江戸期版本を読む

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六段目

 あら、いたはしや、若君は、権現堂にましますが、革籠の内の疲れかや、又、せんもんの罰にもや、腰がいさせ給ふが、夜もすがら権現に祈誓かけさせ給へば、程なく元気つかせ給ひ、御前を罷り立ち、急ぎ給へば程もなく、東山清水寺に着き給ふ。御前に参り、「南無や大悲観世音。某を今一度、世に立てて賜はれ。」と、深く祈誓をかけ給ひ、二夜三日ぞ籠らるる。これはさて置き、ここに都、梅津の院と申すは、七旬に及ぶまで、御子一人もあらざれば、清水に詣であり、養子を授け賜はれと、深く祈誓をかけ給ひ、その夜は通夜と聞こえける。夜半ばかりの事なるに、有難や、御本尊は、枕上に立ち給ひ、「いかに、梅津。御身の養子になる児は、左の籠り堂にあるべし。」と告げ給ふ。梅津、夢さめ、かつぱと起き、「あら、有難や。」と、左の格子を見給へば、厨子王のおはします。梅津、なのめに思し召し、厨子王丸を伴ひ、館に下向と聞こえける。
 御所にもなれば、やがて御装束なされ、参内あり。梅津が養子継ぎ目の由を奏聞ある。一座の公卿、御覧じ、「いかに梅津の院の養子なりとも、昨日今日まで、がらんを数へし乞食非人、我等が対座に叶ふまじ。」と宣へば、厨子王、今申さではと思し召し、系図の巻物取り出し、扇に載せて上げ給へば、八條殿、巻物をさつと開き、拝見あり。「そもそもこの巻物と申すは、大唐にも始まらず、我が朝にても始まらず。天竺ほしの帝七十一代、本朝人皇五十四代、平親王将門に四代の孫、岩城の判官正氏の惣領、厨子王丸有俊判。」とぞ読み上げたり。帝、叡聞ましまし、「何、正氏が二男にてありけるか。何より以て不憫なり。本領なれば、奥州五十四郡下さるる。」厨子王、綸旨を頂き、「奥州五十四郡も、望みに候はず。丹後五郡を賜はれ。」と、重ねて奏聞ありければ、綸言再び返らねば、丹後五郡をも得さすとの綸言なり。厨子王、はつと[〇脱あるか]て、やがて御殿を罷り出、梅津の御所にぞ帰られける。
 それよりも若君は、まづ母上の御行方を尋ねんと、供人を引き具し、佐渡が島へぞ急がるる。程なく佐渡になりしかば、かなたこなたを尋ね給へば、さも浅ましき女性一人、鳴子の綱に手を掛け、粟の鳥を逐ひ給ふ。若君、立ち寄り聞き給ふに、さも浅ましき声音にて、「安寿恋しや。厨子王恋しや。ほやれ、ほう。鳥も生ある物ならば、逐はずと立つて得させよ。」と、涙と共に逐ひ給ふ。若君は聞こし召し、さては疑ふ処なし、疑ふ処なし。急ぎ埴生に跳んで入り、母上様に抱き付き、「厨子王、参りてこざあるわ。」母上は聞こし召し、「盲目、なぶり給ふか。」と、杖振り上げて打ち給ふ。若君、げに道理、理なりと、系図の巻物取り出し、母上の両眼に押し当て、「南無日本の諸神、母の両眼、平安ならせて賜はれ。」と祈り給へば、不思議や。潰れし両眼、明らかになり給へば、互にひしと抱き付き、これは、これはとばかりなり。御喜びは限りなし。
 さてそれよりも、母上をば都に送り、御身は三千余騎の御供にて、国分寺へ御入りあり。聖、見えさせ給はねば、所の者を召され、「いかに、汝ら。この所に僧はなきか。」と宣へば、当所の者、承り、「この三日以前まで、尊き聖の御座候が、御宿札を御覧じ、いづくともなく落ちられ候。」と申す。「その儀ならば、急ぎ具して参れ。」「承る。」と申して、程なく高手小手に縛め、引き据うる。若君、御覧じ、跳んで下り、縄切りほどき、「いかに、御聖。某は、いつぞや朱雀権現堂まで送り給ひたる、革籠のわつぱは某なり。」と、形見の袖を見せ給へば、聖、驚き、「さては、御代に出給ふか。」と、御喜びは限りなし。時に聖、宣ふは、「さるにても姉君様は、邪慳の太夫、責め殺すを、愚僧、拾ひて弔ひ申せし。」と、剃り髪を参らする。若君は御覧じて、形見を顔に押し当てて、「今は世に出た甲斐もなし。共に消えん。」と泣き給ふ。
 落つる涙の隙よりも、「太夫、召せ。」と使立つ。太夫、五人の子供引き具し、国分寺の白洲に畏まる。若君、御覧じ、「いかに、太夫。某を見知りてあるか。汝が内に召し使はれし、わすれぐさよ。何とて姉御をば責め殺してあるぞ。姉上、返せ、大夫。姉御、浮世にましませば、か程の恨み、よもあらじ。我、あだを恩にて報ぜん。大国なりとも小国なりとも望め。」とある。三郎、進み出、「あはれ、大国を賜はれかし。」と申す。君、聞こし召し、「願ふ処の幸ひなり。まづ太夫をこの白洲に、腰より下を掘り埋め、兄弟五人の奴ばらに、竹のこぎりにて首を挽かせよ。」畏まつて、やがてかくこそ行ひける。太郎、二郎は御許しあり。三郎に渡りける。三郎、のこぎり受け取り、「いかに、父。三一年中の念仏を、只今申させ給へ。」と、一挽き挽いては千僧供養、百に余りて六つの年、首は前にぞ落ちにける。君、御覧じ、「それそれ、はや暇取らせよ。」畏まつて御前に引き据ゑ、やがて首をぞ切りにける。
 その後、伊勢の小萩召し寄せられ、御喜びは限りなし。さて、それより母上諸共、本国に帰国あり。相馬の郡に御所を建て、再び富貴の家と栄え給ふ。千秋万歳の御喜び、めでたきとも中々、申すばかりはなかりけり。

