江戸期版本を読む

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五 死出の旅約束の馬  武士は言葉の違はざる事

 古代より祈り伝へて、江州多賀の社は、「寿命神。」と諸人、崇め奉りしに、諸願叶はざるといふ事無し。
 毎日神前に供へし御酒、御供共に、その器物ばかりになりぬ。あまたの宮人立ち会ひ、これを、「奇瑞。」と神に威を増して沙汰せり。年ふりたる祢宜、つらつらこの事を思ふに、「正法に何か不思議無し。各々、御番の油断。」と申せしに、それより気を付け、神垣を守りしに、夕暮の淋しき松の蔭より、老人夫婦詣で来て、かの土器、錫などを手毎に携へて、南の方の階の元にして、心よく酌み交はして立ち帰るを、大勢立ちかかり、これを捕らふるに、この二人、更に動ぜず。「いかなる者にて、かく神前を汚しぬる。その罪深し。奉行の役人に渡して、末代の掟に。」と言ふ。
 老人笑つて、「忝くも、当社は命を守らせ給ふ神ならずや。この両人は家貪しく、世を渡るべき舟もなく、老いの浪立ち、恥を捨つる身に、何の病もなくて命の終はる悲しさに、暫しの程も惜しまれ、昨日も暮らし今日も又、御供に命を繋ぐ。」と語れば、智ある宮奴、これを聞き分け、「昔、唐土にもかかるためしあり。
 「天子、不死の薬酒を、仙人の伝へに任せ、みづからこれを造らせられ、又もなき名酒なれば、御重宝の第一、瑠璃を延べたる壺中に詰めさせられ、宝蔵の乾に深く埋み、『この酒、隠して呑める輩は、即時に命を断つべき。』との御添へ札。宮中、これに恐れをなしけるに、東方朔、勅封を切つて、心のままに酌みしを、これを預かる官人、見咎めて、忽ちに縛められ、綸言出て返らぬ我が宿の別れ、既にその場になりし時、東方朔が曰く、『我、全く一命惜しきにあらず。この酒の科に、この身を害し給はば、不死の名酒の徳絶えて、命の今終はる事は。』と言へり。この言葉を考へさせ給ひ、その難を許し給ふとなり。今又、この両人が命を取らば、寿命を守らせ給ふ大明神の威力、薄し。」子細なく老翁、老女を帰しける。
 この夫婦の人、元は遠江の城主に仕へて、国民豊かに政道正しく、文武兼ねたる侍。諸人の惜しむ身を隠し、今この湖水の東の磯に、浜廂わづかにして住むとは、人の知るまじ{*1}。何となく今日までは夢の如くに暮らされし。
 その折節、昔の友とせし人、ここにある事聞き伝へ、京都の使者を嬉しく、尾張の宮より道替へて、やうやうこの浦に尋ね寄りて、過ぎにし事を語るに、身の程言はず、人を問はず。「命あれば、又逢ふ事もありや。我は暇、その身は勤め、ここにとどまる人ならず。いざ、行き給へ。」と主の方より別れを急ぐ。「せめてこの人の妻に会ひて、渡世の便りの物を贈りたく」、暫し心を付けしに、これも以前の奥住まひ忘れず、人に逢ふ事を恥ぢて、群笹の中に行き隠れて、終に出ざりけり。
 さのみ暇乞ふまでもなく立ち行く時、「何にても、我に望みなきか。」と尋ねしに、「この馬は、国にて見しより、今なほ欲しき物。」と言ふ。「それこそ易き事なれ。この度、乗り替へ引かせねば、京を勤めて、帰さに残し置くべし。」と仮初に約束して、急ぎ都に立ち越え、十日に経たぬ道を帰り、かの老人を問ひ寄りしに、その一つ庵は野と成し、麦の種蒔く里人に尋ねしに、「その夫婦、あとさき四日の内に相果てられ、それなる山蔭に人の哀れを重ね、二つの塚に一つの桑を植ゑ置きしこそ、老人のしるしなれ。」と細かに語り終はれば、聞くに魂も消ゆるばかり。「夢とは知る世の悲しや。」と、かの塚に伏して、愁歎に日も暮れける。
 「これは、契約の馬なるぞ。」と塚木にこれを繋ぎ捨て、「今は死人の馬なれば、黄泉の旅の助けに追つ付け。」と主人ある身の日数なく、本国に立ち帰る。「まことに武士の義理なり。」と心なき野夫感じて、木蔭に草葺拵へて、二年余り飼ひ殺しける。その鞍、鐙、ありのままに露霜に朽ち行けども、誰か取りける人もなく、末の世の土とは{*2}なりぬ。

