金王か心中をは。貴賤上下をしなへ。かんせぬ人はなかりけり。

    元和第四暦戊午孟秋吉日

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鎌田
(毛利家本)

 源氏左馬の頭義朝は、待賢門の夜軍に駆け負けさせ給ひ、東国さして落ち給ふ。ここに、せんぞくかかけにて、横川法師の大将おほやのちうきが放す矢を、進朝長の弓手の膝口に受け止めさせ給ひ、その御手、大事にて、美濃国青墓の長者に着かせ給ふ。長者、急ぎ立ち出、義朝の御目にかかり、「さて朝長は、御供かきかまほしや。」とありしかば、義朝、聞こし召されて、「『大事の手負、最後の際。』と言ふならば、長者の歎き、深かるべし。」と思し召し、「さん候。朝長をば、悪源太とうち連れ、鎌倉へ遣はして候。明年の夏の頃、必ず具して参るべし。」と、深く包ませ給ひ、その後、鎌田を召され、「いかに、正清。朝長が体を見よ。尾張をさして、ひとまづ落つべきにてもあうやらん。詳しく問へ。」
 鎌田、承り、中宮大夫進朝長に参り、「明日は、都より討手の参り候べし。夜半に紛れて、一まづ落つべきにてもましまさば、御伴召され候へ。」と申す。朝長、聞こし召し、「御供申したくは候へども、痛手、薄手に七ヶ所の手負。五体安からねば、御供申しがたし。」「さあらば、平家の者どもに、かき頸なんどにせられては、骸の上の恥辱たるべし。只々、腹を切りなん。」と、御返事を申させ給ひ、やがて鎌田召され、「いかに、正清。弓箭に携はり、箕裘の家と言ひながら、自害をいまだ知らぬなり。いかやうにするものぞ。詳しく申せ。」鎌田、承り、「さん候。それ自害と申すは、十方浄土とは申せども、まづ最後の時は、西に向かつて手を合はせ、高声に念仏申し、腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へきりりと引き廻し、返す刀を取り直し、心もとに刺し立てて、袴の着際へ押し下ろし、臓を掴んでくり出し、寸々に切りて捨てたるを、清き死骸と申すなり。」
 朝長、聞こし召し、やがて心得給ひて、押し手押し、起き直り、腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へやうやう引き廻し、返す刀を取り直し、心もとに刺し立てて、切らん切らんとし給へども、痛手、薄手に腕強り、御身合期ならざれば、自害を半ばにしかけ給ひ、「鎌田はなきか。首を取れ。」正清、この由見参らせ、涙と共に参りつつ、御頸を取らんとしけれども、「三代相恩の主君に、いづくに刀を立つべき。」と、泣くより外の事は無し。朝長は御覧じて、「不覚なり、正清。早、疾く疾く。」と宣へば、いたはしや、御首を、水もたまらず掻き落とし、義朝に参りつつ、御自害の由を申せば、御落涙は暇も無し。
 その後、義朝、鎌田を召され、「これより尾張へは、何として着くべきぞ。」鎌田、承り、「さん候。長者の弟に、鷲野栖の玄光を御頼みあれ。」と申す。やがて、鷲野を頼ませ給へば、「易き程の御事。」とて。柴舟下すに事寄せ、人々を舟に乗せ申し。かせを高く結ひ上げ、上に柴を積みかけ、府津の七郎が七百余騎にて支へたる関所の前を、とかく騙して押し通し、内海の浦へ舟を寄せ、鎌田兵衛を御使にて、長田を頼ませ給ふ。長田、難なく頼まれ申し、新造に御所を建て、君を入れ申し、いつきかしづき奉る。
 この事、都に隠れなし。六波羅にさし集まつて、内議評定、取り取りなり。「時刻移して叶ふまじ。」と、弥平兵衛宗清に、三百余騎を下賜ぶ。小松の内府の御諚には、「愚かなる御計らひかな。かの東国と申すは、源氏に心ある方なり。『討手下る。』と風聞せば、東に残る源氏が、雲霞の如く馳せ集まり、いかやう大事も出来なん。所詮、たばかり状を拵へ、長田を頼ませ給ひ、過分の国、所領を一旦与へ、味方に召され、義朝をたばかり、易々と討つて後、長田も討伐あるべきに、何の子細候べき。」「この儀にしくはあらじ。」とて、やがてたばかり状を拵へ、長田が舘へ着き給ふ。
 長田、難なく頼まれ申し、御教書頂き、披いて拝見申す。その御書に曰く、
  下し状
  源氏左馬頭義朝は、親の首を斬るのみならず、親しむべき兄弟を滅ぼし、六親不和にして、三宝の加護無し。父母不孝にして、天罰を蒙る。その謂はれ、相違はず。去年の罪、近年に感じ、平治の戦に駆け負け、帝都を去つて、遠嶋遠鄙に迷ひ、わづかに露命を石草にかけ、芭蕉の四大を乱風に任す。その頼み少なき事は、槿花一日の栄を待つが如し。草風、春の雨を待つに似たり。とても自滅すべきものをや。この味方に与せん事は、只、深淵に臨んで薄氷を踏むに似たるべし。早、義朝が頭を斬つて、天下に捧げ申すべし。勧賞には、美濃、尾張、三河三ヶ国を宛て行ふ。同じく受領は、望みたるべし。仍つて状、件の如し。
    平治二年正月一日 長田が舘へ
と書かれたり。
 長田、御教書を頂き、夜半に人を廻し、五人の子どもを近付け、「これこれ、拝み申せ。綸旨の旨、至極の道理、ここにあり。げにも義朝は、親の首を斬り給ふ、五逆罪の人なるを、主に頼みて何かせん。いざ、この君を討ち申し、美濃、尾張、三河三ヶ国を賜はり、上見ぬ鷲と思ふは、いかが計らふ。」子ども、承り、「こは、ゆゆしき御大事にて御座候。この人々三人を討たんには、尾張の国が動きても、たやすく討たれ給ふまじ。御思案あれ。」と申す。長田、聞きて、「不覚なり、汝等。勢を揃へて討たばこそ。たばかつて討つべきに、何の子細のあるべきぞ。」と申す。
 かかつし処に、三男先生と申す者、烏帽子の先を地につけ、「仰せの如く、この君は、親の首を斬り給ふ、五逆罪の人。さて又、一代ならず二代ならず、三代相恩の主の頸を斬り給はば、五逆をばさて置きぬ、八虐罪をいかがせん。長々しくは候へども、ここに譬への候を、語つて聞かせ申すべし。昔、天竺せつせんの傍に、めいみやうてうといふ鳥あり。かの鳥、胴一つにて、嘴二つ。一つの嘴が、餌を求めて服せんとせし時、一つの嘴、賢くて、この餌を宙にて奪うて喰ふ。一つの嘴、思ふやう、『いかなれば余の鳥は、胴も一つ、嘴も一つ。我等、いかなる因果にや、胴一つにて、嘴二つ。たまたま求むる餌食をも、奪はる事の口惜しさよ。所詮、一方を退治せばや。』と思ひ、毒の虫を求めて、服する真似をせし時、常の如く心得、この餌を宙にて奪うて喰ふ。嘴は二つと申せども、胴が一つである間、その毒、胴に収まりて、身体が破れつつ、胴体が損じて、己さへに死したると、承りて候ぞ。
 「我も人も、自然は以ては等しかるべし。この君と申すは、政道賢くおはします。鎌田兵衛正清は。並びもなき剛の者。童に渋屋の金王は、弓箭を取つて名人と、名を得たる程の者なり。これ三人を討たむには、尾張八郡動きても、たやすく討たれ給ふまじ。我々が心中には、とても捨つる命ならば、君に頼まれ奉り、内海に城を拵へ、敵向かふと見るならば、軍兵どもをさし遣はして、目覚まし軍せさせ、軍兵尽きば、腹切つて、死出の山の御供こそ、弓矢を取つての面目なれ。昔が今に至るまで、婿と主とを討ち取つて、いや、世に出たる法やある。しかるべくは、この事を只、思ひとどまり給へとよ。」
 長田、聞きて、殊の外に腹を立て、「何と申すぞ、あの冠者め。それ、天地開け始めてより以来、天は父、地は母。親の恩を蒙り、荘司が申し事を、直に背くは奇怪なり。惣じてあの先生めを、見れば中々、腹も立つ。罷り立つ。」と言ふままに、居たる処をづんと立ち、簾中深く入つたるは、とかう申すに及ばれず。あら、無残や。先生は、父に叱られ、常の所に立ち入り、つくづく案じけるやうは、「親の命を背かじとて、主に弓矢を引くならば、八逆罪の咎。主と一所に成り申し、父に弓箭を引くならば、五逆罪の咎たるべし。しかじ、只、元結を切つて様を変へ、浮世を厭はばや。」と思ひ、年十七と申すには。翠の髻を押し切りて、刀と共に西へ投げ、つたのふち笈、肩に懸け、心と衣を墨に染め、遁世修行に出たりし。かの先生を見し人の、褒めぬ人こそなかりけれ。
 その後、長田、残る子どもを近付け、「げに先生めは遁世したるとな。さて汝等は、先生に同ずべきか、父が議に従ふべきか。早々、返事を申せ。」子ども、承り、「ともかくも、御計らひの悪しくは、よも候はじ。」と申す。長田、聞きて、うち笑ひ、「かやうに申すも、汝等を、世にあらせんがためぞかし。まづ、婿の鎌田をば、先生が出居へ請じ、山海の珍物を取り替へ取り替へ、酒を強いよ。酔ひたらん所を見て、酌に立つたる者が、持つたる酒を投げかけ、ひらまん所をむずと組め。一間所によき兵を隠し置き、折り合うて討つべし。童の金王をば、内海の沖に大網を下ろし、網の奉行に事寄せ、内海にて討つべし。主の義朝をば、この庄司めに任せよ。まづ金王を謀りてこそ。」と言ふままに、蔀戸の元の塵取らせ、若き女を使にて、金王を請ずる。
 渋屋、左右なく来る。長田、急ぎ立ち出、三献盃過ぎて後、「いかに、渋屋殿を万事頼み申すべき事の候が、但し、頼まれ給はんならば、申すべし。」金王、聞きて、「何事を仰せ候べき。長田の大事たるべくは、一命をなりとも進ずべし。」長田、聞きて、うち笑ひ、「それまでも候はず。我が君のこれまでの御下向を、一期の面目、優曇花と存じ、蓬莱を絡組み、君を祝ひ申さんため、蓬莱の下組には、魚と鹿が要る事にて候程に、五人の子どもをば、三河の国足助の山へ、鹿狩に越し候ひぬ。又、内海の沖に大網を下ろして候が、奉行にはたと事を欠いて候。若き時の遊びに、猟漁りと申して、苦しからぬ事なれば、奉行に立つて賜べかし。」と、打ち解け顔にぞ諮りける。
 金王、聞きあへず、やがて腹こそ立つたりけれ。たけなる髪を唐輪にきつとわげたるが、ふるふると解いて、大童にぞ成つたりける。ここに譬へあり。樊噲、勇みを成せば、髪、兜の鉢を生ひ抜く。これにはいかでまさるべき。いつも離さず持ちたりし、四尺三寸の角鍔の打ち物、鍔元二、三寸くつろげ、長田をはつたと睨んで、「何と候、長田。君を大事に思ひ申さば、御分なりとも出まじきか。さなくば、りんたん隣郷に、傍輩どももありこそするらめ。など呼び寄せて致さぬぞ。陽明、待賢、郁芳門。泊り泊り、関々にて、合戦に骨折り、物具に肩引かせ、下つて三日も過ぎざるに、『網の奉行に立て。』と候や。鴉の子が白く成つて、駒に角の生ひん程、待ち候へよ、庄司。定めて上へ申さるべし。太刀取、縄取定まつて、汀で切つて捨てらるるとも、全く金王、出づまじい。見れば中々、腹も立つ。罷り立つ。」と言ふままに、銚子土器蹴散らかし、外の出居まで躍り出し、かの金王が勢ひは、いかなる天魔、疫神も、面を向くべきやうぞ無き。
