江戸期版本を読む

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常葉問答
(越前本)

 さる間、常葉御前は程なく清盛に靡き給ひけり。老木の花の長らへて、春に会へるが如くなり。「子どもの見るも恥づかしや。夫の敵に靡くこそ、ためし少なき次第なれ。心強くて、さて果ては、我が身の事は、さて置きぬ。母や子どもの行く末まで、よも素直にはあらじものを。」と、思ひの外にぞ靡かれける。
 さてこそ清盛引き替へて、浅からず契り給ひけり。「三人の若達にも、よくよく当たり申せ。」とて、あまたの乳母を添へさせ給ふ。母の尼公もいたはりて、いつきかしづき給ひけり。常葉、心に思し召す。「今こそかやうにありとても、変はる習ひのあるならば、又憂き目にも会ひぬべし。末まで子細のなからんは、出家の形にしかじ。」とて、嫡子に当たる今若殿を、園城寺へこそ上げられけれ。次、乙若は醍醐の寺。牛若殿は幼くて、いまだ乳母に抱かれて、明かし暮らすとせし程に、七歳に成らせ給ひけり。
 常葉、心に思し召す。「あの牛若と申すは、兄弟の中の見目よしなり。大所へ上せ置くならば、人の口も恐ろしし。都ほとりに引き籠れる、古所を尋ねて上すべし。いづくにかはありなん。」と、仰せ出されたりければ、或る人、申しけるやうは、「鞍馬寺と申すは、ゆげの女院の御墓堂。本尊は大悲多門天。福、智恵共に満足せり。牛若殿の御ために、よかりなん。」とぞ申しける。
 常葉、聞こし召されて、「その儀ならば、鞍馬に上り、よそながら拝み申し、『さもありなん。』と思ひなば、別当に契約し、牛若を上せばや。」と思し召し、賀茂の社参に事寄せ、仮初ぶりの御出なれば、網代の輿の下簾、さあらぬ体に掛けさせ、御供の人々には女房達一、二人、はしたの女二、三人、力者ばかりを御供にて、河原を上りに参らるる。賀茂の御社伏し拝み、七曲り、八町坂、鞍馬に着き給ひけり。地主権現伏し拝み、礼堂に参らせ給ひつつ、隔子の内へ御入りあり。礼盤に向かひ礼しつつ、高座にむずと上がりて、香炉取り上げ磬鳴らし、暫く念誦し給へり。
 かかつし所に、鞍馬寺の別当、東光の阿闍梨、日中の勤めのそのために、礼堂に参り、隔子の内を見給へば、優なる女、着座して、早、念誦なかばと見えにけり。東光、御覧じて、「やはか女の身として、大法座へは上がるべき。他山の児の偽りて、寺を笑はむそのために、高座の上の念誦かや。さありとても、一旦咎めばや。」と思し召し、怒れる面をふり上げ、「さもあらずとよ。只今高座へ上る人を、児かと見れば、さはなくて、破戒無慚の女なり。同じ人間と言ひながら、女人は障り多くして、清き霊地を踏む事なし。ましてや持戒持律の高僧貴僧ならでは、内陣の隔子へ臨む事はなきものを。その上、不浄懈怠なき男子の身だにも臨まぬに、かかる謂はれを知りつつ、寺を侮り上れるか。又、元より愚痴の女にて、迷へるままに上れるか。是非について僻事ぞ。勿体なしや。女房よ、あう、早、出よ。」とぞ怒られける。常葉、聞こし召して、「こなたの御事候か。元より愚痴の女にて、知らで参りて候ぞ。教へて賜ばせ給へ、御聖。」とこそ仰せけれ。
 東光、聞こし召されて、「げにも、知らずは教ふべし。心静かに聴聞をせよ。釈迦仏と申すは、浄飯王の御子なり。悉達太子と申せしが、十九にて出家を遂げ、檀特山に閉ぢ籠り、菜摘み水汲み爪木こり、六年給仕し給ひて、辛苦を遂げさせ給ひ、二十五にて僧に成り、瞿曇と申し奉る。又六年は定座にて、まどろむ暇もましまさず。十二年を経給ひて、菩提樹の下にて仏と成らせ給ひて、御名をば釈迦と申すなり。三十の御年より、華厳経を説き給ふ。三七日の間なり。七処八会にこれを説く。阿含経と申すは、十二年の間なり。波羅奈国鹿野苑にて、この法を説き給ふ。増一阿含、長阿含、雑阿含、中阿含、この四阿含の中にも、女を殊に戒めり。般若経と申すは、三十年に説き給ふ。新しき本には一部六百巻、二百六十余品なり。紙の数を申すに、一万六百三十八、文字の数は六十億四十万字に記されり。この経の中にも、『女、高座へ上がれ。』といふ要文、更になきぞとよ。勿体なし。女房よ、早、出よ。」とぞ怒られける。
 常葉、聞こし召されて、「げにげに、謂はれの候ひけるぞや。もし、この経の中にも、女を褒めたる経文のあるならば、この高座をば出まじ。御聖、負けさせ給はば、御身一人に限らず、法師の惣の名折りたるべし。わらは負け候はば、女の不覚たるべし。構いて負けさせ給ふな。随分はこの女も、一言つがひ申すべし。経文を引いて宣はば、わらはなりとも劣るまじい。まづ、蘇婆呼童子経に説く。『取妻すべし。男子を生みて、種を継ぐ。汝、この法行ぜば、まさに解脱を得べし。もし善業と悪果の法、この言葉を論ぜば、有智無智、刹利、婆羅門、毘舎、首陀等に至るまで、差別も更にあるまじき。』
