【翻字】
世中にわろき 心をもちぬるや 我はわろしと おもはざるらん

非をさとり過を悔(くひ) 改むるほど芳(かうは)しき ことはあらじ諸人 わろき心をもつものに 限りて其人必ず我は わろしとはおもはぬ ものなりける故に 前非を改むる時節 なくして一生涯わろ き心にて終(おは)るなれば 早くも己が身の非をしれかし
【通釈】
世の中で悪い心を持っている者は、自分は悪いとは思わないであろう。
非を悟り過ちを悔い改めるほど、心引かれる立派な事はない。大勢の人の中で悪い心を持っている者に限って、自分は悪いとは思わないものであるから、過去に犯した悪事を改める時もないままに一生涯を悪い心のままに終えてしま(い、そうなると取り返しのつかない人生になってしま)うから、(そういう者は)できるだけ早く自分の非を悟りなさい。
【語釈】
・かうばし…望ましく思う。心が引かれる。
・前非…以前に犯した過ち。昔の悪事。
・前非…以前に犯した過ち。昔の悪事。
【解説】
第三十九首目は、「悪人は己の悪を自覚しない」ことについて詠んでいると、注釈は説明しています。歌には教戒の意味は直接には表現されていませんが、注者は「だから、自分の非に早く気付け」と戒め、教訓としての意味を強調しています。
絵は、襖で半ば仕切られた二つの座敷で、男同士が共にひそひそ話をしている場面を描いています。彼らは人の悪事を噂しているのか、それともこうしたひそひそ話こそが悪事だという意味であるのかは判然としません。本書の挿絵の傾向から考えると後者でしょうか。「悪き心」を視覚化するのであれば、そういう人物あるいは行動を描けば足りますし、人の噂する姿によってそれを表現するにしても、あえてそれを男同士のひそひそ話として描く理由は考えにくいように思います。男子たる者が陰口や内緒話をする事を良しとしない価値観から、このような絵になったのではないでしょうか。あるいは、歌との関係がそもそも弱いのかもしれません。