 さる間、長田は、金王に脅され、震ひ震ひ座敷を立ち、頭殿の御前に参り、何と物をば申さずして、只さめざめと泣く。義朝、御覧あつて、「あれは、いかに。長田は何事を歎くぞ。」「さん候。別の子細にて候はず。我が君のこれまでの御下向を、一期の面目、優曇花と存じ、当世はやる蓬莱を絡組み、君を祝ひ申さんため、蓬莱の下組には、魚と鹿が要る事にて候程に、五人の子どもをば、家の子、郎等差し添へ、三河の国足助の山へ、鹿狩に越し候ひぬ。又、内海の沖に、大網を下ろして候が、奉行にはたと事を欠いて候程に、御内の渋屋を頼うで候へば、奉行にこそは立たざらめ。あまつさへ、年寄りたる庄司めを、散々に悪口せられ申す。つれなく命長らへ、これまで参りて候。」とて、はらはらと泣く。義朝、聞こし召されて、「げにげに。それは、さぞあらん。地体、あの金王は、物狂はしき者にて、我が云ふ事をさへ、五度に三度は背く。まして、御分が申さん事を、いかで承引すべきぞ。よしよし。庄司、腹居て帰れ。奉行には致さうずるにてあるぞ。」とて、長田を帰させ給ひて後、金王を召さるる。
 渋屋、承り、「あは、庄司が訴訟申した。こそあらめ。ゆゆしき大事。」と心得、御前に畏る。義朝、御覧あつて、あらけなくは宣はで、「やあ、何とて汝は違うたるぞ。都よりこの国まで、長田を頼み、下る身が、山ならば須弥山、海ならば滄海よりも、猶頼もしう候に、一旦違ふ事ありとも、など承引をせざるべき。その上、猟漁りとやらんは、若き時の遊びにて、苦しからぬ事ぞとよ。奉行に立つて魚を取り、庄司が心を慰めよ。」金王、承り、謹しんで申しけるは、「さん候。某、全く奉行に出まじきにても候はぬが、長田が今の振舞を見候に、君に心変はりを申し、五人の子どもをば、狩倉に事寄せ、催促廻し勢揃へ、我が君を討ち申さんずる、巧みを巡らすと見て候を、御存じなくて、かやうに君は仰せられ候よ、なう。」義朝、聞こし召されて、「よし、それとても、力無し。長田が心、変はるならば、一所にあつても何かせん。もしも忠臣たるべくは、後の恨みをいかがせん。只、出て魚を取り、庄司が心を慰めよ。」
 金王、承り、「飽かぬは君の御諚。」とて、御請けを申して、御前を罷り立つが、「君も聞こし召せ。」と高らかに、「人は運命尽きぬれば、智恵の鏡もかき曇り、才覚の花も散り果つる。郎等がたばかるを、御存じなきぞ口惜しき。」かやうにかき口説き、一間所へつゝと入り、肌には唐紅引つ違へ、滋目結の直垂の、上下四つの括りをゆるゆると寄せさせ、黒糸縅の大鎧、草摺長にさつくと着、惣じて刀は三腰差す。四尺三寸の角鍔の打ち物、三尺五寸の太刀を重ね佩きに佩いて、四尺八寸の長刀を、引き杖について、頭殿の御前に参り、「東岱の前後の夕煙、昨日も昇り、今日も立つ。北邙朝露の幻は、後れ先立つ世の習ひ。もし内海にて討たれずは、参りて御目にかからん。」と、涙と共に立ち出る。義朝は御覧じて、「忌まはしし、金王。門出、祝へ。」と宣ひて、みづから酒をぞ下されける。御暇申して金王は、内海の沖へ出にけり。
 契りはあれど山鳥の、尾を隔つるが如くなり。さても内海には、組手の人数を定むるに、まづ一番に岸岡十郎、野組小栗を先として、宗旨大力三十六人。大船八艘催し、上に歩みの板を渡し、金王を乗せ、沖をさして漕ぎ出し、「ここにも魚はなきぞ。」「かしこにも魚はなきか。」と、かなたこなたと目を見合はせ、金王を討たんとする。渋屋、元より存じの事。ちつとも騒ぐ気色もなく、持つたる長刀にて舟底をとうとうと突き鳴らし、「何とて面々は、夕日、西に傾き給ふに、綱手をば取らずして、ややともすれば某に、目をかくるこそ不審なれ。あう。やがて心得たり。汝等が主の長田、君に心変はりを申し、某をこの沖にて討たんずる、その巧みを巡らすとおぼえたり。思ひ、内にあれば、色、外に顕はるる。天知る、地知る、我知る、人知る。
 「間近く寄つて叶ふまじ。まづ、長刀の切り手には、こむ手、薙ぐ手、開く手、八方さひしき長刀の、手を使ふものならば、あう、算を乱して討たるべし。長刀折れ砕けば、二振りの太刀を以て散々に斬るべし。太刀の柄、折れ砕けば、三腰の刀を抜き替へ抜き替へ、取つて引き寄せ刺し殺して、底の水屑と成すべきなり。運命尽き果てて、太刀も刀も折れ砕けば、汝等髻を取つて、五人も十人も左右の脇に掻い込うで、海底につゝと入り、五日も十日も底にて日を送るならば、汝等が命はとどまるべし。間近く寄つて叶ふまじい。」と、艫舳を駆けり廻れば、内海を出し時には、「金王ならば、我組まん。」「誰組まん。」とは勇みしかど、この勢ひに恐れつつ、舟底、船枻にひれ伏して、震ひわななき居たりけるは、事可笑しうこそ見えにけれ。これは、内海の物語。
 ここに物の哀れをとどめしは、鎌田兵衛正清なり。宵までは御前に伺候申し、宮仕ひ参らせ、小夜更け方に御暇賜はり、廊の屋に立ち帰り、弥陀石、弥陀若とて、二人の若のありけるを、弓手妻手の膝に置き、後れの髪を掻き撫で、涙を流し、申しけるは、「正清、都にて度々の合戦に、すぞろに命の惜しかりつるも、只、汝等がある故なり。いつか汝等成人し、父が供を仕り、はちある矢をも一筋射る、その折柄を見るならば、いかがは嬉しかるべきと、明け暮れこれを願ひしに、思ひの外に引き替へて、君落人と成り給へば、御供申して正清も、討たれん事は治定なり。さあらん時に汝等は、三河の真福寺の院主の御坊に、深く契約申すなり。院主の御坊に参りつつ、小経の一巻をも、良きに学して正清が、なからん跡を弔へや。」とて、包むに余るその泪、よその袂も濡れぬべし。
 廊の御方は御覧じて、「これは、いまだ正月三日も過ぎざるに、御身は何と宣ふぞ。」と、言ひもあへぬに舅の長田、組手あまた用意し、「鎌田殿やまします。物申さん。」とありしかば、正清、舅の声と聞き、「これに候。」とて、太刀押つ取り、出んとする。廊の御方は御覧じて、袂を取つて引つとどめ、「慌てたり、鎌田殿。騒いで見えさせ給ふものかな。今日この頃の習ひにて、親は子をたばかれば、子は親に楯を突く。しかも御身は落人にて、よろづに心を置くべき身が、明けまじき夜にてもなし。今夜を明かし給ひて、夜明かしておいてましませや、鎌田殿。」とぞとどめける。正清、聞いて、いつよりも睦ましげなる風情にて立ち帰り、うち笑ひ、「なう。さのみにとどめ給ひそよ。召さるるは御身の父、正清がために舅なり。居ながら返事を申さんは、不覚の至りと存ずるなり。やがて帰らん。さらば。」とて、名残の袂引きさけて、長田と連れてぞ出にける。かりそめながら別れとは、後にぞ思ひ知られたる。
 その後、先生が出居へ請じ、山海の珍物、国土の菓子を調へ、色を変へては三度盛り、風情を変へては五度七度、盃の数も重なれば、さしもに剛なる正清も、次第次第にひらめいたり。長田、これを見て、「あは、時分は良いぞ。」と思ひ、帳台へつつと入り、かいを一つ取り出し、微塵さつとうち払ひ、につこと笑つて申すやう、「如何に、なう、鎌田殿。この間の御疲れ、思ひ遣られて痛しう候。子どもあまた候ひぬ。庄司もかくて候へば、何かは苦しく候べき。只うち解けて御遊びあれ。かいのみにとつては、山田郷と申して、三百町の処の候を、鎌田殿に奉る。庄司も三度賜はるなり。御身も三度参れ。」とて、婿の鎌田に思ひ差す。さる間、正清、舅の呑うだる盃に、所領を添へて得さする上、いづくに心の置かるべき。差し受け差し受け呑む程に、微塵積もりて山と成り、砂長じて岩と成る。盃の数も重なれば、弓手の座敷が妻手へ廻り、妻手の座敷が弓手へ廻つて、天井の大床がひらりくるりと舞ひければ、後ろの障子に寄り添ひて、とろりとろりと眠りけり。
 酌に立つたる友柳、持つたる酒を投げかけ、押し並べてむずと組む。鎌田、元より剛の者、「察したり。」と言ふままに、友柳が髻を取つて、膝の下に引つ敷いたり。長田、これを見て、居たる所をづんと立つて、鎌田が髻を取つて、後へ「えい。」とおりつくる。鎌田、これを見て、「情けなし、長田。さやうにはせらるまじい。」と、長田を掻い掴んで、取つて引き寄せたりけれども、いかがは以て逃すべき。隠し置きし兵が、隙をあらせず折り合ひて、一刀づつと思へども、十三刀刺されて、樊噲と勇む正清も、弱々と成つて、かつぱと伏す。あら、無残や。
 正清、最後の言葉ぞ哀れなる。「されば、弓取の持つまじきものは、国を隔つる妻女なり。親の起こす謀反を、などかは知らであるべきぞ。たとひ縁こそ尽くるとも、二人の若があるなれば、など最後をば知らせぬぞや。『七の子は成すとも、女に心許すな。』と、申し伝へて候。『妻子珍宝及王位、臨命終時不随者。』げに思へば仇なり。子は三界の首枷とは、今こそ思ひ知られたれ。三界の首枷と、煩悩の絆に引かれつつ、不覚の死をするものかな。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。」と、これを最後の言葉にて、朝の露と消えにけり。正清の最後の体、推し量られて哀れなり。さすがに長田も不憫に思ひ、「夜明けて頸を取らん。」とて、空しき死骸に衣引き覆ひ、各々、鳴りをぞ静めける。
 ああら、いたはしや。廊の御方、これをば夢にも知らず。「小夜更け、人も静まり、兄弟の人々も、皆々帰らせ給ふが。不思議や、夫の正清は、何とてか遅く見えさせ給ふらん。」と、薄衣取つて髪にかけ、東廊廻り、孫廂を通る時、人に忍うだる声にて、「鎌田殿やまします。正清。」と呼びけれど、宵に討たれたる事なれば、夜更けて呼ぶに、音もせず。四間の出居を見てあれば、灯、少しかき立て、辺りに人一人、衣引きかつぎ、臥してあり。討たれたるとは思ひも寄らず、「酔ひ伏したるぞ。」と思ひ、するすると寄つて、「なう、御身は鎌田殿にてましますか。さやうに酒に酔ひ給ひては、自然、我が君の御前に、何として立たせ給ふべき。起きさせ給へ。」と言ふままに、衣引きのけて見てあれば、紅に身をぞ染めにける。
 余りの事の悲しさに、死骸にがばとうちかかり、暫し消え入り給ひけり。少し心を取り直し、「さこそ最後にみづからを、恨みさせ給ひつらん。夢にもみづから知らぬなり。我をば誰に預け置き、捨ててはいづくへ行くやらん。我をも連れて行けや。」とて、最後に抜かぬ刀を抜き、既に自害と見えけるが、「待て暫し、我が心。明日にも成るならば、無残や、二人の若どもは、父母が行方を知らずして、『父よ、母よ。』と呼ぶならば、邪慳の祖父、伯父にて、鵜鷹の餌を撃つやうに、打たせ給はん無残さよ。同じ道に。」と思ひ切り、又、廊の屋に立ち帰り、二人の若を見給へば、兄が手をば弟にかけ、弟が手をば兄にかけ、余念もなうて臥しにけり。廊の御方は御覧じて、二人の若をかき抱き、父正清の臥したりし、前後にどうと下ろし置き、「いかに、二人の若どもよ。祖父、伯父御の仕業を見よ。情なの事や。」とて、流涕、焦がれ泣き給へば、二人の若も諸共に、伏し沈みてぞ泣きにける。
 さてあるべきにてあらざれば、「いかに聞くか、兄弟よ。かく恨めしき浮世に、長らへてあらんより、父諸共にうち連れて、閻魔の庁にて母を待てよ。」と語りつつ、兄弥陀石を引き寄せて、弓手の肱のかかりを、二刀害して押し臥する。弟がこれを見て、「あら、恐ろしの母上や。我をば許し給へ。」とて、居たる所をづんと立ち、さらばよそへも行かずして、殺すべき母にすがりつく。いとど心は消ゆれども、眼を塞ぎ、思ひ切り、心もとを一刀。「あつ。」とばかりを最後にて、兄弟の若どもを、三刀に害しつつ、我が身は肌の守りより、呪遍の珠数を取り出し、西に向かつて手を合はせ、「いとどだに、『女は五障三従に選まれて、罪の深い。』と承る。弓箭にかかるみづからを、助け給へや、神仏。南無阿弥陀仏。」を最後にて、刀を口にくはへつつ、鎌田の死骸にうちかかり、朝の露と消えにけり。廊の御方の最後の体、哀れと言ふも余りあり。
 あら、いたはしや。母上、これをば夢にも知ろし召されず、「鎌田、討たれぬる。」と聞こし召し、「さこそ廊の御方が歎くらん。弔はばや。」と思し召し、廊の屋に立ち寄り、呼べど、応ふる者も無し。「さては、鎌田討たれぬる所にあるぞ。」と思し召し、四間の出居を見給へば、廊の御方、二人の若。皆々、朱に染み、同じ枕に臥してあり。母、この由を御覧じて、「なう、これは夢かや、うつつかや。さりながら、道理なり、理や。何に命の惜しからん。子よりも孫は愛ほしきに、花のやうなる若どもを先に立て、齢傾くみづからが、一人、後に残りなば、深山隠れの遅桜、梢の花は散り果てて、下枝に一房残りて、嵐を待つに似たるべし。我をも連れて行けや。」とて、母も自害を遂げ給ふ。平治二年正月の、二日の夜の事なるに、鎌田を始め、父子五人、水の泡とぞ消えにける。
 天明けければ、長田、「鎌田が首を取らん。」とて、四間の出居を見てあれば、我が女房を先として、皆々、朱に染み、同じ枕に臥してあり。さしも情けなき長田とは申せども、心弱り、「遁世するか、腹を切るか。いかがはせん。」と思ふが、「いやいや、身より出せる罪なれば、誰を指してか恨みん。」と、心に内に存ずれば、「ああら、果報なの者どもが成りたる有様や。長田が世に出るならば、果報の妻女はいか程もあるべきに。南無三宝、阿弥陀仏。」と、偏執の念仏を申し、鎌田が首を取つたるは、とかう申すに及ばれず。その後、義朝の御前に参り、「今日は、三ヶ日の御嘉例、八幡宮へ御社参あるべく候。田上の湯殿と申して、子細なき所の候へば、御出あつて御行水。」と申す。義朝、聞こし召されて、「先祖の郎等ならずは、誰かかやう振舞ふべき。かまへて長田、弓箭の冥加、七代まで安穏なれや。」と宣ひて、御重代の御剣、御腰の物、長田に預け給ふは、御運の尽くる処なり。かくて義朝、湯殿の内へ入り給ふ。
 宵より定めし事なれば、都合二百余騎にて、湯殿を二重三重に押つ取り巻いて、鬨をどつと上ぐる。義朝、聞こし召されて、「心変はりか、長田。」「さん候。都より討手の参りて候に、御自害あれ。」と申す。義朝、聞こし召されて、「長田が事は、かねてより思ひ設けつる事。情け無し、鎌田。たとひ舅と一所に成り、我に替はるとも、三代相恩の主に、など最後をば知らせぬぞや。いかに、えい、長田。刀参らせよ。自害せん。」「承る。」と申して、刀に鎌田が首を添へ、湯殿の内へ参らせ上ぐる。義朝、鎌田が首を御膝の上にかき載せ給ひて、「ああら、はかなの只今の恨み事や。我より先に立ちけるぞや。死出の山にて待てよ。えい、三途の川で追ひつかん。」
 腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へきりりと引き廻し、返す刀を取り直し、心元に刺し立てて、袴の着際へ押し下ろし、臓を掴んでくり出し、四方の壁に投げつけ、湯船にて御手を濯ぎ、西に向つて手を合はせ、「何とて義朝、死なれぬぞ。さる事ありや、父為義、天台山月輪の御坊に、深く忍びておはせしを、たばかり出し申して、御首を斬り申すその因果、忽ち報うて死なれぬ事は、口惜し。いかに、えい、長田。急ぎ参りて頸を取れ。」長田、左右なく参り得ず、長刀にて刺し参らせ、おづおづ御首賜はり、知多の郡で討たれ給ふ。只、人間の因果は、巡るに速きものであり。かくて長田は、義朝の御首をも易々と賜はりぬ。今は、金王が首を、「遅し。」と待つる。
 さても金王は、内海の沖にありけるが、例ならず胸騒ぎしきりなれば、「何事か君にましますらんと、心元なく存ずれば、舟を寄せよ。」と下知をする。「力及ばぬ次第。」とて、左右なう舟を差し寄する。金王、ゆらりと飛んで下り、「暇申して、面々。」とて、五十町の所なるを、もみにもうでぞ走りける。ここに、鎌田が召し使ひし下女一人、走り向ひ、「なう、御身はいづくへ行きてましますぞ。鎌田殿は夕、討たれ給ひぬ。君は只今、たかみの湯殿にて、御腹召され候ひぬ。今は、御身の頸を、遅しと待たせ給ふに、いづくへも一まづ忍ばせ給へ。」と申す。金王、聞きあへず、涙をはらはらと流し、「さばかり某が申しつる事を御承引なくして、討たれさせ給ひて候や。さては鎌田は、御心変はりをば申さざりけるや。あう、尤もかうこそあるべけれ。定めて長田は、我が舘には、よもあらじ。君の御最後所、田上の湯にぞあるらん。某が討たれん事を、一定と心得、うち解けたらん所へつゝと行き、長田が首を打ち落とし、御孝養に報ぜん。」と、心の内に存ずれば、田上を心がけて、ゆらりゆらり上がりけり。
 長田、これを見て、「すはや。金王が内海にて討ち洩らされ、これまで来つたるは。余すな、洩らすな。」とて、真中に取り籠むる。金王、これを見て、「面白し、長田。そなたは猛勢なり。我は只一人。参り候。」と言ふままに、大勢の中へ割つて入り、散々に切つたりけり。さる間、長田、叶ふべきやうあらざれば、我が舘を指いて、もみにもうで逃げにけり。金王、これを見て、「いづくまで。」と言ふままに、長田を目にかけて走りけり。さる間、長田、我が舘へつゝと入り、堀の橋を引いて、四方の城戸をちやうと打つ。金王、これを見て、「あら、物々し。螻蛄の猛り。」と言ふままに、三重の堀をば、ひらりひらりと跳ね越して、八尺築地のありけるに、手を懸くるこそ遅かりけれ、懸けず、ゆらりと跳ね越へ、中門、面廊、遠侍、長田を追うて走りしは、あら、鷹が、鳥屋をくぐつて雉子を追ふが如くなり。
 さる間、長田、妻戸よりもつつと抜け、行方知らず成りにけり。金王、これを見て、「力及ばぬ次第。」とて、又、取つて返して、大勢の中へ割つて入り、西東、北南、蜘蛛手、角縄、十文字、八花形といふものに、散々に切つたりけり。手元に進む兵を五十三騎切り伏せ、大勢手を負はせ、東西へぱつと追つ散らし、海の渡りを左右無くし、都を指いて上りける。金王が心中をば、貴賤上下押しなべ、感ぜぬ人はなかりけり。

    元和第四暦戊午孟秋吉日

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満仲
(毛利家本)

夫竊に以るに。覆て外なきは天の道なり。載てすつる事なきは地の徳なり。始清くしてすめるものは昇て天となり。おもくして濁るものは降て地と成る。中央は人たり。是よりして君臣の道行るゝものか。凡仁王五十六代の帝を。清和天皇と申たてまつるに。王子六人おはします。陽成院貞秀の親王。かの貞元の親王は琵琶弾にておはします。桂の里に住玉へは桂の親王とも申す。貞衡の親王貞義の親王。貞純の親王とて兄弟六人おはします中にも第六。貞純の親王の御子を六孫王と申す。六孫王の御子をは田多の満仲とこそ申しけれ。そのころ源の姓をたまはらせ玉ひ。上野守と申たてまつつて。弓箭をとつて天下にならふ人ましまさず。頗朝家の御守りとし。朝敵をほろほし。国をしたかへ給ふ事。ふる雨の国土を潤すににたり。正理の薬をもつて訴訟の病ふをいやし。憲法の灯をかゝけ愁歎の闇を照す。然間人敬叓限りなし。爰に満仲思しめしたち玉ふ事あり。夫生死のならひ有為転変の理りわ。皆夢幻の世の中なり。此娑婆の定命思へは纔に六十年。下天の堯老少不定の夢なり。ゆくすゑとても夢ならさらんや。松樹。千年の緑も霜ののちの夢と終に。さむへし。いかにいはんや槿花一日の栄も露の間のみ保ちかたし。朝には紅顔有て世路に誇といへとも。暮には白骨と為て郊原にくちぬ。よひには楼月を。翫といへと。暁は。別離の雲にかくれり。纔なる世中に。なにゝ。心をとゝめてか徒に。あかしくらしなむ。たとひわれ今生にてかく弓箭を取て。人に怖れらるゝといふとも。真の道におもむかんときは。数千人の眷属一人もつき随ふへからす。唯無常の殺鬼にをつたてられ。阿防羅刹に呵責せられむ事のくちおしさよ。仏法にちかつき。三宝をうやまはむとおもへは。弓箭の道緩く成へしとは思しめされけれとも。思ひ立給ふその御心すてかたくて。あるたつとき聖人のまします。庵室に入てのたまひけるは。われらこときの衆生は。何として後生を資り候へきとたつね申させ玉へは。上人聞し召れて。賢くも御尋候物哉。最も出家のしるしには。左様の事をこそうけたまはりたく候へ。夫欽明天皇の御代より。仏法我朝にわたり。上宮太子守屋をうちしたかへ玉ひしより以来。仏法繁昌の今にをひて崇敬他に異なり。爰に法華経と申て。八軸の金文の候か。無二むさんのほうもむにて候。伊にちくうし。結縁し玉ふへしと仰けれは。満仲聞しめされて。扨法華妙典の本釈を。仏はなにとか説玉ひて候らむと尋玉へは。上人聞し召れて。それ法花は。貪瞋癡の三毒より。われら衆生の仏性はまさに出生すと見えたり。濁水淤泥の中よりも。法の蓮を開出す。塵労妄想は無作の覚体なり。これによつて一代。八万の花は。五時の春に開け。三諦即是の月は。八教の龝にあきらかなり。弓箭。刀杖に携り。殺人刀活人剣。みな一念のうちなり。生死即涅槃。煩脳即菩提ととけり因も智も。みなこれ無常の妙行なり。浄土も穢土も本来。空寂なりとかや。譡も此御経は。釈尊四十余年の説教の後。八ヶ年に真実の相をあらはし給ひて候なり。然者此御経に。現世安穏後生善処と説き。又は若有聞法者。无一不成仏と宣たり。一偈聞法の力は。五波羅蜜の行にもすくれ。五逆の調達は。たうらい作仏の記莂をうけ。八歳の龍女も。南方無垢世界の成道をとけたり。いかにいはんや弓箭をとり玉ふ事も私ならす。王法仏法の外護。国家を守り民をはこくみ給はん為なり。一殺多生の功徳有へし。仏も悪魔降伏し玉ふ経あり。在俗の身にて御座有りとも。御心のむけやうにこそより候はんすれ。彼天竺の浄名居士。我朝の聖徳太子も。在家にましましなから仏法修行し玉ひぬ。十悪五逆の輩も。須臾の念によつて。無数劫の罪障を。消滅すへき事は。うたかひなく。候なり満仲とこそ。仰けれ。満仲聞しめされて。あら殊勝や候。さらは結縁の為に。法華経を一部伝授申度候と仰けれは。上人聞し召れて。子細にをよはす授け申へし。此御経を。釈尊説玉ひし時は。草木国土悉皆成仏と見えたり。即身成仏は。疑ひさらに候ましひと。程なく一部伝授し玉ひけるとかや。有時満仲思しめされけるは。夫人の一大事は後生に過たる事そなき。所詮子を一人出家になし。後生をとはれはやとおほしめし。美女御前と申て。十二歳に成玉ふ若君をめして仰けるは。汝をふかくたのむへき子細ありそのゆへは。寺へ上て学問し出家になり。われらか後生を吊ひてたへと仰けれは。美女御前は聞しめし。あらなにともなや。弓馬の道にうまれては。左様の事をこそ心に懸て思ひしに。今さらわか身にあたつて。承る事の無用さよとはおほし召れけれとも。ちからなくりやうしやうを申させ玉へは。やかて仲山といふ寺へのほせ給ふ。其時満仲仰けるは。喃いかに美女御前。学問の最初に。法花経をよく読覚てのち。