江戸期版本を読む

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【翻字】

此世中百首絵抄は享保七壬寅のとし
梓(あつさ)に行はれけるか天明八戊申の年
都にて火にあひて失へるよし今は
得かたき事をうれひて予尊信の
あまり木に上(のぼ)し林崎文庫(ふみくら)に納て同志の
人々にも見せまほしうて物せしに
なんねかはくは人々詞(ことは)のひなひたるを
いやしとせす其(その)ふかき理(ことは)りを味ひて
正(たゞ)しき道に入のたよりとならむ
事をねかふのみ
天保六年乙未九月 伊勢内宮 車館大夫荒木田末真誌
川上葆書

皇太神宮一禰宜荒木田守武神主本系
天御中主尊-(此間八世)-天兒屋根命-(此間九世)-天見通命(垂仁天皇御宇奉仕荒木田氏之祖)-(此間十五世)-
-神主石敷---神主佐禰麻呂(荒木田一門氏人之祖)-(此間十六世)-守藤(一禰宜)-
         |-神主田長(荒木田二門氏人之祖)
-守元-守房(一禰宜)-守秀(三禰宜)-
-守武(一禰宜)
 号薗田長官文明十九年二月廿日任禰宜天文十年
 四月廿三日転任長官同十八年八月八日卒時年七十七

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 新撰菟玖波集 雑連謌
 さのみ心に 世をな いとひそ
 荒木田守武
 猶ふかく たつねは 山のおくもなし

【通釈】
 この『世中百首絵抄』は、享保七年に出版されたが、天明八年京都で火災に遭い(版木が)焼失したということで、現在は(本として)入手困難をであるのを憂い、私は尊敬のあまり、(再)出版して林崎文庫に納め、同志の人々にも見せたく思って(本書を)著した。できれば読者は(歌の)言葉が野鄙な点を卑しむことなく、その深い道理を味読して正しい道に入る機縁になることを願うばかりである。

 そんなふうにばかり世の中を嫌ってはいけない。
 (世を厭い、山中に)いっそう深く尋ね行くと、山の奥もない(。結局また人里に出てしまう)ものだ。(だから、)

【語釈】
・享保七…1722年
・天明八…1788年
・林崎文庫…内宮の文庫。
・大夫(たいふ)…神主・禰宜(ねぎ)など神職の呼称。・天御中主尊…日本神話における造化三神の一柱。『古事記』においては最初に現れる神。
・天兒屋根命…岩戸隠れ神話に登場する神。中臣連の祖神。
・天見通命…荒木田氏の祖神。
・垂仁天皇…第十一代天皇。記紀では在位九十九年、寿命が百四十年、百五十三年と長く、実在は疑問視されている。
・文明十九年…1487年。

【解説】
 「附」として、本書が享保版『世中百首絵鈔』の改版である理由と出版の経緯、「世中百首」の作者・荒木田守武の系譜および連歌の代表作、肖像画が載せられています。
  

【翻字】
世中(よのなか)百首絵鈔(ゑせうの)序
此百首伊勢太神宮の一の祢宜(ねぎ)薗田(そのだ)長官荒木田(あらきだの)
神主守武(もりたけ)の作れる所なり其身神事に
供奉(ぐぶ)し朝廷奉祈のひまひま明窓浄机に
よりてもろこしの書(ふみ)をならひ敷島の
道を好みて詠吟たゆることなく連歌の
奥儀にも通して新撰菟玖波(つくば)集に
えらひ入らる又誹諧(はいかい)の趣意にも精(くは)しく

して其句を金玉になそらへ世の人(しん)
口(こう)に語りつくものおほしかるかゆへに
誹諧の士其道の祖とあふけりことに
大永の比(ころ)一夜に百首の和哥を詠し
て子弟にさつけ庭訓(ていきん)となし給へり
其詞(ことば)のされはみたるは愚(をろか)なる童(わらは)賎(いやし)き
奴(やつこ)まても口に唱へ心に味ひてさとしや
すく日用の教訓となりなむことを思へる

