江戸期版本を読む

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軽口露がはなし

巻一  巻二  巻三  巻四  凡例


軽口露がはなし 巻之五

  第一 譃にもせよきびのよい事

 一 「思ひもよらぬまうけをしたといふ次に、おれも咄さう。きのふ河原の村山が芝ゐへ見物に行きければ、狂言最中に行き掛り、せんかたなく桟敷の下にて立ちながらみてゐたに、何かはしらず真中程をちらと見たれば、年二十許りの女房やんごとなき御姿にて、下女一人つれて見物せられけるを見ると、其のまま恋風ぞうと吹き、心もうかうかとなり、舞台の方へは目もやらず、いかさまくどいてみたい物ぢやと思ふ折ふし、かの女房下女をつれてかへりける。おれも跡に付き出でける。扨それより、祗園清水大谷大仏方々を行きけるに、さのみ礼拝の体もなく、いか様此の女はわれをみて当世のしかけ女ぢやと思ひ、いやこれは是非共宿を見届け、重ねてくどく種にもなるべしと思ひ定め、そろりそろりつき回りけるに、もはや日暮に及び、かの女せいぐわんじ墓の奥へぞ行きける、幸ひよき所よ宿まで行くにおよばず、爰にてくどき是非念をはらさんと思ひ、われも墓のそばへ行きければ、却つて女の方より我に言葉をかけ、『おまへ様はけふ一日わらはに付きそひ、これまで御神妙御出で忝し。とくにも言葉をかけまゐらせたく候へども、さすがに人め遠慮いたしたり、おまへ様の物が此の中におはしまし候はば御取りなされよ。』と、はな紙袋きんちやく、又は金銀の入りたる打替、数々の物を懐中よりなげ出した。俺も案に相違したと仰天して、『是れは皆私が物で御座る。」というて、有りたけ取りて戻りた。」と、大きにはなしける。「是れはみな夢のはなしぢや。」というた。(『元禄笑話』29「嘘説にもせよ小気味の好い話し」)

  第二 葬礼の七五三

 一 ある人あはうなる者にいふやうは、「あすは上の町よりけつこうなる葬ひが有る。」と咄す。けつこうといへば振舞の事ぢやとこころえて、押しかけたくさんにくはうと思ひ、一めもしらぬ人の葬礼に行き、大勢の人は皆かへりけるに、此のものはしりはてにかへり、すぐにきのふ咄したる人の所へ行きて、「そちは大きなるうそをつき、おれをはまらした。」とうらみける。「それは何事なれば。」といふに、「尤もけふの葬ひは七五三程けつこうにあれども、膳は出なんだ、あまりな事ぢやと思うて、もり物に手をかけたれば、おんぼうめが、『たたきころそ。』というた。」(『元禄笑話』30「葬礼の七五三」)

  第三 小法眼の二幅一対

 一 明後十一日霊山宿阿弥において御酒進上申し度く候、御出で可忝候以上、おのおの同道して急ぎける。亭主奔走の小法眼が書きし龍虎の二幅一対をかけられけるを、みなみな立ちより詠め居て、ひとりの文盲なる男、つくづく虎を見て、「扨も此の猫は上手のかいた物かな、此のやうないちもつを一疋持つならば、夜の目のあはぬ事はあるまい。」といへば、又ひとりがいふやう、「ねずみ取るやうな目で、何やら睨んでゐる。」といふ時、宿老龍の絵に指ざしして、「実(げ)に実にその筈で御座る、爰なからざけ*をねらうてゐまする。」(『元禄笑話』31「古法眼の二幅対」。*「乾鮭(からざけ)」)

  第四 道頓堀にて巾著切とらへし事

 一 さる町人、大坂道頓堀にて巾著切をとらへて、先のきんちやくを返せとてせご*しけれども、此の盗人いろいろちんじけるが、次第に人多くかさなりて、それふめたたけなどとこゑごゑにいふ。かの者が申すやうは、「貴様の巾著は取るとひとしく同類に渡し、爰にはなし、明日返進申すべし。」といふ。「それはいよいよ肝のふときいひ分かな、とかくちやうちやくせん。」と申す時、かのぬす人独言を聞くに、「じたいおれがのが分別ちがひぢや、やつぱりわうちやく*な分なればよきに、いはれぬきんちやくになりたるゆゑよ。」と。(『元禄笑話』32「道頓堀にて巾著切を捕ふ」。*「責徴(せご)」*「横著」)

  第五 性わるわるの坊主

 一 さる町庵に坊主あり。妹というて女を置き、甥というて子を持ちけり。されども念仏の音声よく鐘をよく打つにより、俗衆の念仏講へやとひける。いやなくせにて博奕をすいて、人にかくれて折々其の場へ行きけり。或時念仏講同行衆とて庵へさそひ寄りければ他行のよし。「今晩は講にて爰の御坊をつれねば講中にかね打つ人なし、何方へ参られたる。」と、留主居の女にしきりに問ひければ、是非なくそことをしへける。先へ行きみれば最中さかりと勝負有りけり。「扨々人には人くずとて御身あたまを丸め、なまどし寄つてかやうの掛勝負をめさるる事、所存のあしき事なり、よしあし人にうたはれぬ先に少したしなまんせ、内に女房子もない物かなんぞの様に、性わるわる。」と散々にしかりければ、坊主がいふやうは、「其のやうに御しかり無用なり、掛勝負にては更になし、座中共にみな現金勝負なり、念仏講のかねはみな来世がねぢや、まづまづ今ばんは御ゆるしあれ。」というた。(『元禄笑話』33「性悪坊主」)

  第六 此の棋(ご)は手みせ禁

 一 有徳なる町人せいじんの子共に世を譲り、その身は禅門になり裏座敷に隠居せり。同じ町に又さのごとくなる人有りけり、あけ暮棋を打ちてたのしみ、相手もかはらず此の両人より外に棋の友とする人もなし。或日一方の人つづけて二番まけられ赤面して打つ程に、又三番めの棋もまけにみえける。大石しにたる所を、「一手みせよ。」といへば、中々見せるけしきはなし、是非共是れは見せよみせまいと、互に盤の上にて手をねぢあひ、あげくの事に黒白の石をつきくづし、互に腹立しておのれしのれといひ合ひ、「向後一生そちと棋はうたぬぞ。」「いかにも参会止めにいたす。」と、勘当言葉にて罷りかへりける。扨其の日も西にかたぶき外の友とてもなく、枕引き寄せつくづくとけふの口論を思ひ出し、「とかくむかしより短気は損気といふは爰ぞかし、先程の棋一番まけて打つならば、今時分まではしこりかかり打つてなぐさまん物を。」と、両方ともにこうくわいしける。同町の事なれば、明くれば早天よりかの相手の門を通るとて、たがひに尻目にてにらみあひ、一方よりいふは、「なま年よつて朝腹から棋のうちたさうなつらな。」といへば、門を過ぎたるが立ちどまり、「打ちたいがおのれにかまふか。」と、目に角入れてとがめける。「打ちたくば爰へうせをれ、慈悲にうつてこませうぞ。」といふ。「慈悲にもせよあだにもせよ、さあさあ打つて見くされ。」と、誰あいさつなしに中をなほりた。(『元禄笑話』34「此碁は手見せ禁」)

  第七 伊勢ぬけ参り

 一 江州矢ばせの船にて、九州肥後の者なるとて、年十一二歳なる子供、伊勢へぬけ参りとて両人船に乗りける。此のもの路銭すくなく持ちけるにや、ただし腹中ひもじさの折からにや、一人がいふやうは、「あの三上山が飯ならば唯一口にせしめん物を。」といへば、又一人端的の返事に、「此の水海がとろろ汁ならばおんでもなうくひかねはせまい。」というた。乗合の中に心ある人や、此の言葉を不便にや思ひけん、船中にて勧進をあつめ、銭一貫文くくり、此の両人の者につかひける、誠に神徳有り難し有り難し。(『元禄笑話』35「伊勢へ抜参り」)

