源氏物語に就て
依田百川
源氏物語と云ふものは実に我国に於きまして無双の名文であります、尤も此外に古事記六国史{*1}、令、格式等結構の書物は沢山ございますが、それは自ら類が異りますので文章の面白くして能く人情世態を尽し極めて微妙なる所まで至つて居るのは源代物語より外はないと思ひます、勿論万葉集の歌の如きものは古い時代よりあるものでございますから人情世態を能く尽しては居りませうけれども、文章としては先づ源氏物語を国文の第一と思ひます
私は固より漢学者でありますから国典には甚だ疎うございまして、源氏物語の中の言葉又は故実などには通じて居りませぬ故それをお話する訳には迚も参りませぬが、茲に少し御話して見たいと思ふのは外ではありませぬ、一体私は若い時分より小説を読むことを好みまして、最初は一九、三馬、京伝などの書きましたものを数々読みましたが、それより後馬琴の著述が極く好きで、馬琴の著述には八犬伝、弓張月、其他読本(よみほん)草双紙といひますものが殆ど数へ知られぬ程沢山ありますから、残らず読んだと云ふ訳ではありませぬが先づ大略は読尽しました、其頃は十六七歳の時代でありましたがそれより漢学を専ら修めました為に経書歴史を読むひまに支那の小説を好むで読みました、誰でも知つて居るのは西遊記、演義三国志、水滸伝、それから余程読難くいのは金瓶梅でありますが{*2}、是等の小説類を読みましてから深く小説の面白味を覚えたのであります、其後に至りまして源氏物語を読んで見ました、尤も私は前にも申しました通り国典には疎い方でありますから読むだと申しても僅に湖月抄位のものでありまして、それより後萩原広道の源氏評釈を読むで面白く感じました、それまでは湖月抄、河海抄、花鳥余情と云ふやうな註釈物を読むで居りましたが、要するに言葉や何かを註釈してあるに過ぎぬで{*3}、全体の源氏物語の趣向を評したものでなかつたが.広道の評釈は前の物から見ると余程超出して居りました、それゆゑ是は面白いと思うて読みましたけれども惜しいことには花の宴までしかない、併し巻首の段には大体は論じてありますから広道の見識は窺知することが出来ました{*4}、又評の加へ方もありふれたるものより面白く思はれました、それから玉の小櫛を読むで見ましたが流石は立派な先生の筆を操られたものゆゑ結構なものてあるが奈何せむ、彼の先生などは小説と云ふものをそれ程読まないと見えて小説眼を有つて居ない為か私共は余り感服しない、源氏物語は紫式部が小説を多く見て其上書いたものでありますまいが、不思議に思ひますることは、我識見と云ふものが高い――前にも申した通り支那にも色々の小説がありましたが其中に紅楼夢と云ふものがあります、それは清朝に出来ましたもので源氏物語よりは数百年も後のものであるに、不思議にも此紅楼夢の趣向が源氏物語に似て居りますことで、是とても支那人が源氏物語を見て書いたものではありませぬ、又金瓶梅と云ふものは卑猥のものではありますが趣向が源氏物語に髣髴として居る、それはどうかと云ふに因果応報の道理と云ふやうなことが主となつて居る一事であります、紅楼夢も因果応報を主として出来て居る、それで源氏物語の主になつて居る所が亦即ち因果応報であつて{*5}、其点が私の常に論ずる所である、源氏物語は光源氏の君が主眼となつて居まして其書方と云ふものが、先づちょつと見ると情の深い、如何にも慈悲のあるやうに見えます、けれども全部の趣向をズーツと考へて見ると豈図らむや、光源氏は善人のやうではあるがそれが思はず知らず感情の上から罪悪に陥つて居るやうに書かれてある、
然らば紫式部がさう云ふ心持で筆を下したかどうかと云ふに私の考では必ずさう云ふ心持で書いたものと思はれる、是まで源氏物語を読むだ人も左程に思はなかつたやうで、玉の小櫛には物のあはれを知らせる為に書いたと云つて居る、あはれと云ふことは感情で、感情と云ふものは多くは男女の色情から起るものであるが、それを見せる為に書いたものだと云ふやうに論じて居ります、私の言うやうに情の為に罪悪に陥つたことを知らせたものだと云ふ意味で評したものはないやうである、広道の評もさうは見えない{*6}、
