江戸期版本を読む

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四 箱根にて仏事の事

 かくて別当は、「かの者どもの仏事、執り行はん。」とし給ふその隙に、虎にいよいよ教化し給ふは、「たまたま人身を受け、この度、浄土を願はずは、また三途に帰るべし。祐成を善知識と思ひ、浄土を願はんに、何の疑ひか候べき。既にかやうの法身と成り給へば、自他のため、未来永々有難き御事なり。法師とて、御導師に成るべきにあらず。只、心を以て師とする時は、いかでか往生の素懐、空しからん。又、五郎は寵愛馴染にて、御思ひどもに劣らねば、一しほ弔ひ奉るべし。」「誰かある。僧達を請じ申せ。」とて、「持仏堂の荘厳せよ。客殿の塵取れ。」と、さまざま下知し給ひけり。虎は、別当の教化を聴く身ながらも、嬉しくぞ思ひける。
 その後、数の僧達、集まり給ふ。御経多しといへども、殊に勝れたる一乗妙典八巻を、同音に読誦し給ふ。五十展転の功力だにも有難し。誦持読誦の結縁、頼もしかりけり。御経やうやう過ぎしかば、別当、高座に上り、彼等が追善の鉦打ち鳴らし、施主の志を量り給へば、まづ御涙に咽びつつ、説法の御声も出し給はず。
 ややあつて、別当、涙を押さへ、花房を捧げ、「それ生死の道は異にして、音信をいづれの処にか通ぜん。分段、境を隔つ。拝覲をいつの時にか期せん。二十余年の夢、暁の月と共に空に隠れぬ。千万端の愁へ、夕の嵐と共に一人吟ず。雲と成り雨と成る哀憐の涙、乾く事なし。朝を迎へ夕を送りて懐旧の腸、絶えなんとす。所作未だやまざるに、百日の忌景、既に満てり。悲しみの至りて猶悲しきは、老いて子に後れ、恨みの殊に恨めしきは、盛んにして夫に後るる程の愁へなし。老少不定を知るといへども、なほ前後の相違に迷ふ事、嘆けども叶はず、惜しめどもしるしなし。されば、仏も愛別離苦と説き給ふ。一生は夢の如し。誰か百年の齢を保たん。万事は皆空し。いづれか常住の思ひをなさん。命は水の上の泡の如し。魂は籠の内の鳥、開くを待ちて去るに同じ。消ゆる者は再び見えず、去る者は重ねて来らず。
 「恨めしきかなや、釈迦大師の慇懃の教化を忘れ、悲しきかなや、閻魔法王の呵責の言葉を聴けば、名利は身を助くといへども、未だ北邙の屍を養はず。恩愛の心を悩ませども、誰か黄泉の責めを免れん。これによつて馳走す、所得、いくばくの利ぞや。これがために追求す。所作、多罪なり。暫く目を塞ぎて往時を思ふに、旧友みな空し。指を折りて後進を数ふれば、親疎多く隠れぬ。時移り事去りて、今何ぞ渺茫たらんや。人とどまりて我逝き、誰かまた残りやせん。三界無安猶如火宅と見れば、王宮もこれ夢なり。天子といふも四苦の身なり。いはんや下劣貧賤の輩、などかその罪、軽かるべき。苦に苦しみを増し、業に悲しみを添ふべし。思ひ悟らぬぞ愚かなる。まさに今、麟閣塵深くして、竹簡いくばく千巻ぞ。苔瀧雲静かにして松風只一声、苑中花月相伝ふるに主を失ふ。七月半ばの盂蘭盆の尊霊、誰にかあらん。」と、泣く泣く当座にぞ書きける。まことに理、極まりけり。
 「されば、親の子を思ふ志の深き事は、父の恩を須弥に譬へ、母の恩を大海に同じと言へり。我、一劫の間説くとも、父母の恩、尽くる事なし、と見えたり。胎内に宿り、身を苦しめ心を尽くし、月を重ね日を送り、生まるる時は、桑の弓、蓬の矢を以て、天地四方を射、身体髪膚を父母に受け、あへてそこなひ破らざるを孝の始めとす。襁褓の袋に包まれしより今に至るまで、昼夜に安き事なし。人の親の習ひ、我が身の衰へるをば知らずして、子の成人を願ひしぞかし。この恩を捨て、未だ盛りにも満ちずして、母に先立ちぬ。されば、孝経に曰く、『君は尊くして親しからず。母は親しくして尊からず。尊親共にこれを兼ねたるは、父一人なりといへども、四つの恩の中には、二親なれば、母の嘆きも切なれども、当たる処を恥ぢ、父の敵に身を捨て、各々、命を失ふ。
 「人の親の子を思ふ闇に迷ふ道、愚かなる子もいとほしく、片輪なるも悲しきに、この人々は弓馬の家に生まれ、武略共に賢し。名を後代にとどむる事、遠きも近きも知らぬ人なし。同じ兄弟といへども、仲の悪しきもあるぞかし。この殿ばらは、幼少竹馬の昔より、馴れ睦ぶる事、類なし。浄蔵浄眼のいにしへにも恥ぢず、早離速離の昔にも似たり。終に富士の裾野にして、同じ草葉の露と消え給へり。かの一條の摂政謙徳公の二人の御子、前の少将後の少将とておはしける、朝夕に失せ給へり。かかるためしもあれば、生死無常の理、初めて驚くべきにあらず。今、開眼供養の御経、人々の手跡の裏なり。かやうに書き置きしを、よそにて見るだにも悲しきに、まして御身に当て、御心中さぞ思し召すらめ。それは親子の別れの事。兄弟の契りのわりなきを、一言述べて候。
 「又、夫に別るる嘆き、今一しほ色深き事なり。虚弓とどまりて閨に寄せ立つ。上弦の月、空に暮れぬ。三年の馴染、忽ち尽き、孤枕、床に残り、虞氏がいにしへにあらねども、数行の涙、袂を潤すらん。しやう蘭の匂ひ、空薫き物とぞなりにける。宵暁の鐘の声、枕を並べし程には似ず、起き居に見れば、馴れ来し人は、よも添はじ。山の端出づる月影を、心苦しく待ち得ても、見し面影には異ならず。これぞ慰み給ふ事あらじ。まこと、夫婦の別れ、忍び難けれども、昔も今も、力に及ばざる道なれば、思ひ慰み給ふべし。かの唐の玄宗の楊貴妃も、わづかに言葉を蓬莱宮の波に伝ふらん。穆公の弄玉を重んぜしも、いたづらに鳳凰台の月に寄す。かれを思ひ、これを思ふにつけても、昔を今になぞらへて、一仏浄土の縁を結び、願はくは九品往生の望みを遂げて、七世の父母、六親眷属成仏。」と、廻向の鉦打ち鳴らし、別当、高座を下り給ふとて。
  定めなき憂世といとど思ひしに弔はるべき身の弔ふにつけても
と詠じ給ひければ、聴聞の貴賤、哀れを催し、袖を絞らぬは無かりけり。
 供養もやうやう過ぎしかば、僧達も皆帰り給ひ、やや暫くありて、「急ぎ下りたく候へども、たまたま上りて候へば、五郎が幼くて住み候ひし方を見候はん。」と申されければ、別当、宣ひけるは、「男に成りて後、その形見と思へば、人をも置かず。わざと破れをも修理せず、昔に少しも違はず候。いざさせ給へ。墓所をも築きて候へば、御覧ぜよ。」とて連れて行き、立ち寄り見給へば、墓の上に草生ひけるを、別当、見給ひて、「君見ずや北邙の夕の雨、畳々たる青塚の色を。また見ずや東郊の秋の風、歴々たる白楊の声を。」といへる古き詩を思ひ出で給ふ。「これは、元の住みか。」と宣へば、軒の荵は紅葉して、思ひの色を顕はせり。嘆きはいづれも尽きせねば、茂る甲斐なき忘れ草、その名ばかりは由ぞなき。九月上旬の事なれば、四方の紅葉の色は、袖の涙を染むるかと見え、世にふる里は苦しきに、易くも過ぐる初時雨、羨ましくぞおぼえける。
 壁に書きたる筆のすさみを見れば。
  出でて去なば心軽しと言ひやせん身のありさまを人の知らねば
といふ古き歌の端を、箱王丸とぞ書きたりける。師匠に暇をも乞はず、人に行き方をも知らせず、口一人出づる事、思ひ寄りて語り、幼かりし面影、只今の心地して、「由なき所へ来りける。」と、絶え焦がれければ、胸を焦がす焔は、咸陽宮の夕の煙に異ならず。袂に落つる涙の、龍門原上の草葉を染むる、面に落つる塵の海、かのちよれいとも言ひつべし。
 さてしもあるべきにあらざれば、泣く泣く母は曽我に下りしが、虎は、「大磯に帰らん。」とす。別当も、五郎に別れし心地して、「御名残惜しうこそ候へ。さても、この度の御仏事、有難く候。過去幽霊、定めて正覚なり給ふべし。また、大磯の客人の御志こそ、世に勝れては候へ。構へて構へて怠らず弔ひ給へ。」と仰せられければ、虎も涙を押さへて、「仏事と承りし事、廻心発願の儀なりければ、飽かぬ別れの道、いつかは怠り候はん。」と申しければ、別当、重ねて申されけるは、「あまたの宝を積まむよりは、まことの心には如かず。」とこそは宣ひける。