  第八 九品の浄土九々の算用

 一 さる法華の坊主と浄土の俗と、道づれになり行く途中にて、坊主いふは、「其方は何宗ぞ。」と問ふ。俗聞きて、「忝くも極楽浄土。」といふに、坊主、「何の忝い事が有るべし。」とあざけるを、俗、「念仏のありがたき事は、仏ぼさつ祖師達九品九々の浄土と申すなり。しらずばいふを聞き給へ、先づ二四八三四十二日は薬師、三五の十五日あみだ、三六の十八観音、三七二十一日弘法、三八二十四地蔵、五々二十五日元祖法然、四七二十八日親鸞、かくのごとく、念仏の宗門みな九々に合ふなり。」といへば坊主聞きて、「いかにもさこそ有るべし、又此方の日れん上人の日も左のごとし。」といふ。「何と十三日が九々に合ふか。」といへば、「九々も算用も入らばこそ、十三日は世界の衆生を二まひのあたりなれば、一つにかきなでてすくひとる。」といはれた。

  第九 常題目の地形

 一 北野に常題目といふ所あり。去る法華の俗人聞き及びて、はじめて参られけるに、寺内殊の外ひろしといへども、地形たかひく有りて見ぐるしし、「とての事に地をろくにならしたき物かな。」と噂するを、亭坊申さるるは、「此の高ひくありてこそ題目も相続すれ、ろくじは此方にさし合ひぢや。」といふ。

  第十 えびす講の書状

 一 十月二十日えびす講の振舞するに、嘉例の客、もんまう*なる人の方へふみをもたせ呼びにやりけり。今日はえびす講にて御座候、早々御出で仰ぐ所に候以上、誰殿参る、と書きしたためもたせやりけるに、此の文をみて殊の外に腹立していふやうは、「此のやうなへたらしき文のかきやうがあるものか、此のさむぞらに及びて御出であふぐ所とは何事ぢや、御出でなされ候はばこだつこだつと書きたいものぢや。」(『元禄笑話』36「恵比須講の書状」。*「文盲」)

  第十一 弁説の過ぎたる乞食

 一 乞食は座入してより袋を首にかけてありくとや、ある所にて弁説にまかせ口をすごしける乞食を、さんざんたたきければ、此のこじき、したたか叩かれて後いふやうは、「おれも神主の流れなり、汝にかならず罰が当るべし。」と、大きにののしりけり。「それいかなればさはいふぞ。」ととふに、「此の袋は忝くも社なり、それをいかにあれば、紙のやどり給ふなは社だんぢや。」というて理窟につめ、「なぜに打(ちやう)ちやくしけるぞ。弓矢八幡堪忍ならぬ。」と大きにねだれければ、「打ちやくもたたきもせぬなり、おのれ乞食にてくれよといふにより、慈悲におもさまくはしてとらした。」といふ。

  第十二 入院ぶるまひ

 一 真言寺へ村中残らず入院振舞によばれ、住持弟子に申し付け、寺の什物ことごとくとり出し、それぞれの道具の名をいうて見せられたり。何れも見物いたし、其の中に、「輪によくにたる物は何と申すぞ。」ととふ。「是れはりんぼうと申す物ぢや。」といふに、もんまうなる百姓、「さてさてむかしよりつひに見た事がない、耳にきくさへいやぢやに、まして目に見る事うるさし、はやく捨て給へ其のびんばふを。」と。

  第十三 知らねば是非もなし江戸の島原京の島原

 一 江戸の芝ゐをしまばらと云ひ、京のけいせい町を島原といふ。江戸よりさる人はじめて京へのぼり、上京に何ともならぬこくめんなる人の方に宿取りゐけり。或時四條がはらの芝居を見物してかへりけるに、亭主、「今日はどこを見物なされたる。」ととふ。客は何心もなく、「今日は島原へまゐりたるが、扨々おもしろい事かな、酒をのむ所もぬれかけたる所もあり、近年のなぐさみ又明日も参るべし。」といふ。亭主色をうしなひ、「さてさて悪性人かな、きのふけふのぼりて程もなきに、はやけいせいぐるひをめさるか。」と大きに意見した。(『元禄笑話』37「知らねば是非なし江戸の島原京の島原」)

  第十四 欲のふかき長老

 一 欲深き長老同宿をつれてろ斎に出でし。斎料に布施を包み、童子にもたせ長老の前におき、是れは百文とみえたり。後に亭主二十疋つつみけるをもちて出で、同宿が前に置く。長老、「あら不審や前後失念にてこそあらめ。」と、寺へかへりて同宿にむかひ、「さいぜんの布施は施主取りちがへたると覚えたり、おれがのをそちへやり、其方がのをこちへとらん。」といふ。同宿めいわくなるふりをするに、いよいよほしく思ひ、我が分をなげ出し、かの二百文づつみを取りあげて見たれば、蝋燭二丁有りけり。(『元禄笑話』38「欲深き長老」)

  第十五 後家の町役

 一 或町に番の事あり、家役なれば名代立つべきやうもなし。其の町にひとりの後家あり、此の人にも番させんといふに、めいわくに思ひ色々わびごとを申しけるは、「もつとも町議の仰せをそむきて番せまいにては御ざらぬ、はかまを著けては小べんがなりますまいと思ひ、これ一つ気のどくてあんす。」といふ。

  第十六 小間物屋が覚帳

 一 一生よみかきしらぬ、文盲なる小間物や商人ありけり。ひかへ帳あきなひ有る毎に人には頼まれず、自らさいかくして、小刀をもつて三尺許りの木にきざを付け、我が覚えとして埒をあけけり。ある日暮のくらまぎれに小間物を売りたるを、又かの木にきざを付くるを、むすこながめゐて、「ととくらがりで物をかいて、手をきりやるな。」というた。(『元禄笑話』39「小間物屋の覚帳」)

  第十七 十夜の長談義

 一 関東よりのぼりたる長老寺へすわりて、始めて十夜の談義をとかれける。洛中の男女くんじふ*せり。長老高座にて申さるるは、「昨晩談じたる次を今ばんも講釈いたす事なり、それに付けうけたまはれば、愚僧がだんぎは長くてたいくつなと、女中方の申さるると評判あり。理句義のよくつまるやうにと存じて申すなり、さりながら今晩のも何れも次第にいたさうが、女中だち何と思召すぞ、みじかいがよいか長いがよいか。」とくり返しとはれける。参詣の男女返事なく、くつくつと笑ひけるを、長老腹立せられ、高声に、「それはかたがたの気のやりやうがわるい。」というた。(『元禄笑話』40「十夜の長談義」。*「群聚」)

  第十八 江州土山のばくらう

 一 江州土山の者、ばくらうの許にて馬一疋買ひけるに、「眼爪かみくら下其の外そろひたる。」とほむる時、「何と川わたりはよきか。」ととふに、「中々の事川は鵜ぢや。」といふ。めでたしめでたしとてよろこびもどりけり。四五日過ぎて雨ふり田村川の水まさりける時、かの馬荷を付け川をわたるに、中程にてどうど臥したり。買ひぬし気のどくに思ひ、やがてばくらうが所へ行き、存分をいひけるに、「さればこそ川は鵜ぢやと申したわ、鵜といふ鳥の水を見ていらぬやあらん。」というた。

  元禄四年未七月吉日開板

軽口露がはなし 大尾

軽口露がはなし

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軽口露がはなし 巻之四

  第一 始めてよばれし祇園会の客

 一 京に富貴なる人あり。生国は田舎人にて、十歳より京へ上り、物事しはくて銀をのばしける。寒き時は灯明の火にてせなかをあたため、暑き折には越中ふんどし一筋にてかせぎ、こまかうして銀高八千貫目持ち、毎年諸方へかしけり。其の銀の回る事淀の水車はいそなり。幼少より京へのぼり、かほどの身代になるといへども、つひに古郷の親類ひとり呼びたる事なし。或年六月ぎをん会にはじめて呼びければ、何が田舎ものの事なれば、いとこはつこに至るまで、宵の日よりとまりがけに上りける。神事の膳部は、つまみ大こんの汁、黒米飯、瓜なます、あま酒一ぱいより外に、香の物もくはせず、中にも亭主にちかき人いふやうは、「はじめてよばれ候神事には、料理そさう*なり。」といふ。「されば今年程無仕合(ぶしあはせ)なる事はなし、さるによつてそちたちをまんなほし*に呼びたるぞ。来年は仕合して結講申すべし。」といへば、「それは心もとなしいかなる事や。」といふ。「其のやうすは見せ申すべし。」とて、みなみな引きつれ五間四方の蔵の戸あけて見せたり。十貫目入の箱入を物の見事につみかさね、「あれ見給へいつもは一はこもなきに、ことしはかし所がなうて、かね殿が昼ねをしてゐらるる。」というた。(『元禄笑話』03「始めて呼ばれし祇園会の客」。*「麤末(そまつ)」「縁喜(まん)直し」)