併し是は私の僻論であるかも知れず、佐々木さんとは御懇意でありますが、佐々木さんは国典の専門家でありますのに、其専門家に向つて斯う云ふことを論ずるのは出過ぎたやうでありますけれども、自分の考にありますことゆゑ、常に口より出ます為に今日はどうしても言はなければならぬ場合となりました、依つて今其考のある所を御話して見やうと思ふので有ます、源氏がどうして罪悪を犯して居るかと云ふ事は、私の得意の見だから述べなければならぬ、源氏物語の一部を読んだ人は能く知つて居るであらうが、源氏の人物はどうかと云ふに桐壺の帝の皇子で、源姓を賜つて居つた人で、名はございませぬが、源氏を賜はつて居つた人と見れば間違ない、然る所が此人が如何にも材もありえらい人物で――高麗人(今の朝鮮人)が見て此人は帝の位に即いてはよく無いが非常にえらい人物であると言つて賞めたと云ふ事が書いてある――表面は賞めたやうに書いてある併ながら行状は甚だ正しくないのであります、自分の親の帝桐壺の帝の寵愛せられて居る藤壺の女御と云ふのがあります、其人が絶世の美人であつたので、それに想を懸け遂に密通すると云ふことが書いてありますが実に怪しからぬ訳であります、それで女御が懐胎したときに知らぬ顔をして居つて遂に其生れた子を兄の朱雀院の世継にさせて{*7}、後に太上天皇の尊号を受けることになつたと云ふことは途方もない話であります、それは別に悪事を為さうとした事でなからうと書いてあるが、ソコが見所であつて、人は誰も今から悪人にならうと思つてなる者はない、自ら感情の上から引込まれて悪人となるのである、源氏の君も亦自ら悪と知らず罪業に陥つたのではあるが太上天皇の尊号を受くると云ふ事は甚しい訳で有ます、自分にそれだけの功業があれば宜いが、自分の子と知つて居りながら――別に企みもなかつたでありませうが、竟いそれを朱雀院の世継にして仕舞ふと云ふ事は罪悪も甚しいことである{*8}、他の註釈にも出て居りますが、秦の始皇は本統の先帝の子でなく呂不韋の子で、それを遂に帝に立てゝさうして自分が父と敬はれる位に昇つたが後に殺されて仕舞つた、此事は史記に載つて居るから紫式部も見ましたらうが、光源氏を呂不韋に見立てゝある、又其外に朧月夜内侍に通じ或は伊予介の妻の空蝉に通ずることも書かれてある{*9}、何れも甚しい所業であります、それを書き方が妙で優美の風に筆を下してある所が実に紫式部に感服する所であります、
併し人は好むで悪人になるものはなく思はず知らず悪に陥りますので、例へば賄賂を取つて罪業に陥る人もあるが、それは初めから賄賂を取つて悪業に陥らうと思つては居らぬ、困窮するとか、或は此位のものは取つても宜からうと思ふ所から{*10}、知らず識らず悪業に陥り、自ら省みれば最早いつの間にか悪人になつて居ると云ふやうな訳であります
是より源氏に付きまして因果応報のある所を御話致しますが、天はどうして悪人を罰するかと云ふに、奇妙な罰し方をやるものである、前の源氏の御話がズーツと後になると斯うなつて来る、源氏の御台所に紫の上と云ふものがある、然る所が紫の上は表面から娶つた妻でなく内証ものである、所が昔は姪を娶ると云ふやうな事が格別やかましくなかつたものと見えて、朱雀院の妾腹の子に女三の宮と云ふものがありまして、それは三人目の御娘子で内親王でありました、そこで源氏の君は之を妻とすれば身分も高くなると思ふ所から頻りに懇望された――もつとも本文では朱雀院よりたのまれたとあるが前後のことを考へますと私はどうもさう思はれる{*11}、又朱雀院も御自分が遁世をなされたから、女三の宮を誰ぞ確かな人に預けなければならぬと思ふて、色々考へた所が源氏の君には紫の上はあれど本統の御台所でありませぬから、之に縁付けても差支なからうと云ふ所から、女三の宮を源氏の君の御台所にした、先づそれまでは大層宜かつたが、此女三の宮と云ふ御方は縹緻は優れて美しいけれども、気質が劣つて居る方で、俗に申す薄馬鹿と云ふやうなものであつた……是から禍が起るのである、それがどうして起るかと云ふと源氏の君は昔御自分の懇意に致した頭の中将即ち後には太政大臣となる人の子に柏木の衛門督と云ふ者があつて、是が初め女三の宮を貰はうと思つて居つた、然るに源氏の君に縁付きましたので、甚だ面白からず暮して居りました、思に堪へ兼ねたものと見えて、恐多いことながら何かの手続を以て女三の宮と密通に及むだ{*12}、然る所それが源氏の君に知れて心中に憎らしいと思つて燃え立つやうに憤つて居りましたが、之を表立つると自分の外聞に関することで、殊には兄の寵愛の姫君であるから、表立てゝは兄に気の毒でならぬゆゑ、包み隠して居なければならず、さればと云つて憤怒の情は抑へきれず、如何にも内心の苦みと云ふものは非常でありましたらうと思ひます、是で即ち前に自分が藤壺の女御に密通した応報であります、併し桐壺の帝は自分の御寵愛の藤壺に源氏の君が通じて居る事は知らぬゆゑ{*13}、腹も立てずに済みましたが、源氏の君の方はさうでなく、確かに艶書を見て女三の宮が密通して居ることを知つて居りましたから、内心の苦みはいかばかりでありましたらうか……それも宜かつたが遂に又柏木の衛門督の子を女三の宮が懐胎に及んだ、けれども之を生むときは姦夫の子となる、姦夫の子なれば罰しなければならぬと云ふことになるから、どうも之を表向きにする訳にいかぬ、自分の恥辱のみならず兄にも許多の苦みを与へる事になるから伏せて置かなければならぬ{*14}、そこで無念ながらも姦夫の子を我子としましたが、是が後に薫の中将となるのであります、こゝに至つて因果応報の理が明かであります、又柏木の衛門督の方はどうなるかと云ふと、之にも大なる応報があつた、其訳は源氏の君が五十の賀の時に柏木は病気でありましたが{*15}、其病気は何かと云ふと自分が源氏の君の御台所の女三の宮に通じたことが顕れて居るから顔出しはならぬ{*16}、けれども之を表に顕はして斯うと云ふ訳には参りませぬから{*17}、病気と言つて引籠つて居たが源氏の君の賀の宴にはどうしても出なければならぬ事となりました、病を忍むで出ました所、其時は別に何も変つた事もなかつたが、唯源氏の君より御盃を下さる折にジロリと睨まれた、其眼付きを大変に恐ろしく感じて、それより脳を病まして病気が重くなり、終に死する事になりました、茲に至つて又因果応報の道理が明かであります{*18}、知らず識らず罪業を犯した者が自ら苦しみを受くるに至ると云ふ源氏物語に付ての私の所感は大略以上述べました如くであります。この源氏といふものは、実に長いものでありますが{*19}、照応もあり、起伏もあり、首尾もあり、抑揚もあつて、文法にはよくはまつたものであります{*20}、殊に妙なのは、源氏の死ぬところを、雲隠の巻として、わざと欠けたようにしてあります、こんな奇妙不測なかきかたは、支那の書物にとんと無い趣向であります、又西洋の小説にも、かように飛び離れたかき方は無いと申事ですが{*21}、わたくしは横文字をよみませんから、よくは知りませんが、この一巻をわざと欠いたのは何とも申されません手段で、実に鬼神不測の文章であると、思ひます、文字によつて文を作る事は、あります、丸で文字を用ひずして文を作るといふ事は、古今無い天才と申べしと存じます{*22}、まだいろいろ奇妙な趣向があります事を発明してありますが{*23}、あまり長くなりますから。まづこゝらで(佃速記事務所員速記)
校訂者注
1:底本は「古筆記」。誤植と見て訂正。
2:底本は「金瓶梅てありますが」。誤植と見て濁点を補った。
3:底本のまま。
4:底本は「出来ました又評の」。脱と見て読点を補った。
5:底本は「それで源氏語の主になつて」。脱と見て一字補った。
6:底本は「広道のの評も」。衍字と見て一字削った。
7:底本は「懐胎したときに 知らぬ顔を」。空白を一字分削除した。
8:底本のまま。
9:底本は「朧月夜内侍に通し或は伊予介の妻の空蝉に通することも書かれである」。誤植と見て、二ヶ所濁点を補い、一箇所濁点を削除した。
10:底本は「取つても宜いからう」。衍字と見て一字削った。
11:底本は「たのまれたとあるか」。誤植と見て濁点を補った。
12:底本は「恐多いことなから」。誤植と見て濁点を補った。
13:底本は「通して居る」。誤植と見て濁点を補った。
14:底本は「置かなけはならぬ」。脱と見て一字補い、誤植と見て一箇所濁点を補った。
15:底本は「ありましたか」。誤植と見て濁点を補った。
16:底本は「通したことが」。誤植と見て濁点を補った。
17:底本は「斯うと云ふと訳には」。衍字と見て一字削除した。
18:底本は「明かてあります」。誤植と見て濁点を補った。
19:底本は「長いものてあります」。誤植と見て濁点を補った。
20:底本は「はまつたものてあります」。誤植と見て濁点を補った。
21:底本は「飛ひ離れたかき方」。誤植と見て濁点を補った。
22:底本は「存します」。誤植と見て濁点を補った。
23:底本は「またいろいろ」。誤植と見て濁点を補った。