底本頭注
 四 箱根にて仏事の事
 ・北邙――洛陽の北方の山名。漢以来の墳墓のある所。
 ・虞氏――楚の項羽の妾。
 ・出でて去なば――伊勢物語の歌。五の句、人は知らねば。」とあり。

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校訂者注
 四 箱根にて仏事の事
 ・成り給へば、自他の――底本、「成り給へば、他の」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・拝覲をいつの時にか――底本、「拝勤をいつの時にか」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・二十余年の夢、暁の月と共に空に隠れぬ。千万端の愁へ、夕の嵐と共に一人吟ず――底本、「二十余年の夢、暁の月と空に隠れぬ。千万端の愁、夕の嵐ひとり吟じて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・四苦の身なり――底本、「しゝの身なり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・苦に苦しみを増し、業に悲しみを添ふべし――底本、「しに苦を増し、業に随つて悲を添ふべし」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・麟閣塵深くして、竹簡いくばく千巻ぞ――底本、「ごんかく塵深くして、竹簡幾何の千巻ぞ」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・当たる処を恥ぢ、父の敵に――底本、「あたるところの恥、父の方に」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・名を後代にとどむる事――底本、「後代にとどむ事」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・孤枕、床に残り――底本、「こしん床に上りて」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・住み候ひし方――底本、「住み給ひし方」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・東郊の秋の風――底本、「東邙の秋の風」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・かのちよれいとも――底本、「かこちよれいとも」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・廻心発願の儀――底本、「穢身発願の儀」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