  第二 野郎の金剛念仏講

 一 野郎の草履取を異名に金剛といふとかや。あるとき途中にて念仏講の同行に逢ひたり、「そちは此の季より自前に宿を持ちたるよし、それに付き此の月の講は其方があたり番なるが、いかがつとめ申さるべきや。」といふ。「いかにも明晩つとめ候はん、同行衆へも其のよし申し給はれ。」というて互にわかれける。扨宿へかへり女房にかくといへば、女房あきれていふやうは、「こちはいまだ此のころの宿ばひりにて、仏もなくいかがすべき。」といへば、男聞きて、「気遣ひするな、其の才覚はふんべつしたぞ。」さいはひ夜の事なれば人の見知り有るまじとおもひ、立像の仏一体かりととのへ、箱持仏堂へ押し入れつとめけり。何れもわれいちとしこりかかつて、せめ念仏を申し、已に回向とおぼしき時、かの仏の御面くるりとめくれ鬼の顔になりけり。何れも念仏を申しやめ、「おそろしやこれはこれは。」と許り申しけり。亭主是れをみて、「其の筈ぢや、苦しうないぞ糸がきれた。」といふ。せんさくすれば、芝居より借用したからくりのはりぬきぢや。(『元禄笑話』04「金剛の念仏講」)

  第三 人のうわさ

 一 二三人よりあひて物のよしあし評判せしが、「そんじようそいつは賢い奴ぢや、水の中をもぬれずにくぐるやうな奴よ。」といへば、一人がいふやうは、「それは其方の余り誉めどての言葉よ、今でもよびよせ水に入れたらばぬれべし、殊に紙子を着せたらば猶ぬれべし。」とせり合ひける。「してもかしこい者ぢや。」といひけり。「それは御身の申されやうあしく、科簡の不科簡といふ物なり、人の目にみづにいる時は、ぬれずにくぐる事は扨おき、ねてゐても、いかなことぬれまい。」というた。

  第四 たき物の取りちがひ

 一 よしある人の方へ振舞に行きければ、飯後の湯出でたるに、「風味殊にかうばしく大きによし。」とほめけるを、内儀聞きつけ、うれしげになうれんのひまより顔さし出し、「お湯のかうばしきもことわりや、薫物をくべた程に。」と申されければ、座敷にゐたる人々も耳にしみてぞかんじける。中に一人うらやみ、宿に帰り女房にかたれば、「それ程の事は誰もいふべき物を。」とあざわらひ、知音をよびならべ飯の湯を以前のやうにととのへ出し、人々かうばしやとほむる時、女房はばからず、「おゆはかうばしからう、柴を三束たらずくべた程に。」(『元禄笑話』05「焚物の取違へ」)

  第五 譃講の参会

 一 常に中よき友達十人許り講をむすびて、さいさい参会せし、名をうそ講と付けたり。此のいはれは色里へ往来せんための手くだの沙汰なり。或時友々途中にて行きあうて、「晩には内々の講をつとめ候間、御出で候へ。」とかたくけいやくして、暮におよびて行きければ、昼すぎより他行いたし宿にはゐぬといふ、講中せんかたなくかへりける。あけの日彼の友がいふやうは、「夕みなみなわれ所へ参られたるを聞きてゐたれども、わざと留守を使うた。」といふ。「それはちかごろ届かぬしかたぢや。」とせんぎすれば、彼のものいふは、「元来此の衆中にて筈の違ふ事はくるしからず、寄る程の者はみなうそつき講ぢやものを。」(『元禄笑話』06「嘘講の参会」)

  第六 物のあはれは人の行末

 一 むかしは大金持の大じんなれど、世の盛衰とて近年おちびれ、雑式の金ぼうより、いたきびんばふにたたかれ、あしこしもなやみはて、せん方もなく乞食になり、或時は清水寺又は北野七本松のとほりにて、往来の人に袖乞してげり。然るところへ当流の大じんと見えて、友達多くつれだち、太こ*交りにて弁当したたかにもたせ、上下さざめきありく所へ、かの乞人(こじき)やぶれあみ笠かぶり物を乞ふ折ふし、おとに聞えし太こにへたとあふむなり。はづかしく思ひちやくと見ぬ顔せしが、何が当世のとほり者の太こなれば、むかし思ひを見たるよしみあり、彼の袖乞人にことばをかけ、少し小腰をかがめいふやうは、「もうしお前はそんじようどなた様にては御座らぬか、扨もひさしや、して是れはいかなる事にてかやうの御すがたにならせ給ふぞ。」と、いとしみじみとたづねければ、むかしせんじやういうたるくせにて、「ああ音たかしたかし必ずさたはない事、わざと此の身になりて親のかたきをねらふ。」というた。(『元禄笑話』07「物の哀れは人の行末」。*「幇間(たいこ)」)

  第七 印判屋のむすこ

 一 ある所に印判屋はとし頃の親父にて、常に目金をあてて細工せられける。さる人いんばん一つ誂へさき銀をわたし、いついつの日は出来申すけいやくして、扨其の日印判を取りに行きければ、折ふし親父他行いたし、百の銭十一二文ぬけたる二十許りの息子がいふやう、「其方様は見知りませぬ。」といふ。「先日あつらへ申す時、そちは爰に居てよく存じたるはずぢやに、何とてさやうには申すぞ。今日夜舟にのり大坂へ下るなり、是非いんばん請取るべし。」といふ。件のむすこ、「今しばらく御まちなされ。」といふより早く、親父の目がねを取り出し、わが目にあてて此の人を見て、「私は見知らねども、親父の目金で見れば、先日御出でなされた人ぢや。」というて印判を渡した。(『元禄笑話』08「印判屋の息子」)

  第八 船のしかた

 一 町人四五人寄りて酒を呑みけり。其の中に始めての衆両人あり、たがひに杯をいただきけるに、肴をはさみぬる体をみて、われにくれると覚えて、杯を下に置き手をさし出せば、その人にはやらで、おのれが儘にはさみくふなり。かの手をさし出した人、はづかしくてにはあしくて、「まうし何れも様沙汰はない事、此の私が手は舟によく似ませぬか。」というて引きたり。(『元禄笑話』09「船の仕方」)

  第九 文盲なる者の仔細を習ふ

 一 さいさい医者衆へ出入致したる人有り、医師病人にむかひて、「瀉するか結するか。」ととはるるを聞きて、ある時其の仔細をとふに、「瀉するとはくだる事なり、結するとはくだらぬ事なり。」是れはこびたる言葉やと思ふ折ふし、親類中の商人来たりて、「明日長崎へ罷り下るが、なにも御用の事は候はぬや。」といふ時に、「何とて長さきに瀉するとや、やがて無事にて結せよ。」というた。(『元禄笑話』10「文盲なる者仔細を習ふ」)

  第十 灸おろしのさた

 一 あけくれぶらぶら病(わづら)ふものあり、医者の許へ行きて脈を見せければ、「薬ばかりにては中々治しがたきしやうなり、これはふじ三里におもさま灸をすゑられよ。」といふに、病人「かさねて談合申すべし。」と急ぎ宿に帰り、「扨々うつけたるくすしの申されやうや、富士はききおよびたる大山なり、其のふじ三里が間に灸をせよとは、いかに病がなほるとて、そりやそももぐさがつづく物か。」と。(『元禄笑話』11「灸下しの沙汰」)

  第十一 新仏一体の望み

 一 にはか道心おこし、新仏一体のぞみて仏師所へ行き、大座後光のせんさく申す折ふし、「それに付き、京の因幡堂の本尊、薬師如来は棋(ご)ばんに乗らせ給ふが、あれはめづらしき大座にて侍る、何と謂れの有る事か。」といへば、「成程いはれもあり尤もなる事なり。」といふ。「其の子細は。」「あの因幡堂は四町にかかつた。」といふ。

  第十二 同じく不審

 一 「又信州善光寺の如来は臼に乗らせ給ふと聞き及びたり、成程尤もさうなり、えんぶだんごなればうすへ入りましたもことわりなり。」「して立像か。」と問ひければ、「杵蔵(きねざう)にて有るべし。」