万の経をしるへしと。御約束ありけれは。やすやすと領掌を申て。寺へはのほらせ玉へとも。御経あそはさむ事は中々。おもひもよらす無量の。木の皮をはきあつめ万の藟を以てくさり。鎧腹巻なんとゝいひ。木長刀木太刀を作り他坊の児をかり催し。飛越はねこえ。はやわさすまひちからわさ。かゝる武芸のまねならては。一向よるひるたゝ天狗のやとりのことくなり。師匠同宿教訓すれは結句却而打擲す。寺一番の悪行は此若君一人のいや張行なりとそ聞へける。満仲はかゝる不用の御事をは夢にも思しめしよらす。今ははや美女御前。経をは能読覚てそ有らむに。喚下しよませ聴聞せはやとおほしめし。藤原の中務。仲光と申す侍を御使にて喚下し玉ふ。児おほしめす。あら何ともなや。此二三ヶ年の間に。終に御経の一字をも習はす。里にくたる物ならは治定法花経よめと仰らるへし。いかゝはせんとおほしめすか。今さらならふにをよはすとて。多田の里にくたりたまふ。満仲やかて御対面有り。ねんなう成人候者かな。扨も扨も約束申せし御経を読覚てそ有らむ。それそれ誦せ申せ聴聞せん。承と申て。紫檀のふつくゑに。八軸の金泥の御経を双て御前にこそをかれけれ。兼て申定し叓は是なり。あそはせちやうもんせんと仰けれとも兎角返叓もし玉はす。満仲御らんして。喃何とて経をはあそはさぬそ。是非一字も読損して。某恨み玉ふなと。膝の上に太刀ぬきかけて。はやはやよめとそ仰ける。痛はしや美女御前は。終に一字も。習はぬ経の事なれは。繙とくまてもましまさす。赤面してこそおはしけれ。満仲御らむして。憑験のなきやつを。角祚こそ計ふへけれと抜打にちやうとうち玉へは。此程寺にてならはせ給ひたる。早態のしるしに。机の上なる。御経一巻をつとつていや張良か。一巻の書と名付。疾外と合せ居なからうしろへひらりと飛。電天火蜉蝣蜻蜓螂飛鳥なんとのことくにはやちらりとうせて見え玉はす。満仲大に忿せ玉ひ。仲光を召れ。汝此太刀にて。美女か首を討てまいらせよとて。やかて御重代の御帯刀をいたさせ給ふ。仲光はあまりの御事にて候ひし間。兎角御返事にをよはすかうへを地につけ赤面す。満仲御らんして。いかさま汝は異儀に及か。是非討てまいらせすは。今生後生。不忠の者にて有へしと大に忿り玉へは。重て辞退を申しあしかりなんと存。畏て候とて。御帯刀を玉はり。我宿所にまかり帰る。あゝら痛はしや美女御前は。仲光か門の内に御坐あり。世に面目なけなる風情にて。彳み玉ふ所へまかりかへる。直垂の袖にすかりつき給ひ。兼てより御内におほき侍の中に。取分て汝をこそ憑母敷おもひつれとて。覚々と涕玉へは。正に御討手につかはされけれとも。あまりの痛はしさに。何とてそれに御坐候そ。こなたへ御入候へとて。いそき内へいれ奉て仲光申す。𨒚も𨒚も御内におほき侍の中に。誰にも仰つけられすして。なにかしに御討手を玉はつて候事は。偏に御命の助り玉ふへき故也。たとひわか首をはうたれ申共。御命にをひてはたすけ申へく候と申所へ。満仲の御方より重て御使たち。何とて美女か首はをそなはりたるそ。東はあくるつかるのはて。西は櫓械のとゝかんするほと。天下のそのうちを。撏し求て討へし。利く討てまいらせよとて重々の御使たつ。仲光承り。荒なにともなや。扨は御命に替り申て某腹を切たりとも。若君の御命の助り玉ふ事あらし。さあらん時は何もむやく成へし。さてなにとすへきそや。正にうてと仰らるゝは三代相恩の主君。又助よと仰らるゝも。主君にておはします。とやせん角や。あらましと。書集たる藻塩草。身体爰に。窮て是非をもさらにわきまへす。所詮おもひいたしたる事あり。此若君と御同年にまいりあふ子一人あり。名をは幸寿丸といふ。九つのとし寺へのほせ。学問させ候か。ことし十五にまかりなる。此者を喚下し。御命にかへはやとこそおもはれけれ。然るに彼幸寿の心たて。世に柔軟にして神妙なりけれは。師匠同宿もおほくある児の中には一大事とそおもはれける。大かた姿尋常にし。楊柳よりも娥かなり。膚は白雪のことし。恰十五夜の月のことく。一たひ咲は百の媚あり。学問世にすくれ。ならひなき児学匠の名を得たり。殊には詩歌綰絃の道にちやうし。しゆえむゆうけう人にすくれ。然間一寺のそうきやう或は。心を高根の。月にかけ。おもひを志賀の。浦浪によせさりけるはなかりけり。一樹の花を見ては。みな我家のひかりを。あらそふことく也。凡心さしは。さむかくのことく。儀は黄金よりもなをかたし。半夜の鐘のこゑ。暁の別をうらむ。一旦の芳真は彼も是もたゝおなし。いつも心に詩を作り。哥を詠して。閑居に。日月を送り玉ひけり。かゝるゆうなる児のかたへ迎をのほせ。ちつと申し談すへき子細の候。急き下られ候へといへは。幸寿丸此六七年のあひた。父母に向顔も申さす。内々こひしくおもふ所に。迎ののほりたりけれは嬉しさたくひなふして。師匠同宿にいとまをこふて。やかて里に下る。父仲光は門に立てまつる。児父を見付。うれしけにて馬よりおり。あゆみよりける質こつから。礼儀したる風情をとなしやかなりけり。父つくつくと是を見て。あらむさんやか程まて。そたてをきたるしるしもなく。唯今我手にかけん事の。ふひむさよと。おもへはしのひの泪せきあへす。角てもつゝむへき事ならねは。汝を唯今喚くたす事別の子細ならす其故は。主君美女御前の。満仲の御意にそむかせ玉ふに依て。なにかしに御討手をたまはつて候所に。若君のたのふて御入候へは。何として情なくうちたてまつるへきそ。いかにもして御命をたすけ申さはやと存る。それ儀を重くして命を軽くす。さかへにのそむて。かはねを土中にすつる事は君臣のはうなり。君は臣を仕に恩を以てし。臣は君に叓へるに。儀を守て身をおしまさるは忠信の法なり。恩にそくするしんかつゐに一度は。主君の御命に替るへきものなり。親に孝ある子は。身を捨て菩提を吊へといふ事あり。汝此間寺にての学問の験に。定て此むねをは存しつらむ。面目もなき申事なれとも。あはれ御命に替り申てたへかしとおもひて喚くたしたるそといへは。幸寿丸聞あへすにつことはらひ。嬉しくも承り候ものかな。弓取の御子と生れ候よりも。主君の御命にかはるへき事をはおもひまふけて候。一には御命に替り申。又は親のこめいに。したかはんする事こそ幸にて候へ。はやはや首をめされ。美女御前をたすけまいらさせ玉へ。身の命にをひては露ほともおしみ申ましひ。夫鴛鴦のふすまをかさねても。身体のやふれさるあひたなり。亀鶴の契りをいたすも。露の命の消さるほと。いつくの里人か。ひとりとして。のこり留り候へき。たゝとくしやうを。かへむこそ身のよろこひにて候へ。さりなから少の御いとまをたひ候へ。母にて候人に。さいこの対面申たく候といへは。仲光聞て泪をなかし。あら不便の申事や。いそきたちこえ対面あれ。かまへて此事を。母にしらせてたふなといへは。其時幸寿腹をたて。扨はみれんしこくの者とおほしめし御限り候か。そこの程をは御心安おほしめせと。さもけなけに申なし。母の御前にまいり。母をみたてまつつて軈而泪をなかす。はゝ此よしを御らむして。あら珍しの幸寿丸や。この六七年のあひた寺に居。たまたまくたり。さこそよろこふへき身か。我を見て啼事よと仰けれは。幸寿丸おつる泪ををさへてとりあへす申。さん候かのもろこしの漢王。ここくをせめさせ玉ひし時。かうせい将軍を太将軍とし。百万騎をそつし。ここくへつかはされたりけるに。合対既に十二ヶ年経て。終に軍にうちかつて。古郷へ引て帰るとき。とくしやうの都をはよ所に見て。母のまします所へゆき。母を見たてまつつ軈而泪をなかす。母此由を御らんして。是ほと軍にうちかつて。喜ひにてのほる人の。何のうれい有てなき給ふそととひ給へは。さん候ここくへまかりむかひし時は。白き御くしも見えさせ玉はさりしか。今幾程かなき間に。御くし漸々白妙に見えさせ給ひ候ほとに。それをなき候と申されなけれは。将軍のはゝきこしめされ。身につもる年月をぬしたにも思はぬに。親のよはひのかたふき老の浪をよせ。末のちかく成を見てなく叓よと。哀にも嬉しくもおもはれけると。あるふみに見えて候を今さらおもひ出されて候。寺へ罷上りし時はくろくわたらせ給ひし御くしの。漸々白妙に見えさせ玉ひ候ほとに。今幾ほとか見まいらせんとかなしくて。ふかくの泪をなかすなり。偽り申たりけれは母は誠とおほしめし。不便の者の申事やけに子にてなくは何者か。母か髪の。しろくなるをはかなしむへき。ましてなからん後の世を。とはれん事のうれしやと。たゝいまさきにたて玉はん。事をはしろしめされすし。よにたのもしく。おもはれける母の心そ。いたはしき。其後幸寿申けるは。いましはらく候ひて。御物語申度は候へとも。誠やらん主君美女御前の。満仲の御意にそむかせ玉ひて。是に御座のよしを承る。卒度参御目にかゝり。此年月離れ申し。恋しくおもひ申つる。御物語申さんと。さあらぬ体にもてなし。母の御前を罷立つ。是を最期とおもはれける幸寿の心そあはれなる。其後児はひとる所に立いり。御経よみ念仏申一首のうたにかくはかり。君かため。命に替る後の世の。闇をはてらせ山の端の月。か様にかき留め。師匠同宿居士の坊へ。かすかすの形見の文をまいらせたくは候らへとも。それさへかなふへからすと。たゝ文一通に詐りかうそかゝれたる。扨も扨もこのたひ罷下る叓別の子細ならす其故は。主君美女御前の。満仲の御意にそむかせ給ふに依て。自身御手にかけ玉ふを。吊ひ申せとて喚下して候程に。若君の御最後の体を見るに心も心ならす。あまりの痛しさに御骨をとり首にかけ。高野の峯とやらんにおもひたつて候。三とせか間の春秋を送りむかへ。必まいり御目にかゝり候へき。師匠同宿居士の坊へ。幸寿丸とかき留め。ひむの髪をすこしぬひて。文のおくに。まきこめてこそをかれけれ。わかふみなから。一入に名残のおしさ。限りなし。其後父の御まへにまいり。母こにこそ最後の対面心静に申て候へ。ひとま所に文の一通候をは。此年月すみなれし。寺へ送りてたひ玉へと。つほのうちにわれとしきかはをしき。たけなる髪をたかくまきあけ。にしにむかつて手をあはせ。南無四方極楽世界の阿弥陀仏。殊には我たのみをかけたてまつる大慈大悲の観世音。願くは本願をすてす。我を導き玉へと誠心すゝしく見えけるに。父太刀ぬきもつて立寄けるに。目もくれ。心も消はてゝ。太刀のうちとも見もわかす。悲き哉や。春三月の花も。無常の風の。吹さるほと三五の夜の月も。雲の覆はさるほとなり。無常の剣をぬき。一度身にふれなは。一気の位を転して。即得脱すへきなり。いつれの人か親となり。何物か子と産れためしなき事をもらすへき。命葉おちやすし。秋一時の。電光の影のうちに。剣をふると。見えしかは首は前へそ。おちにける。兼てよりおもひまふけたる事なれは。始てさはくに及すとて。若君の御直垂を申おろして首をつゝみ。満仲の御前に参り。御意背きかたきに依て。御首をこそ給はつて候へ。今は御本望をとけさせ給ふうへ御腹ゐさせ玉へ。あら御情なの御所存やと申もあへす。首を御前にをき。ひたゝれの袖を顔にをしあてけれは。満仲御覧しあへす。いしうつかまつつたり。今こそ気はさんして候へ。さりなから首をは汝にとらするそ。よきに教養し。