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校訂者註
 1:底本は、「しらまじ。」。『井原西鶴集4』(2000)語釈に従い改めた。
 2:底本は、「土(つち)と成(な)りぬ。」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。

四 兵法の奥は宮城野  武士はその家風太刀先に吹かす事

 古代、武芸に誉れある人の言へり。「人、生まれながらにして知れるものにあらず。諸事の事わざ、その道に入り、師といふ者なくては叶ひ難し。聞いて覚え、学びて知るは常といへど、我と工夫して事を始むは、何によらずうとし。世々の賢き人、指南伝へて、心の寄る所を習ひ得る事、易し。」
 今の世の人、賢し過ぎて、一を見付けて十に取り付き、百ながら知つた顔も可笑し。唐国も末世になり、古の高名に真似たるもなかりき。釈迦、孔子、老子、これらは儒、釈、道の精髄。軍者には諸葛孔明、勇者に北宮黝、詩人に杜子美。本朝にも名僧弘法、歌人に定家、軍は楠。かかる稀人の名を言ひ伝へ、聞き触れて残れり。今時の人も、すぐれたる人は、末の世にかく言ふなるベし。総じて鑑みるに、親よりその子、万事に劣り、その孫愚かに、親にまされるは稀なり。第一、人間、以前とは気根劣りて、諸事の芸者も、極意まで習ひ得る事、難し。
 医学も一年に足らずして、俄剃りの頭を振り、長羽織に小脇差、薬箱丁寧に拵へ、我を見知らぬ他国の大場に住居して、名字仰山なる張り札、門柱に顕はし、化粧作りの玄関構へ、押し出しての療治するなど、人の命は大切なるものなるに、この生死の境、二つ一つの大事、「くす師、人を殺す。」とは、これなるべし。
 又、茶の湯は、和朝の風俗、人の交じはり、心の華奢になるの一つなり。これに入つての{*1}徳は、常住万事に気の付け所、格別なり。武士も、我が役の一腰はそのまま、この付き合ひも、手抜きとは言ひ難し。今の町人、茶事は栄耀と心得、諸道具に金銀を費し、数寄屋、長露路に商ひ繁昌の地を狭め、美食を好み、衣服を改め、よろづに清らを尽くし、この奢りに家を失ふ人、賢き京都にもあまたなり。さは言へど、この事弁へなきは、人間ふつつかにして口惜しき事のみ。或いは欠け茶碗にしても、その心ざし一つなり。元これ作意なれば、一通り手を引かれ、その上の道理さへ詰まらば、何事にても苦しからず、世の楽しみなるに、皆人、心尽くせし振舞に会ひながら、その座を立てば、花の生けやう、炭の形をそしりぬ。これ習ひ得て、茶入れの名を付けて見る程には、押つ取つて十年の稽古なくては成り難し。
 総じて連俳、立花、一人狂言、かやうの類は、銘々の自慢。差し当たつて善悪の沙汰もならざる事なり。手跡、鞠、音曲などは、忽ちに知れて、人に目あり、耳あり。殊更兵法は、勝負、立ち所を去らず、一命至極の大事。武士のおろかに修行するなど、故無し。