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校訂者注
 ・「そもそもこの巻物と申すは、大唐にも始まらず、我が朝にても始まらず。天竺ほしの帝七十一代、本朝人皇五十四代、平親王将門に四代の孫、岩城の判官正氏の惣領、厨子王丸有俊判。」とぞ読み上げたり。――底本「『そもそもこの巻物と申すは、天竺ほしの帝に七十二代、大唐にては平しん王に五十四代、我が朝に渡りては、人王四代の朝臣、日本の将軍将門の御孫、岩城の判官正氏の惣領、厨子王丸有俊判。』とぞ読み上げたり。[この系図の巻の文、錯誤あるか。一本、そもそもこの巻物と申すは、大唐にも始まらず、我が朝にても始まらず。天竺ほしの帝七十一代、本朝人王五十四代、平親王将門に四代の孫、云々]」。

五段目

 さる間、御聖は、革籠のほとりに立ち寄り、「わつぱ、あるか。」と宣へば、「これにあり。」とぞ仰せける。聖、なのめに思し召し、革籠を下ろし、蓋押し開け、「いかに、幼い。御身はいかなる故により、かかる憂き目を見給ふぞ。」若君は聞こし召し、「今は何をか包み申さん。某と申すは、奥州五十四郡の主、岩城の判官正氏の二男、厨子王とは某なり。父正氏判官殿、御勘気蒙り、筑紫に流されまします由。余りに父の恋しさに、母を勇め奉り、都へ上る折節、越後国にて人商人にかどはされ、あの太夫が手に渡り、憂さの思ひをする事よ。」
 聖、聞こし召し、「さては、さやうの公達候か。某、送りて参らせん。」と、市女笠にて顔隠し、革籠の中にどうど入れ、連尺掴んで肩に掛け、まづ国分寺を立ち出て、あはれと誰か白雲の、立ち出見れば天の原、今中空に鳴神の、どんどろどろと歩めども、一夜泊まらぬ旅盗人、丹後と丹州の境なる、鬼が城とはこれとかや。茨細道はや過ぎて、花の浮木の亀山や、雲に流るる大井川、流れの末は、よも尽きじ。急がせ給へば程もなく、八町畷はや過ぎて、朱雀権現堂に着き給ふ。
 革籠を下ろし、蓋を押し開け、「いかに、若君。この御堂と申すは、いにしへもさの弓取の、御運を開かせ給ふなり。御世に出させ給ふべし。御暇申す。」とありければ、いたはしや、若君は、革籠の中より跳んで出、衣の袖にすがり付き、「命の親の御聖、丹後に帰らせ給ふかや。さらば、形見を参らせん。」と、地蔵菩薩を取り出し、御聖に賜びにけり。聖、御覧じ、「愚かなり、若君。今度の一命、愚僧が業ならず。これより仏、身代はりに立ち給ふ。よきに信じて掛け給へ。」「その儀ならば、守り刀を参らせん。」聖、押さへて、「それ、弓取の矢を放す法は無し。さ程形見のくれたくば、鬢の髪を一房賜べ。衣の片袖参らせん。」と、互に形見を取り交はし、互に涙を押さへつつ、聖は丹後へ帰られける。
 とにもかくにも、若君の心の内、哀れとも中々、申すばかりはなかりけり。

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校訂者注
 ・市女笠にて顔隠し――底本「人めがさにて顔かくし」。

