江戸期版本を読む

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十一 祐経を射んとせし事

 梶原源太左衛門景季は、未だ鹿に逢はずして、落ち来る鹿を待ちかけつつ、駆け並べ、よつ引いて放つ。されども上を遥かに射越して通しけり。景季取りあへず、かくこそ申しけれ。
  夏草の繁みが下を行く鹿の袖の横矢は射にくかりけり
君、聞こし召して、「神妙なり。」とて、これも富士の裾野にて、百余町をぞ賜はりける。人々、これを聞いて、「鹿射外し、歌詠みてだに恩賞に預かる。ましてよくとどめたらん輩は、いかに。」とぞ申しける。
 御寮、左衛門尉祐経を召して、「不審なる事あり。用心せよ。」と仰せ下されければ、「畏り存じ候」由を申しける。ここに、梶原源太景季、侍の所司にて、総奉行第一の者なれば、上の御諚を承り、曽我の人々を近付けて申しけるは、「神妙に御供申されて候。奉公はいづれも同じ事。御宿に大事の御物具あり。留守の御宿直申されよ。いかさま、今度鎌倉へ入らせましまして、御免蒙り給ふべし。奉公、心に入れられよ。」と申しければ、祐成、是非に及ばずして、「畏り入り候。よきやうに御申し候へ。頼み奉る。」とぞ返事しける。源太、重ねて申すやう、「御給仕によつて、『本領、仔細あらじ。』と存じ候。」と言ひてこそ帰りにけれ。
 時致、これを聞きて、「あはれ。源太、『我々をすかさん。』と思ひたる気色のさし顕はれたる奴かな。蛇は一寸を出して、その大小を知り、人は一言を以てその賢愚を知る。狐の子は、小狐より父が孫を継ぎて、この冠者がつらの白さよ。いつの奉公によりてか、御気色もよかるべき。定めて御寮の仰せには、『その冠者ばらは、誰が許して狩場へは出けるぞ。よくよくすかし置きて、首を斬れ。』との御諚か、『流罪せよ。』との仰せにてぞあるらん。げにや、古き言葉を案ずるに、『国の賢を以て興し、へつらひを以て衰ふ。君は忠を以て安んじ、偽りを以て危ふし。人は巧みにして偽らんよりも、拙なうして誠あるには如かず。』この者の振舞は、世の煩ひとも成りぬべし。その上、奉公申すべきためならず。あはれ、身に思ひだに無かりせば、この冠者がつら、一太刀斬つて慰まんずるものを。」とぞ申しける。
 さて兄弟は、見え隠れに連れつ離れつ、心を尽くし狙ひけるこそ無残なれ。十郎がその日の装束には、萌黄匂の裏打ちたる竹笠、村千鳥の直垂に、夏毛の行縢深く引つこうで、鷹うすべうの鹿矢、筈高に取つて付け、重籘の弓の真中取り、葦毛なる馬に貝鞍置きてぞ乗つたりける。五郎がその日の装束には、薄紅にて裏打つたる平紋の竹笠、真深に着て、からざいみに蝶を二つ三つ、所々に付けたる直垂に、紺の袴、秋毛の行縢、たぶやかに穿き下し、鶴の元白の征矢、筈高に負ひなし、二所籘の弓の真中取り、鹿毛なる馬に蒔絵の鞍置きて乗つたり。遥かに遠き敵を見付けて十郎に告げ、しものにて祐経を見付けて五郎に告げ、互に心を通はしけり。
 人は皆、鹿に心を入れ、「いかにもして上の見参に入らん。」と、嶺に登り谷に下り、野を分け里を尋ねけれども、「よそ目いかが。」と思ひしに、勢子を破りて鹿こそ三頭出で来りけれ。「これはいかに。」と見る処に、かの祐経こそ追つすがひて落としけれ。その日の装束、花やかなり。浮線綾の直垂に、大斑の行縢に、切斑の矢負ひ、吹寄籘の弓の真中取り、金砂にて裏打ちたる浮紋の竹笠、嵐に吹き靡かせ、黒き馬の太く逞しきに、白覆輪の鞍置いてぞ乗つたりける。馬も聞こゆる名馬なり。主も究竟の乗り手なり。三つある鹿に、目を掛けてこそ追つすがうたれ。三つある鹿には隔たりぬ。馬の駆け場もよかりけり。
 十郎、これを見て、「この鹿は、埒の外に勢子を破りて落ち来るにや。追ひ返し奉らん。」とて、十三束の大の中差取つてつがひ、「矢所多しといへども、奥野の狩場の帰りざまに、父の射られけん鞍の山形のはづれ、行縢の引き合はせ。報いの知らする怨みの矢、余の所をば射べからず。いかなる金山鉄壁なりとも、志のなどかは通らざらん。」と、弓手になしてぞ下りける。五郎も同じく中差取つて差しつがひ、左衛門尉が首の骨に目を掛けて、「大磐石を重ねたりといふとも、などか斬つて捨てざらん。」と、鞭に鎧を揉み添へて、馬手に相付け馳せ並べ、三つある鹿と左衛門尉を真中に取り込め、矢先を左衛門に指し当てて、「引かん。」とする処に、祐経が暫しの運や残りけん、祐成が、乗つたる馬を思はぬ臥木に乗りかけて、真さかさまに転びけり。あやまたず弓の本を越して、馬の頭に下り立つたり。五郎はこれを知らずして、矢筈を取り、立ち上がりけるが、兄の有様を一目見て、目もくれ心も消えにけり。この隙に、敵は遥かに馳せ延びぬ。鹿をも人に射られけり。五郎、空しく引き返し、急ぎ馬より下り立つて、兄を介錯しける心の内こそ悲しけれ。
 「あはれ。げに、我等ほど敵に縁なき者あらじ。只今は、『さりとも。』とこそ思ひしに。馬強かりせば、かやうには成り行かじ。これも、貧より起こる事なり。人を恨むべきにもあらず。叶はぬ命、長らへて物を思はんよりも、自害して悪霊にも成りて、本意を遂げん。」とぞ悲しみける。十郎、これを聞きて、「暫く待ち給へ。それ、泰山の雨垂は石を穿ち、殫極の釣瓶縄は井桁を断つ。水は石の鑿にあらず、縄は木の鋸にあらず。漸靡のしからしむる処なれば、ただ心を延べて功を積み給へ。」とて、馬引き寄せ、打ち乗りける。

