此の寿永二年の秋には、世の中騒がしかつた。日記(後半の部)には、
なべての世の中、いひ知らず恐ろしき事のみひまなくて、俄かに常盤殿に渡りおはします。程もなく都の方に煙たちて、人のいひ騒ぐこと、まことそらごと数限りなく、其の故と思ひわかねど、移り変る世のはかなさなど、さまざま目の前に見えし秋、蓮華王院の西にありし御所へ、院帰らせおはしまして、此の御方にもおはします。人の心もひきかへ、神代の始などを聞く心地して、
とあつて、作者は日本の歴史のうつり変りを目にまざまざと見たのである。さうして日記には後鳥羽天皇が皇位を御継承し給ふ事に定めさせ給うた御次第を記し奉つてゐる。
かくて八條院には建暦元年六月崩じ給ひ、年頃深く頼み奉つてゐた御蔭におくれ参らせた嘆きは、忘れる世もなく、御面影のみ恋しう心細う忍び出で奉り、限りの御事に仕へ奉つた事を嬉しき契りと感激するのである。
志深かりし宮仕の甲斐ありて、思ふほいたがへず、限りの御事を居立ち仕う奉るは、契り嬉しき方もあれど、例ならずおはしつる、日頃よりも、何とか、そのかみの御有様に立ち返り、うつくしう見えさせ給ひしを、宰相殿と二人、御衣たてまつらせ更へなどする迄はなほ名残ある心地す。浅からぬ宮仕の志とては、あだならずしたため参らせむ事を、我も人もいとなむにぞ、又かきくらし悲しき。
次に春華門院の御上に及び奉り、「御湯参らせ、御ぐしたれ参らせ」など、一心不乱に御養育申上げた次第を記し、
夜とて暫し打ちまどろむ事なく、御殿篭りたる程は、御乳を参らせんと、御乳の人の飽きたげに思ひたるまで言ひそそき、昼になりぬれば、つゆのことも危からじと、片時も覚束なく、いふ甲斐なき我が目放ち参らせんは、うしろめたく覚束なく思ひそめ参らせしに、
といふやうに、真心を捧げて奉仕したのである。二葉の御程より世に類なく、限りなき御有様にて、「はかなき御遊びにつけても、有難う美しう、人に似ず生ひ出でさせおはしましし嬉しさに心をときめきさせてゐたのである。又、
なめげなれど、心の及ぶ限り、申し教へ参らせし事を、つゆもたがへさせおはしまさず、如何なる人の申す事も、先づ忍びて召して、仰言ありあはせし御うつくしさの、さかしからず、不覚ならず、まさなからず、故よしも人に過ぎて、限なかりし御有様も、なべて御物づつみに、もて隠させおはしましたりし御もてなしの、此の世に類あるべうも見えさせおはしまさざりし美しさを、
かくの如く、目の前にありありと忍び奉る御美しさ、如何にせんと心も乱れるのである。
日記の後半は、春華門院御薨去の次第から書き始め奉つてゐる。作者は不吉な夢を見たが、夢は人に語れば忌むとかや聞きしにつつみて、ただ朝日ばかり祈り念じつつ過してゐると、其の後も夢見がわるいので、心の及ぶ限りかたがたに御祈をさせ、又侍らひ合ふ人々にも御祈の事のみ申し遣したが、人はさしも思ひ参らせず、ただ御祓への行幸の御桟敷の事のみ心をつくしてゐた。作者は例の身の上を顧みぬ性質から、自分などの申し出づべき事でもないが、二位殿に参りて思ひし事ども(門院のこもりおはしますべき事か)を申上げた処、其の御幸のとどめられた事を限りなく嬉しく思つた甲斐もなく、例ならぬ事さへ出で来て、人は何とも思ひ参らせぬが、作者の見奉る所では、御案じ申上げなくても済むやうな御気色には拝されない。
いくばくの日数、ことなる御悩みにもあらぬに、殊の外に重き御気色をのみ見まゐらするに静心なく、心一つを砕きつつ、あなたこなたへくるくると参り歩き、宜秋門院へも様々申ししかど、数ならぬ身一つのみ苦しくて、近きも遠きも驚かせ給ふ事もなし。あの御方より参らるる人々にも、こと人の聞きあはれぬ折は、唯我が見まゐらするやうに申せば、人々まゐりて、また御尋ねある折は、まづかくは誰が申したりけるぞ申したりけるぞと、腹立ちあはれたる度には、尼(作者)こそは申し候ひつれといらふれど、さすがに打ちなどはせず、ただ限りなく憎しと思はれたり。
かやうに、作者は一人で心を砕くのであるが、ことさら御重態のやうに作者がいひふらし参らせてゐるやうに誤解されるのである。十一月六日にも各々言ひ合せて、今日は良くおはしますとかやと申されたので、作者の言は「そらごと」になつて了つたのである。処が其の夜より、
御足の浅ましく冷えておはしますに、物も覚えず。御祈も何事も、心のままならん所にて思ふさまに申さばや
と、心一つを砕くが、大方は聞き知り参らする人もなかつたのである。抑々十一月になつてからは、
立たせおはしますことのなかりしを、ただの御うつくしさの、せめて驚くべくもなき御けしきに、人々は更にもいはず、我が心だに、かばかりとも思ひまゐらせぬに、などと覚えて、御前にはゆゆしく御心おとりのせさせおはします、さまでの御事も候はぬに、などかくえ立たせおはしまさぬと申ししを、六日のつとめても、御障子の御あとへ出でさせおはしますとて、やをらゐざりて、御覧じあはせて、心おとりの事、とてうちゑませおはしましたりし、
御姿のただただ恋しう忍びいで奉られるのである。作者は、
大女院の限りの宮仕したる身にて、手をえかけ参らせねば、我が手をまゐらせて、これさぐらせおはしませとて、御手のあたたかさの体を知りまゐらせんと思ひしに、
七日の申の時ばかりの後は、我が身も心なくなつて、誠にいふがひない事であつたと残念がるのである。