 その頃、仙台に一流の達人ありしが、我が身ながら、いまだ理に暗き所を考へ、宮城野に行きて、萩の枝折の道塞ぎ、請け太刀ためなる家来二人の外は、親類にも対面絶えて、十八年の励み。「今は、かう。」と世間を恐れず、又城下に帰宅して、右の外流、調練の段々、言上申せば、「これ、家の重宝なり。工夫極意の所、一家中に伝授して、自然の時は、いづれにても一分の働きを致せる程に、その指南申すベし。敵に必ず勝利の事、一人のためになす事、本意無し。」と。この上意を受けて、執心の方へは心底残さず、望まぬ方へもこれを勧めて、昼夜骨を砕きて教ふるといへども、極意柄は目に見えず、心に遠く、猶又、手づまも叶はず。元から正せば退屈して、中絶する人、あまたなり。
 その頃又、出頭の何がし取り持ち、この御家{*2}を望む兵法の名人、風俗すぐれて唐作りの大男、「黄石公が生まれ替はり。」と言はぬばかりの顔つき。「家にありたきもの。」とて少知を下し給はり、これも当流を指南。新座、古座二つに分かれ{*3}、武芸論じ、これより事つのつて、「師匠の両人、御慰みに立ち合ひ致さるベし。」と若老中{*4}の大望なり。
 新座の人進みて、「かねて願ふ所。」と御請けを申されし。古座方には斟酌して、「まづ老足と申し、殊に十勝流と立てられし高名の方に試合の儀、御免。」と再三の断り。その通り済みて、それより一家中、新座に思ひ付きて、古座の門流、これを見限り、残らず片付き、「それぞれの手上あり。この人に印可取れ。」とて前後を争ひける。
 程なく三年過ぎ行き、家中、この一流を習ひ受け、道理、大方に合点し、眼力明らかなる時至り、古座の師匠、立ち合ひの御訴訟申し上げ、広庭にして御上覧なされしに、新座の兵師、一刀上がらずして、皆請けになつて、負け色三度に及びて、興も覚めける程なり。この時、埋もれし名を揚げ、国主の御機嫌浅からず。
 家老中、ついでに尋ねられしは、「何とて最前は、立ち合ひ遠慮ありしぞ。」「広き御家中なれば、残らず相手になり、指南も成り難く、稽古の足代。」と申し上ぐれば、この事、感じ給ひぬ。その後、大事をいづれにも伝へて、新座者に立ち合ひけるに、一人も打ち勝たずといふ事無し。
 兵法の極意より、何にても見えぬといふ事なく、徳ある奥儀物語せし折節、参州より面妖の錬磨して、御慰みになる者来りて、座敷に市の棚飾らせ、その売り物盗むに、脇から大勢、眼を付けしに、これを取る事、見出す人のなかりき。かの兵法の師、罷り出て、「目を塞ぎても、取る時を知るべし。」と申されければ、「これも一興。」と目なしどちして立ち出、件の術者を先に立て、大書院を過ぐる時、「それ、取つた。」と声を懸けられしに、「随分速い所を、何として見付け給ふ。」と巻物を取り出せば、各々、横手を打ちける。かの人、申されしは、「取る所は知らねども、そもそも左の足を踏み出すより、それに揃へて行きしに、俄に足取り早く、拍子の縮まる時、『それ。』と言葉を掛けける。」と気の付く所を語られし。

