五 死出の旅約束の馬 武士は言葉の違はざる事
古代より祈り伝へて、江州多賀の社は、「寿命神。」と諸人、崇め奉りしに、諸願叶はざるといふ事無し。
毎日神前に供へし御酒、御供共に、その器物ばかりになりぬ。あまたの宮人立ち会ひ、これを、「奇瑞。」と神に威を増して沙汰せり。年ふりたる祢宜、つらつらこの事を思ふに、「正法に何か不思議無し。各々、御番の油断。」と申せしに、それより気を付け、神垣を守りしに、夕暮の淋しき松の蔭より、老人夫婦詣で来て、かの土器、錫などを手毎に携へて、南の方の階の元にして、心よく酌み交はして立ち帰るを、大勢立ちかかり、これを捕らふるに、この二人、更に動ぜず。「いかなる者にて、かく神前を汚しぬる。その罪深し。奉行の役人に渡して、末代の掟に。」と言ふ。
老人笑つて、「忝くも、当社は命を守らせ給ふ神ならずや。この両人は家貪しく、世を渡るべき舟もなく、老いの浪立ち、恥を捨つる身に、何の病もなくて命の終はる悲しさに、暫しの程も惜しまれ、昨日も暮らし今日も又、御供に命を繋ぐ。」と語れば、智ある宮奴、これを聞き分け、「昔、唐土にもかかるためしあり。
「天子、不死の薬酒を、仙人の伝へに任せ、みづからこれを造らせられ、又もなき名酒なれば、御重宝の第一、瑠璃を延べたる壺中に詰めさせられ、宝蔵の乾に深く埋み、『この酒、隠して呑める輩は、即時に命を断つべき。』との御添へ札。宮中、これに恐れをなしけるに、東方朔、勅封を切つて、心のままに酌みしを、これを預かる官人、見咎めて、忽ちに縛められ、綸言出て返らぬ我が宿の別れ、既にその場になりし時、東方朔が曰く、『我、全く一命惜しきにあらず。この酒の科に、この身を害し給はば、不死の名酒の徳絶えて、命の今終はる事は。』と言へり。この言葉を考へさせ給ひ、その難を許し給ふとなり。今又、この両人が命を取らば、寿命を守らせ給ふ大明神の威力、薄し。」子細なく老翁、老女を帰しける。
この夫婦の人、元は遠江の城主に仕へて、国民豊かに政道正しく、文武兼ねたる侍。諸人の惜しむ身を隠し、今この湖水の東の磯に、浜廂わづかにして住むとは、人の知るまじ{*1}。何となく今日までは夢の如くに暮らされし。
その折節、昔の友とせし人、ここにある事聞き伝へ、京都の使者を嬉しく、尾張の宮より道替へて、やうやうこの浦に尋ね寄りて、過ぎにし事を語るに、身の程言はず、人を問はず。「命あれば、又逢ふ事もありや。我は暇、その身は勤め、ここにとどまる人ならず。いざ、行き給へ。」と主の方より別れを急ぐ。「せめてこの人の妻に会ひて、渡世の便りの物を贈りたく」、暫し心を付けしに、これも以前の奥住まひ忘れず、人に逢ふ事を恥ぢて、群笹の中に行き隠れて、終に出ざりけり。
さのみ暇乞ふまでもなく立ち行く時、「何にても、我に望みなきか。」と尋ねしに、「この馬は、国にて見しより、今なほ欲しき物。」と言ふ。「それこそ易き事なれ。この度、乗り替へ引かせねば、京を勤めて、帰さに残し置くべし。」と仮初に約束して、急ぎ都に立ち越え、十日に経たぬ道を帰り、かの老人を問ひ寄りしに、その一つ庵は野と成し、麦の種蒔く里人に尋ねしに、「その夫婦、あとさき四日の内に相果てられ、それなる山蔭に人の哀れを重ね、二つの塚に一つの桑を植ゑ置きしこそ、老人のしるしなれ。」と細かに語り終はれば、聞くに魂も消ゆるばかり。「夢とは知る世の悲しや。」と、かの塚に伏して、愁歎に日も暮れける。
「これは、契約の馬なるぞ。」と塚木にこれを繋ぎ捨て、「今は死人の馬なれば、黄泉の旅の助けに追つ付け。」と主人ある身の日数なく、本国に立ち帰る。「まことに武士の義理なり。」と心なき野夫感じて、木蔭に草葺拵へて、二年余り飼ひ殺しける。その鞍、鐙、ありのままに露霜に朽ち行けども、誰か取りける人もなく、末の世の土とは{*2}なりぬ。
校訂者註
1:底本は、「しらまじ。」。『井原西鶴集4』(2000)語釈に従い改めた。
2:底本は、「土(つち)と成(な)りぬ。」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。