江戸期版本を読む

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【翻字】
 世中にわろき 心をもちぬるや 我はわろしと おもはざるらん

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 非をさとり過を悔(くひ) 改むるほど芳(かうは)しき ことはあらじ諸人 わろき心をもつものに 限りて其人必ず我は わろしとはおもはぬ ものなりける故に 前非を改むる時節 なくして一生涯わろ き心にて終(おは)るなれば 早くも己が身の非をしれかし

【通釈】
 世の中で悪い心を持っている者は、自分は悪いとは思わないであろう。

 非を悟り過ちを悔い改めるほど、心引かれる立派な事はない。大勢の人の中で悪い心を持っている者に限って、自分は悪いとは思わないものであるから、過去に犯した悪事を改める時もないままに一生涯を悪い心のままに終えてしま(い、そうなると取り返しのつかない人生になってしま)うから、(そういう者は)できるだけ早く自分の非を悟りなさい。

【語釈】
・かうばし…望ましく思う。心が引かれる。
・前非…以前に犯した過ち。昔の悪事。

【解説】
 第三十九首目は、「悪人は己の悪を自覚しない」ことについて詠んでいると、注釈は説明しています。歌には教戒の意味は直接には表現されていませんが、注者は「だから、自分の非に早く気付け」と戒め、教訓としての意味を強調しています。
 絵は、襖で半ば仕切られた二つの座敷で、男同士が共にひそひそ話をしている場面を描いています。彼らは人の悪事を噂しているのか、それともこうしたひそひそ話こそが悪事だという意味であるのかは判然としません。本書の挿絵の傾向から考えると後者でしょうか。「悪き心」を視覚化するのであれば、そういう人物あるいは行動を描けば足りますし、人の噂する姿によってそれを表現するにしても、あえてそれを男同士のひそひそ話として描く理由は考えにくいように思います。男子たる者が陰口や内緒話をする事を良しとしない価値観から、このような絵になったのではないでしょうか。あるいは、歌との関係がそもそも弱いのかもしれません。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 人にたゞ まことのこゝろ なかりせば きよらかたちも あたら世中

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 源氏帚木の巻に今は たゞしなにもよらし かたちをばさらにも いはじいと口惜くねじ けがましきおほえたに なくはものまめやかに しづかなる心のおもむき ならんよるべをそつひ のたのみ所には思ひ おくべかりけるとある おもかけなり朋友の 交(まじはり)いもせの中も誠 一つをまもるときは 道たゝずといふことなし 然るを姿かたちすくれ 女巧(ぢよこう)おろそかならぬ 上にも誠のかけたらん 女は終(つひ)には夫にも見 限られんはあたら 事なるべし

【通釈】
 人に、ただもう誠実な心が欠けていれば、美しい顔だちももったいない事だ。世の中は。

 『源氏物語』帚木巻に、「今は、ただもう、家柄にもよりません。容貌はまったく問題ではありません。ひどく気にくわないひねくれた性格でさえなければ、ただひたすら実直で、落ち着いた心の様子がありそうな女性を、生涯の伴侶としては考え置くのがよいですね」とある、それを引いた「面影付け」(による歌)である。友人との交際や夫婦の仲も、誠実ささえ守るならば、その道が立たないという事はない。けれども、容貌容姿に優れ、身だしなみや化粧もいい加減でない上に、誠実さが欠けている女は、最後は夫にも見限られてしまうのは、残念な事であるに違いない。

【語釈】
・あたらし…もったいない。惜しい。
・かたち…容貌。顔立ち。
・源氏帚木の巻…『源氏物語』帚木巻に見える「左馬頭」の言葉(【通釈】は渋谷栄一氏訳による)。
・品…身分。家柄。
・くちをし…残念だ。がっかりする。
・おぼえ…感じ。感覚。
・まめやかなり…心がこもっている。誠実だ。
・おもかげ…顔つき。おもざし。
・よるべ…頼みとする配偶者。
・おもかげ…「面影付け」の略。連歌・俳諧で、連句の付け方の一つ。故事・古歌などから連想して句を付ける場合、直接は出さずに、それとなくわかるような表現で付けること。
・いもせ…夫婦。
・巧…美しいものを作りだすわざやはたらき。

【解説】
 第三十八首目は、「誠実さのない人は容貌の美しさも残念である」ことについて詠んでいると、注釈は説明しています。歌が「人にとってのまこと」を一般的に「外見」と対比させているのに対し、注は『源氏物語』帚木巻にある女性論を踏まえたものだと断定して、主に夫婦間の女性の誠意に限定しています。絵は、夫に離縁状らしいものを渡された妻が、顔を袖で覆って泣いている場面を描いています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 世中にさも たのもしく見えぬるは おもひあひたる 一家(いつけ)親類

