身を捨てて油壺
一人過ぎ程、世に悲しきものはなし。
河内の国平岡の里に、昔は由ある人の娘、かたちも人に優れて、「山家の花」と所の小歌に歌う程の女なり。いかなる因果にや、相馴れし男十一人まで、淡雪の消ゆる如く空しくなれば、初め焦がれたる{*1}里人も、後は恐れて言葉も交はさず。十八の冬より自ら後家立てて、八十八になりぬ。
さても長生きは、つれなし。以前の姿に引き替へ、頭に霜を頂き、見るも恐ろしげなれども、死なれぬ命なれば、世を渡る稼ぎに木綿の糸を紡ぎしに、松火もとけしなく{*2}、灯し油に事を欠き、夜更けて明神の灯明を盗みて、便りとする。
神主集まり、「毎夜毎夜、御灯し火の消ゆる事を不思議に思ひつるに、油のなき事、いかなる犬けだものの仕業ぞかし。忝くも御社の御灯は、河州一国照らさせ給ふに、宮守どもの無沙汰にもなる事なり。是非に今宵は付け出だし申すべし。」と内談固め、弓長刀をひらめかし、思ひ思ひの出で立ちにて内陣に忍び込み、事の様子を見るに、世間の人静まつて、夜半の鐘の鳴る時、恐ろしげなる{*3}山姥、御神前に上がれば、いづれも気を取り失ひける中にも、弓の上手あつて、雁股をひつくはへ、狙ひ澄まして放ちければ、かの姥が細首落としけるに、そのまま火を吹き出だし、天に上がりぬ。
夜明けてよくよく見れば、この里の名立ち姥なり。これを見て、一人も「不憫。」と言ふ人なし。
それよりも夜な夜な出でて、往来の人の心玉を失はしける。必ずこの火に肩を越されて、三年と生き延びし者はなし。今、五里三里の野に出でけるが、一里を飛び来る事、目ふる間もなし。近く寄る時に、「油差し。」と言ふと、忽ちに消ゆる事の可笑し。
校訂者注
1:底本は、「恋(こが)れたる」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)本文及び脚注に従い改めた。
2:底本は、「松火(ほ)もとけなくなくともし」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。
3:底本は、「おそろしけなる」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。