 「経の説と宣はば、一切経の惣一、法華経を以て本とせり。かの法華経と申すは、醍醐味の経なり。巻数は八巻、文字の数を申すに、六万九千三百八十余字に積もれり。かの経の初めに、妙法蓮華経と読む。その第一の筆立てに、妙といへる文字を書く。偏には女、作りには少いと書いてこそ、妙とはこれを読まれたり。妙と書ける文字の読み、数多しとは申せども、まづ妙なりと読まれたり。六万九千三百八十余字の文々は、別の事をば褒めずして、妙を褒めむがためなり。妙と書ける心は、言葉にも述べがたし。筆にもいかで尽くすべき。言語道断なる間、心行処滅なりとかや。ここを以て案ずるに、万法の頂きは、女を以て極めたり。
 「かの法華経と申すは、釈迦仏の御年七十三と申す、二月上の八日に説き始め給ひて、八ヶ年の間なり。霊山会の十品は、序品、方便品、譬喩品、信解品、薬草喩品、授記品、化城喩品、五百品、人記品、法師品。虚空会の十一品は、宝塔品、提婆品、勧持品、安楽行品、湧出品、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品、法師功徳品、常不軽菩薩品、神力品これなり。又、霊山へ帰つて、七品説かせ給ひけり。嘱累品、薬王品、妙音品、普門品、陀羅尼品、厳王品、普賢品これなり。惣じて二十八品なり。その外の聖経五千余巻の中にも、『女、高座へ上がるな。』と、戒め給ふ文もなし。おぼつかなし。別当の、さて心の内こそゆかしけれ。」
 東光、大きに肝を潰し、「この間答に負けなば、かつうは寺の名折りたるべし。叶はぬまでも、今一言つがはばや。」と思し召し、「面白し。女房、いで、その謂はれ語らむ。或る経の文に、『所有三千界、男子諸煩悩、合集為一人、女人之業障。』と説かれたり。この文の心は、三千界のあらゆる男子の、諸々の煩悩を合はせ集め、以て女人一人の罪障とす。されば地獄は外に無し、女に限る所なり。『女人一人生まれなば、地獄の使来たりとて、三世の諸仏は舌を巻き、怖ぢさせ給ふ。』とこそ聞け。遠く漢家を尋ぬるに、天台山の高山に、女の参る事は無し。育王山、摩犂山、清涼山に至るまで、女を許し給はず。間近き秋津嶋にも、延暦寺、高野山、初瀬、岡寺や当麻寺、多武の嶺に至るまで、内陣の隔子へ臨む事のあらざれば、遥かに拝み奉る。戒行の程のつたなさよ。女と生まれける事も、正法誹謗なる間、愚痴の闇深うして、嫉妬の思ひ浅からず、邪念を尽くる事も無し。勿体なしや、女房。御堂の汚れ候に、早々御出候へ。猶も御出なきならば、下僧どもに申し付け、出すべし。」とぞ怒られける。
 常葉、聞こし召されて、「いかにや東光、物を知らずは無言あれ。尊き人のけしからず、女をそしり給ふ事、憎むにはあらず。必ず輪廻の業を離れんがためなり。迷ひの前に男女あり、悟りの前に男女なし。善悪二つなき故に、邪正も更に隔てなし。これは深き心にて、申すと知ろし召さるまじ。まづ耳近に申すべし。仏も母がましませばこそ、摩耶のために初めて報恩経を説き給ふ。忉利天に上がり、一夏の間、法を説き、母のために報ぜらるる。仏も昔は凡夫にて、太子とおはせしその時は、三人の后おはします。一をば耶輸陀羅女、二の后をば意持とて、左右なく人に見せられず。第三に瞿陀弥とて、殊に容顔美麗なり。この三人の御仲に、御子あまたおはします。耶輸陀羅女と申すは、釈迦仏の因位、儒童菩薩とおはせし時、瞿夷女といへる女に、五本の蓮華を植ゑて後、燃灯仏と供養せし、その約束の朽ちずして、今、耶輸陀羅と生まれて、太子に契り籠め給ふ。大唐の育王山、清涼山に至るまで、女をそしり給ふとも、両界の法をば、やはかはそしり給ふべき。胎金両部欠けて後、定恵の二法立ちがたし。
 「さ申す東光も、母の腹に宿つて、五知円満を具足せり。在世から来生、乃至、波羅奢佉に至るまで、父母共に与へし。女をそしる法師は、母の恩を背けり。父母の恩を知らざるは、只畜類に譬へたり。髪を剃り、衣を墨に染めたれど、愚痴なる者を俗と言ふ。上の形は変はらねど、心に発心ある人を、法師とこれを名付けたり。東光の如くに、経の文をしるべにて、心に発心なき人を、驕奢とこれを名付けて、木にかかる藤の、空へ上がるが如くにて、己が力で更に無し。愚痴妄念を先として、いたづら事を本とする、人の心のはかなさよ。さもあれこの寺は、いづれの帝の御時に、いかなる人の御願にて、建てられける。」と問ひ給ふ。
 東光、聞こし召し、「我が寺と申すは、孝徳天皇の御代の時、勧進の聖は、元は奈良法師、鑑長坊と申せしが、南都を出て、天台山北谷に住み給ふ。少僧都と申して、有験智徳の聖なり。かの僧都の勧めによつて、大楽太師の御建立、ゆげの女院の御墓堂。本尊は大悲多門天。福、智恵共に満足せり。」
 常葉、聞こし召し、「余の事をばさて置きぬ。この問答に勝ちぬるぞ。それをいかにと申すに、女を入れぬ寺ならば、女院の御墓を、などこれには立て置かれけん。その上、大悲多門天、女をそしり給はず。真の御弟子、妹、吉祥天女御前とて、左の脇に座し給ふ。げにと女をそしり、出さるべきに定まらば、女院の御墓と吉祥天女諸共に、御寺を出しおはしませ。みづからも御供して、別に寺を結んで安置せんは、いかにや、別当。」とこそ仰せけれ。