二 母虎を具して箱根へ上りし事

 荒れぬる宿とは思へども、枕並べし睦言の、出ぬる後の別れ路は、今も打ち添ふ心地して、起きもせず寝もせで物を思ひ居たる処に、馬に鞍置き引つ立つる、使は来たり。木幡山、君を思へば心から、上の空にや籠るらん。母も立ち出て、急ぐと言へば打ち出ぬ。おのづからなる道のほとり、我が方遠くなり行けば、そことも知らぬ毯子川、蹴上げて浪や渡るらん。湯坂の峠を上るにも、「別れし人もこの道を、かくこそ通ひ馴れつらん。」と、思ひ遣らるる梓弓、矢立の杉を見上げつつ、「その人々の射ける矢も、この木の枝にあるらん。」と、梢の風も懐かしく、山路遥々行く程に、箱根の坊に着きにけり。
 やがて別当、出合ひ給ひて、「さても、御嘆きの日数の哀れにて候。」と仰せられければ、この人々も、仏事の本意を申されけり。別当、虎を見給ひて、「あれは、いづくよりの客人にや。」と問ひければ、母、ありのままにぞ語りける。別当、「有難き志。」とて、墨染の袖を濡らし給ふ。ややありて別当、涙をとどめて仰せられけるは、「法師が思ひとて、方々に劣り奉らず。「盛りなる子を先に立つる親、若うして夫に後るる妻、世の常多し。」と申せども、師に先立つ弟子は稀なり。それも、先規なきにあらず。遠く震旦を思へば、顔回は、貫首の弟子にて、才智並ぶ人なかりしかども、二十五歳にて師に先立ち給ふ。我が朝の慈覚は、大師の御弟子なりしが、師の天台大師に先立ち奉る。西方院の座主印賢僧正は、良賢大師に後れ給ふ。かやうの事を思ひ出せば、愚僧一人が嘆きにあらず。げにげに、曠劫を経ても相見ん事あるまじき別れの道、嘆き給ふも理なり。嘆くべし、嘆くべし。」とて、御涙をはらはらと流し給ふ。
 「思へば、誰も劣るべきにはあらねども、大磯の客人の御志こそ、まことに有難くこそ候へ。相構へて、深く嘆き給ふべからず。これをまことの善知識として、他念なく菩提心を起こし給へ。一念の随喜だにも莫大にて候ぞかし。かやうに思ひ切り、まことの道に入り給ひ候はば、余念なくて行じ給ひ候へよ。仏も六年、仙人に帰依し行じてこそ、法華をば授かり給ひし。構へて悪念を捨て給ふべし。人々を討ちける人を、『怨めし。」と思ひ給はば、瞋恚の妄執と成りて、輪廻の業、尽くべからず。あながち手を下ろして殺し、行きて盗まざれども、思へば、その咎を犯すにて候ぞ。構へて構へて殺生を心に除き給ふべし。されば、第一の戒にて候ぞ。女は殊に執情深きによつて、三途の業、尽きず候ぞや。相構へて相構へて。」と、細やかに教へられけり。

三 鬼の子捕らるる事

 昔、天竺に、鬼子母といふ鬼あり。大阿修羅王が妻なり。五百人の子を持ち、「これを養はん。」とて物の命を断つ事、恒河沙の如し。殊に、親の愛する子を好みて、捕り食ふ罪、尽くし難し。仏、これを悲しみ思し召し、「いかがしてこの殺生をとどめん。」とて、智恵第一の迦葉尊者に告げ給ふ。迦葉、仏に申し給ひけるは、「彼が五百人持ちて候子の中に、殊に寵愛の子を御隠し候ひて、御覧ぜられ候へ。」と御申しありければ、「しかるべし。」とて、五百人の乙子を取り、御鉢の下に隠し給ふ。
 父母の鬼、これを尋ねけり。神通自在の者なりければ、上は非想非々想天、六欲天の雲の上、下は九泉八海、龍宮奈落の底までも、くもりなく尋ねけれども、無かりけり。鬼ども、力を失ひ、大地に伏しまろび、泣き悲しみけるぞ愚かなる。思ひの余りに、仏に参り申しけるは、「我、五百人の子を持ちて候。その中にも、乙子こそ殊に不憫に候ひしを、物に捕られて失ひ候ひぬ。余りに悲しく候ひて、至らぬ所もなく尋ねて候へども、我等が神通にては、『尋ね出すべし。』ともおぼえず候。しかるべくは、御慈悲を以て教へさせ給ひ候へ。」とて、黄なる涙を流しけり。
 その時、仏宣はく、「さて、子を失ひて尋ぬるは、悲しきものか。」「申すにや及び候はず。これだにも出で来候はば、我等夫婦はいかになり候とも苦しからず。余りに可愛く候。」と申しければ、「さやうに子は悲しく無残なる者ぞとよ。汝、五百人の子を養はんがために、物の命を殺す事、いかばかりとか思ふ。その殺さるる者の中に、親もあり子もあり。兄弟親類、いか程の嘆きとか思ふ。思ひ知れりや。汝、今ただ一人失ひてだにも、かやうに悲しむにや。まして多くの人、いかが。」と示し給ひければ、鬼ども、頭をうなだれて、囲繞して伺候しけり。「いかに、汝等。猶しも物の命をや断つべき。とどまるならば、あり所知らせん。」と仰せられければ、鬼、大きに喜び、「今より後は、更に殺生仕るまじ。失ひし子のあり所、教へ給へ。」と怠状申しけり。
 「さらば、堅く殺生をとどめよ。」と約束ありければ、鬼、重ねて申すやう、「我等、肉食を絶えしては、身命助かり難し。御慈悲の方便に与らん。」と申す。仏、御思案ありて、「さらば、一切衆生の用ゐる飯の上を、少しさばを取り、汝に与ふべし。それにて命を継ぎ候へ。」と仏勅ありければ、鬼承り、「我等は悪業煩悩にて身をまろめたり。たとひ仏勅の如く頂戴申すといふとも、肉食をとどめては命あらじ。」と申しければ、「さらば、一口の飯に、人の肉をすり塗りて与ふべし。」と御約束ありけり。さればにや、今に至りて、さばとて、飯の上を少し取り、掌に当てて置く事は、この謂はれにてぞありける。かやうに堅く誓約ありて、御鉢の下より子鬼を取り出し給ひけり。その時、鬼申しけるは、「『我等、神通を超えたり。』と思へども、仏の方便には及び難し。まして後世こそ恐ろしけれ。」とて、即ち御弟子と成り、仏果を得るとかや。あまつさへ、「法華守護神と成り、法華経を擁護せん。」と誓ひ給ふ。
 そもそもこの鬼子母は、形、世に超えければ、帝釈、これを奪ひ取り給ひぬ。阿修羅王、大きに怒り、瞋恚の猛火を放ち、既に須弥の半分まで攻め上り闘ふ事、恒河沙を経るとも尽くる事なし。その時帝釈、善法堂に楯籠り、仁王経を講じ給ひつつ、四しゆ五わうの印を結び給ふ。時に、虚空より磐石、雨の如くに降り下り、修羅の大敵を粉灰に打ち砕く。されども業因尽きざれば、またよみがへり、大苦を受けたり、と伝へたり。しかれども、鬼子母は仏弟子と成りしかば、苦悩を離るるのみならず、法華の功徳あり。
 かやうに、鬼神だにも随喜すれば、かくの如くの仏果の縁ありとかや。

底本頭注
 三 鬼の子捕らるる事
 ・乙子――季子。
 ・さば――生飯、又は散飯と書く。食に当たりて、鬼神に供するために、傍らに少し取り分け置くもの。

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校訂者注
 二 母虎を具して箱根へ上りし事
 ・道の辺の、我が方――底本、「道の辺、我が方」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・通ひ馴れつらん。」と――底本、「通ひ馴れしと」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・輪廻の業――底本、「輪廻の劫」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 三 鬼の子捕らるる事
 ・怠状申しけり――底本、「たいはう申しけり」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。