跡をはとふて得させよとて御内にいらせ玉ひけれは。其後首をとり我宿所に帰り。女房をよひいたしくはしき事をかたり。幸寿か首をみせけれは。母は幸寿か首をみてやかて消入物いはす。夫容窕たる紅の顔せ。花に猜まれし質も。夕阝の風にさそはれ。嬋娟たる翠の黛月になたまれし形も。暁の雲に隠れ。会者定離は人間の媟。生死。無常の理りは。さまさまおほしと申せとも。とりわきあはれ。成けるは幸寿か事に留めたり。良有て母御前はおつる涙のひまよりも。されはこそ幸寿寺より下り。さこそ悦へき身か。我をみてなきし程にふしんをたてゝ侍らへは。異国の事をかたり出し。自か心をなくさめしを。夢にも身つからしらぬなり。たとへは御主の命に代るへき事をみつからいかて留むへき。角としらする物ならは。ともに介妁して。最後の体を。見るならは。かほとに物はおもふまし。情の仲光やと。首にいたきつき伏沈てそ。なきにける。折節美女御前は。物こしちかく御座有けるか。幸寿か最後のよしを聞しめし。際の障子をさつとあけ。立出させ玉ひて。何と申すそ夫婦の者。幸寿を切程ならは。何とて美女か首をはうたぬそ。幸寿を切せ我うき世になからへ。誰に面を合すへきと。おもひ切せたまふ御色をみて。夫婦の者か参り。御守り刀を奪取り。今日よりも不用の御心中を留め。学問よきにめされ。幸寿か菩提を吊ひて御とらせ候へ。さらは御急ぎ候らへとて。人目をつゝむ事なれは。夜にまきれ多田の里をいて都につく。爰は人目も繁しとて。天台山の麓。十禅師の御前に御伴申。此神慮の御計らひとして。いかならん碩学の人にも御つき有て学問召れ候へ。いかに若君聞しめせ。夫天竺に獅子と申すは獣の中の王也。彼獅子年に三宛の子をうむ。産れて三日と申に。一万丈の巌石をおとして見るに。そんせす破れさるをは子とし。むなしく成をはそのまゝなり。かゝる獣まても子をはためす狎あり。若君を御勘当候事を。恨とはし思し召れ候な。御いとま申て若君。美女御前は聞しめし。はや帰るか中務。浮世は車の輪のことく。命のうちに。いま一度廻りあふへきよしもかな。名残おしやとのたまひて。はるはる見送り彳み玉へはゆく道更に見もわかす。たまたま叓とふものとては。みねに小渡る猿の声も我身のうへとあはれなり。ふり帰り。ふり帰り見送りて。跡に心は。とゝまりて多田の里にそ。著にける。女房を呼出し。唯今こそ罷帰りて候へ。あら面目もなや女房。なんほう人の命はすてかたきものそ。幸寿か最後の時。とにもいかにもならはやと。ちたひもゝたひおもひつれとも。若君をひとまつおとし申さはやと存るに依て。つれなく命存らへたり。今は今生におもひをく事候らはす。いとま申て女房とて。腰の刀をひんぬひて。弓手の脇につきたてんとせしとき。女房刀に捫付。静りたまへ。仲光よ。誰もおもひはおとらぬそ。先自を。害しつゝ其後腹を切り給へ。実まことわすれたり。我々なからんそのあとに。幸寿丸か最後の体。君の御耳にいるならは。痛はしや若君の。隠れ忍て御座すを。さかし出させ玉ふならは草のかけにて。幸寿丸歎かん事もむさむなり。然るへくは中務。自害をおもひ留りて。我々夫婦一筋に。念仏申。幸寿か菩提を吊ひてとらせなは。なとかはとくたつならさらん。かやうに申せは身つからか。命を惜に似たるへし。とも角もよきやうに。はからひ給へといひけれは。おもひきりぬる道なれとも。至極の道理に。中務自害をとまりけるとかや。是は多田の里の叓。扨も美女御前は。十禅師の御前に。誠に東西をも弁させ給はす。誰に属て学問し。何と成玉ふへき方もなく。唯茫々として御坐有けるか。誠に十禅師の御引合かとおほしくて。山よりも恵信の僧都参社ましましけるか。美女御前を御覧して。荒いつくしの少人や。当山にてはいまた見まいらせたりとも覚へす。国はいつくのくに。御里はいかやうの人にてましますそとたつね申させ給へは。美女御前は聞しめし。是はようせうにて親にをくれ。賤き孤身にて候と語り給へは。それはいかやうの人にてもおはせよ。それそれ御供申せとて。同宿達に御手をひかせ。我坊にをきたてまつり。角て年月積りゆけは。蛍雪の窓の前には臂を㧈き。天台止観の文に心を照し。鑽仰の室内には。円頓実相の観念に底を極め。御歳十九と申す時。正法念誦経をよみ玉ひけるか。傍にうちむかひ。洒々と泣たまふ。僧都御覧有て。あら軽忽や児わ何を泣給ふそととひ玉へは。さん候此御経を見候に。親に不孝の子は。阿鼻地獄を出すと候程に。夫をなき候と仰けれは。僧都聞し召れて。不思義の事をのたまふ物哉。御身は幼少にて親にをくれ。賤き孤身にて候と正く語り玉ひしか。今更不孝と仰らるゝこそ心得かたふ候へ。あふいまは何をかつゝみ候へき。学問もせす。あまり不用に候ひしに依て。親の不孝をかうふりたる身にて候。扨親はいかやうの人にて御坐そ。摂津国多田の里に。満仲と申す人の子にて候とかたり玉へは。あふされはこそ兼てより。唯人ならす御質を。見まいらせて候ひしか。扨は音に承る。多田の満仲の御若君にて御坐有けるを今まて存申さぬこそ。愚僧か不覚て候へ。是に付ても学問をいかにも召れ候へ。御勘当の御事をは。源信参て。乞許し申さんとて。十九の年御髪おろし。恵心院の円覚と祚申けれされは止観の窓の前には。一実。中道の月をすまし又。忍辱の衣の袖に。四曼相応の。花をつゝみて。終に天台円宗の奥相を究玉ひて。御とし廿五と申に。師匠恵心の御供して。多田の里へそ下れける。昔の買臣は。錦の袴をきて祚古郷の人に。見えぬると承りて候か。今の美女御前は。錦にまさる墨染の。衣をめされて古郷に。帰り玉ひけり。先中務か所へ立よらせ玉ひて。案内を仰けれは。仲光急き罷出。若君の御質をつくつくと見まいらせ。あまりの事の嬉しさにしはしは物を申さす。良有て中務流るゝ泪ををし留め。あらめてたの若君の御質や候。是につけても幸寿か事を祚思ひ出されて候へ。兼てよりも御法体の御姿を。御望にて候ひし間。軈而御対面候へし。御機嫌をうかゝひ申さんとて。満仲の御前に参り。若君の御事をは何共申出さすし。此北嶺に聞へ給ふ。恵心の僧都。御対面の其為。只今御来臨と申。満仲聞し召れて。あらおもひよらすや。急きこなたへ申せとて。僧都を請し奉り。軈而御対面あり。初対面にか様の事を尋申せは。何とやらん憚り多く候へとも。我等こときの大悪逆の俗は。何として後生をたすかり。極楽に往生すへく候やと尋申させ給へは。僧都聞し召れて。夫法花の名文に。大通知勝仏。十劫坐道場仏法不現前。不得成仏道と説れたり。仏も未出世し玉わさる時は。成仏と云咎もなし。一念未生以前には。無生無死にして成仏の直道にあらす。人の訓によらすたゝ我と思しめすへきなり。一偈聞法の功徳は。倶胝劫の善根たり。凡他生曠輪成へし。尤仏道の便あり。殊更弓箭をとり玉ふとも。合戦の道まて。是を思しめさは。一念生害の源に立帰て。聚罪は霜露の如く。消て即身成仏たるへしと。源宋と云物に見えて候とのへ玉へは。満仲喜悦の眉を開き。扨は弓箭を取候とも。一心の向様に依て。極楽に往生すへく候やと御悦は限りもなし。時しも比は九月十三夜の。明月阿もなかりしに。山ありとしらする鹿の遠声も。心すこく聞なして。千種に集く虫のね迄も。我あり顔に物あはれなる折からに。円覚貴き。御声にて。寂寞无人声。読誦此経典。我尓時為現。清浄光明身と。たからかにあそはせは。誠に人倫の住所なりと云とも。寂寞にして。人の声もなし。四明の洞にはあらねとも。読誦の御声は。梵天忉利天の。雲の上にもきこゆらん貴しと申もあまりあり。心の有も。あらさるも袖をしほらぬ。人そなき。満仲はまこと殊勝に思しめし。僧都をしはし留め申させ玉へは。是は日をさして勤行の子細の候。亦祚参り候らはめ。明日帰山有へしと仰けれは。さらは御弟子の御僧を。一七日留め申たく候と仰けれは。僧都聞しめし。幼少よりも身をはなさぬ弟子にて候へ共。御経御聴聞の為ならは。一七日は留めをかるへく候。御用過なは本山へ。送りてたへと曰ひて。御勘当の御叓をは何とも仰出されすし。翌日僧都は御登山ある。円覚独り留て七日御経あそはす。満仲仰られけるは。さもあれ貴方はいかやうの人にてましますそ。某も御としの程の子をもつて候ひしか。学問もせす。あまり不用に候ひし間。侍に申付。首を討て候へは。今更後悔仕れとも其しるしも候らはす。是に候女は。其子か母にて別を悲み。御覧せられ候へ。両眼を泣つふして候。何とやらん御質を見奉るに。其子に似させ給ひて候事よ。なふいかに御台聞しめせ。此程御経あそはされ候御僧祚。ありし美女にすこし。似させ給ひて候らへと仰けれは。御台聞しめされてなつかしやさふらふ。今より後はさせる御用さふらはすとも。つねにはたちよらせ給ひ御経あそはし。身つからなくさめて給はり侍らへ。円覚聞しめしさては我か不用に依て。母の盲目とならせ玉ふ事よ。さこそ仏神三宝も。吾をにくしとおほすらむ。罪障の程祚口惜けれと沸露涕泣ましまして。祈念申されける事こそ殊勝なれ。南無。霊山世界の釈迦。善逝。法華守護三十番神。本山護擁。山王十禅師。仏法の威力。霊験地に落玉はすは。母の盲眼を。忽開かしめ給へ。我見灯明仏。本光瑞如此と。此文を唱へ肝胆を砕き祈られけれは誠に仏神も不便に思しめさるゝか。本尊の御前よりも。金色の光たつて。北の御方の頂を照し給ふ。満仲大に驚きなふあれあれ御覧候へ。本尊の御前よりも。金色のひかりの。たゝせ給ひて候と。仰有けれは。北の御方聞しめしそれはいつくに候と御覧しけれは有難や。盲てひさしき両眼。忽はつとひらきけり奇特成共中々申計もなかりけり。満仲夫婦御手を合せ。あら修勝や。誠に生仏にて御坐有けりと恭敬礼拝し給へは。円覚坐をさつて恐れをなし玉ふ。満仲御覧有て。なふ忝や。何しに御坐をさらせ玉ふそ。円覚聞し召れて。さん候釈尊御説法の砌ん。父浄飯大王の。御聴聞に出させ玉ひし時。仏たにも蓮華座をさり玉ふ。ましてや我等は賤き僧。いかて恐れをなさゝらむ。満仲聞し召れて。あらをろかの仰や。それはおやこの礼儀。是は他人の事なれは。なにかはくるしく候へき。円覚聞しめされて今は何をかつゝみ候へき。我こそ美女にて候へ。中務か情により。我子の幸寿をきり。我をは助て候そや。かの僧都につき奉り。不思義にかゝる身と罷成て候と。語り給へは。満仲夫婦円覚の。衣の袖にすかりつき。是は夢かやゆめならは。さめてののちをいかゝせん。まことはうつゝ。なりけれはうれしさ。たくひましまさす。されは祚よき郎徒には。別して恩をあたへ。召仕と申伝へて候か。中務か情をは。生々世々にわするましひと曰ひて。いそき夫婦を召れ。やあ是々見よや夫婦のもの。今よりのちに美女御前を。なむちら夫婦かためには幸寿丸とおもふへし。後生の事をはたのもしくおもへとて。満仲も北の方も。中務夫婦の者円覚に。いたきつき玉ひ。うれしきいまの。なみたにはひとしほ。ぬるゝたもと哉。凡九万八千町の御領を半分わけ。仲光に宛行はせ玉ふ。幸寿丸か菩提をとはむため。少童寺と云寺をたて。本尊には児文殊を作て獅子にのせたふ。法華と曰は弥陀会上法万徳の位。三世の諸仏出世の本懐は。衆生成仏の直道なり。経にあらはす時は。妙法蓮華の五字につゝめ。名にとく時は南無阿弥陀仏の六字にせつす。あるひは五劫思維の遺思の経を。