十二 畠山歌にて訪はれし事

 その後は、「人々、いかに見るらん。」とて、十郎駆くれば五郎控へ、五郎行けば十郎とどまり、よそ目をも包みければ、時移り事延び行きければ、その日も既に暮れなんとす。
 畠山殿は、程近くましませば、兄弟の有様をつくづくと御覧じて、「今まで本意を遂げざるぞや。あはれ、平家の御代と思はば、などか矢一つとぶらはざらん。当君の御代には、かやうの事も叶はず。重忠も、若き子どもを持ちぬれば、人の上とも思はずして、まことに無残におぼえたり。梶原触状には。明日鎌倉へ入らせ給ふべきなれば、今宵討たでは叶ふまじ。この由、知らせん。」と思ひ給へども、人々あまたありければ、歌にてぞ訪ひ給ひける。
  まだしきに色付く山の紅葉かなこの夕暮を待ちて見よかし
と詠み給ひて、涙ぐみ給ひけり。
 折節、梶原源太左衛門が、近う控へたりしが、「何事にや。曽我の殿ばらに、『まだしきに色付く。』と詠じ給ふは心得ず。」重忠聞いて、「夏山に夕日影のさし残る風情、初紅葉に似ずや。この夕こそ、猶も移り行かば、まこと秋にや成り行かん。」源太、猶も言葉あり顔なりしを、君より急ぎ召されしかば、「駆け通る。」とて、「重忠の御歌の不審残りて。」と言ひながら馳せ過ぎければ、人々聞きて、「今に始めぬ梶原が和讒とは言ひながら、ことにかかりて見えぬるをや。」と申し合ひける。重忠、仰せけるは、「『命を養ふ者は、病のさきに薬を求め、世を治むる者は、乱れぬさきに賢を習ふ。』と潜夫論に見えたり。それまでこそ無くとも、かやうのえせ者を近く召し使ひて、末の世いかが。」とぞ仰せける。
 その後、曽我の人々を近付けて、「今宵、重忠が所へましませ。歌の物語を申さん。」と宣へば、「畏り存じ候」由返事して、十郎、弟に言ひけるは、「畠山殿は、情けを以て、早この事を知り給ひけるぞや。『耳を信じて目を疑ふ者は、耳の常の弊なり。遠きを尊みて近きを賤しむ者は、人の常の情け。』と抱朴子に見えたり。されども、歌の心はいかに。」と問へば、「知らず。」と言ふ。十郎は、よろづに情け深くして、歌の心を得たり。「『思ふ事あらば、今宵限り。』と告げ給ふぞや。君は明日、伊豆の国府、明後日鎌倉へ入らせまします由、その聞こえあり。思ひ定め給ふべし。」と言ふ。「珍しくも思ひ定め候べきか。申すにや及ぶ。」とぞ申しける。元来剛なる時致が、重忠には勇められ、「いよいよ今宵を限り。」とぞ定めける。かねてより思ひ定めし事なれども、差し当たりて心細さ、思ひ遣られて無残なり。
 日暮れ、君、井出の館へ入り給ひしかば、国々の大名小名、御供してぞ帰りける。曽我兄弟も、人並々に柴の庵へぞ帰りける。

十三 館廻りの事

 道にて十郎申すやう、「わ殿は館へ帰り給ふべし。二人連れては、人も怪しく思ひなん。祐成ばかり行きて、館の案内、見て帰らん。」とて、太刀ばかり持たせ、館々を巡りけり。思ひ思ひの幕の紋、心々の館の次第、なかなか言葉も及ばれず。
 ここに、二つ木瓜の幕打ちたる館あり。「誰が幕やらん。これは、我等が家の紋なり。御敵と成り、滅びぬ。伊東と名乗る者なければ、この幕打つべき者なし。誰なるらん。」と不思議にて、立ち寄り、幕の物見より見入れければ、敵左衛門が館なり。「これはいかに。彼等は一つ木瓜の幕をこそ打つべきに。心得ぬものかな。まことや、『人、人に非ず。知るを以て人とす。家、家に非ず。継ぐを以て家とす。』継ぐべきをば継がで、すずろなる『曽我の某。』と呼ばれぬる上は、家の紋、要るべからず。祐経は、まことやらん、我々が先祖の知行せし所領を知るによつて、かやうに成り行くものをや。あはれ、昔はかやうに無かりしものを。」と見入れて帰りける。

底本頭注
 十三 館廻りの事
 ・すずろなる――みだりなる。

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校訂者注
 十一 祐経を射んとせし事
 ・国は賢を…以て安んじ――底本、「国の賢を以つて興し、諛を以つて衰ふ。君は忠を以て安じ」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 十二 畠山歌にて訪はれし事
 ・賢を習ふ。』と潜夫論に見えたり――底本、「剣を習ふ、と三部論に見えたり」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・遠きを尊みて…人の常の情け――底本、「尊みて近付くを賤む者は、人の常の情」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・伊豆の国府――底本、「伊豆の郷」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・しものにて祐経を見付けて――底本、「下にて祐経を見附けて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・泰山の雨垂は…功を積み給へ――底本、「たいさんの亀は巌を穿ち、雷は石を穿つ、たんさくの釣瓶の縄は井桁をきる、水は石の鑿にあらず、なはは木の鋸に非ず、せんひの然らしむる所なり。只心をのべて功を積み給へ」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・人、人に非ず…継ぐを以て家とす――底本、「人人に非ず、鹿を以つて人とし、家家に非ず、何処を以つてか家とす」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

八 燕の国旱魃の事

 大国の燕の国、旱魃する事、三箇年なり。しかれば、草木悉く枯れ失せ、人民多く滅びける上は、鳥獣に至るまで、「生き残るべし。」とは見えざりけり。国王、大きに嘆き給ひて、大法秘法、残さず行ひ、雨を祈られけれども、しるしなし。大王、思ひの余りに諸天に恨み奉りて曰く、「我、生まれてよりこの方、禁戒を犯さず。事をみだりに行ふとも思はず候に、かくの如く日照りして、人の生命少なし。もし我が身にあやまる処あらば、戒め給へかし。」と嘆き申さるれども、そのしるしなし。「今は、身命を民のために捨てんには如かじ。」とて、広き野辺に出、萱を多く集めて、高さ二十丈に積み上げさす。公卿大臣、奇異の思ひをなす処に、国王、臨幸なりて、その萱の上に登り給ひて、「火をつけよ。」と綸言なりければ、臣下、大きに辞して、つくる者なし。その時、大王宣ふ。「もしあやまりて、政、みだりなる事あらば、焼けぬべし。焼くる程の身ならば、命生きても益なし。もし又あやまらずは、天、これを守るべし。」とて、大きに逆鱗ありければ、綸言背き難くして、四方より火をつけければ、猛火、山の如くに燃え上がりて、炎、空に満てり。大王も煙に咽び、前後弁へ難し。既に御衣に火のつきければ、目をふさぎ掌を合はせて、正念に住して、「火坑変成池。」と念じ給ひければ、天、これを憐れみて、大雨、俄に降り下りて、山の如くなりつる猛火を消し、国王も助かり給ひ、人民も命を継ぎ、五穀成就しける、となり。されば、論語に曰く、「過りて改むるに憚る事なかれ。過りて改めざるは、賢、かへりて愚なり。」と見えたり。この文の名を円珠と言へり。まどかなる玉の、盤を走るによそへたるなり。君、御言葉の重き一つにて、多勢の静まりけるにて知られけり。
 曽我の人々は、「あはれ、事の出で来れかし。方人する風情にて、狙ひ寄つて一刀刺さむ。」とばかり思ひけり。かくて日も暮方に成りしかば、「今日を限り。」と、傾く日影を惜しみけり。