曽我物語

巻第十一

一 虎曽我へ来りし事

 そもそも建久四年九月上旬の頃なるに、世の憂きを思ふに、つながぬ月日も移り来て、昨日今日とは思へども、憂き夏も過ぎ、秋もやうやう立ちぬれば、賓雁、書を掛け、上林の霜に飛ぶ。貞女、いづくにかある。寡妾、衣を打ちて、良人、未だ帰らざる処に、清き尼一人、濃き墨染の衣に、同じ色の袈裟を掛けて、葦毛なる馬に貝鞍置きて乗りし人、出で来る。「何者ぞ。」と見れば、十郎が常に通ひし大磯の虎なり。
 彼等が母の元に行き、近き所に立ち入り、使をして言ひけるは、「この人々の百箇日の孝養、大磯にても形の如く営むべけれども、『箱根の御山にてあるべし。』と承り候へば、『この御仏事をも聴聞申し、我が身の営みをも、そのついでにして、一つの諷誦をも捧げばや。』と思ひ、参りて候。」と言ひければ、母聞きて、「嬉しくも思ひ寄りおはしますものかな。十郎ありし方へ入らせ給へ。やがて見参に入るべし。」と、荒れたるすみかの扉開けて、呼び入れにけり。
 虎は、十郎が住み所へ立ち入り見れば、いつしか庭の通ひ路に草茂り、跡踏み付くる人もなし。塵のみ積もる床の上、打ち払ひたる気色も見えず。今はの別れの暁まで、見馴れし所なれば、変はる事はなけれども、その主はなかりけり。思ひしより過ぎこし方のゆかしく、我が身は元の身なれども、心はありし心ならず。月やあらぬ春や昔のかこち草、深き名残の尽きせねば、泣くより外の事ぞなき。まろび入りたるそのままにて、暫し起きも上がらざりけり。枕も袖も浮くばかり、立ち添ふ物は面影の、それとばかりの情けにて、涙も更にとどまらず。
 やや暫くありて、母、出で合ひけり。虎を一目見しより、何とも物をば言はで、袖をば顔に押し当て、さめざめと泣きけり。虎も母を見て、ありし顔ばせの残りとどまる心地して、打ち傾き、声も惜しまず泣き居たり。「夫の嘆き、子の別れ、さこそは悲しかりけめ。」と、推し量られて哀れなり。
 母、涙を押さへ、言ひけるは、「『かくあるべし。」と思ひなば、十郎がありし時、恥づかしながら見奉るべかりしものを。身の貧なるにより、親しむべきにも疎く、語らふべきにもさもあらで、よろづ思ふやうにも候はで、打ち過ぎし事の悔しさよ。十郎、浅からず思ひ奉りし事なれば、ただ十郎に向かふ心地して、懐かしく思ふ。」と泣く泣く語りければ、虎も又、「身の数ならぬにより、御見参申さず。」とて、これも涙を流しけり。「形見とて残し置かれし馬鞍、見る度毎に目もくれ、仏の御名を唱ふる障りと成り候へば、亡き人の御ためも、しかるべからず。この度の御仏事の御布施に思ひ定めて候。」と言ひも果てず、打ち傾きけり。
 「仰せの如く、形見は由なき物にて、これ等が狩場より返したる小袖を見る度毎に、心乱れ候ぞや。これも、この度の御布施におもむけて候。御身は、十郎が事ばかりこそ嘆き給へ。わらは程罪深き者は候はじ。河津殿に後れたりし時、一日片時の命も長らへ難かりしに、つれなき身の長らへ、百日の内に、あまたの子に後れたり。いかばかりとか思し召す。殊に、彼等二人は身を離さで、双の膝に据ゑ育て、父の形見と思へば、憂き時も、彼等にこそは慰みしか。今より後は、誰を見、何に心の慰むべき。
 「箱王は、法師に成らざりしを、かりそめに、『不孝。』と言ひしそのまま、『許せ。』と言ふ人もなし。身の貧なるにより、何となく打ち過ぎ、月日を送り、年頃添はざりし事、今さら悔しく思ふぞとよ。打ち出し時、兄が連れて来り、『限り。』と思ひてや、『許せ。』と申せしに、『さらば。』と言ひし言の葉を、嬉しげなりし顔ばせの、顕はれたりし無残さよ。『親ならず子ならずは、老いたるわらはが言葉の末、誰かは重く思ふべき。』と頼もしく思ひて、つくづくと目守りしに、盃取り上げ、傾くほど涙浮かびて候ひしを、『不孝を許す嬉しさの涙。』と思ひて候へば、『かやうに成るべき。』とて、限りの涙にて候ひけるを。凡夫の悲しさは、夢にも知らで。『懐かしかりける顔ばせ、何しに年月、不孝しけん。』と、過ぎにし方まで悔しきに。せめて三日打ち添はで、『帰れ。』とばかりのあらましを、いかに哀れに思ひけん。いつの世にか相見て、憂きを語りてまし。」とて、又打ち伏して泣きけり。
 虎も涙に咽びつつ、暫し物をも言はざりけり。互の心の内、「さこそ。」と思ひ遣られたり。「これなる御経は、彼等が最後に富士野よりも送りたる文の、裏に書き奉りて候。『この文を読まん。』とすれば、文字も見えず。近く寄りて読み給へ。聞き候はん。」とて差し出す。「十郎が文。」と聞けば、懐かしくて、「読まん。」とすれば、目もくれ、いづれをそれとも見え分かず。胸に当てて、泣くばかりにてぞありける。「流れを立つる習ひ、『か程の志あるべし。』とは思はざりしを。優しくも見ゆるなりけり。」と思ふに、涙ぞ増さりける。
 「今宵はここにとどまりて、心静かに物語申すべきが、箱根への用意せさせ候ひて、暁、出候べし。聞き給ひぬるや、『これ等が孝養せよ。』とて、君よりは、所領賜はり候。世には、敵討つ者こそ多く候なれども、心ざま、人に勝るるにより、かやうの御恩に与り候。いかに言ふ甲斐なくとも、彼等が安穏ならんこそ嬉しくも。」とて、「これや、昔、上東門院の御時、和泉式部が娘、小式部内侍に後れて、悲しみけるに、君、『哀れ。』と思し召して、『母が心を慰めん。』と思し召し、御衣を下されしかば、和泉式部。
  もろともに苔の下にも朽ちずして埋もれぬ名を聞くぞ悲しき
かやうに詠みたりし事まで思ひ知られて、忝くおぼえ候ぞや。それに付き候ひては、この度の仏事、心の及ぶ程営むべきにて候。このほとりには、さりぬべき導師も候はねば、別当を導師に定め参りて候。五郎が事、忘れず御嘆き候へば、一しほ懇ろなるべし。暁は、伴ひ奉るべし。」とて、帰りにけり。
 虎は、母が後ろ姿を見送り、十郎が装ひ、思ひ出られて、これも名残は惜しかりけり。さらぬだに、秋の夕は寂しきに、一人臥せ屋の軒の月、涙に曇る折からや、折知り顔の鹿の声、枕に弱るきりぎりす。軒端の萩を吹く風に、古里思ひ知られつつ、時しも長き夜もすがら、明かしかねたる思ひ寝の、会ふ夢だにもなければや、片敷く閨の枕に、置き添ふ露の重なれば、うつつの床も浮くばかり。明け方の雁の、友を語らひ鳴く声も、羨ましくぞ思ひ遣る。よその砧を聞くからに、身にしむ風のいとどしく、鐘聞く空に明けにけり。