六字の名につゝめて。十劫正覚の果得。一念称念の衆生に施と見えたり。思維と曰は坐禅の異名。天台には止観と説き。真言には自相教相と宣たり。法相三論には。空有の二有の二相に抱はる。恭敬虚要の銘前も。みなこれ一実無相の告現にしかす。唯。止ゝ不須説我法妙難思と観すへし。妙楽大師の御釈にいはく。諸教諸讃多在弥陀故以。西方而為一順。唯心の弥陀己身の浄土なれは。本来无東西何処有南北ときく時は。いかにもして声に出て。念仏を申へし。阿弥陀は本来の面目なり。十万億土も隔てす。我等か方寸のうち歴々として分明也。本より方角なし。佗念清浄たり。豈色相にあつからんや本より法花と念仏は。一具の法門なり。されは古仏の伝に曰く釈在霊山名法華。今在西方名弥陀。濁世末代名観音。三世利益同一体。離取捨と云云。いかにとして法華と念仏。各別にこゝろふへき。たゝ生死は春の夜の夢のことし真如の月は。本より明白たり。佗人の寿命をかつて。自身の命をつく迷の前の是非は。せひともに非なり。悟の前の是非は。是非共に是なり。自佗一如たり。分明成哉や先に死する幸寿。後に死する美女御前。今ははや名のみ計そのこりける。されは空也上人の一首の歌にかく計。世の中にひとり留まる者あらは。もし我かはと。身をやたのまんと詠し玉ひけるとかや東方朔の九千歳。宇筒等の。八万歳も名のみはかりそのこりける。非相八万劫。運洞かねふりもたゝ夢の世のうちなり。満仲の御心。法の為にくはたて罪障のなかれをくみ菩提の道あきらかにしゝそんそんも繁昌し天下をたもち玉ふ事。千秋万歳のみなもとをあらはし玉ふ物なり。将又か様に。儀をおもんし。命をかろくし名を後の世に残しをく。幸寿丸か心中。上古も今も末代も。こやためしなかるらむ人々申あひにけり。

    于時元和四年五月吉日
桃井 幸若小八郎大夫 安信(花押)

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満仲
(毛利家本)

 それ、ひそかにおもんみるに、覆つて外無きは、天の道なり。載せて捨つる事無きは、地の徳なり。初め、清くして澄める物は、昇つて天と成り、重くして濁れる物は、降つて地と成る。中央は、人たり。これよりして、君子の道行はるるものか。
 およそ人皇五十六代の帝を、清和天皇と申し奉るに、王子六人おはします。陽成院、貞秀の親王、貞元の親王。かの貞元の親王は、琵琶弾きにておはします。桂の里に住み給へば、桂の親王とも申す。貞衡の親王、貞義の親王、貞純の親王とて、兄弟六人おはします。中にも第六、貞純の親王の御子を、六孫王と申す。六孫王の御子をば、多田の満仲とこそ申しけれ。
 その頃、源の姓を賜はらせ給ひ、上野守と申し奉つて、弓箭を取つて天下に並ぶ人ましまさず。すこぶる朝家の御守りとし、朝敵を滅ぼし、国を従へ給ふ事、降る雨の国土を潤すに似たり。正理の薬を以て、訴訟の病を癒し、憲法の灯を掲げ、愁歎の闇を照らす。しかる間、人敬ふ事、限りなし。
 ここに満仲、思し召し立ち給ふ事あり。「それ、生死の習ひ、有為転変の理は、皆夢幻の世の中なり。この娑婆の定命、思へばわづかに六十年。下天の暁、老少不定の夢なり。行く末とても、夢ならざらんや。松樹千年の緑も、霜の後の夢と、終に覚むべし。いかにいはんや、槿花一日の栄えも、露の間の身、保ちがたし。朝には紅顔あつて、世路に誇るといへども、暮には白骨と成つて、郊原に朽ちぬ。宵には楼月をもて遊ぶといへど、暁は別離の雲に隠れり。わづかなる世の中に、何に心を留めてか、いたづらに明かし暮らしなむ。たとひ我、今生にて、かく弓箭を取つて、人に恐れらるると言ふとも、真の道に赴かん時は、数千人の眷属、一人も付き従ふべからず。只、無常の殺鬼に追つ立てられ、阿傍羅刹に呵責せられむ事の口惜しさよ。仏法に近付き、三宝を敬はむと思へば、弓箭の道、緩く成るべし。」とは思し召されけれども、思ひ立ち給ふその御心、捨てがたくて。
 或る尊き上人のまします庵室に入つて、宣ひけるは、「我等如きの衆生は、何として後生を助かり候べき。」と尋ね申させ給へば、上人、聞こし召されて、「賢くも御尋ね候ものかな。尤も、出家のしるしには、さやうの事をこそ承りたく候へ。それ、欽明天皇の御代より、仏法、我が朝に渡り、上宮太子、守屋を討ち従へ給ひしより以来、仏法繁昌の今に於いて、崇敬、他に異なり。ここに法華経と申して、八軸の金文の候が、無二無三の法文にて候。かれに値遇し、結縁し給ふべし。」と仰せければ、満仲、聞こし召されて、「さて、法華妙典の本迹を、仏は、何とか説き給ひて候らむ。」と尋ね給へば、上人、聞こし召されて。
 「それ法華は、『貪瞋癡の三毒より、我等衆生の仏性は、まさに出生す。』と見えたり。濁水淤泥の中よりも、法の蓮を開き出す。塵労妄想は、無作の覚体なり。これによつて、一代八万の花は、五時の春に開け、三諦即是の月は、八教の秋に明らかなり。弓箭刀杖に携はり、殺人刀、活人剣、皆、一念の内なり。『生死即涅槃、煩脳即菩提。』と説けり。因も智も、皆これ、無上の妙行なり。浄土も穢土も本来、空寂なりとかや。さてもこの御経は、釈尊四十余年の説教の後、八ヶ年に真実の相をあらはし給ひて候なり。しかれば、この御経に、『現世安穏、後生善処。』と説き、又は、『若有聞法者、無一不成仏。』と宣うたり。一偈聞法の力は、五波羅蜜の行にもすぐれ、五逆の調達は、当来作仏の記別を受け、八歳の龍女も、南方無垢世界の成道を遂げたり。いかにいはんや、弓箭を取り給ふ事も、私ならず。王法、仏法の外護、国家を守り、民を育み給はんためなり。一殺多生の功徳あるべし。仏も悪魔降伏し給ふ経あり。在俗の身にて御座ありとも、御心の向けやうにこそ、依り候はんずれ。かの天竺の浄名居士、我が朝の聖徳太子も、在家にましましながら、仏法修行し給ひぬ。十悪五逆の輩も、須臾の念によつて、無数劫の罪障を消滅すべき事は、疑ひなく候なり、満仲。」とこそ仰せけれ。
 満仲、聞こし召されて、「あら、殊勝や候。さらば、結縁のために法華経を一部、伝授申したく候。」と仰せければ、上人、聞こし召されて、「子細に及ばず授け申すべし。この御経を釈尊、説き給ひし時は、『草木国土悉皆成仏。』と見えたり。即身成仏は、疑ひ、更に候まじい。」と、程なく一部伝授し給ひけるとかや。
 或る時満仲、心に思し召されけるは、「それ、人の一大事は、後生に過ぎたる事ぞ無き。所詮、子を一人、出家に成し、後生を弔はればや。」と思し召し、美女御前と申して、十二歳に成り給ふ、若君を召して仰せけるは、「汝を深く頼むべき子細あり。その故は、寺へ上つて学問し、出家に成り、我等が後生を弔ひて賜べ。」と仰せければ、美女御前は聞こし召し、「あら、何ともなや。弓馬の道に生まれては、さやうの事をこそ、心に懸けて思ひしに、今更我が身に当たつて、承る事の無用さよ。」とは思し召されけれども、力なく領掌を申させ給へば、やがて仲山といふ寺へ上せ給ふ。
 その時満仲、仰せけるは、「なう。いかに、美女御前。学問の最初に、法華経をよく読み覚えて後、よろづの経を知るべし。」と、御約束ありければ、易々と領掌を申して、寺へは上らせ給へども、御経あそばさむ事は、中々思ひも寄らず。無量の木の皮を剥ぎ集め、よろづの葛を以て鎖り、鎧腹巻なんどと言ひ、木長刀、木太刀を作り、他坊の児を駆り催し、飛び越え、跳ね越え、早業、相撲、力業。かかる武芸の真似ならでは、一向夜昼只、天狗の矢取りの如くなり。師匠、同宿、教訓すれば、結句、かへつて打擲す。寺一番の悪行は、この若君一人の、いや、張行なりとぞ聞こえける。
 満仲は、かかる不用の御事をば、夢にも思し召し寄らず。「今は早、美女御前、経をばよく読み覚えてぞあらむに、喚び下し、読ませ、聴聞せばや。」と思し召し、藤原の中務仲光と申す侍を御使にて、喚び下し給ふ。児、思し召す。「あら、何ともなや。この二、三ヶ年の間に、終に御経の一字をも習はず。里に下るものならば、治定、「法華経読め。」と仰せらるべし。いかがはせん。」と思し召すが、「今更、習ふに及ばず。」とて、多田の里に下り給ふ。
 満仲、やがて御対面あり。「念なう成人候ものかな。さてもさても、約束申せし御経を、読み覚えてぞあらむ。それそれ、読ませ申せ。聴聞せん。」「承る。」と申して、紫檀の文机に、八軸の金泥の御経を並べて、御前にこそ置かれけれ。「かねて申し定めし事は、これなり。あそばせ、聴聞せん。」と仰せけれども、とかく返事もし給はず。満仲、御覧じて、「なう、何とて経をばあそばさぬぞ。是非一字も読み損じて、某、恨み給ふな。」と、膝の上に太刀抜きかけて、「早々、読め。」とぞ仰せける。いたはしや、美女御前は、終に一字も習はぬ経の事なれば、紐解くまでもましまさず。赤面してこそおはしけれ。
 満仲、御覧じて、「頼むしるしのなき奴を。かくこそ計らふべけれ。」と、抜き打ちに、ちやうど打ち給へば、この程、寺にて習はせ給ひたる、早業のしるしに、机の上なる御経一巻押つ取つて、いや、張良が一巻の書と名付け、しつとと合はせ、居ながら後ろへひらりと飛ぶ。稲妻、天火、蜉蝣、蜻蜓、飛ぶ鳥なんどの如くに、早、ちらりと失せて見え給はず。
 満仲、大きに怒らせ給ひ、仲光を召され、「汝、この太刀にて、美女が首を打つて参らせよ。」とて、やがて御重代の御佩刀を出させ給ふ。仲光は、余りの御事にて候ひし間、とかく御返事に及ばず。頭を地につけ赤面す。満仲、御覧じて、「いかさま、汝は異議に及ぶか。是非討つて参らせずは、今生後生、不忠の者にてあるべし。」と、大きに怒り給へば、「重ねて辞退を申し、悪しかりなん。」と存じ、「畏つて候。」とて、御佩刀を賜はり、我が宿所に罷り帰る。
 ああら、いたはしや。美女御前は、仲光が門の内に御座あり。世に面目なげなる風情にて、たたずみ給ふ所へ、罷り帰る直垂の袖にすがり付き給ひ、「かねてより御内に多き侍の中に、取り分けて汝をこそ頼もしく思ひつれ。」とて、さめざめと泣き給へば、まさに御討手に遣はされけれども、余りのいたはしさに、「何とてそれに御座候ぞ。こなたへ御入り候へ。」とて、急ぎ内へ入れ奉つて、仲光、申す。「さてもさても、御内に多き侍の中に、誰にも仰せつけられずして、何がしに御討手を賜はつて候事は、ひとへに御命の助かり給ふべき故なり。たとひ我が首をば打たれ申すとも、御命に於いては助け申すべく候。」と申す所へ、満仲の御方より、重ねて御使立ち、「何とて美女が首は、遅なはりたるぞ。東は安久留、津軽の果て、西は櫓櫂の届かんずる程、天下のその内を、探し求めて討つべし。疾く討つて参らせよ。」とて、重ね重ねの御使立つ。
 仲光、承り、「あら、何ともなや。さては、御命に替はり申して、某、腹を切つたりとも、若君の御命の助かり給ふ事あらじ。さあらん時は、何も無益たるべし。さて、何とすべきぞや。まさに『討て。』と仰せらるるは、三代相恩の主君。又、『助けよ。』と仰せらるるも、主君にておはします。」とやせん、かくやあらましと、かき集めたる藻塩草、進退ここに窮まつて、是非をも更に弁へず。「所詮、思ひ出したる事あり。この若君と御同年に、参り合ふ子、一人あり。名をば幸寿丸と言ふ。九つの年、寺へ上せ、学問させ候が、今年十五に罷り成る。この者を喚び下し、御命に替へばや。」とこそ思はれけれ。