  第十三 花見の提灯

 一 われ人ともに一日の遊興、千年を延ぶる心地ぞせり。爰に西陣の内さる一町中のこらず、東山双林寺へ花見に行きけり。春宵一刻あたひ千金の永日も、夕陽にしに入りあひのなる頃、番やの又助家々をふれけるは、「迎へに人を御やりなされよ。」といふ。何れも絹やの事なれば、女弟子許りにて男ぎれは鼠もなし。「とかく町中の迎へなれば、総ようの名代に又助何とぞ科簡せよ。」と、宿老の内儀が申された。又助やがて会所の家より提灯を取り出し、東山さして行きける。「又助お迎へに参りたる。」といへば、いづれも座敷を立ちけるに、道闇なれば又助ちやうちんをとぼしける。常の提灯にてもあらばこそ、町中のかたみうらみもいかがとて、町のたて提灯を長きさを竹におし立て、はりひぢ肩まくりして持ちたるをみれば、西陣何組何の町と大筆にて書付の有るなれば、花見戻りの群集きもをつぶし、火の手も見えずはやの音もせぬにふしぎや、如何さま気違ひなりと諸人此のちやうちんをみて「どこぢやどこぢや。」と云うた。(『元禄笑話』12「花見の提灯」)

  第十四 りんきばなし

 一 りんきふかき女房あり、其のとなりに夜半のころいさかふ声しけり。何事にやと夫婦起きて聞きゐたれば、男の悪性いたづらなるによりおこりたるりんき、いさかひの修羅なり。此の女房もとなりの事を身にさしあてもらひ腹を立て、何の理も非もなく我が男のあたまをつづけばりにはりけり。男、「これは何とする事ぞ気が違うたか。」といへば、「いや少しも気はちがはぬ、そなたも向後たしなみ給へ、此の後もあのとなりのいたづら男のやうに身をもつなといふ事よ。」(『元禄笑話』13「悋気話し」)

  第十五 同講のくはだて

 一 わかき嫁の方より、隠居のかみ様方ヘこしもとを使にやりければ、「何事の使に来たぞ。」と仰せあれば、「いやおくさまの仰せられには、少し物の講を御むすびなされますにより、御いんきよのかみ様も、人数に御入りなされぬかとの使に参りたる。」と申す。「あらきやうこつや、是れ程いそがはしくてならぬに、それは何の講ぢや。」と問はれければ、「別の仔細にあらず、悋気講をおく様の大将にて、誰々も御入りむすび有り。」と申せば、「りんき講ならば、おれも二人前まじらうぞと云うてくれい、成程つねづねおれがこのむ所よ。」

  第十六 辻談義

 一 去る人辻談義を説く坊主に逢ひて不審するは、「あの鶏きじ抔といふ鳥をみるに、男鳥の毛色は殊に見事に侍るなり。あれは先生(せんしやう)は何ものが生まるる。」と問ひけるに、とんさくのよき坊主にてあれば、「大方役者の若女房若衆方の生まれ替りさうな、其の仔細はうつくしく衣裳がよい。」というた。「然らば女鳥は毛色あしきが何ものぞ。」「あれはびんばふなくわしや方の生まれたると、因果経にある。」というた。

  第十七 順礼捨子の咄

 一 関東の言葉になまりの多き順礼二人つれだち、はじめて京へのぼり、五條の橋を通りけるに、折ふし捨子あり。かの順礼此の子を見て先へゆく同行にいふは、「爰に子めがすてて有る。」といへば、つれ聞きて、「米ならばひろつてこい。」といふ。「しかも赤子めだ。」と云ふに、「それはたいたう米*であるべい、よしさくるしゆないこんだに、はやくひらつてこよせ。」というた。(いかい料簡ちがひぢや。)(『元禄笑話』28「順礼と捨児」。*「大唐米(たいたうまい)」)

  第十八 文盲なる人水瓜のせんさく

 一 祝言振舞のうへにて亭主水瓜を出しければ、其の座に文盲なる人のいふは、「此のすゐくわと云ふ物はくはぬ物ぢや、これをくへば神鳴につかみ殺さる。」と片じやうしきにいふ。座中興をさまし、「其方はちかごろそさうなる事をいはるる、さやうの言(こと)いはぬ物ぢや。」と笑止がりける。「扨はいづれもは、物のわけを御存じないとみえた、神なりは水瓜のたたりといふに。」

軽口露がはなし巻之四 終

校訂者注
 第十)底本は「。』といふに、病人かさねて談合申すべし。』」カギ括弧の脱落と見て、補った。

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軽口露がはなし

巻一  巻二  凡例  巻四  巻五


軽口露がはなし 巻之三

  第一 御霊大明神へ福を祈る事

 一 上京にひとりの職人あり、朝夕を送りかねゐけるが、とかくは氏神へ祈りをかけ、急に富貴になるべしと思ひ、御霊明神へ七日詣でいたし、私に銀子一貫目得さしてたび給へと、かんたんくだき祈りける。満ずる七日の夜あらたに御告あり、「汝うらむる事なかれ、よく分別して神をもいのれ、分際に過ぎたる願ひは得さしがたし。われ多くの氏子を持ちたるといへども、上で御霊(ごりやう)下で御霊とて二所(ふたところ)じよたいにて十両なり。汝一貫目の望みなれば、今小判にて十六七両に及べり、何としてなるべし。さりながら氏子の事なれば不便に思ふ、いそぎ是れより真如堂の稲荷へ参り、福を祈れ。」と御れい夢有り。此のをとこ目をさましすこしりくつをこねたり。「稲荷とはいねをになふと読むなれば、百姓の望みこそかなふべし。我等はしよく人の事なれば、百姓の手わざはならぬなり。とてもならぬ事ならば、七日までつらずとも、とくにしらせ給はいで。」と大いに腹立し、社壇をにらみ、「扨もにくひ四一両(よいちりやう)めが。」というた。(『元禄笑話』46「御霊大明神に福を祈る」)

  第二 塩打豆

 一 或儒者の所へ町人見まひければ、茶をのませ、其の上にて小者に、「其の塩打豆(えんだとう)少し持参せよ。」といふ。やがてちひさき台に塩うち豆を少し入れ、座敷へ出す。町人是れをみて、「此の豆の名は何と申す。」と問へば、「塩打豆といふなり。」「其の心はいかに。」といへば、「塩はしほ打はうち豆はまめ。」と講釈せられ、「今少したべ候へ。」といへば、小者が申すは、「もはやなし。」といふ。主人、「ふぎふりきなり。」といふを、町人又、「其の御言葉はいかに。」「不及力(ちからおよばず)といふ事ぢや。」扨はこびたる口上を覚えたると悦び帰り、内の女房にいひふくめ、件の豆をこしらへ、誰がな此の言葉を云ひて振舞ひたやと待ちし所へ、舅の親父来れり。亭主、「その塩打豆持参せよ。」といへば、女房ああと云うて少し出しけり。親父何心もなくひた物くひける。亭主喜び、「今少し出せ。」といふ。女房打ちわすれああというて既に出さんとせしが、急度思ひ出し、「いやもはやなし。」といふ。亭主、「何塩打豆はもはやないとや。」不及力(ふぎふりき)を忘れて、「あのふぐりなしめが。」と女房をしかりければ、女房、「それは言葉違ひで御ざろう、女に何のふぐりがあろう。」というた。(『元禄笑話』45「塩打豆」)

  第三 目くらの頓作

 一 針立の目くら坊主、旦那がたへ療治に行き、よも山の物語にとりまぎれ、しばらく隙(ひま)を入れける所へ、客来りはじめて知人になる。客より申すは、「何と座頭どのはどなたの御弟子にて候や、いち方かじよう方か、定めて琴三味線も、平家小うたも上手にて坐し候はん、以後は拙者所へも申し入れ、一曲承り候はん。」などと懇に申されければ、此の目くらもあまりいんぎんなるあいさつにいたみ入り、たうわく*せしめ、「いや私はいちかたにてもじようがたにても御座なく、はりかたにて。」と申した。(『元禄笑話』43「盲目の頓作」。*「当惑」)

