軽口露がはなし
軽口露がはなし 巻之五
第一 譃にもせよきびのよい事
一 「思ひもよらぬまうけをしたといふ次に、おれも咄さう。きのふ河原の村山が芝ゐへ見物に行きければ、狂言最中に行き掛り、せんかたなく桟敷の下にて立ちながらみてゐたに、何かはしらず真中程をちらと見たれば、年二十許りの女房やんごとなき御姿にて、下女一人つれて見物せられけるを見ると、其のまま恋風ぞうと吹き、心もうかうかとなり、舞台の方へは目もやらず、いかさまくどいてみたい物ぢやと思ふ折ふし、かの女房下女をつれてかへりける。おれも跡に付き出でける。扨それより、祗園清水大谷大仏方々を行きけるに、さのみ礼拝の体もなく、いか様此の女はわれをみて当世のしかけ女ぢやと思ひ、いやこれは是非共宿を見届け、重ねてくどく種にもなるべしと思ひ定め、そろりそろりつき回りけるに、もはや日暮に及び、かの女せいぐわんじ墓の奥へぞ行きける、幸ひよき所よ宿まで行くにおよばず、爰にてくどき是非念をはらさんと思ひ、われも墓のそばへ行きければ、却つて女の方より我に言葉をかけ、『おまへ様はけふ一日わらはに付きそひ、これまで御神妙御出で忝し。とくにも言葉をかけまゐらせたく候へども、さすがに人め遠慮いたしたり、おまへ様の物が此の中におはしまし候はば御取りなされよ。』と、はな紙袋きんちやく、又は金銀の入りたる打替、数々の物を懐中よりなげ出した。俺も案に相違したと仰天して、『是れは皆私が物で御座る。」というて、有りたけ取りて戻りた。」と、大きにはなしける。「是れはみな夢のはなしぢや。」というた。(『元禄笑話』29「嘘説にもせよ小気味の好い話し」)
第二 葬礼の七五三
一 ある人あはうなる者にいふやうは、「あすは上の町よりけつこうなる葬ひが有る。」と咄す。けつこうといへば振舞の事ぢやとこころえて、押しかけたくさんにくはうと思ひ、一めもしらぬ人の葬礼に行き、大勢の人は皆かへりけるに、此のものはしりはてにかへり、すぐにきのふ咄したる人の所へ行きて、「そちは大きなるうそをつき、おれをはまらした。」とうらみける。「それは何事なれば。」といふに、「尤もけふの葬ひは七五三程けつこうにあれども、膳は出なんだ、あまりな事ぢやと思うて、もり物に手をかけたれば、おんぼうめが、『たたきころそ。』というた。」(『元禄笑話』30「葬礼の七五三」)
第三 小法眼の二幅一対
一 明後十一日霊山宿阿弥において御酒進上申し度く候、御出で可忝候以上、おのおの同道して急ぎける。亭主奔走の小法眼が書きし龍虎の二幅一対をかけられけるを、みなみな立ちより詠め居て、ひとりの文盲なる男、つくづく虎を見て、「扨も此の猫は上手のかいた物かな、此のやうないちもつを一疋持つならば、夜の目のあはぬ事はあるまい。」といへば、又ひとりがいふやう、「ねずみ取るやうな目で、何やら睨んでゐる。」といふ時、宿老龍の絵に指ざしして、「実(げ)に実にその筈で御座る、爰なからざけ*をねらうてゐまする。」(『元禄笑話』31「古法眼の二幅対」。*「乾鮭(からざけ)」)
第四 道頓堀にて巾著切とらへし事
一 さる町人、大坂道頓堀にて巾著切をとらへて、先のきんちやくを返せとてせご*しけれども、此の盗人いろいろちんじけるが、次第に人多くかさなりて、それふめたたけなどとこゑごゑにいふ。かの者が申すやうは、「貴様の巾著は取るとひとしく同類に渡し、爰にはなし、明日返進申すべし。」といふ。「それはいよいよ肝のふときいひ分かな、とかくちやうちやくせん。」と申す時、かのぬす人独言を聞くに、「じたいおれがのが分別ちがひぢや、やつぱりわうちやく*な分なればよきに、いはれぬきんちやくになりたるゆゑよ。」と。(『元禄笑話』32「道頓堀にて巾著切を捕ふ」。*「責徴(せご)」*「横著」)
第五 性わるわるの坊主
一 さる町庵に坊主あり。妹というて女を置き、甥というて子を持ちけり。されども念仏の音声よく鐘をよく打つにより、俗衆の念仏講へやとひける。いやなくせにて博奕をすいて、人にかくれて折々其の場へ行きけり。或時念仏講同行衆とて庵へさそひ寄りければ他行のよし。「今晩は講にて爰の御坊をつれねば講中にかね打つ人なし、何方へ参られたる。」と、留主居の女にしきりに問ひければ、是非なくそことをしへける。先へ行きみれば最中さかりと勝負有りけり。「扨々人には人くずとて御身あたまを丸め、なまどし寄つてかやうの掛勝負をめさるる事、所存のあしき事なり、よしあし人にうたはれぬ先に少したしなまんせ、内に女房子もない物かなんぞの様に、性わるわる。」と散々にしかりければ、坊主がいふやうは、「其のやうに御しかり無用なり、掛勝負にては更になし、座中共にみな現金勝負なり、念仏講のかねはみな来世がねぢや、まづまづ今ばんは御ゆるしあれ。」というた。(『元禄笑話』33「性悪坊主」)