なるへしかつ巻頭に孝は百行のもと
たることを知らせ専(もはら)五常の道をのへ
て一首ことに世間(よのなか)の二字ををきて
世中百首と題せらるにておもふ世諺(せけん)
に伊勢論語と称せるもまた宜(むへ)なら
すや此国神国神聖のおほむをしへ異域周
孔の深きのりにもたかふことなからまし
僕(やつかれ)近者(ちかころ)親筆(しんひつ)の百首を求めて拝吟

せりつくつく思ふに連城の珎(たから)夜光の璧(たま)も
いたつらに篋(はこ)におさめぬれは世に其光なし
此ゆへに詞の心を註して画図にあらはし
守武神主の系譜をよひ肖像をのせて
これを梓(あつさ)に彫(えり)て広く童蒙に便りせは
誠に忠孝の道しるへならむと講古堂
にをいて校正なしおはんぬ

【通釈】
 この百首は、伊勢大神宮の一の祢宜、薗田氏で長官であった荒木田守武神主の作である。彼は神事に供奉し、朝廷奉祈の職務の暇々に、読書して中国の書物を学び日本の神道を好んで、常に詩歌を詠吟し、連歌の奥義にも精通して新撰菟玖波集にも入選した。又俳諧の趣意にも詳しく、その句を金玉になぞらえ、世間で語り継がれる作品が多い。ゆえに、俳人たちは俳諧の祖と仰いできた。特に、大永年間に、一夜に百首の和歌を詠んで子弟に授け、家庭教育の教えとなさった。その言葉が冗談めかしているのは、愚かな子供や身分卑しき下僕までも、口に唱え心に味わって教え諭しやすく、日頃の教訓となることを考えたのであろう。かつ、巻頭に「親孝行はすべての善行の基本」であることを教え、もっぱら仁・義・礼・智・信の五常の道を述べて、一首毎に「世間(よのなか)」の二字を置いて「世中百首」と題されたことで想像するに、世の中でこれを「伊勢論語」と通称するのもまた当然ではないか。この国は神国であり、神聖な御教えは異国である中国の儒教の道徳にも異なることはないであろう。私は最近親筆の「世中百首」を入手して拝吟している。つくづくと思うのに、「連城の璧」とされた「和氏の璧」や「夜行の璧」といった最高の宝物も、箱に収められていたら世間にその価値は知られない。だから、「世中百首」の歌の精神に注釈を加え、それを絵に描き、守武神主の系譜と肖像を載せて出版し、広く子供たちの学習の便宜を図れば、実に忠孝の道標であろうと、講古堂において校正を終えた。

【語釈】
薗田…伊勢神宮内宮の神官の家系であった荒木田氏の一氏族。守武は薗田氏中川姓であった(『俳諧名家列伝』)。
長官…内宮の祢宜十人中第一の者の称。
明窓浄机…読書や執筆に適している場所。
新撰菟玖波集…室町時代後期の准勅撰連歌撰集。1495年成立。
大永…1521~1527年
庭訓…家庭教育。家庭での教訓。
やっこ…下僕。しもべ。
孝は百行の本…親孝行はすべての善い行為の基本になるものだ(『後漢書』)。
五常…儒教で、人が常に守るべきものとする五つの道。仁・義・礼・智・信の五つの道徳(『漢書』)。
周孔の深き則…周公旦と孔子の遺した深い道徳規範。儒教を指す。
連城の璧…無上の宝(『史記』藺相如伝)。
夜光の璧…昔、中国で、暗夜にも光ると言い伝えられた宝玉。
梓に彫る…昔、中国で版木に梓を用いたことから「本を出版する」意。
童蒙…幼くて道理がわからない者。
講古堂…伊勢山田の書肆。

【解説】
 著者及び「世中百首」、本書の主旨等を説明しています。神国日本の内宮神官である作者の説く道徳が、中国の儒教の徳目を骨子としている点を、何とか合理化しようとしています。神道が思想として本来的に脆弱であったことと、儒教的倫理観が当時いかに絶対的・支配的であったことが、この序の説明からうかがい知れます。