九 新田が猪に乗る事

 ここに、伊豆の国の住人、新田の四郎忠常、未だ鹿に逢はずして、落ち来る鹿を相持つ処に、幾年経るとも知らざる猪が、ふし草かく十六つきたるが、主を知らぬ鹿矢ども、四つ五つ立つたりしが、大きに猛つて駆け廻る。譬へば、養由が術、きよりくわうが神変も、及ぶべしとは見えざりけり。近づく者を猛れば、落ち合ふ者もなくして、いたづらに中を開けてぞ通しける。
 忠常、これを「幸ひ。」と駆け寄せけり。御前近うなりければ、「よしや新田、よしや忠常。」とぞ仰せ下されける。「人もこそ多き中に、かやうの御諚蒙る事、生前の面目、何事かこれに如かん。」と存ずる間、「鉄桶を丸めたる猪なりとも、余さじものを。」と思ひければ、大の鹿矢を抜き出し、「ただ一矢に。」と引いて放つ処に、矢よりも先に跳び来り、乗りたる馬を主ともに、宙にすくうて投げ上げ、「落ちば駆けん。」とする処に、「叶はじ。」とや思ひけん、弓も手綱も打ち捨てて、向かうざまにぞ乗り移る。されどもさかさまにこそ乗つたりけれ。猪は乗られて腹を立て、馬をかしこへ駆け倒し、雲と霞に分け入つて、虚空を跳んで廻りしは、周の穆王、「釈尊の教法を聞かん。」とて、八匹の駒に鞭を上げ、万里の道、刹那に飛び着きしも、これにはいかで勝るべき。
 新田は、習ひし手綱のやう、「腰も切れよ。」と挟みつけ、尾筒を手綱に取り、「楽天が伝へし三頭、王良が秘せし手綱、これなりけり。」とこらへけれども、詮方なくぞ見えたりける。猪はいよいよ猛りをかき、木の下、萱の下、巌岩石を嫌はずして、宙に跳んで廻りしかば、烏帽子、竹笠、沓、行縢、一度に切れて落ちにけり。大童になりて、ただ「落ちじ。」とばかりぞこらへける。大きに猛き猪も、あまた手は負ひぬ、新田が威にや押されけん、御前近き枯れ杭に、つまづき弱る処に、誤たず腰の刀を抜き、胴中に突き立て、あばら骨二、三枚掻き切りければ、猪は四足を四、五寸、土に踏み入れて、立ちずくみにこそなりにけれ。新田は急ぎ跳び下りて、かずのとどめを刺す。上下の狩人、これを見て、「前代未聞の振舞かな。面白くもとどめたり。乗りも乗つたり。こらへもこらへたり。」と、感ぜぬ人こそなかりけれ。君もこの由御覧じて、「狩場の内の高名は、これに如かじ。」と御感あり。富士の下方にて、五百余町を賜はりけり。勢ひ余りてぞ見えし。
 されどもこの猪は、富士の裾、隠れ猪の里と申す所の山の神にてぞましましける。凡夫の身の悲しさは、夢にもこれを知らずして、とどめにける御咎めにや、やがてその夜、曽我の十郎に打ち合ひ、あまたの手負ひ、危ふかりし命、幾程なくて、田村の判官が謀叛同意の由、讒言せられて、討たるべかりしを、重保に付き申し開き、「御目にかからん。」とて参じける折節、召しの御馬放れたりしが、御庭狭しと馳せ廻る。日本一の荒馬なれば、追ひ廻す人々、これを見て、「よしや新田、取れや忠常。縄を掛けよ。過ちすな。」と声々に呼ばはりて、庭上、騒動す。新田が郎等、門外に集まりて、「我等が主、只今搦め取らるるぞや。主の討たるるを見捨てて、いづくまでか逃るべき。」とて、思ひ切つたる兵ども二、三十人、抜き連れて、御前指して斬つて入る。新田が運の極めなり。
 御所方の人々、これを見て、「新田が謀叛、まことなり。余すな、方々。」とて、非番当番の面々、出で合ひて、火出づる程こそ戦ひけれ。御所方の人々、あまた討たれしかば、新田が陳方、逃れずして、二十七にて討たれにけり。不憫なりし事どもなり。「これ、しかしながら、富士の裾野の猪の咎めなり。」とて、舌を巻かぬはなかりけり。これや、「霊神怒る時は、災害、ちまたに満つる。」なるも、今こそ思ひ知られたれ。

十 船の始まりの事

 さても御寮は、いつの暮より御狩の興に入り、四方の海山をぞ眺めさせ給ひける。折節、沖つ島の木の間より、漕ぎ浮かべたる海士小舟、同じ風にぞ行き違ふ。「げに不思議なる舟のあやつりかな。誰人かし初めつらん。」と仰せられけり。千葉の介が申しけるは、「舟の始まりは、昔、黄帝の御時、蚩尤といふ逆臣ありて、おうごうといふ海を隔てて、攻むべきやうなかりけり。ここに貨狄といふ臣下あり。折節、秋の末なるに、寒き嵐に散る柳の、一葉、水に浮かみしに、又、蜘蛛といふ虫、虚空より落ちて、この一葉の上に乗りつつ、次第次第にささがにの、いとはかなくも柳の葉の、汀に寄りし秋霧の、立ち来るくもの振舞。『げにも。』と思ひ初めしより、巧みて舟を造らせ、おうごうを易く渡り、蚩尤を平げ、御代を治め給ふ事、一万八千歳となり。しかるに舟の船の字を、『君に薦む。』と書きたり。又、天子の御駕を龍駕と名付け奉り、又、舟を一葉と言ふ事も、この時よりぞ始まりける。又、君の御座舟を龍頭鷁首と申すも、この御代よりぞ起こりける。」と申しければ、「さて、極楽の弘誓の舟は、いかにや。」「それは、菩薩聖衆の御法にて、凡夫の及ぶ処に候はず。」とぞ申されける。
 同じく、富士の高嶺を遥々と見上げさせ給ひて、昔、竹取の翁、鴬の卵を養じて、かぐや姫と成りし行方、又、
  風に靡く富士の煙の空に消えて行方も知らぬ我が思ひかな
と詠じし西行法師が下心まで、思し召し出しけり。