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九けつのかひ
(藤井氏一本)

さるあひだよりともの御ぢやうには。なみの上ふねのうちにてのあそびには。なになにと申とも。あまのかづきによもしかじ。あまをめしよせうみへいれ。いきたるかいをとり上て。さかなにせんとの御ぢやうなり。かぢはらうけたまはり。あまをめさんはじこくの候。われとおもはんわかさふらひ。此うみへとんで入。かいさう取上て。きみの御めにかけよといふ。本馬弥二郎きゝあへず。ひぼひつきつてはだかになり。うみへざんぶと入たりけり。あまりあはてゝいるほどに。ゑぼしきながらつゝと入、にしにみるめのついたるを。とり上てまいらする。よりともは御らんじて。あつはれいはゐのきよくかなとて。よかりけるところを。百町くだしたびにけり。これを見けるわかさぶらひ。われおとらじとうみにいり。あるひはにしさゞい。みるめわかめなんどを。とり上とり上まいらする。よりとも御かんにおぼしめし。百町二百町。よろひはらまきなんどを。かぢはらをぶぎやうにて申下されけるとかや。こゝにちゝぶの六郎殿。まん時ばかりうみにいり。ひつじのさがりもとまでは。其身もさらにうき出ず。よりともの御ぢやうにはあのちゝぶの六郎は。としにもたらぬしよくはんなるが。はやりをのまゝにうみにいり。何とか成けんおぼつかなし。しげたゞのわかものども。いつてさがせなんどゝ。さいさん御下知下る。ちゝぶ殿申さるゝ。御ぢやうにては候へども。ゆみとりのこどもは。うみ山川にたつしやにて。むまにもよく乗てこそ。君の御ぜんにまかりたつて。くんこうけじやうにあづかるべき。かゝるあそびの水れんに。おほれんほどのふかく人。とり上たりとも御せんには。たつべきにても候はず。たゞたゞをかせたまひて。なりゆくさまを御らんぜよと。あざらへわらつておはします。其後に六郎殿。いかなるじゆつかまへけん。もといのさきをもぬらさずして。まうなるかいを三十とつて。はだへにひつしと取つけ。ためいきつゐてうきあがる。よりともは御らんじて。さながらそれへまいれ。はだへにかいのつきやうを。見物せんとの御ぢやうなり。をそれいつてまいらず。かさねて御ぢやうくだりければ。さいのしくはんちかよしが。てをひゝてまいりけり。よりともは御らんじて。今日のすいれんは。いづれおろかにおもはねど。ちゝぶの六郎が。はだへにかいの。さてもつきやう。きたいのふしぎに。おぼふる物かなと。御さかづきにさしそへ。ひたちのくにかしまのしやう。かいほつのがうとて。八百町のところを。くだしたびにけり。いちもんのこらすひきつれ。しよち入とこそきこえけれ。