底本頭注
 一 虎曽我へ来りし事
 ・あらまし――末の事をあらかじめ言ふ事。
 ・「もろともに」云々――金葉集に見えて、二の句、「苔の下には」、五句、「見るぞ悲しき」とあり。

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校訂者注
 一 虎曽我へ来りし事
 ・賓雁、書を掛け、上林の霜に飛ぶ――底本、「彼岸をかけ、しやう林の霜にとふ」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・清き尼一人――底本、「せんき尼一人」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・御布施におもむけて候――底本、「御布施に思ひ向けて候ふ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

八 禅師法師が自害の事

 さても、この人々の弟に、御房とて十八になる法師一人あり。故河津の三郎が忌の内に、生まれたる子なり。母、思ひの余りに「棄てん。」とせしを、伯父伊東の九郎養ひて、越後の国九上といふ山寺に登せ、伊東の禅師とぞ言ひける。九郎、平家へ参りて後、親しきにより、源義信が子と号して、折節、武蔵の国にありけるを、「頼朝聞こし召し、義信に仰せ付けて召されければ、力なく、家の子郎等数十人下しし事、不憫なりし次第なり。大方、同じ兄弟とは申しながら、乳の内より他人に養はれ、しかも出家の身なり。これもただ、普通の儀なりせば、彼等まで御尋ねあるまじきを、兄どもの、世に超え、名を万天に上げし故ぞかし。」義信の使は本坊に来りて、かやうの次第を言ふ。
 禅師法師聞きて、「心憂や。弓矢取の子が、我が家を捨てて他の親につく事は、ゆめゆめあるまじき事なり。かやうの罪過は、その源を正されけるをや。同じ死する命、兄弟三人、一つ枕に討死せば、いかが人目も嬉しからまし。」今さら後悔すれども叶はず。仏前に参りて、御経開き、「読まん。」とすれども、文字も見えざりければ、巻き納め、珠数さらさらと押し揉み、「南無平等大恵、一乗妙典願はくは、法華読誦の功力により、刹那の妄執を消滅し、安楽世界に迎へ取り給へ。」と祈請して、剣を抜き、弓手の脇に突き立て、右手へ引き廻さんとする処を、同宿、早く見付けて、「これはいかに。」と取り付き押さへければ、「のき候へ。人手に懸からんより、清き自害をして見せ申さん。一つは同朋達の思し召さるる処もあり。空しく鎌倉へ送られん事、寺中、坊中の名折れなり。放し給へ。」と怒りけれども、大勢なれば力及ばず。その上、いよいよ弱り果てにけり。まことに心ならず、人あまたにて働かさず、自害、半ばにぞしたりける。無念と言ふも余りあり。御使は、庭上に充満して責めければ、力及ばず、上意もだし難くして、渡されにけり。口惜しかりし次第なり。御使、受け取り、輿に乗せて、鎌倉へこそ上りけれ。
 君、聞こし召されて、御前に召されければ、舁かれて参りけり。君、御覧ぜられて、「わ僧は、河津が子か。」と御尋ねありければ、禅師坊、前後も知らざりけるが、君の仰せを聞きて、両の手を押し動かし、「起き上がらん。」と志しけれども、叶はで、頭を持ち上げ、「さん候。伊東がためには孫候。」と申す。「さて、兄どもが敵討ちけるをば、知らせざりけるか。」「恐れながら、将軍の仰せとも存じ候はず。一腹一生の兄どもが、『親の敵討ち候。』とて知らせ候はんに、たとひ出家にて候とも、同意せぬ畜生や候べき。御推量も候へ。」とぞ申し上げたりける。
 君、聞こし召し、「汝が眼ざしを見るに、『頼朝に意趣あり。』と見えたり。事を尋ねんために召しつるに、粗忽の自害、所存の外なり。」「粗忽とは、いかでか承り候。既に御使賜はつて、『召し捕れ。』との御諚を承つて、その用意仕らぬ事や候べき。あはれ、兄どもが知らせてだに候はば、二人の者どもをば祐経に押し向けて、愚僧は一人にて候とも、君を一太刀伺ひ奉りて、後世の訴へに仕るべきものを。」とて、御前を睨み、言葉を放ちてぞ申しける。君、聞こし召して、「頼朝には何の意趣かありけるぞ。」「我等が先祖の敵、又は兄どもが敵にて候はずや。これにつきても、果報の勝劣ほど、憂き物は候はず。ただ御威勢に押されて、かやうに罷り成つて候。恐れながら、身が身にて候はば、源平両氏の戦ひに、いづれ甲乙候べき。」と申しければ、君は、暫く物をも仰せられず。
 ややありて、「猶も心を見ん。」と思し召しけん、「その手にても生きてんや。さも思はば、助くべし。」と仰せ下されければ、禅師承つて、からからと打ち笑ひ、「よくよく人とも思し召され候はずや。御助けある程ならば、いかでこれまで召さるべき。もし、『さも。』とや申さんを、聞こし召されんためか。まさなや。人によりてこそ、さやうの御言葉は候べけれ。口惜しき仰せかな。」とぞ申しける。御寮、聞こし召し、「この法師も、兄どもには劣らざりけり。助け置きなば、また大事を起こすべき者なり。よくぞ召し寄せたりける。」と思し召しける。禅師、重ねて申しけるは、「とても助かるまじき身、刹那の長らへも苦しく候へ。」と、頻りに申しければ、生年十八歳にして、終に斬られにけり。無残なりし次第なり。
 君、この者の気色を御覧じて、「剛なる者の孫は剛なり。あはれ、彼等に世の常の恩を与へて召し仕はば、思ひとどまる事もありなまし。弓矢取る者は、誰劣るべきにはあらねども、か程の勇士、天下にあらじ。」と仰せもあへず、御涙を流させ給ひしかば、御前伺候の侍どもも、袖を濡らさぬはなかりけり。