底本頭注
 十 船の始まりの事
 ・ささがに――蜘蛛の枕詞。ここにては「いと」の序とし、又、立ち来るくも(雲)に掛かりて調べを成す。

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校訂者注
 八 燕の国旱魃の事
 ・盤を走るによそへたるなり――底本、「盤を走るとよそへてなり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 九 新田が猪に乗る事
 ・きよりくわうが神変も――底本、「きよりくりうが神変も」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 十 船の始まりの事
 ・一葉、水に浮かみしに…一葉の上に乗りつつ――底本、「一葉の上に乗りつゝ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

五 浮島が原の事

 さても、御寮は浮島が原に御座の由承り、曽我兄弟も急ぎ追つ付き奉りぬ。
 浮島が原を通りけるに、かの原の、昔は海にてありけるに、大国より愛鷹山といふ山、「富士とたけ比べせん。」とて来りけるを、権現、蹴崩し給ひければ、その山、海に浮きて、今の浮島が原に成りにけり。一方は海漫々として、雲、行客の跡を埋み、一方は、横ほり伏せる小夜の中山、宇津の山辺続き、東路分けて遥かなり。或る人、東国に下りけるが、この原にて、「滄波路遠くして雲千里。」といふ詩の上の句を作り、下の句を寄せかねたりける折節、十六歳に成りける娘を連れたりけるが、詩をば作り得ずして。
  路遠く雲居遥けき山中に又とも聞かぬ鳥の声かな
と詠みたりければ、父聞きて、さきの下の句を継ぎけり。「白霧山深うして鳥一声。」といふ詩も、今さら思ひ知られたり。
 その夜は君、浮島が原に御泊りあり。この人々も、「便宜よくば。」と窺ひけれども、用心、隙なかりければ、力なし。その夜もそこにて窺へども、北條殿の警固にて、隙も無し。

六 富士の狩場への事

 御寮は、相沢の御所にましましけるが、梶原源太左衛門を召して仰せ下されけるは、「昨日の狩場より勢子少なくては叶ふまじ。その由、相触れよ。」承つて人々に触れ、射手を揃へけり。まづ武蔵の国には畠山の庄司次郎重忠、三浦の和田左衛門義盛、三浦介義澄。下総の国には千葉の介。甲斐の国には古郡左衛門兼忠、武田の太郎信義。下野の国には宇都宮の弥三郎友綱、横山の藤馬丞。相模の国には松田、河村の人々を先として、以上三百余人なり。若侍には畠山の六郎重保、梶原源太左衛門景季、朝比奈三郎義秀、同じくひこ太郎、御所の太郎、森の五郎、林の四郎、小山の三郎、笠井の六郎、板垣の弥次郎、本間の彦七、渋谷の小五郎、愛甲の三郎を始めとして、四百五十余人なり。総じて、「弓持ち、馬に乗る侍、三百万騎もあるらん。」と見えし。その後、勢子を山へ入れけるに、東は愛鷹の峯をさかひ、西は富士川を際として引き廻されけり。勢子は雲霞の如し。嶺に登り谷に下り、野干を平野に追ひ下し、思ひ思ひに射とどめけり。
 御寮のその日の御装束には、羅綺の重衣の藤松の、風折したる立烏帽子に、狩衣は柳色、大紋の指貫に、熊の皮の行縢、しばうち長に召し、連銭葦毛なる馬の五尺に余りたるに、白鞍置かせ、厚総の鞦掛けてぞ召されける。御剣の役は江戸の太郎、御笠の役は豊島の新五郎、沓の役は小山の五郎、御敷皮は金子の十郎なり。その外、一人当千の兵六、七百人、御馬の廻りと見えたりし。その中に、殊に勝れて見えたりしは、五郎丸なり。萌黄縅の胴丸に一尺八寸の太刀差し、四尺八寸の太刀を佩き、黒金の棒の三人して持ちけるを、もと軽げにつきて、御馬の前にぞ立ちたりける。御陣の左右には、和田、畠山、いづれも鷹をぞ据ゑさせける。馬うち静かにして、また並ぶ人なくぞ見えし。その外、数千騎の出で立ち、花を織り月を招く粧ひ、広き富士野も所なくぞ見えし。かくて、山より鹿ども多く追ひ下ろし、思ひ思ひにとどめて、御寮の御見参にぞ入れにける。畠山の六郎重保、弓手馬手に相付けて、鹿二頭とどむ。宇都宮五頭、一條、板垣五頭、武田、小山の人々も、五頭こそとどめけれ。「その狩場の物数は、この人々。」とぞ聞こえし。
 ここに、葛西の六郎清重、日の暮方に至るまで、鹿一頭もとどめずして、「勢子に洩るる鹿もや。」と、茂み茂みに目を掛けて廻りける。折節、弓手の茂みより、鹿一頭出で来る。「願ふ処。」と見渡せば、矢頃に少し延びたり。鐙に鞭を打ち添へて、下りざまにぞ落としける。既に二、三段切り違へて、弓打ち上げて、「引かん。」とする処に、思はぬ岩石に馬を乗り掛けて、四つ足一つに立てかねて、わななきてこそ立ちたりけれ。下ろすべきやうもなく、進退ここに極まれり。上下万民これを見て、ただ「あれは、あれは。」とぞ申しける。「今は、馬人もろともに、微塵に成る。」とぞ見えたりける。清重、手綱を静かに取り、とねりなしを結び置き、かがみの鞭を打ち添へて、二つ一つの捨て手綱、無手無流に落ち掛かり、放せば後ろに下り立つたり。馬は手綱を捨てられて、真砂に連れて落ちて行く。主は、突きたる弓の本を岩角にえり立て、暫しこらへて立ち直る。諸人、目をこそ澄ましけれ。「乗りたり、下りたり。据ゑたりや、こらへたり。」と、暫しは鳴りも静まらず。君も御感の余りにや、常陸の国小栗の庄、三千七百町下されけり。「時の面目、日の高名、何事かこれに如かん。」と感ぜぬ人こそ無かりけれ。

