江戸期版本を読む

当コンテンツは、以下の出版物の草稿です。『翻刻『道歌心の策』』『翻刻・現代語訳『秋の初風』』『翻刻 谷千生著『言葉能組立』』『津の寺子屋「修天爵書堂」と山名信之介』『津の寺子屋「修天爵書堂」の復原』。御希望の方はコメント欄にその旨記して頂くか、サイト管理者(papakoman=^_^=yahoo.co.jp(=^_^=を@マークにかえてご送信ください))へご連絡下さい。なお、当サイトの校訂本文及び注釈等は全て著作物です。翻字自体は著作物には該当しませんが、ご利用される場合には、サイト管理者まご連絡下さい。

【翻字】
 世中は 等閑 なくて いんぎんに 有べきことや しかるべからん

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 等閑なきといふは念比(ねんころ) なる心也なへての人 には念比に成と必ず うやまひの気うすく成(なり) 行(ゆき)侍る事つねの事也 晏平仲(あんへいちう)よく人と交(まじは)り 久(ひさしく)して敬すと孔子もほ め給ひし也曲礼に賢者(けんしやは) 狎而敬之(なれてけいす)といへりしにも 通ふべし友だちの交り にも有べき事なり しかるべからん道なる べし

【通釈】
 世の中は、人と親しくしてしかも礼儀正しくするべきだというのが、望ましいであろう。

 「等閑なき」というのは「親しい心」である。普通の人は、親しくなると、相手を敬う気持ちが薄れていきますのが一般です。「晏嬰は、人と善く交際して、ずいぶん経ってから相手を敬う」と、孔子も褒めなさった。『曲礼』に「賢者は狎れて敬す」とあるのにも通じるはずである。(これは)友達同志の交際においてもそうあるべき事である。(人として)望ましい道であるだろう。

【語釈】
・等閑なし…日ごろ非常に親しくしている。心安い。
・いんぎん…真心がこもっていて、礼儀正しいこと。
・ねんごろ…心がこもっているさま。また、親しいさま。
・なべて…ひととおり。あたりまえ。普通。「なくて」と読めるが意味が通じず、ひとまず「なへて」と読んでおく。
・晏平仲…晏嬰。紀元前六世紀の中国の齊の名宰相。晏子と尊称される。『論語』に「晏平仲は人と善く交はり、久しうして之を敬す」(公冶長篇)とある。
・曲礼…『礼記』中の一編。
・賢者狎而敬之…賢者は人に対して、親しくなっても敬を失わない。

【解説】
 第三首目は「礼儀」の重要性について詠んでいると、注釈は説明しています。絵は、左手の傘を翳した貴族風の人に右手の人が地に両膝を突き背筋を伸ばし顔を上げて何か言っている姿を描いています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 兄弟(あにおとゝ) うやまひをなし はぐくむは 誰もかくこそ あらめ世中

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 あにおとゝと句を切 てうやまひといへる字 を兄をうやまふとい へる心に弟といへる 字にかけて見はごく むといへる字を弟を はごくむといへる心に 兄といへる文字に かけて見るへし是文 法なり注のこゝろは 前の哥にて見たり

【通釈】
 兄弟が、弟は兄を敬い、兄は弟を育むという関係であるのは、誰もそのようでありたいものである。この世の中は。

 「兄弟」と(ここでいったん)句を切り、「敬い」という字を「兄を敬う」という意味で「弟」という字に続けて見、「育む」という字を「弟を育む」という意味で「兄」という字に続けて(上の句全体は)見るべきである。これは(一つの)文法(に従った表現)である。注(として)の本質的な意味は前の歌の注(の中)で見てきたとおりである。

【語釈】
・心…物事の本質をなす意味。

【解説】
 第二首目は「兄弟」が思い合うことの重要性について詠んでいると、注釈は説明しています。絵は、左手に農作物らしきものを入れた籠を提げた兄が弟の手を引いている姿を描いています。二人が互いの顔を見ているのが、歌の心をよく表しています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 世中の 親に 孝ある 人はたゞ 何に つけても たのもしきかな

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 孝行の道きはめてひ ろし千変万化のこと ありて逐一にしるしがたし 孝経論語礼記などに 委(くはし)くしるし侍りき爰に 親に孝をなす内に子 をあはれむ道もこもり 侍る也又は人のうへはいふに 及ばず千里をはしる 虎狼(とらおほかみ)やけのにあさる 雉(きゞす)まで子ゆゑに命を 捨(すつ)るはいきとしいける ものゝなさけにやもし又 爰にいへる親に孝を なし兄に悌の道をつ くししたかふ心をもつて 君主につかへ弟をはご くみ子をあはれむ心を もつて民をつかひ侍らは
たとひ天下ををさめ 侍る共何のなしがたき 事のあらん是則何に つけてもたのもしく 誰もかくこそ有べき 世中の大綱領(こうれい)也

