江戸期版本を読む

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【翻字】
 とんじんち此三毒が世中の 地ごくととかれたまふ仏の

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 貪とむさぼるは 餓鬼。瞋といかるは 地獄。痴と愚痴な れば畜生。この三悪 道同しく苦しみに 沈むが故に何れも 地獄に摂す。人々 三悪道を免れんと ならばまつこの三 毒を除くべしとの 教なり

【通釈】
 貪瞋痴という三種の煩悩がこの世の地獄であると、仏は説きなさった。

 貪すなわち貪りの心は餓鬼道に堕ちる機縁。瞋すなわち怒りの心は地獄に堕ちる機縁。痴すなわち愚かな心は畜生道に堕ちる機縁。この三つの苦悩の世界は等しく苦しみに沈む世界であるが故に、すべて地獄に含まれる。人は、この三つの苦悩の世界から逃れるためには、まず貪瞋痴の三毒を心から払わなくてはならないという教えがこの歌の心である。

【語釈】
・貪瞋痴…むさぼりと怒りと無知。貪欲と瞋恚と愚痴。三毒。
・三毒…人の善心を害する三種の煩悩。
・餓鬼…餓鬼道。常に飢えと渇きに苦しむ亡者の世界。
・地獄…地獄道。この世で悪いことをした者が死後に行って苦しみを受けるという所。
・畜生…畜生道。悪業の報いによって死後に生まれ変わる畜生の世界。
・三悪道…悪業の結果、人が堕ちていく三つの苦悩の世界。
・摂す…取り入れる。摂取する。

【解説】
 第九十二首目は、「三毒がこの世の地獄である」ことについて詠んでいると、注釈は説明しています。歌の下の句は、「仏の説かれたまふ」の意として解釈しました。絵は、僧侶による説法の場面が描かれています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 世中にけいのう有て その上にぜにをば人の もたぬものかは

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 此哥は右のうたの かへし也即ち守武 神主の真跡には 右の哥の次に返し と題してこの哥 ありさてその意地 をたすけて一芸 に名あるものは もちゐられずと いふことなければ あくまて諸芸に 達せしうへに金銀 にもくらからずんば 鬼にかな棒とやらん にてくらき事有まじ

【通釈】
 世の中で、芸能が身に付いていて、その上にお金も持たないでいようか。

 この歌は、一つ前の歌に対する返歌である。つまり、守武神主の真筆には、前の歌の次に「返し」と題してこの歌が書かれている。さて、その歌意を補足して(以下説明すると)、一芸に名のある人は、人に用いられないという事がないので、どこまでも諸芸に熟達している上に、お金にも不足していないならば、まさに「鬼に金棒」とかで、弱点がないので、それで不足な事はないはずである。

【語釈】
・芸能…生花・茶の湯・歌舞音曲などの芸事。
・真跡…その人が実際に書いたと認められる筆跡。真筆。
・意地…句作上の心の働き。ここでは歌の作者のそれを指すか。
・助ける…不十分なところを補い、物事がうまく運ぶように手助けする。助力する。補佐する。
・あくまで…徹底的に。どこまでも。全く。
・くらし…不足している。欠けている。
・鬼にかな棒…ただでさえ強いものに、一層の強さが加わること。
・やらん…~であろうか。…とか。

【解説】
 第九十一首目は、「芸能を身に付けて、その上お金もある方が良い」ことについて詠んでいると、注釈は説明しています。この歌は直前の歌とセットであり、注もその説明と、歌意の説明とがなされているようです。絵は、鼓を打つ男性の姿が描かれています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 世中に銭だにもたば 芸能もいらぬと我は おもふべらなり

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 人間の道は忠孝を 第一として暇(いとま)ある時 は手習物よみ詩歌 管弦の道をもたし なみたきものなり しかるを世には 貪欲の凡夫たゞ 金銀をむさぼり あつめ無能無芸 にて一生を送り 更にその非をさと らず頑(かたくな)に思ひさだめ たる類(たくひ)世に少な からず浅ましく 又憐むべし因(よつ)て 次の哥に返しと 題して云々