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 『世中百首絵鈔』は、享保年間(1722)と天保年間(1835)の二度出版されています。
 三重県立図書館の公開しているデジタル画像の書誌には1722年としてありますが、画像を見る限りでは天保六年の序があり、1835年版であるように思います。今からその内容をご紹介していきたく思います。
 「世中百首」は、伊勢神宮内宮の禰宜の家に生まれた荒木田守武(1473-1539)の作による百首歌です。守武は「俳諧の祖」と呼ばれ、俳諧の創始者の一人ですが、和歌も詠みました。「世中百首」は1525年に詠まれた百首歌で、人の生き方を説いた道歌であり、百首すべてに「世の中」という語が詠み込まれています。
 これに絵と注釈を加えたのが本書です。本書には「伊勢論語」の異称もあります。
 絵も楽しく、歌にも注釈にも現代に通じる教えが含まれているものが少なくありません。

  

【翻字】
行粋(ゆくすい)の流(ながれ)は同し人にしてしかももとの
野夫(やぼ)にはあらず土気(つちけ)のとれたる吸物
 好(ごのみ)梅咲(さく)宿の春しごとこぞのままなるふる
衣(ごろも)ふるきをたづねて新五茶(しんござ)のいやみから
 みもなには江(へ)やあしとは人のいふらんも唯(たゞ)
 吉原のよしよしとつのぐむいろはほにしへて

みとりの色香深川のふかき浅きはくみ分(わけ)
て知る人ぞしるしやれ仲か間(なかま)ちかゝらん
者は目にめじろ遠からんものは耳に音羽の
音に聞(きく)遊子方言(ほうげん)辰巳の岡高きをこのむ
 はなつぱりむしろつまたちて望(のぞま)んよりは火の見
はしごをのぼりてこそ他(た)の高慢の鼻柱
をしらんかしかし味酒(あぢざけ)の蜜をねぶらせて終(つゐ)

にうつはきに剥(はぎ)とらるゝはいづくも同じ狂言綺
 語(けうごんきご)さん茶梅茶のかね四つきりの裏茶屋はいり
寝て解く文庫結びの黒繻子かひやひやさわるも
何とやらんさうさう敷引茶屋(ひけぢやや)より取よせて
 の飲喰(のみくひ)もむねつかゆる心地ぞするをましてや茶漬(ちやつけ)
 茶碗にもりたる心太(ところてん)を御夜食と覚たらんも尚
おかしからぬかは
酔醒茶弦(ゑひざめのぢやづる)がいふ
【語釈】
・しんござ・・・江戸時代、遊里で、やぼな田舎武士をばかにしていう語。浅黄裏?。新五左。
・つのぐむ・・・草木の芽が角のように出はじめる。
・辰巳の岡・・・深川の岡場所。深川の芸者は「辰巳芸者」と呼ばれ、「意気(粋)」とされていた。
・はなっぱり・・・人と張り合って負けまいとする意気。向こう意気。負けん気。
・うつはぎ・・・そっくりはぎ取ること。まるはぎ。
・狂言綺語・・・。道理にはずれた語や飾り立てた語。小説・物語・戯曲などを卑しめていう語
・三茶・・・三軒茶屋。当時ここに三軒の茶屋があったことから地名の通称となった。
・かね四つ・・・夜四つ(午後10時ころ)の時の鐘。女郎屋の張見世終了時刻であった。
・裏茶屋・・・遊里の裏通りにあった茶屋。遊女と間夫?(まぶ)?の忍び逢いなどに利用された。
・文庫結び・・・当時、武家の女性が結ぶ帯の基本的な結び方であった。
【解説】
 跋は序文と同じく、文飾の多い戯文です。江戸の岡場所の地名や情景を織り込み、四編の内容にも触れ、古典からの引用やパロディを盛り込んでいますが、特に深い意味はなく、ただ跋文として置いて本の体裁を整えている駄文にすぎません。
 本書は『太田南畝全集 第7巻』『洒落本大成 第7巻』『洒落本大系 第4巻』『徳川文芸類聚 5』『洒落本集』などに収録されているようです。詳しくはそちらをご参照ください。