七 源太と重保が鹿論の事

 かかる処に、上の茂みより鹿一頭出で来り、握原源太控へたる弓手を通りてぞ下りける。景季、「幸ひにや。」と喜びて、鹿矢を打ちつがひ、よつ引き放つ。追つさま、筋かひに首をかけ、つつとぞ射貫きたる。されども、鹿はものともせず、思ふ茂みに跳び下る。二の矢を取つてつがひ、鞭打ち下す処に、臥木に馬を乗り掛けて、足並み乱るる処に、下り立つて馬引つ立つるその隙に、畠山の六郎重保、馳せ並べてよつ引いて放つ。源太が矢目を、はきりまでぞ射ける。源太には、したたかに射られぬ、鹿は少しもはたらかず、二つの矢にてぞとどまりける。重保、馬打ち寄せて見る処に、源太も駆け寄せて、「鹿は景季、とどめて候ぞ。」重保聞いて、「心得ぬ事を宣ふものかな。鹿は、重保が矢一つにてとどめたるものを。誰人か主あるべき。」源太、弓取り直し、あざ笑ひて申すやう、「狩場の法、定まれり。一の矢、二の矢、次第あり。」「矢目は二つもあらばこそ、一二の論もあるべけれ。」「景季もまさしく射つるものを。」とて見れば、げにも矢目は、一つならでは無かりけり。さりながら、押さへて取らるるものならば、時の恥辱に思ひければ、源太、大きに怒りを成し、「勢子の奴ばらはなきか。寄りて、この鹿を取れ。」重保も駒打ち寄せ、「雑人はなきか。重保がとどめたる鹿の皮たて。舁きて取れ。」重保、さらぬ体にて駒駆け廻し、「雑色どもは、など鹿をば取らぬぞ。」と、はや事実なる詰め論なり。
 源太は手綱かいくり、駒打ち寄せて、小声に言ふやう、「恋路に迷ふ隠し文、遣る者こそ主候よ。」重保聞いて、「優しく宣ふ譬へかな。思ひの色の数、読まで空しく返すには、返し得たるぞ主と成る。」源太、打ち笑ひ、「吉野、龍田の花紅葉、誘ふ嵐は主ならずや。」重保聞きて、「言はれずや。誘ふ嵐もそのままに、終に連れても行かばこそ。」と宣ふ。「龍田の河の河波に、散りて流るる花の雪。紅葉の錦渡りなば、中や絶えなん。」「さりながら、流れて止まる所こそ、まことの主と思はるれ。」「げに、故ありて聞こえたり。波にも連れて行かばこそ。かかる井堰も主なるべき。」「井堰もとどめ果てばこそ。流れて止まる湊こそ、まことの主とはおぼえけれ。」源太、この言葉を打ち捨てて、「更け行く月の傾くをも、眺むる者こそ主と成れ。」重保聞きて、高らかに打ち笑ひ、「世界を照らす日月を主と宣ふ。過分なり。」「過分は人によるものを。御分一人に帰すかとよ。」重保、たまらぬ男にて、「一人に帰すか帰せざるか、手並の程を見せん。」とて、既に矢をこそ抜き出す。源太も白まぬ者なれば、「案の内よ。」と言ふままに、既に中差抜き出す。
 梶原が郎等は言ふに及ばず、時の綺羅、並ぶ者なかりしかば、知るも知らぬも押し並べて、梶原方へぞ馳せ寄りける。三浦の人々もこれを見て、「源太に意趣ある上、秩父方は所縁なり。見放すまじ。」とて馳せ寄りける。以下の人々、児玉の人々は、梶原方へぞ与力する。三間、本間の人々は、秩父方へぞ寄せ来る。駿河の国の人々は、梶原方へぞ寄りにける。伊豆の国の人々は、北條殿を先として、秩父方へぞ馳せ寄りける。安房と上総の侍は、二つに割れて寄りにける。常陸、下総の人々は、秩父方へぞ集まりける。八箇国のみにあらず、日本国中に名を知らるる程の侍、魚鱗に重なり、鶴翼に連なりて、ひたひしめきにひしめきけり。畠山殿は、始めより知り給ひしが、いかが思はれけん、知らぬ由にてぞましましける。
 頼朝、これを御覧じて、「あれあれ。義盛、静め候へ。」と仰せ下されければ、和田殿、両陣の間へ馬駆け入れ、「上意にて候ぞ。鹿論の事、互にその理あり。所詮、鹿をば上へ召され候。『両人、御前へ参られよ。』との御諚にて候。」と大音声にて言ひ、その後、勢子を召し、かの鹿を舁かせ、六郎と源太と引き連れ、御前さして参られけり。さてこそ両陣は破れにけれ。危ふかりし事どもなり。
 さればにや、君の御恵み遍く、御憐れみ深くして、事静まりぬ。方々も安穏なるにて、昔を思ふに。

底本頭注
 五 浮島が原の事
 ・滄波路遠く――和漢朗詠、橘直幹の句に、「蒼波路遠雲千里。白霧山深鳥一声。」とあり。娘の詠歌の事は虚構なり。
 六 富士の狩場への事
 ・しばうち長にし――行縢の裾、長々と着たるなり。
 ・とねりなしを云々――とねりなくても動かぬやうに、手綱を結び置くなり
 七 源太と重保が鹿論の事
 ・中や絶えなん――古今集の「龍田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」を引用す。

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校訂者注
 六 富士の狩場への事
 ・畠山の六郎重保――底本、「畠山の次郎重保」。底本頭注に従い改めた。
 ・無手無流に落ち掛かり――底本、「むごんりうに落ちかゝり」。底本頭注及び岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・主は、突きたる弓の本を岩角にえり立て――底本、「かづき弓のもと岩角にえり立て」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 七 源太と重保が鹿論の事
 ・臥木に馬を乗り掛けて――底本、「不思議に馬を乗り掛けて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・重保が矢一つにてとどめたるものを――底本、「重保が矢一つにてとどめたる鹿を」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・押さへて取らるるものならば――底本、「御前で、取らるゝ者ならば」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・源太に意趣ある上、秩父方は所縁なり――底本、「源太に意趣ある上は、秩父方へは疎遠なり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