第六 此の棋(ご)は手みせ禁
一 有徳なる町人せいじんの子共に世を譲り、その身は禅門になり裏座敷に隠居せり。同じ町に又さのごとくなる人有りけり、あけ暮棋を打ちてたのしみ、相手もかはらず此の両人より外に棋の友とする人もなし。或日一方の人つづけて二番まけられ赤面して打つ程に、又三番めの棋もまけにみえける。大石しにたる所を、「一手みせよ。」といへば、中々見せるけしきはなし、是非共是れは見せよみせまいと、互に盤の上にて手をねぢあひ、あげくの事に黒白の石をつきくづし、互に腹立しておのれしのれといひ合ひ、「向後一生そちと棋はうたぬぞ。」「いかにも参会止めにいたす。」と、勘当言葉にて罷りかへりける。扨其の日も西にかたぶき外の友とてもなく、枕引き寄せつくづくとけふの口論を思ひ出し、「とかくむかしより短気は損気といふは爰ぞかし、先程の棋一番まけて打つならば、今時分まではしこりかかり打つてなぐさまん物を。」と、両方ともにこうくわいしける。同町の事なれば、明くれば早天よりかの相手の門を通るとて、たがひに尻目にてにらみあひ、一方よりいふは、「なま年よつて朝腹から棋のうちたさうなつらな。」といへば、門を過ぎたるが立ちどまり、「打ちたいがおのれにかまふか。」と、目に角入れてとがめける。「打ちたくば爰へうせをれ、慈悲にうつてこませうぞ。」といふ。「慈悲にもせよあだにもせよ、さあさあ打つて見くされ。」と、誰あいさつなしに中をなほりた。(『元禄笑話』34「此碁は手見せ禁」)
第七 伊勢ぬけ参り
一 江州矢ばせの船にて、九州肥後の者なるとて、年十一二歳なる子供、伊勢へぬけ参りとて両人船に乗りける。此のもの路銭すくなく持ちけるにや、ただし腹中ひもじさの折からにや、一人がいふやうは、「あの三上山が飯ならば唯一口にせしめん物を。」といへば、又一人端的の返事に、「此の水海がとろろ汁ならばおんでもなうくひかねはせまい。」というた。乗合の中に心ある人や、此の言葉を不便にや思ひけん、船中にて勧進をあつめ、銭一貫文くくり、此の両人の者につかひける、誠に神徳有り難し有り難し。(『元禄笑話』35「伊勢へ抜参り」)
第八 九品の浄土九々の算用
一 さる法華の坊主と浄土の俗と、道づれになり行く途中にて、坊主いふは、「其方は何宗ぞ。」と問ふ。俗聞きて、「忝くも極楽浄土。」といふに、坊主、「何の忝い事が有るべし。」とあざけるを、俗、「念仏のありがたき事は、仏ぼさつ祖師達九品九々の浄土と申すなり。しらずばいふを聞き給へ、先づ二四八三四十二日は薬師、三五の十五日あみだ、三六の十八観音、三七二十一日弘法、三八二十四地蔵、五々二十五日元祖法然、四七二十八日親鸞、かくのごとく、念仏の宗門みな九々に合ふなり。」といへば坊主聞きて、「いかにもさこそ有るべし、又此方の日れん上人の日も左のごとし。」といふ。「何と十三日が九々に合ふか。」といへば、「九々も算用も入らばこそ、十三日は世界の衆生を二まひのあたりなれば、一つにかきなでてすくひとる。」といはれた。
第九 常題目の地形
一 北野に常題目といふ所あり。去る法華の俗人聞き及びて、はじめて参られけるに、寺内殊の外ひろしといへども、地形たかひく有りて見ぐるしし、「とての事に地をろくにならしたき物かな。」と噂するを、亭坊申さるるは、「此の高ひくありてこそ題目も相続すれ、ろくじは此方にさし合ひぢや。」といふ。
第十 えびす講の書状
一 十月二十日えびす講の振舞するに、嘉例の客、もんまう*なる人の方へふみをもたせ呼びにやりけり。今日はえびす講にて御座候、早々御出で仰ぐ所に候以上、誰殿参る、と書きしたためもたせやりけるに、此の文をみて殊の外に腹立していふやうは、「此のやうなへたらしき文のかきやうがあるものか、此のさむぞらに及びて御出であふぐ所とは何事ぢや、御出でなされ候はばこだつこだつと書きたいものぢや。」(『元禄笑話』36「恵比須講の書状」。*「文盲」)
第十一 弁説の過ぎたる乞食