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【翻字】
[十](来る)是は旦那どふで
ごぜんす重野さんどうしなせんたへ[重]いゝにやサ宵に
の[源]宵にも何にもいらねへおれかいつて聞せふ此
ふんばりが今まで何所何所かうしやあがつてばかばか
しい売ねへ駒牽銭を見るやうにふとんの
うへにおれひとりおきあがつたかそれにもとん着(ぢやく)
するやうないやみな事(こつ)てもねへけれどもたばこ
の火が消(けへ)たから手をたゝへたら泥鼈(すつぽん)だそふで
つらア出しやアがつて真(ま)の振(ふりよ)をしてそうぞうしい
のやかましいのとぬかしやアがるからの事さ[十]
そりやア重野さんもよくごぜんせん[重]いゝにやサ
宵に来て見たらよく寝入(ねいつ)て居なさるに仍(よつ)て
[十]それだとつてもお前モウ追付(おつつけ)七つでごぜん
せふマア何所へ行(いつ)て居なせんした[重]ナニサお筆
さんの客衆(きやくしゆ)が宵立(よいだち)だからあの子の所(とけ)へいつてうたゝ
ねをしたらつゐ今まで[十]ソレそれが悪ふごぜん
す何所の国に客衆のあるに余所(よそ)の座敷に寝る
といふ事が有(ある)もんでごぜんすイエもふ兎角(とかく)此子(このこ)が
わるふ御座りますから御堪忍(ごかんに)なすつて御きげんよく
およりましへゝゝゝハゝゝゝ[源]いゝにくい事てごぜんす
すが事とすべによつちやア此土地(とちよ)をはき地にして
すもふ取草(とりぐさ)にぺんぺん草ばつたこうろぎきり
ぎりすを鳴(なか)せる法もしつて居やす[十]そりやア
もふ如才(じよせへ)のねへおかたと申事ア一寸(ちよつ)と物をおつせん
すのても知れやすマア何かなしに今夜の事は
私(わたくし)に下さりまし[源]よふごぜんすこんたに昇(のぼせ)
られてあつく成(なる)のじやアねへがわつちだとつて
も理も非も聞(きゝ)わけねへ一国(いつこく)な野郎でもご
ぜんせんそれほどにいはつしやるもんだから
何も公界(くげへ)だなんにもいはずにおとなしく夜
のあけるまで寝ていきやせふ[十]そりやア有
がたふござりますさあさあよりまし重野さん
ねかし申なせんし[重]さあおよりゐし[源]
アイ寝やせうとつて[十]まだよつ程およら
れますハイ左様なら[源]これは大(おほき)に御苦労
でごぜんした[十]ナニお前へゝゝゝハゝゝゝ(跡は間ぬけ
の床入(とこいり)にたがひに無言(むごん)のしり合(あは)せ[重]はごうごう[源]はあゝ
あゝあゝいびきとあくびのかけ合(あひ)にやゝ時うつれははや明け
わたるしのゝめの空)花の雲鐘は目白か護国寺かうき
たつ春の心哉(こころかな)心哉
【通釈】
十蔵が来る。「これは旦那どうしたのでございます。重野さんどうしなさったえ」。重野「いや、さ、宵に、の」。源六「宵にも何にも(お前が言うことは)いらねえ。俺が言って聞かせよう。このアマが今までどこへか失せ(てい)やがって。馬鹿馬鹿しい、売れねえ駒牽き銭を見るように、布団の上に俺一人置きやがったが、それにこだわるような嫌味な事(を言うつもり)でもないけれども、たばこの火(種)が消えたから手を叩いたら、(こいつは)すっぽん(みたいなアマ)だそうで、つらを出しやがって、真面目なふりをして、騒々しいの、やかましいのと抜かしやがるから(大きな声を出したまで)の事さ」。十蔵「そりゃあ重野さんも良くございません」。重野「いや、さ、宵に来てみたらよく寝入っていなさるから」。十蔵「そうだとしても、あなた、もうそろそろ七つでございましょう。まあ、どこまで行っていなさった」。