【通釈】
 世の中で親孝行な人というものは、何につけても頼りになることだなあ

 孝行の道はきわめて広く、千変万化であり、一々書きがたい。『孝経』『論語』『礼記』などに詳しく書かれている。親孝行の中に、子を慈しむ道も含まれている。又このことは、人間は言うまでもなく、千里を走る虎狼や焼野に漁る雉まで、子のために命を捨てるのは、生き物すべての情愛であろうか。かりに又以上のような、親孝行をし、兄に悌の道を尽くして従う心で、君主に仕え弟を育み子を慈しむ心で民衆を従わせるならば、たとえ天下を治めましょうとも、何の困難なことがあろうか。これがすなわち、何につけても頼りになる、誰もこのようであるべき、世の中の一大規範である。

【語釈】
・孝経・論語・礼記…いずれも儒教の経典。
・焼け野の雉…親が子を思う情の深いことのたとえ。
・悌(てい)…年長者に柔順に仕えること。
・綱領…物事の最も大切なところ。要点。眼目。

【解説】
 第一首目は「孝」の重要性について詠んでいると、注釈は説明しています。絵は、川のそばで瓢箪を持つ人物と、家の中で空を見ている人物が描かれています。「養老の滝」の伝説を描いたもののようです。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))


  

【翻字】

此世中百首絵抄は享保七壬寅のとし
梓(あつさ)に行はれけるか天明八戊申の年
都にて火にあひて失へるよし今は
得かたき事をうれひて予尊信の
あまり木に上(のぼ)し林崎文庫(ふみくら)に納て同志の
人々にも見せまほしうて物せしに
なんねかはくは人々詞(ことは)のひなひたるを
いやしとせす其(その)ふかき理(ことは)りを味ひて
正(たゞ)しき道に入のたよりとならむ
事をねかふのみ
天保六年乙未九月 伊勢内宮 車館大夫荒木田末真誌
川上葆書

皇太神宮一禰宜荒木田守武神主本系
天御中主尊-(此間八世)-天兒屋根命-(此間九世)-天見通命(垂仁天皇御宇奉仕荒木田氏之祖)-(此間十五世)-
-神主石敷---神主佐禰麻呂(荒木田一門氏人之祖)-(此間十六世)-守藤(一禰宜)-
         |-神主田長(荒木田二門氏人之祖)
-守元-守房(一禰宜)-守秀(三禰宜)-
-守武(一禰宜)
 号薗田長官文明十九年二月廿日任禰宜天文十年
 四月廿三日転任長官同十八年八月八日卒時年七十七

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 新撰菟玖波集 雑連謌
 さのみ心に 世をな いとひそ
 荒木田守武
 猶ふかく たつねは 山のおくもなし

【通釈】
 この『世中百首絵抄』は、享保七年に出版されたが、天明八年京都で火災に遭い(版木が)焼失したということで、現在は(本として)入手困難をであるのを憂い、私は尊敬のあまり、(再)出版して林崎文庫に納め、同志の人々にも見せたく思って(本書を)著した。できれば読者は(歌の)言葉が野鄙な点を卑しむことなく、その深い道理を味読して正しい道に入る機縁になることを願うばかりである。

 そんなふうにばかり世の中を嫌ってはいけない。
 (世を厭い、山中に)いっそう深く尋ね行くと、山の奥もない(。結局また人里に出てしまう)ものだ。(だから、)

【語釈】
・享保七…1722年
・天明八…1788年
・林崎文庫…内宮の文庫。
・大夫(たいふ)…神主・禰宜(ねぎ)など神職の呼称。・天御中主尊…日本神話における造化三神の一柱。『古事記』においては最初に現れる神。
・天兒屋根命…岩戸隠れ神話に登場する神。中臣連の祖神。
・天見通命…荒木田氏の祖神。
・垂仁天皇…第十一代天皇。記紀では在位九十九年、寿命が百四十年、百五十三年と長く、実在は疑問視されている。
・文明十九年…1487年。

【解説】
 「附」として、本書が享保版『世中百首絵鈔』の改版である理由と出版の経緯、「世中百首」の作者・荒木田守武の系譜および連歌の代表作、肖像画が載せられています。
  

【翻字】
世中(よのなか)百首絵鈔(ゑせうの)序
此百首伊勢太神宮の一の祢宜(ねぎ)薗田(そのだ)長官荒木田(あらきだの)
神主守武(もりたけ)の作れる所なり其身神事に
供奉(ぐぶ)し朝廷奉祈のひまひま明窓浄机に
よりてもろこしの書(ふみ)をならひ敷島の
道を好みて詠吟たゆることなく連歌の
奥儀にも通して新撰菟玖波(つくば)集に
えらひ入らる又誹諧(はいかい)の趣意にも精(くは)しく