  第四 賀茂川の大水

 一 きのふけふの大雨にて、都の賀茂川一ぱいに大水出でたり。四條三條のほとりにて諸人見物する中に、一人がいふやうは、「さのみ大水といふ程にもない、夕と見合はすに水の高さ五寸にはまされず。」といふ。ありあふ人の申すは、「それは目ちがひにてあるべし、夕とは一尺や二尺のましと云ふ事はないに。」といへば、かの者じやうこはく、「はてさてへたなことをいはるる、今二寸たかければ、爰のぽんと町は一なでぢや。」

  第五 おどけ事もときによる

 一 おどけたる者、或時長老を申しうけ斎を進じけるに、老僧だんなにむかつて、「今朝の追善は、六親(しん)の内たれ人の年忌、どなたのためにて候。」と申さるれば、亭主いんぎんにかしこまり、手をつきまき舌の口上にて、高々と申しけるは、「御尋ねにて御座候條つまびらかに申し上ぐべき、今日は拙者が兄嫁や妹むこのしうとの日て御ざる。」と申した。(こびたる口上うるさし、只親の日といはいで。)

  第六 人より鳥がこはい

 一 ひがし山黒谷の辺に畠をうつに、となりの百姓通りあはせ、「是れは何をまくぞ。」といふに、彼のはたうち小手まねきして、「ああ声がたかいぞひきうひきう。」といふ。扨は世にまれなる唐物の種をううるにやと思ひ、心得たりとさし足してちかく寄りたれば、いかにもおのれが声のてうしをひきくいふには、「大豆をまく、烏や鳩がきく程に。」(『元禄笑話』42「人より鳥が怖い」)

  第七 百万遍の万日参り

 一 ある人夫婦づれにて、百万遍の万日ゑかうに参るとて、今出川のひがし野中にて知人に行きあうたり。扨も御亭はといへば、女房そのまま返答におよはずはしりより、「そそと物をいうて給はれ。」といふ。「扨は誰ぞにかくるるかや。」「いやかくれます人も御座らぬが、内にあま*をねさせてきたが、もし声のたかきに目がさめればめいわく。」というた。(『元禄笑話』41「百万遍の万日参り」。*「幼女」)

  第八 しはき坊主の若衆ぐるひ

 一 しはき坊主が去るわかしゆを恋ひわびて、かずかず文をかよはしくどきければ、若衆とほり者にて、一夜坊主の方へとまり行きける。暁雨のふる音を坊主ききつけ、南無三宝とめてくやしや、朝飯をふるまはずばなるまい、そらね入りして、起きてかへるを知らぬふりにせんこそよからめ、と思案しければ、若衆そと起きて行きける。もはや門のそとへも出でぬと思ひ心もとなさに、おきて見ければ、未だ門の内にやすらへるを見付け、仰天し立ちてゐながら目を塞ぎ、高いびきをかき事よ。(『元禄笑話』44「嗇き坊主の若衆狂ひ」)

  第九 わたまし祝儀の使者

 一 あたらしく普請出来たる所へ、知音の方より祝儀をもたせ使をやるに、「かまへて常の所へ使に行くとは違ふぞ、一言にても粗怱なる言葉を申すな。」と。「畏まりて候。」とて行きける。先の亭主悦び、献々をくみ馳走いたす。されどもつひに瘖(おし)のごとくなれば、亭主すまぬ事に思ひ、「貴所はいかな仔細により無言の仕合(しあはせ)ぞや、わめきさめく*こそ目出たけれ。」といふ時、「さればさき程から物がいひたうて、胸がやける程にあつたれど。」(『元禄笑話』90「移渉祝儀の使者」)

  第十 とがのない盗人

 一 「おれが秘蔵せしわきざしがみえぬ、そちがぬすみたる。」といふ。「いやとらぬ。」「さりとては証拠人有り。」とつよくいふ時、「取りはせぬ。人の見ぬまにもらうた。」

  第十一 魚がしやみせん引く事

 一 「月花の遊興に、琴三味線を引きもよほすは人間(にんげん)のならひなり。さる程に此の度われら西国より上り、海上永々かかり、めづらしき事を見侍る。」といへば、座中、「何事なるぞ、おもしろき事ならはなし給へ。」といふ。「さればしやみせんは人間許りのなぐさみにてない、海底の魚も引きならふ。」といふ。「それは近頃聞きおよばぬめづらしき咄なり、但し貴所も久々西国の住ひにて口がしこく、御江戸にはやる、けいあんことばを申されける。」といへば、「いやしかも小うたにのせて、鱈とふぐと毎日引きあそぶなり。其の小うたは、たんたらふくつるてんたらふくつるてんと引く。」

  第十二 せいじんの娘に意見する事

 一 さる人むすめ二人持ちけり、あねは年十八、妹は十六、ふたりともにえん付きせり。さきにてあねはにくまれさられ、妹はよつばりたれるとてさられける。おやさんざん腹立しけれども、是非なくてしかじか意見申すより外はなし。かかる所へ頓作のよき人来り、此のよしを聞き、親にいふやうは、「さのみ御意見無用になさるべし、今年は道理なり、来年からは両人の子達よくなほり申すべし。」といへば、おや、「ことしはあしし、来年はよしとはいかが心えがたし。」といふ。彼もの申すやうは、「あねはにくまるるはずぢや二九の十八、妹のよつばりはししの十六なり、とかくことしは其のはずぢや。」

  第十三 東寺の塔にてばくち打ち

 一 さる博奕打とうじの塔へしのび入り、三国一よき所とて大声あげてうち居たり。所の衆僧より申すは、「此の塔へ出入する事かたくきんぜい、殊に見れば博奕なり。其の儀は日本国の御法度なり、いそぎ立ちさり申すべし。」と申さるる。博奕打共口をそろへて申すやうは、「御法度なればこそ爰で打ちます。」といふ。「それいかに。」と申すに、「塔の下にて殊に大勝負にて更になし、銭にては八文にたらず、高九りんの勝負なり。」というた。

  第十四 浄土宗と法華宗と相住居の事

 一 さる町人に情のこはき法華宗と浄土宗と、一軒の家に壁をへだて住ひける。或時念仏講にて大鐘を打ちならし、夜半の頃まで念仏申して、扨夜食になら茶をせしが、件の法華のかたへ、「今ばんはおやかましう候はん。あまり夜寒に候ままおくり候。」よし申して、かのなら茶をやりける。忝しとて此の食をしたたかたべけり。くふとひとしく腹中いたみ、夜中に二十五度くだりける。かた法華の事なれば口すさまじくそしるこそ、いやの南無阿弥陀仏を数々聞きたる故、法然が日と同じやうに雪隠へ行くも二十五度と、散々に呟きけり。翌日はらも直りければ、女房いふは、「今朝の下りは何と有るぞ。」「されば南無阿みだまではやみたり、さりながらまだ残りたるやらぶつぶつといふ。」

  第十五 児のつまみぐひ

 一 さる所に茗荷のさしみありけるを、お児是れをつまみくひけるを、そばなる人申すやうは、「これをばむかしより今にいたり、物よみ覚えん事をたしなむ人は、みなどんごん草と名づけ、物わすれするとて、かたく食はぬ物ぢや。」といひをしへければ、児聞きて、「それならばおれは猶くふべし。」といふ。「ひだるさをくうてわすれう。」というた。(『元禄笑話』02「児の摘喰ひ」)

  第十六 慮外ちがひ

 一 ある人番にあたり上下を著してつとめけるに、ひがしのかたよりあじろの駕(かご)に、びろうどのたて笠、はさみ箱、供人あまたつれて通られける。番の者どもいかさまよしある御かたなり、座上慮外のいたりなるべしと思ひ、土べにおりてひざまづき、つつしんで待ちうけたり。のり物なるは浄土宗の長老なり、此のよしを見られて時宜するとは思ひもよらず、十念の望みなるべしと心得、やがてのり物の戸をひらき、合掌して、「南無阿み南無阿み。」といはれければ、番の人々興をさまし、はかまの土をふるひけるとぞ。(『元禄笑話』01「下座違ひ」)

軽口露がはなし巻之三 終

校正者注
 第十)底本は「『いやとらぬ。さりとては証拠人有り。』」。カギ括弧の脱落と見て補った。
 第十一)底本は「第十一」。脱落と見て補った。
 第十三)底本は「三国へよき所とて」。咄本大系データべースにより訂正。