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九穴の貝
(藤井氏一本)

 さる間、頼朝の御諚には、「浪の上、舟の内にての遊びには、何々と申すとも、海士のかづきに、よもしかじ。海士を召し寄せ、海へ入れ、生きたる貝を取り上げて、肴にせん。」との御諚なり。梶原、承り、「海士を召さんは、時刻の候。我と思はん若侍、この海へ跳んで入り、海藻取り上げて、君の御目に懸けよ。」と言ふ。本間の弥二郎、聞きあへず、紐引つ切つて裸に成り、海へざんぶと入つたりけり。余り慌てて入る程に、烏帽子着ながらつつと入り、螺に海松布のついたるを、取り上げて参らする。頼朝は御覧じて、「あつぱれ、祝ひの曲かな。」とて、よかりける所を百町、下し賜びにけり。これを見ける若侍、「我劣らじ。」と海に入り、或いは螺、栄螺、海松布、若布なんどを、取り上げ取り上げ参らする。頼朝、御感に思し召し、百町、二百町、鎧、腹巻なんどを、梶原を奉行にて申し下されけるとかや。
 ここに秩父の六郎殿、真時ばかり海に入り、未の下がりもとまでは、その身も更に浮出ず。頼朝の御諚には、「あの秩父の六郎は、歳にも足らぬ初冠なるが、逸り雄のままに海に入り、何とか成りけん、おぼつかなし。重忠の若者ども、入つて探せ。」なんどと、再三、御下知下る。秩父殿、申さるる、「御諚にては候へども、弓取の子どもは、海山川に達者にて、馬にもよく乗つてこそ、君の御前に罷り立って、勲功、勧賞に預かるべき。かかる遊びの水錬に、溺れん程の不覚人、取り上げたりとも御前には、立つべきにても候はず。只々置かせ給ひて、成り行くさまを御覧ぜよ。」と、あざらへ笑つておはします。
 その後に六郎殿、いかなる術構へけん、元結の先をも濡らさずして、猛なる貝を三十取つて、肌にひつしと取り付け、溜息ついて浮き上がる。頼朝は御覧じて、「さながらそれへ参れ。肌に貝の付きやうを見物せん。」との御諚なり。恐れ入つて参らず。重ねて御諚下りければ。斎院次官親能が、手を引いて参りけり。頼朝は御覧じて、「今日の水錬は、いづれおろかに思はねど、秩父の六郎が肌に貝の、さても付きやう。希代の不思議におぼゆるものかな。」と、御盃に差し添へ、常陸国鹿島庄開発の郷とて、八百町の所を下し賜びにけり。一門残らず引き連れ、所知入りとこそ聞こえけれ。

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はま出
(大頭左兵衛本)