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 一家親類とならば 他人にこえて親切 なるへしまさか 非常の時に臨んで 互(たがひ)に助け合い 急度(きつと)力となるべ きをは外より見 てもいとたのもしく 思はるゝとなり

【通釈】
 世の中で、実に頼もしく見えるのは、思い合っている家族や親類である。

 一家親類という事であれば、他人以上に親切であるはずだ。まさかという非常時に直面して、互いに助け合い、必ず力になるはずであるから、傍から見てもたいへん頼もしく思われると(、この歌は)言っているのである。

【解説】
 第三十七首目は、「家族や親類が助け合うことは頼もしく見える」ことについて詠んでいると、注釈は説明しています。歌は「頼もしく見えるのは、思い合っている家族や親類だ」と、条件付けていますが、注は「家族や親類ならば親切なはず」と決め付けています。注者は作意を正確に注しているとは言えません。
 絵は、夜、頬かむりをして着物を引き被っている男に、一人の男がつかみかかり、二人の男が棒を差し向けている場面を描いています。奥の門から外を横目で覗く女性が差し出した右手に火の点いた棒を差し出していることで、夜であることが示されています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 けんどんに善をも なさずおくりなば おもふまゝには あらじ世中

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 けんどんじやけん にして利欲よこしま にのみ朝夕を行ひ かりそめにも慈悲 善根の心なくて 世をおくりたらんには いかでおもふまゝには一 期を送らんや水は 湿(うるほ)ひに流れ火は かはけるにつくの 道理にて陰徳有 人にはおのづから天 道のめぐみ来り よこしま心の人には かならず天災来て 思ふにまかせぬ世を 経んはおろかにも またあはれむべし となり

【通釈】
 欲深で善い事もせずに月日を送るならば、思うようには生きられないだろう、世の中は。

 欲深く意地悪で、得ばかりしようとするねじ曲がった生き方で日々を過ごし、かりにも慈悲深い善い事をしようという気持ちもなしにこの世を暮らしているとしたら、どうして思うような一生を送れるであろうか。水は湿った所を流れ、火は乾いた物に点くのと同じ道理で、人に知られない善い事をする人には、天も良い事を自然ともたらすし、ねじけた心の人には必ず天の災いが降りかかり、思い通りにはならない人生を送る事は、愚かでもあり、哀れむべき事でもある(と、この歌は言っているのである)。

【語釈】
・慳貪…けちで欲深いこと。思いやりのないこと。
・邪慳…相手の気持ちをくみ取ろうとせずに、意地悪くむごい扱いをすること。
・利欲…利をむさぼる心。利益を得ようとする欲望。
・よこしま…正しくないこと。道にはずれていること。
・善根…さまざまの善を生じるもとになるもの。
・陰徳…人に知られないようにひそかにする善行。隠れた、よい行い。

【解説】
 第三十六首目は、「欲深く意地悪に生きない」ことの重要性について詠んでいると、注釈は説明しています。絵は、手前に商人らしい男性が算盤を持ち、奥で寝ている妻を難しい目で見ており、奥の部屋に幼子が寝、その奥に半ば身を起こした妻が片手を付いて夫である男性に詫びているか頼んでいるかしている場面を描いています。妻の額には何やら巻いてあり、頭痛がしているか何かでその体調が悪いことが示されています。事情は分からないながらも、手前の夫が金に執着して病気の妻に優しくないことが伺えます。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 おもくせむものともしらず 世中に たやすげなるは きしやうせいもん

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 きしやうせいしの 事は神慮をおど ろかしたてまつり ちかふ事なれば きはめておもくせん 事なるを今は かりそめの事にも たやすく取あつかふ はいかにぞやととが めたるなり

【通釈】
 重く考えて執り行うものとも知らずに、世の中でたやすげに行われているのは起請誓文である。

 起請誓紙の事は、神の御心を驚かせ申し上げて執り行う事であるから、極めて重く考えて執り行う事であるのに、今はちょっとした事でも気軽に執り行っているのはいかがなものかと(この歌はそうした世間の風潮を)咎めているのである。

【語釈】
・起請・誓文・誓紙…神仏への誓いを記した文書。
・神慮…神のおぼしめし。神のみこころ。

【解説】
 第三十五首目は、「神への起請は重く考え行う」ことの重要性について詠んでいると、注釈は説明しています。絵は、男女が座敷で対座し、女性が起請文らしい文書を手に持って見ている場面を描いています。二人の脇にもう一枚、同じような文書が置かれていて、起請文が二枚見えます。同じ場所に二枚あるということから、起請文が軽々しく扱われていることを示唆しているようです。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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