 しかるに、かの幸寿の心立て、世に柔軟にして、神妙なりければ、師匠、同宿も、多くある児の中には、一大事とぞ思はれける。大方、姿尋常にし、楊柳よりもたをやかなり。肌は白雪の如し。あたかも十五夜の月の如く、一度笑めば、百の媚びあり。学問、世にすぐれ、並びなき児学匠の名を得たり。殊には詩歌管絃の道に長じ、酒宴遊興、人にすぐれ、しかる間、一寺の僧形、或いは心を高嶺の月にかけ、思ひを志賀の浦浪に、寄せざりけるはなかりけり。一樹の花を見ては皆、我が家の光を争ふ如くなり。およそ心ざしは山岳の如く、義は黄金よりも猶堅し。半夜の鐘の声、暁の別れを恨む。一旦の芳志は、彼もこれも只同じ。いつも心に詩を作り、歌を詠じて、閑居に日月を送り給ひけり。
 かかる優なる児の方へ、迎へを上せ、「ちつと申し談ずべき子細の候。急ぎ下られ候へ。」と言へば、幸寿丸、この六、七年の間、父母に向顔も申さず、内々恋しく思ふ所に、迎への上りたりければ、嬉しさ類なうして、師匠、同宿に暇を乞うて、やがて里に下る。父仲光は、門に立つて待つ。児、父を見付け、嬉しげにて馬より下り、歩み寄りける姿、骨柄、礼儀したる風情、大人しやかなりけり。
 父、つくづくとこれを見て、「あら、無残や。か程まで育て置きたるしるしもなく、只今、我が手に懸けん事の不憫さよ。」と思へば、忍びの涙、堰きあへず。かくても、つつむべき事ならねば、「汝を只今喚び下す事、別の子細ならず。その故は、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ふによつて、何がしに御討手を賜はつて候所に、若君の頼うで御入り候へば、何として情けなく討ち奉るべきぞ。いかにもして御命を助け申さばやと存ずる。それ、義を重くして命を軽くす。境に臨んで屍を土中に捨つる事は、君臣の法なり。君は臣を使ふに恩を以てし、臣は君に仕ふるに、義を守つて身を惜しまざるは、忠臣の法なり。恩に属する臣下、終に一度は主君の、御命に替はるべきものなり。親に孝ある子は、身を捨てて菩提を弔へといふ事あり。汝、この間、寺にての学問のしるしに、定めてこの旨をば存じつらむ。面目もなき申し事なれども、あはれ、御命に替はり申して賜べかしと、思ひて喚び下したるぞ。」と言へば、幸寿丸、聞きあへず、につこと笑ひ。
 「嬉しくも承り候ものかな。弓取の御子と生まれ候よりも、主君の御命に替はるべき事をば、思ひ設けて候。一つには御命に替はり申し、又は、親の御命に従はんずる事こそ、幸ひにて候へ。早々、首を召され、美女御前を助け参らせ給へ。身の命に於いては、露塵程も惜しみ申すまじい。それ、鴛鴦の衾を重ねても、身体の破れざる間なり。亀鶴の契りを致すも、露の命の消えざる程。いづくの里人か、一人として残り留まり候べき。只、疾く生を替へむこそ、身の喜びにて候へ。さりながら、少しの御暇を賜び候へ。母にて候人に、最後の体面申したく候。」と言へば、仲光、聞いて涙を流し、「あら、不憫の申し事や。急ぎ立ち越え対面あれ。構へてこの事を、母に知らせて賜ぶな。」と言へば、その時幸寿、腹を立て、「さては、未練至極の者と思し召し、御限り候か。そこの程をば、御心安く思し召せ。」と、さもけなげに申し成し、母の御前に参り、母を見奉つて、やがて涙を流す。
 母、この由を御覧じて、「あら、珍しの幸寿丸や。この六、七年の間、寺に居、たまたま下り、さこそ喜ぶべき身が、我を見て泣く事よ。」と仰せければ、幸寿丸、落つる涙を押さへて、とりあへず申す。「さん候。かの唐土の漢王、胡国を攻めさせ給ひし時、かうせい将軍を大将軍とし、百万騎を率し、胡国へ遣はされたりけるに、合戦、既に十二ヶ年経て、終に軍にうち勝つて、故郷へ引いて帰る時、とくしやうの都をばよそに見て、母のまします所へ行き、母を見奉つて、やがて涙を流す。
 「母、この由を御覧じて、『これ程、軍にうち勝つて、喜びにて上る人の、何の憂ひあつて泣き給ふぞ。』と問ひ給へば、『さん候。胡国へ罷り向かひし時は、白き御髪も見えさせ給はざりしが、今、幾程か無き間に、御髪やうやう白妙に、見えさせ給ひ候程に、それを泣き候。』と申されければ、将軍の母、聞こし召され、『身に積もる年月を、主だにも思はぬに、親の齢の傾き、老いの浪を寄せ、末の近く成るを見て泣く事よ。』と、哀れにも嬉しくも思はれけると、或る文に見えて候を、今更思ひ出されて候。寺へ罷り上りし時は、黒く渡らせ給ひし御髪の、やうやう白妙に見えさせ給ひ候程に、今幾程か見参らせんと悲しくて、不覚の涙を流すなり。」
 偽り申したりければ、母はまことと思し召し、「不憫の者の申し事や。げに、子にて無くは、何者か、母が髪の白く成るをば悲しむべき。まして、なからん後の世を、弔はれん事の嬉しや。」と、只今、先に立て給はん事をば知ろし召されずし、世に頼もしく思はれける、母の心ぞいたはしき。その後幸寿、申しけるは、「今暫く候ひて、御物語申したくは候へども、まことやらん、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ひて、これに御座の由を承る。そつと参り、御目にかかり、やがて罷り帰り、この年月離れ申し、恋しく思ひ申しつる御物語申さん。」と、さあらぬ体にもてなし、母の御前を罷り立つ。これを最後と思はれける、幸寿の心ぞ哀れなる。
 その後、児は、一間所に立ち入り、御経読み、念仏申し、一首の歌にかくばかり。
  君がため命に替はる後の世の闇をば照らせ山の端の月
かやうに書き留め、「師匠、同宿、居士の坊へ、数々の形見の文を、参らせたくは候へども、それさへ叶ふべからず。」と、只、文一通に偽り、かうぞ書かれける。「さてもさても、この度罷り下る事、別の子細ならず。その故は、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ふによつて、自身、御手に懸け給ふを、弔ひ申せと喚び下して候程に、若君の御最後の体を見るに、心も心ならず。余りのいたはしさに、御骨を取り、首に掛け、高野の峯とやらんに思ひ立つて候。三年が間の春秋を送り迎へ、必ず参り、御目にかかり候べき。師匠、同宿、居士の坊へ。幸寿丸。」と書き留め、鬢の髪を少し抜いて、文の奥に巻き込めてこそ置かれけれ。我が文ながら一しほに、名残の惜しさ、限りなし。
 その後、父の御前に参り、「母御にこそ最後の対面、心静かに申して候へ。一間所に文の一通候をば、この年月住み馴れし、寺へ送りて賜び給へ。」と、坪の内に我と敷皮を敷き、たけなる髪を高く巻き上げ、西に向かつて手を合せ、「南無西方極楽世界の阿弥陀仏。殊には我が頼みを懸け奉る、大慈大悲の観世音。願はくは本願を捨てず、我を導き給へ。」と、誠心涼しく見えけるに、父、太刀抜き持つて立ち寄りけるに、目もくれ、心も消え果てて、太刀の打ちども見も分かず。悲しきかなや、春三月の花も、無常の風の吹かざる程、三五の夜の月も、雲の覆はざる程なり。無常の剣を抜き、一度身に触れなば、一期の位を転じて、即ち得脱すべきなり。いづれの人か親と成り、何者か子と生まれ、ためしなき事をもらすべき。命葉落ち易し。秋一時の電光の影の内に、剣を振ると見えしかば、首は前へぞ落ちにける。
 かねて思ひ設けたる事なれば、初めて騒ぐに及ばずとて、若君の御直垂を申しおろして首を包み、満仲の御前に参り、「御意背きがたきによつて、御首をこそ賜はつて候へ。今は、御本望を遂げさせ給ふ上、御腹、居させ給へ。あら、御情けなの御所存や。」と申しもあへず、首を御前に置き、直垂の袖を顔に押し当てければ、満仲、御覧じあへず。「いしう仕つたり。今こそ気は散じて候へ。さりながら、首をば汝に取らするぞ。良きに孝養し、跡をば弔うて得させよ。」とて、御内に入らせ給ひければ、その後、首を取り、我が宿所に帰り、女房を呼び出し、詳しき事を語り、幸寿が首を見せければ、母は幸寿が首を見て、やがて消え入り、物言はず。それ、窈窕たる紅の顔ばせ、花にそねまれし姿も、夕の風に誘はれ、嬋娟たる翠の黛、月に妬まれし形も、暁の雲に隠れ、会者定離は人間の習ひ。生死無常の理は、様々多しと申せども、取り分き哀れなりけるは、幸寿が事にとどめたり。
 ややあつて母御前は、落つる涙の暇よりも、「さればこそ、幸寿。寺より下り、さこそ悦ぶべき身が、我を見て泣きし程に、不審を立てて候へば、異国の事を語り出し、みづからが心を慰めしを、夢にもみづから知らぬなり。たとへば御主の、命に代はるべき事を、みづからいかでとどむべき。かくと知らするものならば、共に介錯して、最後の体を見るならば、か程にものは思ふまじ。情けなの仲光や。」と、首に抱き付き、伏し沈みてぞ泣きにける。
 折節、美女御前は、物越し近く御座ありけるが、幸寿が最後の由を聞こし召し、際の障子をさつと開け、立ち出させ給ひて、「何と申すぞ、夫婦の者。幸寿を切る程ならば、何とて美女が首をば打たぬぞ。幸寿を切らせ、我、浮世に永らへ、誰に面を合はすべき。」と、思ひ切らせ給ふ御色を見て、夫婦の者が参り、御守り刀を奪ひ取り、「今日よりも、不用の御心中を留め、学問よきに召され、幸寿が菩提を弔ひて御取らせ候へ。さらば、御急ぎ候へ。」とて、人目を包む事なれば、夜に紛れ、多田の里を出、都に着く。「ここは人目も繁し。」とて、天台山の麓、十禅師の御前に御伴申す。
 「この神慮の御計らひとして、いかならん碩学の人にも御付きあつて、学問召され候へ。いかに若君、聞こし召せ。それ、天竺に獅子と申すは、獣の中の王なり。かの獅子、年に三つづつの子を産む。生まれて三日と申すに、一万丈の巌石を落としてみるに、損ぜず破れざるをば子とし、空しく成るをばそのままなり。かかる獣までも、子をば試す習ひあり。若君を御勘当候事を、恨みとばし思し召され候な。御暇申して、若君。」美女御前は聞こし召し、「早、帰るか、中務。浮世は車の輪の如く、命の内に今一度、巡り会ふべき由もがな。名残惜しや。」と宣ひて、遥々見送りたゝずみ給へば、行く道、更に見も分かず。たまたま言問ふものとては、嶺にさ渡る猿の声も、我が身の上と哀れなり。振り返り振り返り見送りて、後に心はとどまりて、多田の里にぞ着きにける。
 女房を呼び出し、「只今こそ罷り帰りて候へ。あら、面目もなや、女房。なんぼう人の命は捨てがたきものぞ。幸寿が最後の時、とにもいかにもならばやと、千度百度思ひつれども、若君を一まづ落とし申さばやと存ずるによつて、つれなく命長らへたり。今は今生に思ひ置く事、候はず。暇申して、女房。」とて、腰の刀を引ん抜いて、弓手の脇に突き立てんとせし時、女房、刀にすがり付き、「静まり給へ、仲光よ。誰も思ひは劣らぬぞ。まづみづからを害しつつ、その後、腹を切り給へ。げに、まこと、忘れたり。我々なからんその後に、幸寿丸が最後の体、君の御耳に入るならば、いたはしや、若君の、隠れゐておはしますを、探し出させ給ふならば、草の蔭にて幸寿丸、歎かん事も無残なり。しかるべくは中務、自害を思ひとどまりて、我々夫婦、一筋に念仏申し、幸寿が菩提を弔ひて取らせなば、などかは得脱ならざらん。かやうに申せばみづからが、命を惜しむに似たるべし。ともかくもよきやうに計らひ給へ。」と言ひければ、思ひ切りぬる道なれども、至極の道理に中務、自害を止まりけるとかや。これは、多田の里の事。