四段目

 いたはしや、姫君は、太夫に帰らせ給ひける。太夫、見て、「いかに、しのぶ。汝は弟に増し、よき柴樵りて参りたり。どれ、弟は。」と申す。姫君、聞こし召し、「今朝、奥山へ参りしが、道に迷ひ候か。」と、さめざめと泣き給ふ。太夫、見て、「いかに、しのぶ。それ、涙にあまた、品があり。なんぢが涙は、山より弟を落とし、喜ぶ涙と見えてあり。いかに、三郎。あの女、責め問へ。」とぞ申しける。三郎、承り、いたはしや、姫君を、湯責め水責めにしたりける。これにも更に落ちざれば、大庭に、からこの炭をおこし、あなたこなたへ引つぱり、熱くば落ちよと責めにけり。責め手は強し、身は弱し。十六歳を一期とし、朝の露と消え給ふ。太夫、見て、「命もろき女かな。いかに、三郎。わつぱに追手をかけよ。」と、手勢を分けて追つかくる。
 いたはしや、若君。谷峯指して落ち給ふが、後をきつと見給へば、太夫が一門、向かひけり。今は叶はじと思し召し、既に自害と見えけるが、いや待て、暫し。姉御様の仰せもあるに、落ちて見ばやと思ひ、足に任せて落ち給ふ。かかる処に、里人に行き会うた。「いかに、里人。この辺りにさる寺はなきか。」「寺こそ候へ。国分寺。」と、語り捨ててぞ通りける。若君、聞こし召し、国分寺の縁の端にさしかかり、「いかに、御聖。後より追手かかるなり。影を隠して賜び給へ。」御聖、聞こし召し、「いかなる咎をしけるぞ。語れ。影を隠して得させんぞ。」若君、聞こし召し、「命ありての物語。まづ、影を隠し賜はれ。」御聖、げにもと、眠蔵より古き革籠を取り出し、その中にどうど入れ、縦縄横縄むづと掛け、二めん垂木に吊り置き、さらぬ体にておはします。
 早、太夫一門、国分寺に馳せ着き、「いかに、御聖。わつぱを出し給へ。」と言ふ。聖、聞こし召し、「何と候。一番の時の旦那と宣ふか。」三郎、聞きて、「時の旦那は、追つての事。まづわつぱ出し給へ。」聖、「今こそよく聞きて候。わつぱやらすつぱやら、番をせぬ。」とぞ仰せける。三郎、聞きて、「その儀ならば、寺を捜さん。」と言ふより早く、捜す所はどこどこぞ。大天井小天井、内陣、長押、庫裏、眠蔵、仏壇まで捜せども、わつぱは更になかりけり。「只この上は、大誓文を立て給へ。」聖は聞こし召し、「誓文ならば、立て申さん。そもそもこの法師と申すは、本国は丹州氷上の郡。七歳の年よりも、播磨の書写に上り、習ひ置きたる御経はどれどれぞ。華厳、阿含、方等、般若。大般若が六百巻。並びに薬師経、観音経、阿弥陀経、浄土の三部経。倶舎の経が三十巻、天台が六十巻。法華経が一部八巻二十八本、文字の数が六万九千三百八十四字に記されたり。この神罰、厚う深う蒙るとも、わつぱに於いては知らぬなり。」
 三郎、聞きて、「いかに、御聖。それ誓文は、日本の神々を立つるなり。それはお事の習ひ置きし、旦那たらしの経尽くしといふもの。大誓文を立てよとは、[この間、欠文あるべし。一本。大誓文をお立てあれ。いたはしや、御聖は、今の誓文だにも、物憂く思ひしに、又誓文を立てよとは、]今はわつばを出さうか。わつぱを出すものならば、殺生戒。誓文立つるは妄語戒。妄語戒は破るとも、殺生戒は破らじと、「いかにも誓文立て申さん。」と、それよりも御聖は、護摩の壇を飾られける。矜羯羅、倶利伽羅、不動明王を、まづさかさまに掛けられ、十二本の御幣を、護摩の壇に立てられしは、只誓文にてはなうて、太夫一門、調伏するとぞ立てたりけり。