かの鎌倉と申は。むかし一足ふめは三町ゆるく。大ふの沼にて候ひしを。和田畠山惣奉行を給はり。いしきりつるのはしをもつて。たかき所をきりたいらけ。大ぶの沼をうめ給ふ。上八かい中八かい。下八かいと三つにわる。上八かいは山。中八かいは在家。下八かいはうみなり。上八かいの一段たかき所に。源氏のうち神正八幡大𦬇をいはひあがめ奉る。中八かいの在家を。鎌倉やつ七郷にそわられける。あら面白のやつやつや。春はまつ咲梅かやつ。つゞきのさとや匂ふらん。夏は涼しき扇かやつ。あきは露くささゝめかやつ。冬はけにも。雪の下かめかへかやつこそ久しけれ。はるかの沖を見渡せは。ふねにほかくる。いなむらか崎とかや。いひ嶋江の嶋つゝいたり。ほうらいきうと。申ともいかでこれにはまさるべき。かるがゆへに名付て。あゆみをはこぶ輩は。所願かならず満足せり。ていとうのつゞみの音さつさつの。鈴の声々に。ちはやの袖をふりかさす。神慮すゝしめのみかくらの音は隙もなし。かゝる目出度おりふしに。頼朝上洛ましまして大仏くやうをのべさせ給ひ。御みは右大将にへあからせ給ひ。兵衛司十人。左衛門司十人。廿人の官途を申給はつて。其比ちうの人々にみなみな下したびにけり。中にも左衛門司をは。梶原平三景時に下されければ。ちやくしの源太にゆづる。源太つかさを給はり。此事ひろう申さてあるへきかと。いそき国に下。大名小名てうしやう申。いつきかしづき奉る。まづしよばむの日のざつしやうには。蓬莱の山をからくみ。中にかむろのさけを入。ふしの薬と名付。しろかねのさほに。こかねのつるへをむすひさけ。はねつるへにて。これをくむ。酒にあまたのいとくあり。うとき人さへちかづく。したしき中はなをしたしむ。遠近の。たつきもしらぬ。旅人になるゝも酒のいとくなり。ほうらいの山の上には。りふじんかたちはなけむほのなし。さうふのしゐくわかくかゆ。とうなむせいの。栗とかやみないろいろになりつれて。そのあぢはひはしゆみをなす誠ふしの。薬そとゑひを。すゝめてまいらする。二日の日のざつしやうには。肴のかずをそろへけり。ぢむのほたじやかうのへそ。鎧はらまきたちかたな。名馬のかずをそろへ。おもひおもひにひかれたり。三日の日のざつしやうには。江の嶋まふてに事よせて。みはま出とそきこえける。辱も御領の北の御方。出させ給ふその上。大名たちの北の方も。皆御供とそ聞えける。ふねの上にぶたいをたかくかざりたて。したむくわりぼくやりわたし。かうらむぎぼうしみがきたて。ぶたいの上にあやをしき。水ひきににしきをさけぬれは。うらふくかせにひようやうして。極楽浄土は。海の面にうき出ぬるかとうたかはる。おむかの舞あるへしとてけむくわんの役をぞさゝれける。ちゝぶの六郎殿。笛の役とそ聞えける。なかぬまの五郎は。とひやうしの役也。梶原の源太景末は。大鼓の役とそ聞えける。御簾中には。ひは三面琴二丁。きむの琴のやくをは。北の御方ひき給ふ。一めむのひわをば。北條殿の御内さまかづさの祐のみうちさまわこむをしらへ給ひけり。けむくわん。いつれも。名にしほふたる上手也。ぶたいの上の舞ちごに。ちゝぶとのゝ二男。藤若殿と申て。十三になり給ふ。ぢくわうそたちのめいとうなり。ひたりの。一たううけとりぬ。たかさか殿。鶴若殿そうじてちごは十八人。九人つゝにわかちて。ひだり右の。舞をまひ給ふ何も舞は上手なり。りやうわうに一おどりげむじやうらくのさしあし。ばたうの舞のばちがへり。りむたいはには。さすかいな。せいがいはにはひらくて。ことりそにはがへし。何も曲をもらさず。夜日三日そまふたりける。うつもふくもかなづるも𦬇のぎやうは是なり。天人はあまくだり。龍神はうきあがりふねぎやうだうにめくるらん。けむもむかくちのともがら。うかれて爰にたち給ふ大将殿は御覧じて。面白やかくあらばいつもかやうにうちとけてあそはゝやとの御諚にて。御前成し人々。御所領給はり。所知入とこそ聞えけれ。

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浜出
(大頭左兵衛本)