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軽口露がはなし

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軽口露がはなし 巻之二

  第一 伊勢講の当番

 一 去る医者いせ講の有りし所へ風(ふ)と立ちより、「これはいかうにぎやかなる体ぢや。」と申さるれば亭主申すは、「伊勢講にて御座候。」「それは御大儀。」といふに、「されば貴様のお薬と同じ事にてよくまはり候。」といへば、ことの外医者よろこびかへりけるに、又存じたる所へ寄りける。爰もどたくたといそがしく料理しけり。亭主申すは、「今ばんはいせこうつとめ申すなり。さいはひの所へ御出でなされた、勝手にて酒一つまゐれ。」といふ。「これは御大儀ながらも目出たい事。」と申すれば、亭主、「されば貴公の薬と同じ事にてさいさいあたります。」というた。

  第二 蚤の式三ばん

 一 ある人蚤を壱疋とらまへ、式三番をまはせける。むかひの親父これを見て、「扨もおもしろき事かな、吾ものみ一つほしや。」と思ひ、著類(きるい)を見れども、かねて女房きれいずきせしゆゑ壱疋もなし。是非なく四五日も程過ぎ、ある夕ぐれ時分、何かはしらず壱疋とらまへうれしゆ思ひ、三番さうを始め、自ら口笛を吹きゆびにて畳をたたき、片手に扇子をもち、きげんよくまはせける所へ、成人の子外より帰り、「親父これは何をなさるる。」と云ふ。「のみに三番さうをふまするぞ。おれは目がかすんで太夫殿の舞ひぶりが見えぬに、火燭を灯してちやと見よ。」といへば、むすここころえたとて火そく持ちきたりみるに、「何とよくまやるか。」ととふ。「いや親父まひはせぬぞ、まはぬも道理で御座る、役者がかはりて白身太夫ぢや。」といふ。

  第三 藤の丸がかうやく

 一 ある所に藤の丸のつきたる、なうれんかけたる家にて番を勤めけるに、折ふし田舎人通りあはせ、その儘立ちより、膏薬を買うてみやげにせんと所望する。番の者、「爰にはなし。」といふ。「して是れは何ぞ。」ととふ。「いやかうやくにてはなし、是れは町役なり。」と返答した。いと興有る答へにや。(『元禄笑話』19「藤の丸が膏薬」)

  第四 はなし鳥のさた

 一 じやうのこはき者二人寄りあつまりゐける所へ、門をはなし鳥はなし鳥と売り歩くなり。一人が云ふやう、「あのつばくらといふ鳥はとび魚になる。」といふ。又一人、「いやそれは大きにうそなり。」というて、両人赤面してせりあひける所へ、わるじやれなるをとこ一人来り此のせんさくを聞き、「むかしよりも、山のいものうなぎになる抔といひならはしけれども、つひに見たる事もなし。然れどもさも有るべし、おれも此の二十五日に北野の天神へ参るとて、はちくのかはざうり一足十九文にて買ひたるに、宿へ戻りみれば長刀になつた。」というた。(『元禄笑話』20「放し鳥の沙汰」)

  第五 蛸やくしへの日参

 一 三條辺にうはきなる男あり。いつの頃より蛸薬師日参いたし、其の身一代のうち蛸をくはぬとて、人にも披露せしが、祇園の涼みの折ふし、四條河原の床のうへにて、友達酒のみ居けるに、茶屋の肴とてもみ塩の大蛸を、物の見事に切りはやし出しける。彼のをとこ、やがて此のたこをしたたかにくひけり。つれの友、「それはたこなるに、何とて其の身はくひ給ふぞや。」といへば、此のをとこ、「さればきのふ十二日に、ふや町のほてい薬師へ願をかけかへ、向後われ一代の間は布袋をくはぬといふて、蛸のさいしんを乞ひたり。」(『元禄笑話』「蛸薬師への日参」)

  第六 親も閉口

 一 十二三なるむすこに親意見するは、「おのれに何をいひ付けても返事せず、打ちうなづいて許りゐるていたらく、近頃見ぐるし。おし五郎にてはあるまい、人の物いふにはいやおの返答申せよ、但しうなづく許りにて物事済めば、しぜんおれが目が見えずば、その風俗は見えまいし、然らば一代埒のあく事は有るまい。」などと、さんざんにらみ付けしかりける。子がいふやうは、「返事を高声にしたればとて、もし親父つんぼの時は。」というた。(『元禄笑話』18「親も閉口」)

  第七 仏前三具足

 一 去る田舎に一村みな一向宗にて、道場へまゐりて御讃嘆を聴聞いたし、事をはりて講衆申さるるは、「仏前のみつぐそくの内、らふそく立を仕なほし申さずばなるまい。あの鳥を何ぞ余の鳥にこのみ申したいが、何とおもはるるや。」といへば、いづれも此の議に同(どう)じ、「されば、烏や庭鳥もいかがなり、何がよかろや。」とせんぎしけり。其の中に小ざかしき男のいふは、「とかく白さぎにめされかし。」といふ。座中此の議然るべしと談合きはめけるに、坊主罷り出でて申さるるは、「いやいやさぎは無用になされ、其のしさいは、どぢやう坊主にさし合ひぢや。」

  第八 一家の内の物語

 一 ある所に一家まじはり、色々の物がたりをする次に中ゐの女房がいふには、「あの正月ある事は、五月かならず有るとなれば、万事いはひもつつしみもいたしたがよい。」と申せば、十四五なるこしもと女が是れを聞き、「さてはさやうにあることか、おれは左右も思はぬなり、正月はかちんをさいさい見もしくひもしたが、五月のけふは二十八日になれど、餅とて一つもみぬ程に。」(『元禄笑話』17「一家中の物語」)

  第九 疱瘡の養生

 一 上京新在家あたりを、三十許りの男とほりけるに、にしの方よりとしごろなる女房、下女一人めしつれ来るとて、此の男をみてほやほやと笑ひより、「粗忽ながら其方様を私所へ御供申したき。」と語る。此のをとこ常に色このまぬにもあらねば、早速に同道してかの女の所へ行き見れば、れきれきの家居なり。やがてろぢの戸をあけ、屏風引きちらしたる座敷へよび入れ、種々料理をくはせ、さて最前の女房いふ様は、「ちかごろ申しかねたる儀におはしまし候へども、私はこれの養君に、乳をまゐらせしうばにて御座候。今年十六になり給ひて、あちこちより縁付の事のみ申し参りしが、そもじ様に一めあはせ参らせたく存じ、扨かく申し入れたる事に候まま、是非御あひ下されよ。」と、手をとりおくの一間へつれ行きけり。男夢かうつつかなどと思ひながら、ふるひふるひ屏風のそばまで行きけり。かのうばむすめの枕もとへ寄りていふ様は、「もうしおまへ様にかかせられますなと申す証拠は、此の人を御覧じませ、おかきなさるるとひとしく、あの人の顔のやうにみつちやが出来ます。」というた。(『元禄笑話』26「疱瘡の養生」)

  第十 道化者があいさつ

 一 文盲にしてしかもだうけ者あり、其のとなりによしある人住みけり。或時夫婦いさかひはじまりて、たがひに声たかくなりけるに、かのだうけ者行き、けんくわ最中にあいさつするこそ、「おまへ様がおまへ様なれば、こな様がこな様なり、事のたとへにも大坂に介(すけ)六といふ大工さへ御座るに、かんにんさしやんせ。」といへば、此のつかぬ言葉がをかしゆなりて、夫婦ともににがにが笑うて中をなほりた。(『元禄笑話』27「道化者が挨拶」)

  第十一 風呂入り

 一 「ちと御めんなれ、草臥ものでひえ者で、どうもならぬが、あき所はいかが。」「御通りなされ、奥は武蔵野にて侍る。」「近頃かたじけなし。」抔というて、小風呂の内へ入りけるに、然る人、「山高きが故にたつとからず。」と口ずさみに申すを、なま物じりなる者が是れを聞き、「庭訓のただ中をいはるる。」といふにをかしく思ひ、又一人がいふ、「其方は物しりがほな事を云ふ、あれは庭訓にてはない、節用集といふ謡の本にある事ぢや。」と。(『元禄笑話』25「風呂入り」)