 さても美女御前は、十禅師の御前に、まことに東西をも弁へさせ給はず。誰に付いて学問し、何と成り給ふべき方もなく、只茫々として御座ありけるが、まことに十禅師の御引き合はせかとおぼしくて、山よりも恵心の僧都、参社ましましけるが、美女御前を御覧じて、「あら、いつくしの少人や。当山にては、いまだ見参らせたりともおぼえず。国はいづくの国、御里はいかやうの人にてましますぞ。」と尋ね申させ給へば、美女御前は聞こし召し、「これは、幼少にて親に後れ、賤しき一人身にて候。」と語り給へば、「それは、いかやうの人にてもおはせよ、それそれ、御供申せ。」とて、同宿達に御手を引かせ、我が坊に置き奉り、かくて年月積もり行けば、蛍雪の窓の前には臂を引き、天台止観の門に心を照らし、鑽仰の室内には、円頓実相の観念に底を極め、御歳十九と申す時、正法念誦経を読み給ひけるが、傍らにうち向かひ、さめざめと泣き給ふ。
 僧都、御覧あつて。「あら、軽忽や。児は、何を泣き給ふぞ。」と問ひ給へば、「さん候。この御経を見候に、『親に不孝の子は、阿鼻地獄を出ず。』と候程に、それを泣き候。」と仰せければ、僧都、聞こし召されて、「不思議の事を宣ふものかな。御身は、『幼少にて親に後れ、賤しき一人身にて候。』と、まさしく語り給ひしが、今更、不孝と仰せらるるこそ、心得がたう候へ。」「あう、今は何をか包み候べき。学問もせず、余り不用に候ひしによつて、親の不興を蒙りたる身にて候。」「さて、親は、いかやうの人にておはしますぞ。」「摂津国多田の里に、満仲と申す人の子にて候。」と語り給へば、「あう、さればこそかねてより、只人ならず御姿を、見参らせて候ひしか。さては音に承る多田の満仲の、御若君にて御座ありけるを、今まで存じ申さぬこそ、愚僧が不覚で候へ。これに付けても、学問をいかにも召され候へ。御勘当の御事をば、源信参りて、乞ひ許し申さん。」とて、十九の年、御髪下ろし、恵心院の円覚とこそ申けれされば、止観の窓の前には、一実中道の月を澄まし、又、忍辱の衣の袖に、四曼相応の花を包みて、終に天台円宗の奥蔵を究め給ひて、御年二十五と申すに、師匠恵心の御供して、多田の里へぞ下られける。
 昔の買臣は、錦の袴を着てこそ故郷の人に見えぬると、承りて候が、今の美女御前は、錦にまさる墨染の衣を召されて、故郷に帰り給ひけり。まづ中務が所へ立ち寄らせ給ひて、案内を仰せければ、仲光、急ぎ罷り出、若君の御姿をつくづくと見参らせ、余りの事の嬉しさに、暫しは物を申さず。ややあつて中務、流るる涙を押しとどめ、「あら、めでたの若君の御姿や候。これにつけても、幸寿が事をこそ思ひ出されて候へ。かねてよりも御法体の御姿を、御望みにて候ひし間、やがて御対面候べし。御機嫌を伺ひ申さん。」とて、満仲の御前に参り、若君の御事をば、何とも申し出さずし、「この北嶺に聞こえ給ふ恵心の僧都、御対面のそのため、只今御来臨。」と申す。
 満仲、聞こし召されて、「あら、思ひ寄らずや。急ぎこなたへ申せ。」とて、僧都を請じ奉り、やがて御対面あり。「初対面に、かやうの事を尋ね申せば、何とやらん、憚り多く候へども、我等如きの大悪逆の俗は、何として後生を助かり、極楽に往生すべく候や。」と尋ね申させ給へば、僧都、聞こし召されて、「それ法華の名文に、『大通知勝仏、十劫坐道場、仏法不現前、不得成仏道。』と説かれたり。仏も未だ出世し給はざる時は、成仏も無く、咎も無し。一念未生以前には、無生無死にして、成仏の直道にあらず。人の教へによらず、只、我と思し召すべきなり。一偈聞法の功徳は、倶胝劫の善根たり。およそ他生、曠輪なるべし。尤も仏道の便りあり。殊更、弓箭を取り給ふとも、合戦の道までこれを思し召さば、『一念浄戒の源に立ち帰つて、衆罪は草露の如く消えて、即身成仏たるべし。』と、『玄疏』といふ物に見えて候。」と述べ給へば、満仲、喜悦の眉を開き、「さては、弓箭を取り候とも、一心の向けやうによつて、極楽に往生すべく候や。」と、御悦びは限りも無し。
 時しも頃は、九月十三夜の明月、隈もなかりしに、山ありと知らする鹿の遠声も、心すごく聞き成して、千種にすだく虫の音までも、我あり顔にもの哀れなる折からに、円覚、尊き御声にて、「寂寞無人声、読誦此経典。我爾時為現、清浄光明身。」と、高らかにあそばせば、まことに人倫の住所なりと言ふとも、寂寞にして人の声も無し。四明の洞にはあらねども、読誦の御声は、梵天、忉利天の、雲の上にも聞こゆらん。尊しと申すも余りあり。心のあるもあらざるも、袖を絞らぬ人ぞ無き。
 満仲は、まこと殊勝に思し召し、僧都を暫しとどめ申させ給へば、「これは、日を指して勤行の子細の候。又こそ参り候はめ。明日帰山あるべし。」と仰せければ、「さらば、御弟子の御僧を、一七日とどめ申したく候。」と仰せければ、僧都、聞こし召し、「幼少よりも、身を離さぬ弟子にて候へども、御経御聴聞のためならば、一七日はとどめ置かるべく候。御用過ぎなば、本山へ送りて賜べ。」と宣ひて、御勘当の御事をば、何とも仰せ出されずし、翌日、僧都は御登山ある。
 円覚、一人とどまつて、七日、御経あそばす。満仲、仰せられけるは、「さもあれ貴方は、いかやうの人にてましますぞ。某も、御年の程の子を持つて候ひしが、学問もせず、余り不用に候ひし間、侍に申し付け、首を討つて候へば、今更後悔仕れども、そのしるしも候はず。これに候女は、その子が母にて、別れを悲しみ、御覧ぜられ候へ、両眼を泣き潰して候。何とやらん、御姿を見奉るに、その子に似させ給ひて候事よ。なう。いかに、御台、聞こし召せ。この程、御経あそばされ候御僧こそ、ありし美女に少し似させ給ひて候へ。」と仰せければ、御台、聞こし召されて、「懐かしや候。今より後は、させる御用候はずとも、常には立ち寄らせ給ひ、御経あそばし、みづから慰めて賜はり候へ。」
 円覚、聞こし召し、「さては、我が不用によつて、母の盲目と成らせ給ふ事よ。さこそ仏神三宝も、吾を憎しと思すらむ、罪障の程こそ口惜しけれ。」と、発露涕泣ましまして、祈念申されける事こそ殊勝なれ。「南無霊山世界の釈迦善逝、法華守護三十番神、本山護擁山王十禅師。仏法の威力、霊験、地に落ち給はずは、母の盲眼を忽ち開かしめ給へ。『我見灯明仏、本光瑞如此。』」と、この文を唱へ、肝胆を砕き祈られければ、誠に仏神も、不憫に思し召さるるか。本尊の御前よりも、金色の光立つて、北の御方の頂を照らし給ふ。満仲、大きに驚き、「なう、あれあれ、御覧候へ。本尊の御前よりも、金色の光の立たせ給ひて候。」と仰せありければ、北の御方、聞こし召し、「それは、いづくに候。」と御覧じければ、ありがたや。目しひて久しき両眼、忽ちぱつと開きけり。奇特なりとも中々、申すばかりもなかりけり。
 満仲夫婦、御手を合はせ、「あら、殊勝や。まことに、生き仏にて御坐ありけり。」と、恭敬礼拝し給へば、円覚、座を去つて、恐れを成し給ふ。満仲、御覧あつて、「なう、忝や。何しに御座を去らせ給ふぞ。」円覚、聞こし召されて、「さん候。釈尊、御説法の砌、父浄飯大王の、御聴聞に出させ給ひし時、仏だにも蓮華座を去り給ふ。ましてや我等は賤しき僧。いかで恐れを成さざらむ。」満仲、聞こし召されて、「あら、愚かの仰せや。それは、親子の礼儀。これは、他人の事なれば、何かは苦しく候べき。」円覚、聞こし召されて、「今は、何をか包み候べき。我こそ美女にて候へ。中務が情けにより、我が子の幸寿を切り、我をば助けて候ぞや。かの僧都に付き奉り、不思議にかかる身と罷り成りて候。」と語り給へば、満仲夫婦、円覚の衣の袖にすがり付き、「これは、夢かや。夢ならば、覚めての後をいかがせん。」まことはうつつなりければ、嬉しさ、類ましまさず。
 「さればこそ良き郎等には、別して恩を与へ召し使ふと、申し伝へて候が、中務が情けをば、生々世々に忘るまじい。」と宣ひて、急ぎ夫婦を召され、「やあ、これこれ。見よや、夫婦の者。今より後は美女御前を、汝等夫婦がためには、幸寿丸と思ふべし。後生の事をば頼もしく思へ。」とて、満仲も北の方も、中務夫婦の者、円覚に抱きつき給ひ、嬉しき今の涙には、ひとしほ濡るる袂かな。およそ九万八千町の、御領を半分分け、仲光に宛て行はせ給ふ。幸寿丸が菩提を弔はむため、少童寺といふ寺を建て、本尊には児文殊を、作つて獅子に乗せ給ふ。
 法華といつぱ、弥陀会上法万徳の位。三世の諸仏出世の本懐は、衆生成仏の直道なり。経にあらはす時は、妙法蓮華の五字につづめ、名に説く時は、南無阿弥陀仏の六字に摂す。或いは五劫思惟の遺思の経を、六字の名につづめて、十劫正覚の果得、一念称念の衆生に施すと見えたり。思惟といつぱ、坐禅の異名。天台には止観と説き、真言には実相教相と宣うたり。法相、三論には、空有の二有の二相に関はる。究竟虚融の名詮も、皆これ、一実無相の開顕にしかず。只、「止ゝ不須説、我法妙難思。」と観ずべし。妙楽大師の御釈に曰く、「諸教所讃多在弥陀、故以西方而為一準。」唯心の弥陀、己身の浄土なれば、「本来無東西、何処有南北。」と聞く時は、いかにもして声に出して、念仏を申すべし。阿弥陀は本来の面目なり。十万億土も隔てず、我等が方寸の内、歴々として分明なり。元より方角無し。多念清浄たり。豈色相に預からんや。元より法華と念仏は、一具の法門なり。されば、古仏の伝に曰く、「昔在霊山名法華、今在西方名弥陀。濁世末代名観音、三世利益同一体。離取捨。」と云々。いかにとして法華と念仏、格別に心得べき。只、生死は春の夜の夢の如し。真如の月は、本より明白たり。他人の寿命を借つて、自身の命を継ぐ。迷ひの前の是非は、是非共に非なり。悟りの前の是非は、是非共に是なり。自他一如たり。
 分明なるかなや、先に死する幸寿、後に死する美女御前。今は早、名のみばかりぞ残りける。されば、空也上人の一首の歌に、かくばかり。
  世の中に一人留まる者あらばもし我かはと身をや頼まん
と詠じ給ひけるとかや。東方朔の九千歳、鬱陀羅の八万歳も、名のみばかりぞ残りける。非想八万劫。運洞が眠りも只、夢の世の内なり。満仲の御心、法のために企て、罪障の流れを汲み、菩提の道明らかに、子々孫々も繁昌し、天下を保ち給ふ事、千秋万歳の源を、顕はし給ふものなり。はた又、かやうに義を重んじ、命を軽くし、名を後の世に残し置く、幸寿丸が心中、上古も今も末代も、こや、ためしなかるらむ。人々、申し合ひにけり。

    于時元和四年五月吉日
桃井 幸若小八郎大夫 安信(花押)

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