して其句を金玉になそらへ世の人(しん)
口(こう)に語りつくものおほしかるかゆへに
誹諧の士其道の祖とあふけりことに
大永の比(ころ)一夜に百首の和哥を詠し
て子弟にさつけ庭訓(ていきん)となし給へり
其詞(ことば)のされはみたるは愚(をろか)なる童(わらは)賎(いやし)き
奴(やつこ)まても口に唱へ心に味ひてさとしや
すく日用の教訓となりなむことを思へる

なるへしかつ巻頭に孝は百行のもと
たることを知らせ専(もはら)五常の道をのへ
て一首ことに世間(よのなか)の二字ををきて
世中百首と題せらるにておもふ世諺(せけん)
に伊勢論語と称せるもまた宜(むへ)なら
すや此国神国神聖のおほむをしへ異域周
孔の深きのりにもたかふことなからまし
僕(やつかれ)近者(ちかころ)親筆(しんひつ)の百首を求めて拝吟

せりつくつく思ふに連城の珎(たから)夜光の璧(たま)も
いたつらに篋(はこ)におさめぬれは世に其光なし
此ゆへに詞の心を註して画図にあらはし
守武神主の系譜をよひ肖像をのせて
これを梓(あつさ)に彫(えり)て広く童蒙に便りせは
誠に忠孝の道しるへならむと講古堂
にをいて校正なしおはんぬ

【通釈】
 この百首は、伊勢大神宮の一の祢宜、薗田氏で長官であった荒木田守武神主の作である。彼は神事に供奉し、朝廷奉祈の職務の暇々に、読書して中国の書物を学び日本の神道を好んで、常に詩歌を詠吟し、連歌の奥義にも精通して新撰菟玖波集にも入選した。又俳諧の趣意にも詳しく、その句を金玉になぞらえ、世間で語り継がれる作品が多い。ゆえに、俳人たちは俳諧の祖と仰いできた。特に、大永年間に、一夜に百首の和歌を詠んで子弟に授け、家庭教育の教えとなさった。その言葉が冗談めかしているのは、愚かな子供や身分卑しき下僕までも、口に唱え心に味わって教え諭しやすく、日頃の教訓となることを考えたのであろう。かつ、巻頭に「親孝行はすべての善行の基本」であることを教え、もっぱら仁・義・礼・智・信の五常の道を述べて、一首毎に「世間(よのなか)」の二字を置いて「世中百首」と題されたことで想像するに、世の中でこれを「伊勢論語」と通称するのもまた当然ではないか。この国は神国であり、神聖な御教えは異国である中国の儒教の道徳にも異なることはないであろう。私は最近親筆の「世中百首」を入手して拝吟している。つくづくと思うのに、「連城の璧」とされた「和氏の璧」や「夜行の璧」といった最高の宝物も、箱に収められていたら世間にその価値は知られない。だから、「世中百首」の歌の精神に注釈を加え、それを絵に描き、守武神主の系譜と肖像を載せて出版し、広く子供たちの学習の便宜を図れば、実に忠孝の道標であろうと、講古堂において校正を終えた。

【語釈】
薗田…伊勢神宮内宮の神官の家系であった荒木田氏の一氏族。守武は薗田氏中川姓であった(『俳諧名家列伝』)。
長官…内宮の祢宜十人中第一の者の称。
明窓浄机…読書や執筆に適している場所。
新撰菟玖波集…室町時代後期の准勅撰連歌撰集。1495年成立。
大永…1521~1527年
庭訓…家庭教育。家庭での教訓。
やっこ…下僕。しもべ。
孝は百行の本…親孝行はすべての善い行為の基本になるものだ(『後漢書』)。
五常…儒教で、人が常に守るべきものとする五つの道。仁・義・礼・智・信の五つの道徳(『漢書』)。
周孔の深き則…周公旦と孔子の遺した深い道徳規範。儒教を指す。
連城の璧…無上の宝(『史記』藺相如伝)。
夜光の璧…昔、中国で、暗夜にも光ると言い伝えられた宝玉。
梓に彫る…昔、中国で版木に梓を用いたことから「本を出版する」意。
童蒙…幼くて道理がわからない者。
講古堂…伊勢山田の書肆。

【解説】
 著者及び「世中百首」、本書の主旨等を説明しています。神国日本の内宮神官である作者の説く道徳が、中国の儒教の徳目を骨子としている点を、何とか合理化しようとしています。神道が思想として本来的に脆弱であったことと、儒教的倫理観が当時いかに絶対的・支配的であったことが、この序の説明からうかがい知れます。

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