重野「なに、さ、お筆さんのお客が宵立ちだから、あの子の所へ行ってうたたねをしたら、つい今まで」。十蔵「それ、それが悪うございます。どこの国にお客があるのによその座敷で寝るという事があるものでございます?いえ、もうとにかくこの子が悪うございますからご勘弁なさって、ご機嫌良くお休み下さい。ヘヘヘ、ハハハ」。源六「言いにくいことでございますうが、事と次第によっちゃ、この土地を掃き地にして、相撲取り草にぺんぺん草、ばった・こおろぎ・きりぎりすを鳴かせる方法も知っております」。十蔵「そりゃあもう、抜け目のないお方と申す事は、ちょっと物をおっしゃいますのでもわかります。まあとにかく、今夜の事は私に(任せて)下さいまし」。源六「良うございます。あなたにおだてられて熱くなるのじゃあねえが、私だとて理も非も聞き分けねえ頑固な野郎でもございません。それほどに言われるもんだから、いずれにしてもこの世は苦界だ(、こだわったって始まらない)、何にも言わずに大人しく夜の明けるまで寝て行きましょう」。十蔵「そりゃあ、ありがとうございます。さあさあ、お休みなさいまし。重野さん、寝かせ申しなさいまし」。重野「さあ、お休み下さい」。源六「はい。寝ましょう」と言って(行く)。十蔵「まだよっぽど(の時間)お休みできます。はい、さようなら」。源六「これは大いにご苦労でございました」。十蔵「なに、あなた、ヘヘヘ、ハハハ」。後は間抜けな床入りに、互いに無言の(ままで)尻を合わせ、重野はごうごう、源六はああ、ああ、いびきとあくびの掛け合いに、少し時が移れば、早くも夜が明けわたる曙の空である。(上野の)桜は満開で雲のよう、明け六つの鐘は目白不動か護国寺か。浮き立つ春の心かな、心かな。
【語釈】
・ふんばり…下等な遊女を卑しめていう語。
・駒牽き銭…金のたまるまじないとして財布に入れられたりしていた、人が馬を引いていく図柄の模造通貨。
・ま…偽りがないこと。まこと。ほんとう。真実
・七つ…午前四時ころ。
・よる…不詳。ここでは「もたれかかる」の意から「横になり休む」の意か。
・宵立ち…遊里で、朝までの揚げ代を支払った客が、宵のうちに帰ること。また、その客。
・掃き地…立退きを命ぜられた土地。取払いを命じられた地。
・相撲取り草・・・スミレ、あるいはオヒシバの別称。
・ぺんぺん草・・・ナズナの別称。
・如才ない…気がきいていて、抜かりがない。
・何かなしに…とやかく言わずに。とにかく。
・のぼせる…おだてる。
・公界・・・ここでは「苦海」か。苦しみの絶えないこの世を海にたとえていう語。苦界 (くがい) 。
・しののめ・・・夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ。あけがた。あけぼの。
・鐘・・・時を告げる鐘。
・目白・・・目白不動。
【解説】
 本編冒頭、源六を店に呼び込んだ十蔵が現れ、二人の騒ぎを静め、騒動は終わります。結局源六の遊興はめちゃくちゃなままに終わります。
 編名の「笑止」は「くだらない」という意味ですが、これは「こういう女郎遊びは笑止」という意味でしょう。読者はきっと悪い例、戒めとして「こういう遊び方だけはするまい」と思って読んだことでしょう。そもそも女郎遊びというものは褒められた遊びではない訳ですから、賢ぶらず、気取らず、嫌みにならないように、馬鹿を承知でさっぱりと遊ぶのが良いということなのでしょうか。
 本書も残すは跋だけになりました。あと一回で読了です。

  

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