九 京の小次郎が死する事

 ここに、この人々に語らはれ、同意せざりし一腹の兄、京の小次郎も、同じき八月に、鎌倉殿の御一門、相模守の侍に由良の三郎が、謀叛起こして出けるを、「とどめん。」とて、由比の浜にて大事の傷を蒙り、曽我に帰り、五日を経ずして死にけり。「同じくは五月に、兄弟どもと一所に死にたらば、いかがよかるべき。」とぞ申し合ひける。

十 三浦の与一が出家の事

 三浦の与一も与せざりしが、幾程なくして御勘当を蒙り、出家してけり。
 人はただ、義と信との道をば、正しくすべき事をや。

底本頭注
 八 禅師法師が自害の事
 ・まさなや――けしからず。

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五 鬼王団三郎曽我へ帰りし事

 ここに、この人々の郎等に、鬼王、団三郎とて二人の者あり。彼等は、富士の裾野、井出の館より次第の形見を取り持ち、曽我の里へぞ急ぎける。されども、惜しみし名残なれば、心は後にぞとどまりける。げにや、幼少より取り育て奉り、「世にも出給はば、我々ならでは誰かはあるべき。」と人も思ひ、我も又頼もしかりつるに、かやうに成り行き給ひしかば、慕ひあくがれしも叶はで、泣く泣く曽我へぞ帰りける。
 思ひの余りに、道のほとりに暫し休らひ、富士野の方を返り見れば、松明多く走り巡り、ただ万灯会の如し。「今こそ事出で来ぬる。」と見えければ、「我が君の御命、いかが渡らせ給ふらん。」と、心もとなさ限りなし。「只二人ましませば、大勢に取り籠められ、いかに隙なくましますらん。今は御身も疲れ給ふらん。」と思へば、走り帰りて御最後を見奉らまほしきも、隔たりぬれば叶はずして、ただ泣くより外の事ぞなき。暫くありて、松明の数も次第に少なく、火の光も薄くなり行けば、「君の御命も、かくや。」と、火の光も名残惜しく思ひければ、道の辺に倒れ伏し、声も惜しまず泣き居たり。馬も生ある物なれば、人々の別れをや惜しみけん、富士野の空を返り見て、二、三度までぞいばへける。さてあるべきにあらざれば、遠近のたづきも知らぬ山中に、おぼつかなきは富士野なり。泣く泣く駒の口を牽き、「古里へ。」とは急げども、行きも遣られぬ山路の、末も定かに見え分かず。
 ここに、人の使と思しくて、文持ちたる者、後より急ぎ来る。団三郎、袖を控へて、「今宵、井出館には何事のありければ、松明の数の見え候ひつる。」と問ひければ、「さればこそとよ。知り給はずや。曽我の十郎、五郎といふ人、兄弟して一族の工藤左衛門尉殿を、『親の敵。』とて討ち給ひぬ。あまつさへ、御所の内まで斬り入りて、日本の侍達の斬られぬは候はず。手負ひ、死人、二、三百人もこそ候らん。されども兄の十郎は、夜半に討死し給ひぬ。弟の五郎殿は、暁に及び、生け捕られ給ひき。この人々の振舞は、天魔鬼神の荒れたるにや。かかるおびただしき事こそ候はざりつれ。かやうの事を、大磯の虎御前の妹、木瀬川の亀鶴御前より、大磯へ告げさせ給ふ御使なり。」とて、走り通りけり。
 二人の者ども聞きて、「仕損じ給ふべし。」とは思はねども、一期の大事なれば、心もとなく思ひ奉りしに、「何事なくて本意を遂げ給ひぬるよ。」と、嘆きの中の喜びにて、次第の形見を面々に奉りけり。