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校訂者註
 1:底本は、「入(い)つて徳(とく)」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「此(こ)の家(いへ)」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「わかり、」。『新可笑記』(1992)語釈に従い改めた。
 4:底本は、「わが老中」。『新可笑記』(1992)本文及び語釈に従い改めた。

三 胸を据ゑし連判の座  武士は一戦の働き第一の事

 古代、戦場に粋なる武士の伝へられしは、「鎧、指物は、人の目立たぬ拵へ良し。彩り甚だしきは、駈けける時潔く、引く時すぐれて見苦し。敵もこれを目当てにして、何の益なき事ぞかし。」一家中、この秘伝、同心して、一切の武具を用意せしとなり。その中に何がしとかや、よろづをでかし立てに、一人抜きんで、紅の小旗、縅し過ぎたる具足。何事も世間に悪う変はりて、人皆、これを指さしける。
 その頃、関が原の陣立ちに、かねて武芸を励み、軍法を修練して、この家中、残らず手柄、比類も無し。かち立ちの者までも、相応の働き備へ、外より美々しかりき。時に、長柄持の中より小男、鑓を提げて、一人進みて、向ふを首尾よく六、七人突き留め、「健気なる事ぞ。」と軍中にこれを褒めける。かかる時、六十有余と見えて、頭は雪を乱し、陣笠の浅きをかぶり、素肌の出立ち。その身軽く、鎌鑓取り延べ駆け寄りしに、鑓合はせず逃げ帰る。最前の勢ひとは格別に後れ、殊更、老人といひ、「あれしきに、何とて後れけるぞ。」と尋ねしに、「あれは、若年の時、筆道の師匠なる。」と言へり。各々、手を打つて、「一戦のせはしき時節に、眼の正しき」事を感じける。
 かの色よき鎧武者は、進む時も退き、引く時も一番乗り。軍者の名言の如く、これを見かけ、遠矢を射かけぬれば、紅影ゆゑ、危ふき事度々にして、おのづから心後れ、敵に出合ふ事なければ、高名すべき手立てもなく、人の感状を羨み、長柄の者が突き捨てし中に、乱れ髪に伽羅薫りて、歯を染めたる首を拾ひて、人知れず軍帳に留め置き、「重ねてその名、知るるベし。」と御前よろしく、手柄に披露申せし。長柄の者、この首を見て、「これは昨日の合戦に、某が鑓先に合はせ、四人目に突き留めし御人。縮み頭の赤眼、その出立ち、今も忘れず。」と何心もなく、「その人のために。」と題目を唱へける。
 拾ひ首せし人、時の権威に任せ、「卒爾も大方の事こそあれ。この武者、おのれ等が手の下に及ぶべきものか。証拠もなき虚言。その上、赤眼も白眼も、眠れる死人の目を開くべきか。段々不届き千万。」と諸役人、一つになり、理は暗く非は明らかに、御前は願ひのままに申し成し、「後代の掟。」と長柄の者は、是非もなき首打たれしを、皆々、不憫に存じながら、その人の威勢に恐れて、この取り沙汰、子細もなく静まりぬ。
 この事、若手の武者仲間に憎み出し、「何とぞこの非義、大殿へ通じ、悪人切腹させ、かの者が孝養になすべし。かかる手柄を諸人、眼前にして、末の役人なれば、名を埋むさへ残念なるに、まして御詮議うとく、高名を人のものとして、あまつさへ一命取らるる事、さぞ口惜しかるべし。この儀は、いよいよ総中、御訴訟申し上ぐべし。」いづれも存ずる処、内談は語りしが、さすが一方の家老職にもなりぬべき出頭、時を得たれば、親類広き後日の事を、この上ながら思ひやりて、「連判の発端になる事、我人遠慮。」と見えし時、智ある人の言へるは、「訴訟の名書き、前後知れざる仕立てあり。」と、まづ一通を認めける。
 「それ勇士、一戦に及び、一心を立つるときんば、勝利を得ること速やかなり。禄は多少に依るべからず。一命を軽んずる所以、士卒たりといへども、義を守りて戦ひ、功を以て勝つは、これ武勇の道に非ずや。ここに逆士有りて、戦場に臨みていたづらに労せず、ひそかに衆の功を奪ひ、将の眼を陣所にくらます。着到に載せて、その諍ひ、紛然たり。これを決せんと欲すれば、かへつて功士を非義の罪に陥れ、誅戮せしむる事、蓋し奸曲の同士有る故なり。乞ひ願はくは、佞士の実否を糾したらば、当家の掟、後代の戒めなるものなり。」
 時に訴訟連判三十八人、一命捨てての願ひ、一大事。この度の詮議、老中諸役人集まり、様々静め給へども、「中々御帰陣までこの事待たぬ」に至極。是非の御吟味あそばしけるに、「拾ひ首」に治定して、即座に切腹。口惜しき心底、武の名を下しける。家中親類、あまた堪忍成り難くて、皆、御暇乞ひ捨てにして出けり。案の如く、この企ての申し出し手、深く恨むに知れ難し。誰を相手にすべき人無し。
 或る人、この連判に気を付けしに、「その名書き、念の入つたるを、そもそも。」と言へば、墨かすりを見て、「書き納め。」と工夫せり。又言へるは、中にも墨薄きを見とりて、「発端。」と沙汰しける。「子細は、一人すぐれて薄く見ゆるは、墨の程知れず{*1}書きかかりて、薄き時、改めて書くと見えたり。墨の濃きは、二番筆。」と言へり。いづれも道理面白く、慰みの詮議、終はりぬ。

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校訂者註
 1:底本は、「知(し)れじ。」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。