  第十二 欲ふかき姥

 一 ある山家に欲ふかきうばあり。人の物と見ては、木の葉ひとつわら一すぢなりとも、くれいくれいとたくしもらふなり。ある時大きなる鼠をとらまへそこなうて、尾許り引きちぎれ捨てけるを、「それをくれよ。」といふに、人、「これは鼠の尾なり。そなたにやりてもやくにたたぬ物よ。」といへば、かの姥、「成程やくにたつ。」と云ふ。「何にするや。」ととへば、その尾を干しておき、姥が家に伝はりたるきりのさやにするというた。(『元禄笑話』24「欲ふかき姥」)

  第十三 舞まひと百姓と口論

 一 それぞれに忌言葉のあるぞかし、茄子にはまふといふことばを百姓も憚るなり。都七條朱雀にてなすびをうゑる百姓あり、又その節は吉祥院開帳の折から、参詣の人の勧進をせし舞をまふ男あり。或時とほりあはせ見れば、大きなる土工李(とくり)に杯をそへて有り、ちと是れをなん望みにや思ひけん、畠へ立ちより、「さらば一節まはん。」と云ふ。百姓聞きて、「あらもつたいなや門出あしし。」と大いに腹立しけれ。兎角いひより酒をのみのませけるが、立ちて行きざまに、「さきほどの腹立は、たがひにねもはもおりない事よ。」と上ぬりを申した。

  第十四 坊主魚の願ひ

 一 ある所の地頭と中のよき出家あり。振舞によばれて色々食物の咄ありしに、「海月と云ふものは精進めきたる物なり、出家にもまゐらせたや、殿に云うて是れをゆるしにせん。」などと語る。年たけたる弟子聞きて、「殿へ仰せ上げらるるついでに鯉鮒の事をも頼み入れ、又私が名を替へます、宗加と申すがすきで御座る。」

  第十五 きれいずき

 一 きれいずきなるもの有り、けぬきを持ちて口のはたのひげをぬきゐたり。そばなるもの、「少しそれをわれにかし給へ。」といふ。「かし候はん間、むさい所をぬき給ふな。」とて渡しける。「扨もよくくふけぬきぢや、なんでもたしなみ人(て)かな。」抔とほめちらし、大かたしまひ、のどの下をぬきければ、かの者いふやうは、「それむさい所よ。」とゆびざししければ、「のどの下にむさき所がありや。」ととがめければ、「成るほど成るほどむさい、御身の下帯をはさむ所ぢや。」といふ。(『元禄笑話』23「綺麗好」)

  第十六 ひけふ者の喧嘩

 一 夜ふけて三條大はしを通る者あり。むかうより来る人に橋の中ほどにて行きあたり、それをとがめたがひに口論になし、一人は大男一方は小男、双方につかみ合ひ、大男は苦もなく小男をくみふせ、馬のりにしてゐたり。小男今ははやこれまでと思ひ定め、九寸許りのさすがをぬきつかんとせしを、上なる大男これをみて、高声に、「やれ人ごろしよ出合へ出合へ。」というたは、組みふせて居ながら卑怯者ぞと。(『元禄笑話』22「卑怯者の喧嘩」)

軽口露がはなし巻之二 終

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軽口露がはなし 巻之一

  第一 文盲なる人物の書付を批判する事

 一 ずんど文盲なる田舎侍、供人少々めしつれ、京むろ町をとほり給ひ、家々のなうれんの書付を見て行きけるに、よめたる字一軒もなし。或所に戸をさし借家かし蔵と書き付けしを、しばらく立ちどまり、ひそかに下人を呼び、「あれは何といふ字ぢや。」と問はれけるに、かし家かし蔵ありと申す。主人うちうなづき、「尤も手はよろしからねど、いかにとしても文章がよい。」といはれた。(『元禄笑話』14「文盲なる田舎侍書付を批判す」)

  第二 京の何がし丹波へ婿入する事

 一 京の何がし丹波のおく山より縁をむすび、程へて婿入するに、土産物には大きなる生鯛一枚、小者にもたせける。七條大宮にて道中の用意にとて、ふのやき*を買ひ道すがらくうて行きけり。扨舅の家に著きければ馳走に水風呂をたき入れけり。小者も水風呂へ入るとて、懐中よりふのやき一まき落しける。山家の者共これを見て、「扨も合点のいかぬ物ぢや。」と色々評判すれども、遂に見しりたる者もなし。さらば堂の坊主と荘や殿をよびてこれを見せるに、坊主のいふは、「爰らの衆のしらぬが道理なり。是れは天狗殿の灸の蓋ぢや。」といふ。又荘や殿に、「此の魚は何と申す物ぞ。」ととへば、荘やの申さるるは、「是れは京祇園の小宮にも有り、えびす殿の腰にさしてゐらるる太刀ぢや。」というた。(『元禄笑話』50「京の某丹波へ婿入り」。*「麩の焼」)

  第三 筆まめなる書付の事

 一 ある人のかたへ、夏の頃客きたりて、素麺をふるまひけり。からしの粉をたづねるに、紙袋に書付なくて、気のせくままにあれこれと捜し、漸う取り出し振舞ひ過しけり。日暮におよびむすこ外よりかへりき、親父いふやうは、「あのかみぶくろにはそれぞれの入りたる物を書付せよ。総じてかきつけのない物は、いそぐ時のやくに立たぬぞ。」と云ふ。「いかにも心得ました。」とて、頓て親父ねられける時、紙帳に大筆にて此の内におやぢ有りと書き付けた。(『元禄笑話』51「筆まめなる書付」)

  第四 本国寺大門にうゑ松の事

 一 本国寺大門の南は、十年ばかり以前まで民家なりしを、近年は小松植わりけり。此の松に付き植木やを呼び、「あの大門より北にはむかしより大木の松八本あり。あれは法華八軸をかた取り八本なり。然るに此のたび南の空地には、法華二十八品をかた取り二十八本うゑべし。直段如何程。」といへば、木屋申すは、「とかく法華経の義理はそむかれますまい。直段一歩八貫文に御買ひ下されよ。」と云ふ。寺にも差当り高直とてねぎるべきやうもなし。其の中に小ざかしき男罷り出で、木屋の宗旨を問へば、「浄土。」といふ。「然らば其方の宗旨にて金子三歩経にまけよ。」というた。

  第五 茶といふ言(ことば)を利口に取りなほす事

 一 利口なる者の咄に、茶道坊主といふ言葉をそばにゐける人聞きていふ様は、「尤もちやを立つるなれども、あれはさだうといふ物ぢや。総じて茶にはさといふ言葉を用ゐる。」とをしへければ、彼の者が云ふ。「それは其方の申されやう無理なり。さとちやと同じことならば、笹屋の三郎兵衛を茶々屋の茶ら兵衛というても大事ないか。」と云うた。(『元禄笑話』53「茶といふ語を利口に取直す」)

  第六 重言くるしからずといふ事

 一 重言をいひ付けたるくせにて、「夜の夜中にてもあらばこそ、昼の日中に、山中の山なかにて、馬からおちて落馬して、うでのかひなを打ちをりて、医者のくすしに懸けて、養生してりやうぢしたれば、やうやうなほり平癒した。」といふを、友達聞きて、「扨も言葉はみな重言なり。よそにて左様の言をかならず申されな。」とかたく意見すれば、彼の者へらぬ口にて返答せしは、「其方は文盲な人ぢや。聖人賢人の語に多く重言有り。」といふ。「それは何の書物に有る。」といへば、「諷(うたひ)の本に有り。高砂の浦に著きにけり著きにけりと有り。」「それは目出たい事故苦しからず。」「然らば跡とふらひてたび給へたび給へといふ謡も有るぞや。」(『元禄笑話』52「重言苦しからず」)

  第七 大尽と太鼓の謂れの事

 一 「今時のわけしりは、世間せんじやうのために、一町あゆみ行くにも、太鼓といふしやれものをめしつれありくなり。それに付きあの太こといふ義理は何といふ事ぞ。」といへば、さかしきをとこが頓作をいふは、「総じて大じんも太こもみなみな六斎念仏の宗旨であらう。其のいはれは大じんはかねもちなり、太こといふ者はからりからりの身体なれば、かねもちに付いて歩まねばならぬ。」というた。

  第八 目は欲のもとでといふ事

 一 田舎人はじめて京へ上り、方々見物せり。大仏の釈迦を見てにはかに欲心発り、つれの友にいふやうは、「目は欲の元手ぢやといふ。あの仏の御手程おれが手も大きならば、京一番の両替屋の門に立ち、手に一ぱい小判をつかみ取りたい。」というた。