 「そもそも敬つて申す。上は梵天帝釈、下には四大天王、閻魔五道の冥官、大さんぶく。下界の地には、伊勢は神明天照大神宮、外宮内宮合はせて百三十末社の御神、雨の宮、風の宮、月読、天の岩門は大日如来。浅間嶽には福一万虚空蔵。天の川の弁財天。熊野に三つの御山、大峯八大矜羯羅童子。高野に弘法大師。大和吉野に蔵王権現、木守、勝手。多武峯に大織冠、長谷には十一面観音、三輪の明神、龍田の明神。奈良は七堂大伽藍、春日は四社の大明神。山城に石清水、八幡は正八幡大菩薩、宇治に神明、伏見には御香の宮、藤の森に崇道天皇、祇園三社の牛頭天王、北野は天満自在天神。高き御山は愛宕山、鞍馬に大悲多聞天王。叡山に伝教大師、中堂薬師、麓に山王二十一社。海の面に竹生島。近江国に御多賀の明神。美濃国中屋の天王。尾張に熱田の大明神。三河国に矢矧の天王。遠江に杵築の大明神。駿河国に富士浅間。伊豆国に三島の明神、箱根の権現。相模に大山不動明王。武蔵国に府中六社の大明神。関東に、鹿島、香取、浮州の明神。出羽に羽黒の権現。奥州に塩釜六社の明神。越中に立山。加賀に白山。能登国に石動の大明神。信濃国に戸隠の御神。越前に永平寺。若狭に小浜の八幡。丹後に成相、切戸の文殊。但馬に一の宮大明神。丹波には小原八王子。河内国に誉田の八幡。津国に天王寺、住吉四社の大明神。阿波に焼山。土佐に三井の大明神。讃岐に金毘羅。伊予国に椿の森。播磨国に、一に平、二に荒田、三にさがみのほふしやうじ、いきつ島にさやの明神。備中に吉備津の宮。備前にも吉備津の宮。安芸国に厳島。筑紫の地に入りて、宇佐、らかにくもひこてん。全て神の惣政所は、出雲国大社。全て神の御数が、九万八千七社の御神。仏の数が一万三千余霊仏と記されたり。この神罰、蒙るべし。わつぱを隠すものならば、その身の事は、おんでもなし。一家一門六親眷属、七世の父母に至るまで、無間三悪道に堕とされ、浮かむ瀬、更にあるべからず。わつぱに於いては知らぬなり。」と、大誓文を立てられしは、身の毛もよだつばかりなり。
 太夫、聞きて、「一段、殊勝に候。」と申す。三郎、聞きて、「あの二めん垂木に吊つたる革籠、小揺るぎ揺りぎてあり。あれを見ん。」と申す。太郎は聞こし召し、「たとひ革籠の中がわつぱにても、今の誓文聞くからに、疑ふやうは無し。三郎、いかに。」と申さるる。三郎、聞きて、「太郎殿。何、道心ぶつたる御意見。そこ、のき給へ。」と、長刀の鞘外し、革籠を下ろし、縦縄横縄切りほどき、蓋を開けて見てあれば、有難や。肌の守りの地蔵菩薩、金色の光を放ち、三郎が眼に霧降りかかり、縁より下にこけ落ちたり。
 太郎、見て、「さてこそ申さぬ事か。」とて、革籠を元の如くに吊り置き、さて三郎は、兄弟の肩にかかり、由良の湊に帰りしは、面なき体とぞ見えたりけり。