 かの鎌倉と申すは、昔、一足踏めば三町揺るぐ、大分の沼にて候ひしを、和田、畠山惣奉行を賜はり、石切、鶴の嘴を以て、高き所を切り平らげ、大分の沼を埋め給ふ。上八界、中八界、下八界と三つに割る。上八界は山、中八界は在家、下八界は海なり。上八界の一段高き所に、源氏の氏神、正八幡大菩薩を斎ひ崇め奉る。中八界の在家を、鎌倉谷七郷にぞ割られける。あら、面白の谷々や。春はまづ咲く梅が谷、続きの里や匂ふらん。夏は涼しき扇が谷、秋は露草、笹目が谷。冬は、げにも雪の下、亀谷が谷こそ久しけれ。遥かの沖を見渡せば、舟に帆掛くる稲村が崎とかや。飯嶋、江の嶋続いたり。蓬莱宮と申すとも、いかでこれにはまさるべき。かるが故に名付けて、歩みを運ぶ輩は、所願必ず満足せり。ていとうの鼓の音、さつさつの鈴の声々に、ちはやの袖を振りかざす、神慮涼しめの御神楽の音は暇もなし。
 かかるめでたき折節に、頼朝上洛ましまして、大仏供養をのべさせ給ひ、御身は右大将に経上がらせ給ひ、兵衛司十人、左衛門司十人、二十人の官途を申し賜はつて、其頃、忠の人々に、皆々下し賜びにけり。中にも左衛門司をば、梶原平三景時に下されければ、 嫡子の源太に譲る。源太、司を賜はり、「この事、披露申さであるべきか。」と、急ぎ国に下り、大名小名招請申し、いつきかしづき奉る。まづ初番の日の雑掌には、蓬莱の山を絡組み、中に甘露の酒を入れ、不死の薬と名付け、銀の竿に黄金の釣瓶を結び下げ、跳ね釣瓶にてこれを汲む。酒にあまたの威徳あり。疎き人さへ近づく。親しき仲は猶親しむ。遠近のたつきも知らぬ旅人に、馴るるも酒の威徳なり。蓬莱の山の上には、李夫人が橘、玄圃の梨、巣父の椎、くわかくが柚、とうなむせいの栗と榧、皆色々になり連れて、その味はひは乳味を成す。まこと、不死の薬ぞ。」と、酔ひを進めて参らする。
 二日の日の雑掌には、肴の数を揃へけり。沈のほた、麝香のへそ、鎧、腹巻、太刀、刀、名馬の数を揃へ、思ひ思ひに引かれたり。
 三日の日の雑掌には、江の嶋詣に事寄せて、御浜出とぞ聞こえける。忝くも御寮の北の御方、出させ給ふ。その上、大名達の北の方も、皆御供とぞ聞こえける。舟の上に舞台を高く飾り立て、紫檀、花梨木遣り渡し、高欄、擬宝珠磨き立て、舞台の上に綾を敷き、水引に錦を下げぬれば、浦吹く風に飄揺して、極楽浄土は海の面に浮き出ぬるかと疑はる。「御賀の舞あるべし。」とて、絃管の役をぞ指されける。秩父の六郎殿、笛の役とぞ聞こえける。長沼の五郎は銅拍子の役なり。梶原の源太景末は、太鼓の役とぞ聞こえける。御簾中には琵琶三面、琴二張。琴の琴の役をば、北の御方、弾き給ふ。一面の琵琶をば、北條殿の御内様。上総介の御内様、和琴を調べ給ひけり。絃管いづれも名にし負うたる上手なり。舞台の上の舞稚児に、秩父殿の二男、藤若殿と申して、十三に成り給ふ、慈光育ちの名童なり。左の一頭受け取りの高坂殿、鶴若殿、惣じて稚児は十八人。九人づつに分かちて、左右の舞を舞ひ給ふ。いづれも舞は上手なり。陵王に一踊り、還城楽の差し足、抜頭の舞のばち返り。輪台破には差す腕、青海波には開く手、古鳥蘇に羽返し。いづれも曲を洩らさず、夜日三日ぞ舞うたりける。打つも吹くも奏づるも、菩薩の行は、これなり。天人は天降り、龍神は浮き上がり、舟行道に巡るらん。見聞覚知の輩、浮かれてここに立ち給ふ。
 大将殿は御覧じて。「面白や。かくあらば、いつもかやうに打ち解けて遊ばばや。」との御諚にて、御前なりし人々、御所領賜はり、所知入りとこそ聞こえけれ。

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