【通釈】
 世の中で、金さえ持っていれば、芸事などは不要であると自分では思っているようだ。

 人間の踏み行う道は、忠孝の道徳を第一に考えて、余暇を得た時には、習字、読書、詩歌、器楽の諸道も嗜みたいものである。それなのに、世間には欲深い凡人がただもう金銀を欲しがり集めて、無能無芸のままで一生を送り、全くその誤りに気付かず、頑迷に思い込んでいる輩が少なくない。浅ましく、憐れむべきである。そこで、次の歌に(守武卿自身の考えを述べた)返歌として以下のようにある。

【語釈】
・芸能…生花・茶の湯・歌舞音曲などの芸事。
・手習…文字を書くことを習うこと。習字。
・物よみ…書物を読むこと。特に、漢籍を素読すること。
・凡夫…平凡な人。普通の人。凡人。
・かたくな…かたくな

【解説】
 第九十首目は、「金さえあれば芸事は身に付ける必要はない」ことについて詠んでいると、注釈は説明しています。但し、これは作者守武の考えでも注者の考えでもなく、世間にそのような考えの者がいるとして作者も詠み、注者も批判しています。作者守武の考えは、次の歌で示されます。絵は、尺八を吹く男性の傍らに、脇息に肘を置いて話す男性の姿が描かれています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 世の中にかくべき物は かゝずしてことをかくなり はぢをかくなり

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 礼楽射御書数の 六芸の中にももの かくことは殊更なさ でかなはぬ道なり 神儒仏の道聖賢 の前言往行も文学 ならでは後世にのこ らずかゝる道なれば 人としてはかくべき 事なるをまなばず しらざればその身 事をかくのみならず 又はぢをかく事 のあるべしと勧め 戒められたり

【通釈】
 世の中で、書かなくてはならないもの(文字)は書かないで、不自由をするし、恥もかくことだ。

 ひとかどの人にとっては必ず身につけなければならないとされる礼・楽・射・御・書・数の六芸の中でも、文字を書く事は特に欠く事のできない技芸である。神道・儒教・仏教の教え、聖人賢者の言行も、文字の学でなくては後世には残らなかった。このように大切な技芸であるから、人として文字は書けなければならないのであるが、それを学ばず、知らないならば、その人自身、困る事になるだけでなく、恥をかく事があるに違いないと、学ぶ事を勧め、又学ばないでいるのを戒めなさったのである。

【語釈】
・ことをかく…必要な物がなくて不自由する。不足する。
・礼楽射御書数の六芸…中国で、士以上の身分の者が学ぶべき六種の技芸。礼・楽(楽器)・射(弓)・御(乗馬)・書・数(数学)。
・前言往行…昔の人の言い残した言葉やその行い。
・文学…学芸。学問。

【解説】
 第八十九首目は、「文字を書く」ことの重要性について詠んでいると、注釈は説明しています。絵は、一人の貴人男性が小筆を持ち座っているところへ、一人の男性が紙を差し出して何やら話している場面が描かれています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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【翻字】
 虎にのり かたはれ舟に のれるとも 人の口はに のるな世中

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 かたはれ小舟の あやうきにのり いきほひたけき虎 にのるものも百に ひとつもつゝがなき 事もありぬべし 身のおこなひよから ざる事ともありて 人の口はにのり たらんはつひにとり かへしなければのら さるやうにつゝしめ よとなりこれも 古哥をそのまゝ出せり

【通釈】
 虎に乗ったり、二つに割れた船に乗ったりする事はあっても、人の噂の種になってはいけない。世の中は。

 二つに割れた危険な小船に乗ったり、猛獣の虎の背に乗ったりする人も、百に一つは無事である事もきっとあるだろう。良くない事をいくつかしでかして、人の噂の種になると、これは取り返しがつかないから、そうならないように行動を慎みなさいと(この歌は)言っているのである。この歌も、古哥をそのまま引いて詠んだものである。

【語釈】
・片割れ…割れた器物などの一片。
・口端…うわさ。評判。口先。くちは。
・とりかへし…取り返すこと。もとの状態に戻すこと。
・古哥…不詳。『万葉集』第十六巻三八三三「虎に乗り古屋を越えて青淵に蛟龍捕り来む剣太刀もが」を指すか。

【解説】
 第八十八首目は、「人に噂されないよう身を慎む」ことの重要性について詠んでいると、注釈は説明しています。絵は、陸で虎の背にまたがる男性と、水上で板切れに乗り漂う男性の姿を描いています。

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(底本:『世中百首絵鈔』(1835年刊。三重県立図書館D.L.))

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