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校訂者注
 ・この神罰、蒙るべし。わつぱを隠すものならば、その身の事は、おんでもなし。一家一門六親眷属、七世の父母に至るまで、無間三悪道に堕とされ、浮かむ瀬、更にあるべからず。わつぱに於いては知らぬなり。」と、大誓文を立てられしは、身の毛もよだつばかりなり。――底本「この神罰、蒙るべし。[一本、わつぱを隠すものならば、その身の事は、おんでもなし。一家一門六親眷属、七世の父母に至るまで、無間三悪道に堕とされ、浮かむ瀬、更にあるべからず。とあり。]わつぱに於いては知らぬなり。』と、大誓文を以て立て過ぎ、[大誓文以下、文字不明。一本、大誓文を立てられしは、身の毛もよだつばかりなり。云々]」。

三段目

 さる間、月日とどまらぬ習ひとて、その年もやうやう暮れに成りにけり。太夫、三郎を近付け、「あの姉弟の者ども、正月と言ふ事も選ばず、只明け暮れ、父母恋ひしと嘆くものならば、年中の焔の種となるべし。三の木戸の先に柴の庵を作り、年を取らせよ。」三郎、承り、三の木戸に庵を作り、年を取らする。姉弟、口説き給ふぞ哀れなり。「我等が国の習ひには、忌みや忌まれの者こそは、別屋に置くと聞いてあり。何の忌まれのなき者を、別屋に年を取らするぞ。いかに、弟。何と言ふとも、太夫に遂げて奉公なるまじぞ。この初山に出づるなら、山よりすぐに落ち給へ。落ちて世に出、めでたくば、姉が方へ迎ひの輿を賜はれ。」の、姉に落ちよ、弟に落ちよの問答を、三郎、小鳥を狙ひ、立ち聞きして、急ぎ太夫に参り、「三の木戸の姉弟が、落ちんとて問答を仕る。」と申す。
 太夫聞きて、腹を立て、姉弟を呼び寄せ、「いかに、三郎。いづくへ落ちても、太夫譜代の下人と呼び使ふやうに、額にしるしをせよ。」三郎、承り、天井より、からこの炭を下ろし、猛火、邪慳にあふぎ立て、しこのまろね取り出し、真赤に焼き立て、いたはしや、姫君の黒髪を、手にくるくると引ん巻いて、膝の下にかい込うで、かの焼き金を姫君の白毫に押し当て、十文字に当てにける。厨子王殿、姉御の焼き煙に驚き、表をさして出給ふ。三郎、続いて立ち、膝の下にかい込うで、金赤く焼き立て、若君の白毫に、十文字にぞ当てにけり。
 太夫、見て、「いかに、三郎。姉弟の奴ばらに、これより松のき舟のその下にて、年を取らせよ。」三郎、承り、姉弟を引き具し、浜路に下り、松のき舟の下に年を取らする。姉弟の口説き事こそ哀れなり。「あら、情けなの次第かな。さらば、食事も賜はらず。寒いかや、厨子王。」と、姉弟互に抱き付き、流涕焦がれ泣き給ふ。これは、さて置き、二郎殿、慈悲第一の人なれば、夜々、食事賜はりける。