六 同じくかの者どもが遁世の事

 されば、この者どもは、我が家にも帰らず、高野山に尋ね登り、共に髻切りて、墨染の衣の色に心を成し、一筋にこの人々の後世菩提を弔ひけるぞ有難き。

七 曽我にての追善の事

 さても母は、子どもの返したる小袖を取り上げて、各々顔に押し当てて、そのまま倒れ伏し、消え入り給ひにけり。女房達、やうやう介錯し、薬など口に注ぎ、養生しければ、わづかに目ばかり持ち上げける。せめての事に、文を開きて「読まん。」とすれども、目もくれ心も心ならねば、文字も更に見え分かず。「恨めしや。わらはを。」とばかり言ひて、胸に引き当て、又打ち伏しぬ。ややありて、息の下にて口説きけるは、「まことに凡夫の身程、はかなきものは無し。この小袖を乞ひて、『長き世までの形見。』と思ひて、折節こそあるに、二人連れて来たり、乞ひける物を知らずして、『返せ。』と言ひけん悔しさよ。五郎も『限り。』と思ひてや、この度、強く言ひけるぞや。幾程なきもの故に、不孝して、年頃添はざりける悲しさよ。猶も心強く許さざりせば、一目も見ざらまし。久しく添はざれば、珍しくも頼もしくもおぼえしものを、せめて三日とも打ち添はで、名残惜しさよ。懐かしかりつる面影を、いつの世にかは会ひ見ん。」とて、声も惜しまず泣き居たり。いかなる賤の男賤の女に至るまで、涙を流さぬは無かりけり。
 二の宮の女房を始めとして、親しき人々は集まりて、泣き悲しむ事、なのめならず。思ひの余りに、母は十郎が居たりける所に倒れ入り、「ここにも住みしものを。」とばかりにて、憂かりし閨の傍らに書きたる筆のすさびを見れば、「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観。」とぞ書きたりける。我が身をありとも思はぬ口ずさび、見るに涙もとどまらず。この押板には、古今、万葉を始めとして、源氏、伊勢物語に至るまで、数の草紙を積み置きたれども、「今より後の慰びには、誰かはこれを見るべき。」と、見るに思ひぞ増さりける。
 文をば二の宮の女房ぞ、泣く泣く読み連ねける。聞くにつけても、心は心ともおぼえず。「人の習ひ、神や仏に参りては、命を長く、福、幸ひをこそ祈るに、この者どもは、ただ明け暮れ、『死に失せん。』とのみ申しければ、この度逃れたりとも、終に添ひ果つまじきぞや。それにつけても、箱王を年頃不孝して、添はざりし事の悔しさよ。それは、草の蔭にても聞け。まことには不孝せず。たとへば、法師になさんとせし事の叶はぬに、不孝と言ひしを、ついでなくして何となく月日を重ねしばかりなり。小袖、直垂を着せし事も、日頃に変はらざりしを、二の宮の女房の、着するやうにて取らせしを、まことと思ひてわらはをば、つらき者にや思ひけん。よし、なかなかに、今は嘆きの便りなり。打ち添ひ馴るる身なりせば、いよいよ名残も惜しかるべし。かくて我が身は、何にかは長らへ果てん。憂き命、あるもあられぬためしかな。」と悶え焦がれける。
 曽我の太郎も、「幼き時より取り育て、わりなき事なれば、実子にも劣らず。心ざま又さかしかりしかば、はいきやうちくていの思ひを成し、朝夕おろかならざりしかども、所領広からざれば、一所を分くる事もなし。その上、『御勘当の人々の末なれば、清げならんも恐れあり。』などと思ひし事も、夢ぞかし。今更、後悔、益なし。」とぞ歎きける。
 母は、日の暮れ、夜の明くるに従ひて、いよいよ思ひぞ増さりける。「惜しからざりし憂き身なれども、『彼等が行方、もしや。』と思ふ故にこそ、つらき命も惜しかりつれ。今は、浄土にて生まれ合ひ、今一度見ん。」とて、湯水を絶ちて伏し沈みければ、露の命も危ふくぞ見えし。親しき人々集まりて、「憂世の習ひ、御身一人の嘆きにあらず。さしも繁昌し給ひし平家の公達も、一度に十人二十人、目の前にて海中に沈み、九泉に携はり給ひし時の別れどもも、日数積もり、年月隔たりぬれば、さてのみこそ過ぎ候ひしか。今の世にも、或いは父母に後れ、或いは夫妻に別れ、又は親子兄弟に離れ、嘆く者のみこそ多く候へども、忽ち命を捨つる者なし。まことに、御子のために御身を捨て給はん事、さかさまなる罪の深さ、いかばかりと思し召す。『泣く涙も猛火と成りて、子にかかる。』とこそ聞きつれ。まして子のために命を失ひ給はん事、罪業の程を知らず。いかにも身を全くして、後世菩提を弔ひ給へ。」と、さまざまに申しければ、わづか湯水ばかりぞ聞き入れける。
 さてあるべきならねば、僧達を請じ奉りて、「成等正覚、頓証菩提。」とぞ取り納めける。母の弔はるべき身の、さかさまなる事に嘆き悲しみける。げにや、世の中の定めなき、涙の種とぞなりにける。箱根の別当も、この事を聞き、急ぎ曽我に下り、諸共に嘆き給ふ。「箱王が出し時の面影、愚老が涙の袖にとどまり、師弟親子の別れ、変はるべきにあらず。」とて、さめざめと泣き給ふ。その後は、持仏堂に参り、彼の菩提を弔ひ給ひけり。七日七日、四十九日まで怠らず追善あり。まことに弥陀の誓願は、十悪五逆の大罪をも、一念十念の力を以て、来迎引接し給ふべき、他力の本願頼もしかりけり。「この人々は、父のために身を捨てける志なれば、罪にしてしかも罪にあらず。その上、在世の時も仁義を乱さざりしかば、後の世までも、悪道へは堕在せられじ。」と、頼もしくぞおぼえける。

底本頭注
 七 曽我にての追善の事
 ・二の宮の女房――兄弟の姉。

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校訂者注
 七 曽我にての追善の事
 ・久しく添はざれば――底本、「久しく添はざしりに」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・養生しければ――底本、「養生じければ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・梅兄竹弟の思ひ――底本、「はいきやうちくていの思ひ」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・九泉に携はり――底本、「弓箭にたづさはり」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・成等正覚、頓証菩提――底本、「正等正覚、頓生菩提」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

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