二 官女に人の知らぬ灸所  武士とは格別長袖の事

 古代、武烈王の御宇に、天より火を雨に降らせ、万人の歎き、やむ事なく、石室を築き、難を逃れぬ。これ、御政正しからざりし故なり。
 その頃、御寵愛の宮女に暁の少納言といへるは、古今の艶容、秋津洲の外にも又、続きてあるべからず。この后に御戯れ軽からずして、白駒の穴隙を過ぐるも惜しみ給はず。近山美花もあだに散りて、御輿は燕の巣に埋もれ、栄華は限りなく、命は定めあり。この美君、兼ねて心痛の悩み、以ての外に気ざし、忽ち世を去り給ひぬ。
 帝王、永離の愁へに沈ませられ、亡き跡の面影をみづから御筆に写させ給ひ、洛陽の北山に木眼居士といへる仏師の名人に、かの后の像を刻ませられしに、勅命なれば三日三夜に造り立て、彩色地紋に心を尽くし、眉墨を描ける時、筆取り落として、胸のほとりに少しの墨の付きしを、十二単の襟下に隠れ、さのみ目立たぬ所なれば、そのままにして差し上げける。
 これを叡覧ありて、昔を今又、御衣の御袂に繋がぬ玉の御涙、干る事もなく、この木像をつどつどに見させられ、かの落筆の付き墨に御心を移させ給ひ、俄に玉眼、御気色変はりて、「この灸穴は、胸の痛みを休めんため、みづから印を付けて、二人より外に知る事無し。この仏師、暁が肌の事まで弁へたりし事は。」と無理に不思議をかけさせ給ひ、「いかなる内通して、かかる事知れるは、いづれ曲者。」と御疑ひの晴れ難し。
 太公が言葉に、「罪の疑はしきは、これを軽くし、功の疑はしきは、則ちこれを賞す。」何か疑はせ給はずともありたき事を、時の関白にも宣旨なく、下官の者、ひそかにかの仏師を縛め、厳しく番の役人も、この咎めを知らず。ましてその身に覚えはなく、是非を知らざる憂き目にあひぬ。それより御歎きはやみて、木像を砕かせ給ひ、御憎しみ深かりし。
 ここに暁の少納言の御妹、夕日の太夫といへるも、御后には立たせ給へども、終に玉座に縁なくておはせしが、姉君の御事ゆゑ、仏師の難儀を思ひやらせ給ひ、諸神に祈誓の七夜待ちを懈怠なく、天子にまみゆる事を願はせ給ひぬ。これ、身の程を思へる愛着の道にあらず。仏師が科を奏聞の頼りばかりの念願。
 誠は仏神の加護にや、その夜の夢心に、「玉座に入る。」と見しより、「浅からぬ御枕の初め、湯津の爪櫛投げて、御心に従ふ。」と見て夢は覚めての明け方に、まことはなくて不思議あるは、腰紅の衣装、寝姿の如くありのままに置かせられ、宮女の内を御改めありしに、夕日の太夫の肌衣に極まり、やがて召されて、この事、御尋ねあそばしけるに、始めよりの{*1}願ひ事ども、御物語申せしに、これに憐れみをかけさせ給ひ、夕日が曇らぬ心のままに、仏師木眼を赦免あつて、木像の胸なる墨の事、御尋ねありしに、「何となく絵筆落とせし」事を奏聞す。天皇、これを驚かせ給ひ、御心根みづから恥ぢさせ給ひし。
 その後、御心移させられ{*2}、姉暁の別れを妹の夕日に、思ひを晴らさせ給ひ、近う召されて宮仕ひの身とはなりぬ。これ本心なれば、天も道理を照らさせ、夕日の太夫と世に名を残しぬ。かかるためしは、唐土にも呉道子といへる画師の、官女の写し絵にこぼれ墨、そのままにほくろと疑はれしも、仏師木眼の{*3}身の上に同じ。

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校訂者註
 1:底本は、「はじめより願事共(ねがひごとども)」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「うちさせられ」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
 3:底本は、「木眼(もくがん)が身(み)」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。