一 乞食は座入してより袋を首にかけてありくとや、ある所にて弁説にまかせ口をすごしける乞食を、さんざんたたきければ、此のこじき、したたか叩かれて後いふやうは、「おれも神主の流れなり、汝にかならず罰が当るべし。」と、大きにののしりけり。「それいかなればさはいふぞ。」ととふに、「此の袋は忝くも社なり、それをいかにあれば、紙のやどり給ふなは社だんぢや。」というて理窟につめ、「なぜに打(ちやう)ちやくしけるぞ。弓矢八幡堪忍ならぬ。」と大きにねだれければ、「打ちやくもたたきもせぬなり、おのれ乞食にてくれよといふにより、慈悲におもさまくはしてとらした。」といふ。
第十二 入院ぶるまひ
一 真言寺へ村中残らず入院振舞によばれ、住持弟子に申し付け、寺の什物ことごとくとり出し、それぞれの道具の名をいうて見せられたり。何れも見物いたし、其の中に、「輪によくにたる物は何と申すぞ。」ととふ。「是れはりんぼうと申す物ぢや。」といふに、もんまうなる百姓、「さてさてむかしよりつひに見た事がない、耳にきくさへいやぢやに、まして目に見る事うるさし、はやく捨て給へ其のびんばふを。」と。
第十三 知らねば是非もなし江戸の島原京の島原
一 江戸の芝ゐをしまばらと云ひ、京のけいせい町を島原といふ。江戸よりさる人はじめて京へのぼり、上京に何ともならぬこくめんなる人の方に宿取りゐけり。或時四條がはらの芝居を見物してかへりけるに、亭主、「今日はどこを見物なされたる。」ととふ。客は何心もなく、「今日は島原へまゐりたるが、扨々おもしろい事かな、酒をのむ所もぬれかけたる所もあり、近年のなぐさみ又明日も参るべし。」といふ。亭主色をうしなひ、「さてさて悪性人かな、きのふけふのぼりて程もなきに、はやけいせいぐるひをめさるか。」と大きに意見した。(『元禄笑話』37「知らねば是非なし江戸の島原京の島原」)
第十四 欲のふかき長老
一 欲深き長老同宿をつれてろ斎に出でし。斎料に布施を包み、童子にもたせ長老の前におき、是れは百文とみえたり。後に亭主二十疋つつみけるをもちて出で、同宿が前に置く。長老、「あら不審や前後失念にてこそあらめ。」と、寺へかへりて同宿にむかひ、「さいぜんの布施は施主取りちがへたると覚えたり、おれがのをそちへやり、其方がのをこちへとらん。」といふ。同宿めいわくなるふりをするに、いよいよほしく思ひ、我が分をなげ出し、かの二百文づつみを取りあげて見たれば、蝋燭二丁有りけり。(『元禄笑話』38「欲深き長老」)
第十五 後家の町役
一 或町に番の事あり、家役なれば名代立つべきやうもなし。其の町にひとりの後家あり、此の人にも番させんといふに、めいわくに思ひ色々わびごとを申しけるは、「もつとも町議の仰せをそむきて番せまいにては御ざらぬ、はかまを著けては小べんがなりますまいと思ひ、これ一つ気のどくてあんす。」といふ。
第十六 小間物屋が覚帳
一 一生よみかきしらぬ、文盲なる小間物や商人ありけり。ひかへ帳あきなひ有る毎に人には頼まれず、自らさいかくして、小刀をもつて三尺許りの木にきざを付け、我が覚えとして埒をあけけり。ある日暮のくらまぎれに小間物を売りたるを、又かの木にきざを付くるを、むすこながめゐて、「ととくらがりで物をかいて、手をきりやるな。」というた。(『元禄笑話』39「小間物屋の覚帳」)
第十七 十夜の長談義
一 関東よりのぼりたる長老寺へすわりて、始めて十夜の談義をとかれける。洛中の男女くんじふ*せり。長老高座にて申さるるは、「昨晩談じたる次を今ばんも講釈いたす事なり、それに付けうけたまはれば、愚僧がだんぎは長くてたいくつなと、女中方の申さるると評判あり。理句義のよくつまるやうにと存じて申すなり、さりながら今晩のも何れも次第にいたさうが、女中だち何と思召すぞ、みじかいがよいか長いがよいか。」とくり返しとはれける。参詣の男女返事なく、くつくつと笑ひけるを、長老腹立せられ、高声に、「それはかたがたの気のやりやうがわるい。」というた。(『元禄笑話』40「十夜の長談義」。*「群聚」)
第十八 江州土山のばくらう
一 江州土山の者、ばくらうの許にて馬一疋買ひけるに、「眼爪かみくら下其の外そろひたる。」とほむる時、「何と川わたりはよきか。」ととふに、「中々の事川は鵜ぢや。」といふ。めでたしめでたしとてよろこびもどりけり。四五日過ぎて雨ふり田村川の水まさりける時、かの馬荷を付け川をわたるに、中程にてどうど臥したり。買ひぬし気のどくに思ひ、やがてばくらうが所へ行き、存分をいひけるに、「さればこそ川は鵜ぢやと申したわ、鵜といふ鳥の水を見ていらぬやあらん。」というた。
元禄四年未七月吉日開板
軽口露がはなし 大尾