曽我物語

巻第八

一 箱根にて暇乞ひの事

 そもそも箱根と申すは、関東第一の霊山なり。後ろには高山峨々と連なりて、真如の月影を宿す。前には生死の湖漫々として、波、煩悩の垢をすすげば、無始の罪障も消滅すとおぼえたり。本地文殊師利菩薩、衆生を化度し給へば、有為の都と名付けたり。されば、「一度縁を結ぶ者は、長く悪所に堕とさじ。」と誓ひ給ふ事、頼もしくぞおぼえける。この人々は御前に参り、「帰命頂礼。願はくは、今生にては思ふ敵を討たせ、後世にては共に浄土に迎へ取り給へ。時致、十一よりこの御山に参り、今に至るまで、毎日三巻づつ普門品怠らず読み奉るも、只このためなり。憐れみ給へ。」と念誦して、別当の坊へ行きにけり。

二 同じく別当に逢ふ事

 行実、やがて出合ひ給ひて、いにしへ今の物語し給ふ。「男に成り給へばとて、昔に変はりて思ふべきにあらず。御身こそよそがましくし給へ、面々の心中、初めより詳しく知りて候ぞ。哀れにのみこそ思ひ奉れ、いかでか怨み申すべき。人に頼まるる事、在家出家によらず。愚僧も年だに若く候はば、などかは頼りに成らざるべき。」とて、墨染の袖を顔に押し当て、さめざめと泣き給へば、十郎承り、「御意、畏り入り候へども、さらに野心の候はず。」時致も、「その後、やがて罷り上り、男に成りて候おこたりをも、申すべきにて候ひしを、母に不孝せられて候ひぬ。又、恐れをなし奉る故、今に遅なはり候。」別当聞き給ひ、「祈祷は頼もしく思ひ給へ。千騎万騎の方人と思し召せ。」とて、酒取り出し、三々九度進め給ひけり。

三 太刀刀の由来の事

 「何を以てか方々の門出祝はん。」とて、鞘巻一腰取り出し、十郎に引かれけり。「この刀と申すは、木曽義仲の三代相伝とて、三つの宝あり。第一に、りうわう造りの長刀、第二に、くもおどしといふ太刀、第三に、この刀なり。名をば微塵と言ふ。通らぬ物なければなり。されば、この三つの宝を秘蔵して持たれたり。御子、清水の御曹司、鎌倉殿の婿に成り給ひて、国の大将軍賜はつて、海道を攻め上り給ひ候由、聞こえければ、『かの宝を祈りのため。』とて、この御山へ参らせらる。宝殿の事は一向、別当の計らひたるによつて、これを御辺に奉る。高名し給へ。」とて引かれけり。
 五郎には、兵庫鎖の太刀を一振取り出し、引かれけり。「この太刀と申すは、昔、頼光の御時、大国より武悪大夫といふ莫邪を召し、三箇月に造らせ、一箇月に磨かせ、二尺八寸に打ち出す。秘蔵、並ぶ物なくして持たれけり。或る時、二つの太刀を枕上に立てられし時、俄に雨風吹きて、この太刀を吹き動かしければ、刃風に傍なりける草紙三帖の、紙数七十枚切れたりけり。頼光、てうかと名付けて持たれけり。それより、河内守頼信の元へ譲られぬ。それにての不思議には、この太刀を抜かれければ、四方五たんぎりの虫も、翼も切れ落ちにければ、むしばみとぞ付けられける。
 「それより頼義の元へ譲られたり。それにての不思議には、折々御所中震動して、人死し失する事度々なり。或る時頼義、この太刀を枕に立てられしに、例の如く雷電激しくして、御所中騒がし。この太刀、おのれと抜け出て、大地、一丈が底に入り、かかる悪事仕る大蛇の、尾頭九尋ありけるを、四つにこそは切りたりけれ。その後よりぞ、御所中の狼藉もとどまりける。怪しみて跡を尋ねて見給へば、かかる不思議をしたりければ、毒蛇と名付けて持たれたり。
 「それよりして八幡殿へ譲られける。それにての不思議には、その頃、宇治の橋姫の、荒れて人を取りけり。或る夕暮に八幡殿、宇治へ参られけるに、人の申すに違はず、川の水浪しきりにして、十八、九ばかりなる美女一人、橋の上に上がりて、八幡殿を馬より抱き下ろし、『川の中へ入れん。』とす。かの太刀、おのれと抜け出て、橋姫の弓手の腕を斬り落とす。力及ばず川の中へ跳び入りぬ。それより狼籍もとどまりけり。しかれば、この太刀を姫斬と名付けて持たれたり。
 「それより六條の判官為義の元へ譲られたり。それにての奇特には、この太刀に六寸ばかり勝りたる太刀を添へて置かれたるに、夜に入りぬれば斬り合ひけるを、判官、この由聞き給ひて、『かねてより、やうあるものを。』とて、五夜までこそ立ち添へて置かれけれ。五夜の間、隙なく戦ひ、六夜と申すに、我が寸に勝りたるを安からずや思ひけん、余る六寸を斬り落とす。されば、友切と名付けて持たれたり。
 「源氏重代にも伝ふべかりしを、保元の合戦に為義斬られ給ひ、嫡子左馬頭義朝の手へ渡りけるに、『仏法守護の仏。』とて、鞍馬の毘沙門に籠め給ふ。されども、過ぎにし合戦に父を斬り給ひしかば、多聞も受けずや思しけん、合戦に打ち負け、東国指して落ち給ふ。尾張の国知多の郡、野間の内海といふ所にて、相伝の家人鎌田兵衛正清が舅、長田の四郎忠致に討たれ給ひて後、伝ふべき人なかりしに、義朝の末の子、九郎判官殿、未だ牛若殿にて、鞍馬の東光坊の元に学問しておはしけるが、いかにしてか聞き給ひけん、折々毘沙門に参り、『帰命頂礼。願はくは父義朝の太刀、この御山に籠められて候。父の形見に一目見せしめ給へ。』と祈念申されければ、多聞、哀れと思し召しけるにや、『この太刀を下し給ふ。』と夢想を蒙り、喜びの思ひを成し、急ぎ参りて見奉り給へば、御戸開けて、この太刀あり。盗み出して、深く隠し置きて、十三になり給ひける年、相伝の郎等、奥州の秀衡を頼み、商人に伴ひ下り給ひけるに、美濃の国垂井の宿にて、『商人の宝を取らん。』とて、夜討の多く入りたりしかども、起き合ふ者も無かりしに、牛若殿一人起き合ひ、究竟の強者十二人斬りとどめ、八人に手を負うせて、多くの強盗追つ返す。『高名したる太刀なり。』とて、奥州まで秘蔵せられけるに、十九の年、『兵衛佐殿、謀叛起こし給ふ。』と聞こし召し、鎌倉に上り見参に入り、幾程無くして西国の大将軍にて発向せられけるに、『今度の合戦に打ち勝たせ給へ。』とて、この御山へ参らせ給ひて候。
 「自然にひが事し出し候ひて、上より御尋ねあらば、『法師が御辺に参らせたる』とあらば、『狼籍なり。』と上より御不審あらん時は、『京に上り、四條の町にて買ひ取りたる』由、申さるべし。御分、男に成り給へば、今は見参に入れたくは無けれども、志を思ひ遣られて、哀れなるぞとよ。祈祷は頼もしく思ひ給へ。この法師が息の通はん程は、明王を責め奉らんに、何の疑ひかあるべき。」と宣ひけり。
 時致承つて、「仰せ、忝けれども、更に野心の儀は候はず。御不審の條、尤もにて候へども、恐れ奉つて参らぬなり。狩場より帰りには参るべく候。又は、思し召し合はする事も候ひなん。」とて罷り立ち、さらぬ体にはもてなせども、今を限りなれば、忍びの涙を流しけり。別当も、縁まで立ち出給ひて、遥々見送りつつ、名残惜しくぞ思はれける。
 兄弟の人々は、駒に鞭を打ち、急がれける程に、三島近くぞなりにける。