新可笑記 巻二

一 炭焼も火宅の合点  武士は道理に命を取る事

 古代より、欲心に身を滅ぼす事は常なり。
 播州飾磨の市、立ち盛りたる野家造り。都をここに見る錦の曙、紫の夕、よき絹着たる商人あれば、又、裂織の藤衣、春の花見ぬ山賤も、杉をしるしの宿に入り、一盃の楽しみ。「晋の劉伯倫が鋤、鍬に替へても、これは。」と松林に牛を繋ぎ捨て、所々の篝立ちのぼりて、天も酔へり。又、室君を招きて、秋の初めの仮枕。これをたとへて楓橋の夜泊かと思はれ、心は空に鳥鳴いて、明け方の別れを惜しむもあり。歌舞伎踊り、賭け的、武士、民も入り乱れて、自然の鞘当て手強く咎めて、所の商売人を切り捨てにして紛れ行くを、大勢取り巻き、終に捕らへて、国里を問へど、更に答へず。「いかさま曲者。」と沙汰して、市の奉行に断り、まず牢者致せしは、己が覚悟の所なり。
 この者の親里は、津の国有馬郡なるが、金銀十分の有徳にして、その上の仕合せ、男子二人、末は娘なりしが、この内息子、市の喧嘩を仕出し、思はざる外の歎き。母、ひとしほこの事に臥し悩めど、父は、「前世の定まり事。」と諦め、人を恨みず、我が子を惜しまず、ただ常に変はらず。この人、昔は池田山の奥にて、白炭焼きて、わづかの{*1}煙立てしが、正直の頭を汚し、身を堅固に働き、世渡りに私なく、「これ天性の分限、一国一人。」と名を指されて、猶徳に入る道を守り、貧者を救ひ、病者は湯治を致させ、野夫には稀なる人ぞかし。妻は愚かにして、逃れぬ子の命を歎きぬ。
 「さもあらば、今の世の{*2}人心、欲で固めし時なれば、金にて命買はる事もあらん。年々積もりし金銀は、かかる時のためなり。」と二千金二箱に入れ、十四になる娘に申し含め、「これにて兄が命を乞ひ請けよ。」と人知れず内談するに、総領の何がし聞き付け、腹立して、「我ありながら、不甲斐なく妹を遣はされしは、世間の取り沙汰にあふと言ひ、弟が言ふ所も口惜し。この事には、是非とも某を遣はし給へ。」と願ふ。母は、「尤も。」と思ひ入り、色々勧め申されければ、無用とは思ひながら、「しからば妹も連れて参れ。」と道を急がせける。
 飾磨に着きて、奉行の屋形に忍び行き、かの二千金差し上げ、父が教へに任せ、「とても帰らぬ命なれば、切られし人の親類へ、香花のためにこの金を遣はされ、何とぞ御心入れを以て、牢者を御赦免。」を願ひ、兄弟の事なれば、替はるべき心ざし、女の面に顕はれ、奉行、不憫起こりて、「千金にては、それが跡を弔はせ、又千金は娘に取らせ、兄が命を助けん。」と暫く工夫を巡らし、まづ二千金を請け取り、「その者の命の事、我に任せよ。この事、必ず外へ洩らすな。」と密々に約束して、既にその日の暮待ちて、奉行は城下に駆け行く。
 「世には不思議あり。『我、高砂の明神。』とあらたに御声して、『市町は国家繁昌のためなるに、わづかの咎めに牢舎の難儀、あまたなり。この所衰微の初め、これなり。』と磯松風荒く、浪騒がしき御告げなり。」と慈悲の心から、この偽りを言上申せば、「人を助くる天理に叶ひ、科人残らず御赦免。」の上意蒙り、この通り申し渡せば、万人の喜ぶ所なり。
 かの総領、俄に欲心起こり、「二千金は過分なり。千金にても済むべし。」と。「しかも牢払ひ極まれば、この訴訟、子細あらじ。」と、又奉行の元に行きて、「千金は、我々渡世の種。」と歎きを申せば、二千金、共に返して、「我を疑ふ所、心外なり。」と既に牢者の出し時、「この内、有馬郡の何がしは、人の命を取りし者。これを御助けありては、世の掟、立ち難し。神の憐れみ給ふも、さのみ科なき人の事なり。」重ねてその道理を申し上ぐれば、御詮議極まりて、その者一人は首打ちて、かの兄弟に渡せば、妹が歎き、兄が後悔。かれこれ積もる言葉の数、言ふに甲斐なき戻り道。猪名の小笹を涙に染み、やうやう古里の母に語れば、身も焦がるるばかり焦がれぬ。
 父は更に歎きなく、「初めより、この筈を待つに、違はず。さるによつて、妹ばかりと申せしに、言はれざる兄を遣はし、かく成る事。」と無常を合点せらるる心の程、いづれも不思議して、これを尋ねけるに、「兄は、我貧賤なる時生じて、一銭も世になき物と惜しみぬ。妹は、長者になつての子なれば、万両も瓦石と思ひ、欲を離るるより、命を助くる所あり。」と。この断りに、各々、道理を感じける。
 「人を殺して命を取らるるは、常なり。」と、それより万事をうち捨て、浮世の望み絶えて、尼が崎浦の初島に身を隠れ、汀に釣りを垂れて、その日喰らふ程の営み。次第に老いの波風立ちやみし時、蘆火の煙となつて、この世を皆になしける。

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校訂者註
 1:底本は、「わづかに煙(けぶり)」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「今(いま)の人心(ひとごころ)、」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。

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