 これは、さて置き、太夫は三郎を近付け、「浜路の姉弟、見て参れ。」承りて、浜路に下がり、ゆ舟を上げて見てあれば、いたはしや、姉弟は、土の色にぞなられける。それより三郎と打ち連れ、太夫が前に出給ふ。太夫、見て、「命めでたき姉弟かな。もはや山へも浜へも行け。」との御諚なり。姉君は聞こし召し、「いかに、太夫様。山へならば山へ、浜ならば浜へ、一所に遣りて賜び給へ。」太夫、聞きて、「いかに、三郎。姉を大童に成し、山へ遣れ。」「承る。」いたはしや、姫君の、黒髪をふつと切り、あつぱれ、よきわつぱと、下職の道具を渡し、山へ行けとの御諚なり。
 さる間姉弟は、下職の道具受け取り、山路をさして上らるる。いたはしや、若君は、姉御の姿を御覧じて、「髪がなければ、みともなや。さぞや、姉御の心細くおはすらん。」と、一人焦がれて泣き給ふ。姫君は聞こし召し、「髪もかたちも何ならず。姉弟打ち連れ、山へ行くこそ嬉しけれ。いかに、厨子王。肌の守り、地蔵菩薩、拝み申す事もなし。いざや、拝み申さん。」と、とある岩鼻に立て置き、姉弟は弓手右手に立ち別れ、「さてもさても、情けなや。母上様の仰せには、姉弟が身の上に、自然の事ある時は、身代はりに立ち給ふと承りて候に、この身の焼き金を、何とて逃し給はぬ。」と、恨みかこち泣き給ふ。何がさて、地蔵菩薩の事なれば、姉弟焼き金、一度にさつと取り給ふ。姉弟、目と目を見合はせ、地蔵菩薩を見給ふに、げにありありと取り給ふ。
 「か程希代の御仏を、恨み申せし。冥加なや。」と、元の如くに納め、「いかに、厨子王。このまま太夫に帰りなば、又据ゑんは治定なり。これよりすぐに落ち給へ。」若君、聞こし召し、「いかに、姉上。今度の焼き金さへ、世にも物憂く思ひしに、又落ちよと宣ふか。許して賜べ。」と仰せける。姫君、聞こし召し、「落ちよと言ふに落ちぬなら、今日よりしては勘当なり。」と、弟が鎌を奪ひ取り、ちやうちやうと打ち合ひ、谷にぞ下がらせ給ひける。
 若君、続いて走り寄り、「落ちよなら、落ち申さん。勘当、許し賜はれ。」と、すがり付いてぞ泣き給ふ。姉君は聞こし召し、「落ちんと申すか。嬉しやな。その儀ならば、地蔵菩薩を得さするぞ。いざや、門出祝はん。」と、遥かの谷に下がり、柏の葉を折り持ち、清水を汲んで酒と名付け、姫君、一つ酌み給ひ、厨子王に差し給ひ、姫君、仰せけるやうは、「いかに、厨子王。汝、落ちしものならば、追手懸からんは治定なり。しからば、近き在所の寺を尋ね、出家を頼み、隠るべし。はやはや落ちよ。」と宣へど、さすが姉弟の生き別れ、互に手に手を取り組んで、さらばさらばの暇乞ひ。谷峯隔てて落ち給ふ。
 姫君、後を見送りて、一人さかれて泣き給ふ。されども叶はぬ事なれば、柴のもすゑを拾ひ取り、太夫が元に帰らるる。姫君の心の内、物の哀れはこれなりと、感ぜぬ者はなかりけり。