四 三島にて笠懸を射たる事

 十郎、道にて申しけるは、「只今、別当の御言葉、ひとへに御託宣とおぼえたり。その上、我等に権現より剣一つづつ、賜はり候上は、今度敵を討たん事、疑ひあるべからず。」と喜びて、三島の大明神の御前にこそ着きにけれ。この人々、畳紙を挟み、七番づつの笠懸を射て、法楽し奉り、敵の事、心のままにぞ祈られける。「まことに、思ふ事叶はずは、我等、敵の手に懸かりて、足柄を東へ再び帰し給ふべからず。南無三島の大明神。」とぞ念じける。皆人は、神や仏に参りては、或いは「寿命長遠。」と祈り、「諸病悉除。」とこそ祈るに、この人々の明け暮れは、「父のために命を召せ。」とのみぞ申しける。無残なりし事どもなり。
 かやうの事までも、最後の文に詳しく書きて、富士野より曽我へ返しける。母、見給ひて、「五つや三つより思ひ立ちける。」とも知られけり。

底本頭注
 二 同じく別当に逢ふ事
 ・おこたり――謝罪。
 三 太刀刀の由来の事
 ・莫邪――名工の名。ここは、刀鍛冶の意に用ゐたり。

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校訂者注
 一 箱根にて暇乞ひの事
 ・願はくは今生にて…共に浄土に迎へとり給へ――底本、「願はくは浄土に迎へとり給へ」。底本頭注に従い補った。
 二 同じく別当に逢ふ事
 ・昔に変はりて思ふべきにあらず――底本、「昔になりかはりて思ふべきにあらず」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 三 太刀刀の由来の事
 ・『法師が御辺に…御不審あらん時は――底本、「法師が御辺に奉りて、狼籍なりと御不審あらん時は」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

八 泣不動の事

 「晴明、『遅し。』と待ちし事なれば、七尺に床をかき、五色の幣を立て並べ、きんせんさんぐ、数の供具、菓子を盛り立て、証空を中に据ゑて、晴明、礼拝恭敬して、珠数さらさらと押し揉み、上は梵天帝釈、四大天王、下は堅牢地神、八大龍王まで勧請して、既に祭文に及びければ、牛王の渡ると見えて、種々のさんせん幣帛、或いは空に舞ひ上がりて舞ひ遊び、或いは壇上を躍り廻る。絵像の大聖不動明王は、利剣を振り給ひければ、その時晴明、座を立つて、珠数を以て証空の頭を撫で、『平等大恵一乗妙典。』と言ひければ、即ち上人の苦悩さめて、証空に移りけり。やがて五体より汗を流し、五臓を破り、骨髄を砕く事、言ふに及ばず。これを見る人、清明が奇特の貴さ、証空の志の有難さに、上下、袖を絞るばかりなり。
 「さて、証空の頭より煙立つて、苦痛忍び難かりしかば、年頃頼み奉る絵像の不動明王を睨み奉り、『我が二つなき命、師命に奉ず。召し取らしめ、屍を壇上にとどめん。』と正念に住して、『安養浄刹に迎へ取り給へ。知我心者、即身成仏。あやまち給ふな。』と、一心の願をなしければ、明王、『哀れ。』とや思しけん、絵像の御眼より紅の御涙、はらはらと流させ給ひて、『汝、貴くも法恩を重くして、一人の親を振り捨て、師命に替はる志、褒じても余りあり。我また、いかでか汝が命に替はらざるべき。行者を助くる大聖明王の誓ひ、地蔵薩埵に限らず。受くる処の苦痛を見よ。』と、あらたに霊験顕はれければ、明王の御頂きより、猛火ふすぼり出、五体より汗を流し給ふ。貴しとも忝しとも、言葉にも言ひ難し。即ち証空が苦悩とどまり、智興大師も助かり、証空も誓ひに与かり給ふ事、有難かりしためしなり。されば、三井寺に泣き不動とて、寺の宝のその一つなり。流させ給ひし御涙、紅にして、御胸まで流れかかりて、今にあり、とぞ承る。まことに師匠の恩、かやうにこそ有難きものなれ。