  第九 涙は人も尋ぬるたね

 一 うつくしき女中、ひとり途中にやすらひて、ものあはれさうになき居たり。ゆきあうたる人、「何事のかなしみありて、さやうに涙にむせび給ふ。」ととひければ、女聞きて、「さればこそ、あれあれあそこへ衣を著て、あみ笠めしたる人は、都にかくれなき歌念仏説教ときの林清(りんせい)といふ人なり。あの人のむねの内にいか程あはれしゆしようなる事の侍らんやと、おもひやられて袂をしぼる。」というた。(但しぬれかけのある女かしらぬ。)

  第十 六波羅の勧進といふ事

 一 無意気なるにはか道心、六はらの勧進というて門々をありくなり。人々不審に思ひ、「何と六はらの堂が立ちなほるか、慥か昨日も東山へ行くとて通りたるに、作事の体は見えず、いかさま此の坊主は似せ勧進にて有るべし、いざいざよびて尋ね申さん。」と、二三人立ちよりて此の坊主に謂れを聞きけるに、「御不審尤もなり。愚僧が庵室は六はらの片原町に罷り在り、庵に許り居たるは片原よ。」とそのままむねをひろげ腹をたたきてをしへ、「勧進と申すは此のろく腹へ。」というた。

  第十一 老いてもわかきにまけぬ事

 一 或在郷に七十ぢかき姥あり。にあひたる者の方へ嫁入をするに牛にのり、二十ばかりの孫に牛の口を引かせ行くなり。道にてさはる荷物の有るをみて、孫牛に声をかけ、「のいてとほれ。」と云ふ。姥これを聞き、「そうて通れといはんこそ本意なるに、のいてといふ言葉は気にかかり不吉なり、いやいやけふは行くまい。」と嫁入をやめけるも興あり。

  第十二 推量と違うた事

 一 ある所に久七といふ下人有りけり、かたのごとくよくはたらき、主人の気に入り奉公せしが、或時主人他行の折ふし、お内儀へ、「近頃はづかしながら、私が心底を包まずはなし申し度し。」といふ。内儀は面を赧めて、「あらきやうこつなる人や、何をいふ事の有るべし。」と申されける。久七、「かやうに申すうへに、御聞きなきにおいては覚悟いたした。」といふ。内儀申すは、「それほどに思ひ侍らば、重ねて折も有るべし。」と申されけり。「さいはひただ今は人もなく、よきしゆびにて候まま、ぜひ今申さん。」と、つかつかと耳のはたへより、小声にささやく様は、「あすより飯のしやくしをおし付けて下されよ。」というた。(『元禄笑話』16「推量と違うた」)

  第十三 人をけしてはまりのはやき事

 一 ある人、「京にめづらしき軽口咄はないか。」と、とはれけるに、「さして思ひ付きたる咄も御座らぬ。此のほど京中のとほり道をよくいたし、門の真中をたかくかまぼこなりにいたす。」といひもはてぬに、「そのはなしはふるいぞふるいぞ。」とけされければ、「さればこそ其のふるひによつてかまぼこにいたした。」といふ。(此の人は肴やではないか。)

  第十四 人はそだちの事

 一 ふり暮したるつれづれの折節、二三人呼びあつめ、とろろ汁を振舞ひける。其の中にこびたる人の申さるるは、「色々の御馳走、ことにけふのことづて汁は、いつにまさりて、一入出来たる。」とほめ給ふ。そばに相伴したる人、これはめづらしき御言葉やと思ひ、其のしさいをとふに、「されば此の汁にてはいか程も飯がすすむゆえ、よくいひやるとの縁により、ことづて汁といふならん。」「聞えたる作意や。」と感じ、宿にかへりてやがてくだんの汁にて客をよぶに、ことづてをとはれて、「めしのままをやる。」とぞ申しける。

  第十五 恥をいはひなほす事

 一 或町に寄会有りけり。二階座敷にてつとめける。事過ぎてかへるさに長座にくたびれ、そさうなる者はしごのもとにて、大あくびするとて、尻の辺よりぽんと音のせしを、そばなる人とんさくを申された。「扨も天下太へいで御座る。」といへば、彼の者も、「さればこくとあんどいたした。」というて笑うた。(『元禄笑話』15「恥を祝ひ直す」)

  第十六 小僧が利口で却つてめいわくといふ事

 一 去る寺にうつくしきお児有りけり。檀那参られて小僧をちかくよびて、「あの児はどなたの子なれば、あのやうにうつくしいぞ。」といふ。小僧、「あれは屋敷方のお子なり。爰の弟子になりに御出で有る。」といふ。檀那ききて、「おれが思ふやうならば、あの児を女子にしてほしい。」と申せば、小僧がいふやう、「いづれ人の目は九分十分ぢや、さたはない事、長老様も左様に御申しある。」と云うた。

  第十七 悪性の名付親

 一 然る所に二十許りの悪性なるむすこあり。夜々外へ遊びに出でけり。親大きに腹立して、懇なる人を両人かたらひ、「御大儀ながら、今ばんむすこ奴が居る所へ同道頼む。」よし申して、さて親父は鉢巻よりぼうなどもちて、常に子が行く所を見とどけ、あわただしく表の戸をたたき、「爰にこちのむす子はゐぬか。」と急にたづねければ、子は親父が声ときき、やがて二かいへはしりあがり、かくれ所のなきままに天井へとび上りければ、腰より上は天井にてかくれたり。親父友三人ながら二階へ行き見れば、何かはしらずこしより下許りの物有りけり。子も絶体絶命、爰なりと息づむひやうしに、大きなる屁を一つぽんとこきたり。扨一人が云ふ様は、「是れは定めてろくろ首といふ物ぢや。」又一人がいふは、「いや首は見えぬほどに、ろくろ尻にてあらう。」といふ。親父も興をさまし、「いづれもの量見とはちがうた。ろくろくびでもろくろじりでもない、先のなり音を聞くからは、六郎兵衛にてあらう。」というた。

  第十八 羨ましきは食物の火事

 一 四條河原にうつくしき野良(やらう)あり。古郷親里は京の西じゆらくの者なり。五月十五日は今宮の神事にて親里へまつりに行きけり。常はつとめの身なれば、隙なく往来する事更になし。さるにより親も一しほ珍らしく不便に思ひ、何がな馳走せんとて餅をつきくはせけり。野良も逢うた時かさをぬげとかや、人目も恥もかまはず、したたかにくひけり。されども夕陽西に入りあひのなるころ、我がすむおやかたの内へ帰り、ねてもおきてもくるしさうに見えけるを、ほうばいの野良見かねて、「そなたの病ひはここちいかが有り。」と問ひければ、「唯けふのもてなしの餅をくひすごして、むねのやけがくるしい。」といひければ、「おれもちとその類火にあうて見たいよ。」(『元禄笑話』48「羨ましきは食物の火事」)

  第十九 親父がはたらき三国一

 一 夫婦おどけ者にて、嫁も娘もあつまりて、冬の夜寒の折ふし、とうふを二三丁もとめ田楽にする。親父いひ出すは、「おのおの秀句をいうてくふべし。」と。嫁やがて、「われは仏のつぶり*。」と申して三くし*取りてのくなり。むすめは、「いなば堂。」とてやくし*取りたり。母は屏風の陰より出づるをみれば、髪をばつとみだしたすきをかけ、左右の手にて目口をひろげ、「われは鬼なりみなくはう。」とて、有りたけ取りたれば、せんかたなさに親父はふるき手ぬぐひをあたまにかぶり、手をさし出し、「乞食に参りた一つづつとらして下され。」といふ。(『元禄笑話』47「親父が働き三国一」。*「頭(つむり)」*「三串〔御髪〕」*「八串〔薬師〕」)

  第二十 苦身も品によるといふ事

 一 上戸なる親あり。町内に伊勢参宮の坂迎へとて出でけり。暮におよび内にかへり、むねをなで額をとらへ、「あらくるしくるし。」と、時すぐるまでかなしがるを、利口なるむすこ有り、「ととはそれほどくるしい酒をよいころにのみもせで。」と申せば、親は目を見出し、「おのれはこざかしく何をしりがほにぬかすぞ、此の酔ひのさめるがくるしやというてあそぶに。」(『元禄笑話』21「苦しみも品に依りけり」)

軽口露がはなし巻之一 終

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