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二段目

 これはさて置き、宮崎の三郎は、かなたこなたと売る程に、丹後の国由良の湊、さんせう太夫が元へ、七貫文に売りける。太夫、喜び、「名を付けて使ふべし。姉をしのぶと付くるなり。しのぶに付くは、わすれぐさ。弟をわすれぐさと付くるなり。まづ、姉のしのぶは浜に下がり、日に三荷の潮を汲め。又、弟のわすれぐさは、日に三荷の柴を刈りて参るべし。」と、桶と柄杓、鎌と籠を賜はりける。
 さる間、姉弟、下職の道具を受け取りて、太夫が家路を立ち出、山と浜とへ泣き別れ給ふ。さて、若君は、山の方にましますが、浜の方を打ち眺め、「いたはしや、姉御様。潮風に揉まれ、さぞ寒からん。」と、さめざめ泣いておはします。かかる処へ山人ども帰りしが、若君を見るよりも、「あれこそ、さんせう太夫が今参りのわつばなり。え樵らぬものならば、邪慳なる太夫に打たれんは、治定なり。いざ、柴勧進致さん。」とて、少しづつ刈り、「とてもの事に、いざ持つて得させん。」と、面々に柴の上に付け給ひ、重荷に小付けとは、この時よりも申すとかや。いたはしや、若君は、三荷の柴を太夫が元に付け給ふ。三郎、立ち出、柴を片手に引つ提げ、太夫が前に参り、「これ、御覧候へ。柴をよく刈りて候。」太夫、「その儀ならば、三荷の柴に七荷増し、十荷刈れ。」との御諚なり。
 さる程に、姫君は、涙ながらに浜路より帰らせ給ふ。若君、御覧じ、するすると走り寄り、「いかに、姉上様。山人の情けにより、今日の役は勤めしが、いつくしきを咎ぞとて、三荷の柴に七荷増し、十荷刈れとの仰せなり。三荷に詫びて給はれ。」と、さめざめと泣き給ふ。姉は聞こし召し、「さのみ嘆きそ。みづからも、浜人の情けにより、今日の役は勤めしなり。聞けば二郎殿、慈悲第一の人と聞く。三荷に詫びて得させん。」と、姉弟打ち連れ、二郎殿に参られ、程なく易う三荷に詫び給ふ。
 これはさて置き、三郎は、太夫殿に参り、「わつぱが柴、所の者、柴勧進と承る。某、触れん。」と云ふままに、白柄の長刀打ちかたげ、由良千軒の所へ、「さんせう太夫がわつぱに、柴を刈りて得さする者あらば、辺り七軒、罪科たるべし。」と触れたりける。
 これはさて置き、姉弟は、今日も浜と山とへ出給ふが、昨日に今日は引きかへて、柴勧進はなかりけり。若君、今は力なく、所詮、あつては甲斐もなしと、既に自害と見えけるが、待て暫し。浜にまします姉上様、御暇乞ひ申さんと思し召し、浜路をさして下らるる。姉君、御覧じ、「姉弟なればこそ、姉の迎ひに参るよ。」と、さめざめと泣き給ふ。厨子王は聞こし召し、「その事にて候。今日は、柴勧進も候はず。我が業に叶はねば、いかにもならんと思へども、姉御様に御暇申さんため、これまで参りて候なり。」
 姫君は聞こし召し、「それはまことか。嬉しやな。さて、みづからも桶と柄杓を浪に取られ、今は身を投げんと思ひしに、待てば待ち得た。嬉しや。いざや、伴はん。」とて、とある岩端に連れ上がり、「いかに、厨子王。今が限りでありけるわ。」と、互に目と目を見合はせ、涙と共に手を取り組みて、既に身を投げんとし給へば、いづくよりかは来たりけん、伊勢の小萩は押しとどめ、「心短気な姉弟や。みづからを太夫譜代下人と思ふかや。本国は伊勢の国、二見が浦の者なるが、この太夫に買ひ取られ、憂さの思ひをする事よ。姉が潮を汲み馴るるまで、みづから汲んで得さすべし。又、弟に柴を調へ得させんぞ。今よりしてはみづからを、太夫の内に姉を持つたと思ふべし。」姫、聞こし召し、「こは有難き言葉かな。御内に妹弟持つたと思し召せ。」と、妹弟契約なされ、その日の役を調へ、太夫が家に帰られける。
 伊勢の小萩が情けの程、上下万民押しなべ、感ぜぬ者こそなかりけり。

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