九 鞠子川の事

 「箱根を忍び出候ひし時は、権現にも御暇をも申さず。まして師匠に『かく。』とも申さざりし事、今にその恐れ残りておぼえ候。」と申しければ、十郎も、「さこそ。」とて、箱根にぞかかりける。鞠子川を渡りけるが、手綱かいくり申しけるは、「わ殿三つ、祐成五つの年より二十余の今まで、この川を一月に四、五度づつも渡りつらん。いかなる日なれば、今渡り果てん事の悲しさよ。などやらん、いつよりもこの川の水、濁りて候。心もとなし。」と言ひければ、五郎申すやう、「皆人の冥途に赴く時は、物の色変はり候とな。我等が行くべき道、曽我を出づるは、娑婆を別るるにて候。この川は三途の川、湯坂の峠は死出の山、鎌倉殿は閻魔王、御前伺候の侍どもは獄卒、阿傍羅刹、左衛門尉は善知識、箱根の別当は六道能化の地蔵菩薩と念じ奉る。この川の水、色変はると見えて候へ。」とて、駒打ち入れけるが、ややありて、十郎。
  五月雨に浅瀬も知らぬ鞠子川波に争ふ我が涙かな
五郎聞きて、歌の心悪しくや思ひけん、行縢鼓打ち鳴らして、かくぞ詠じける。
  渡るより深くぞ頼む鞠子川親の敵に逢ふ瀬と思へば
 かやうに思ひ連ねて通る所は、阿弥陀の院じゆ、かさま寺、湯本の宿を打ち過ぎ、湯坂の峠に駒を控へ、弓杖突きて申しけるは、「人生まれて三箇国にて果つるとは、理なり。我ら、生まるる所は伊豆の国、育つ所は相模の国、最期所は駿河の国。富士の裾野の露と消えなん不思議さよ。」五郎聞きて、「その最期所が大事にて候ぞ。心得給へ。」と勇むれば、「仰せにや及ぶ。」と宣へども、さすが古里の名残や惜しかりけん、我が古里の方を遥々と眺むれば、ただ雲のみ掛かり、いづくをそことも知らねども、「煙少し見えたるは、もし曽我にてや候らん。」団三郎、これを返り見て、「煙は曽我にて候はず。それより南の黒き森に、雲の掛かりて候こそは、曽我にて候へ。」と申しければ、古き事どもの思ひ出されて、十郎。
  曽我林霞な掛けそ今朝ばかり今を限りの道と思へば
とうち眺め、涙ぐみければ、五郎、この有様を見て、「この人に同心しては、はかばかしき事あらじ。勇めばや。」と思ひければ、怒り声に成りて、「殿こそは、大磯、小磯、曽我古里をも眺め給へ。時致に於いては、思ふ事こそ急がはしく候へ。」とて、駒引きのけ駆け出し、二町ばかり駆け通りぬ。十郎、興さめて思ひながら、駒駆け出し追ひ付きけり。五郎、引きさがり口説きけるは、「人界に生を受くる者、誰かは最後の名残、惜しからで候べき。鬼王、団三郎が心をも御恥ぢ候へかし。彼等をば曽我へ帰し候べし。もしこの事叶ひて候はば、申すにや及ぶ。し損ずるものならば、『この人々が、ここにては歌を詠み、かしこにては詩を詠じて、しもたてぬ事。』なんど嘲られんも口惜し。いかばかりとか思し召し候。」と申しければ、「理。」とや思はれけん、その後は歌をも詠まず、横目をもせず打ちける程に、大崩れにこそ着きにけれ。

十 二宮の太郎に逢ひし事

 隙行く道を見渡せば、馬乗り、五、六騎出で来る。「誰なるらん。」と十郎見るに、二宮殿とおぼえたり。「いでや、この事、一ばし語らん。」と言ふ。五郎、聞きて、余りの事なれば、返事もせず。ややありて申しけるは、「いかでかやうの大事、婿には知らせ候べき。異姓、他人にては候はずや。いかなる人か、世になき我等が、『死にに行く。』と語らはんに、同意する者や候べき。ただ対面ばかりにて御通り候へ。」十郎聞きて、「御分の心を見んとてこそ。」と雑談し、相近くなりければ、この人々、馬より下り、弓取り直し、色代す。「人々は、いづくへ行き給ふぞや。」「鎌倉殿、富士の御狩と承り、狩場の体、見参らせて、末代の物語と思ひ立ちて、罷り出候。」と申す。義実聞きて、「あはれ、人々の無用の見物かな。馬鞍見苦しくての見物、しかるべからず。これより帰り給へ。某も、『御供。』と仰せられつるを、見苦しさに、『風の心地。』と梶原が方へ申して遣はし候。面々も、只これより帰り給ひて、二宮に逗留し、笠懸など射てあそび給へ。」と申しければ、十郎、「畏り存じ候へども、かやうの事は、重ねて有難き見物と存じ、既に思ひ立ちて候。馬弱くば、山をば牽かせ候べし。帰りには参り、暫くも逗留仕り候べし。設けの肴、御用意候へ。」と申しければ、「この上は、御帰りをこそ待ち申すべし。」とて、馬引き寄せ打ち乗り、東西へ打ち別れにけり。ただ「世の常。」とは思へども、これぞ最後の別れなり。「さても我等討死の後、形見ども、曽我より二宮へも送りなん。その時にこそ、『男子なりせば一みちにならではあるべきに、女の身の悲しさは、その事こそ叶はずとも、せめて道より、など最後の言伝だになかりつるぞ。』と怨み給はん事、さぞあらん。」と思へば、包むその涙、先立ちぬるこそ悲しけれ。

十一 矢立の杉の事

 「とても捨つべき命ども、遅速は同じ事ながら、さりぬべき便宜もこそあらめ、一時も急げや。」とて、駒を速めて打つ程に、矢立の杉にぞ着きにける。「この杉と申すは、元は湯本の杉と言ひけるを、一年、九州阿蘇の平権守とて、虎狼の逆臣あり。九国をうち従へて領ずる事、四年なり。軍する事、五十余度なり。度毎に勝てり。その時の齢、七十二歳なり。あまつさへ、『天下を悩まし奉らん。』とて、国を催す聞こえありければ、六孫王の御時、その討手のために、関東の兵を召され、上りしに、この杉の元に下り居て祈りけるは、『九州に下り、権守をうち従へ、難なく都に帰り上り、名を後代に上ぐべくは、一の矢受け取り給へ。』とて、各々射けるに、一人も射損ぜず。さて筑紫に下り、合戦するに、難なくうち勝つて、帰り上りぬ。その時よりして、矢立の杉と申しけり。『門出めでたき杉。』とて、上下旅人、心あるもなきも、この木に上矢を参らせぬは無し。いはんや我等、思ふ処ありて行く者ぞかし。いかでか上矢を参らせざらん。」とて、十郎、一の枝にとどむ。五郎、二の枝にぞ射立てける。何となく射けれども、十郎は宵に討たれ、五郎はあしたに斬られにけり。「この杉の瑞相顕はれて、一二の枝の隔て、不思議なりける次第。」とは、今こそ思ひ合はせけれ。さても兄弟は、駒を速めて打つ程に、箱根の御山にぞ着きにける。

底本頭注
 九 鞠子川の事
 ・この人に云々――十郎と同じ心に悲しみては。
 十一 矢立の杉の事
 ・六孫王――経基。清和の第六子貞純親王の子。源姓を賜はりて人臣となる。

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校訂者注
 八 泣不動の事
 ・かやうにこそ有難きものなれ――底本、「かやうにこそありたきものなれ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 十 二宮の太郎に逢ひし事
 ・一みちにならではあるべきに――底本、「一みちにならで有るべきに」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 十一 矢立の杉の事
 ・領ずる事、四年なり――底本、「ちやうずる事四年なり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。

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