江戸期版本を読む

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【翻字】
来るか来るかと待(まつ)ときや来(こ)いて余所(よそ)へかはれてまゝ
ならぬ夜更(よふ)けて[相方お色](来る)おくにさんおくにさん[名代お国]あいあい
ウゝゝウゝゝ[坊主客(ハイミヤウ)山花]是(これ)々おきなおきな[お色]お国さんお国さん是さ
是さもうちつと気をつけなよ[お国]あいあい[山花]これさこれさ[国]
モウおけへりなせんすかへ[色]いゝにやサまだけへりなさるの
じやアねへマアちつとあつちイいつとくんな[国]ヲヤお色さん
かへわつちやア又お帰(けへ)りなせんすかとおもひしたよいつ
そモウ眠くつて眠くつてなりやせん[色]おとよさんの所(とこ)イでも
いつてねて居な[国]アイそんならいつてめへりやせふ
(と出て行)[色]よく寝る子だねへ(といひながらとこへ入)[山]なんても来ると
寝たがねげへりもしやアしねへ[色]お前(めへ)又どふぞしやア
しなんせんか[山]ナニ馬鹿な事を[色]それでもお前
がふ断可愛らしい可愛らしいといゝなさるから知れねへもの
【通釈】
(女郎屋へ行って指名したはずの女がなかなか来ないで、今に)来るか、来るかと待つ時には来ないで、他所(の客)に買われて、(とかく)思い通りにならない(時が少なくないものだが、そんな日のある)夜も更けて、その夜指名した女郎のお色が(ようやく)来て「お国さん、お国さん」。お色が来るまでの代理をしていた女郎のお国が「はいはい。ううう・・・」(と寝ぼけている)。坊主の客で俳号は山花(という、ここへは俳諧師匠として隠れて遊びに来ているその男が)「これ、これ。起きな、起きな」。お色「お国さん、お国さん。これ、さあ、これ、さあ。もう少し(寝込んでしまわないように)気をつけなよ」。お国「はい。はい」。山花「これ、さあ、これ、さあ」。お国「もうお帰りなさいますかえ」。お色「いいや、まだお帰りなさるのじゃあない。まあ(もういい、私が来たから邪魔だから)ちょっとあっちへ行ってくんなよ」。お国「おや、お色さんかえ。私は又(お客が)お帰りなさいますのかと思いましたよ。たいそう眠くって眠くってなりません」。お色「おとよさんの所へでも行って寝ていな」。お国「はい。そんなら行って参りやす」と出て行く。お色「よく寝る子だねえ」と言いながら床に入る。山花「何でも(あのお国はここに)来ると(すぐに)寝たが、寝返りもしやあしねえ(。それぐらいよく寝ていた)」。お色「あなた、又(あのお国と)どうかしやしませんでしたか?」。山花「何、馬鹿なことを」。お色「それでもあなたがふだんから(お国のことを)可愛いらしい、可愛らしいと言いなさるから、(今夜だってどうだか)知れねえものさ」。
【語釈】
・坊客(ぼんかく)・・・不詳だが、「女郎屋に客として来た寺の僧侶」で「坊(主の)客」の意。当時僧侶は女犯禁制であったが、実際にはそれを犯す僧侶は少なくなかった。
・国字・・・「(我が)国(の文)字」の意で「いろは」と読む。江戸谷中の感応寺門前に当時岡場所があり、通称が「いろは茶屋」であったことから、谷中の意。
・来るか来るか・・・当時江戸の遊里で馴染み客が同じ日に複数来店すると、遊女は複数の座敷を回った。客によってはずいぶん待たされたり、来ずに終わることもあった。
・相方・・・相手の女郎。
・名代(みょうだい)・・・ある人の代わりを務めること。また、その人。代理。
・はいみょう・・・俳号。俳名。俳句の作者としての雅号。
・いっそ・・・まったく。たいそう。
・なんでも・・・よくはわからないが。
【解説】
 今の台東区にある谷中天王寺は改称後の名称で、当時は感王寺であり、当時は富くじの興行で賑わいを見せた寺でした。その門前に通称「いろは茶屋」と呼ばれる岡場所があり、僧の客が多かったようです。藤沢周平原作「鬼平犯科帳」に「谷中いろは茶屋」という作品があり、ドラマ化もされていて、それで知る人も多いようです。
 本編「坊客」だけは副題に地名がありません。「国字(いろは)」とあり、なぜそうしたかは定かではありません。末尾に「感応寺」とありますから、恐らくは隠す意図からでなく、それだけ有名であったためではと推察します。
 本編は他の三編に比べると最も難解です。客の言動も女郎の言動もよくわかりません。ただ、逆に言うと、本編に描かれているとおりに当時の女郎屋を理解すればよいのかもしれません。夜中に馴染みの女郎がようやく僧侶の馴染み客、もっともその僧侶は俳諧の師匠に化けて来ているのですが、その座敷に来て、留守中の代理を務めていて寝込んでしまっていた、おそらくは年若い後輩の女郎を追い出して床に入り、男が若い女郎と通じていないことを確かめている、読み取ったままの様子が当時の谷中という岡場所の一女郎屋で実際に展開されていたのであろうと読めばよいのだろうと思います。
 当時は僧侶は女遊びは禁止で、露見すれば刑事罰を受けたり寺を追われるなどの社会的制裁を受けたようです。本編の坊主が俳諧の師匠に変装しているのは、当時俳諧の師匠で僧体(僧の姿)にしていた者が多かったからでしょう。当時は俳諧宗匠に限らず、医者や諸芸の芸人など、僧侶と同じ格好をする者が多くいたようです。ただ、その禁制も厳密に守られていたというよりは、むしろ本編が示すように「隠れてやる分にはお構いなし」が実態に近かったようです。それで暮らしが立つ人たちもいたはずで、世の中は持ちつ持たれつ、今も昔もこの辺りの事情に大きな違いはないようです。

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【翻字】
[庄]それほど又おれ
と切(きれ)たくはきれてやろうはサ[中]ナニわつちがきれてへ事
が有(ある)もんでごぜんす[庄]それでもお幸でも誰でもよべ
といふじやアねへか[中]それもお前が無理ばつかりいゝなんす
から切たくつての事と思ひすからさお前になんして
からこつちイは客衆はみんなきれてしまうしお前が来
なんせん段になればわつちやア生(いき)ちやアいられゐせん
[庄]そんならゑへよばかな泣事(なくこた)アねへ[中]それだとつて
もあんまりむごい[庄]トレ皃(かほ)を拭(ふい)てやろうこつちらアむ
きや[中]ナニふかずともよふごぜいすよ[庄]是さマアなんでも
こつちよをむきやよ[中]あい[庄]よサ[中]あい[庄]何もかも
おれが悪かつた誤るから堪忍(かんに)しや[中]ナニかんにするの誤る
のといふ中じやアごぜんせんはナ[庄]そんならきげんを
直しや[中]お前もきげんを直しなんし[庄]おらアもふとう
にきげんが直つた[中]ほんにかへ憎らしい人にやアなかせてからに(とだきつく)
[庄]ほんに大夫とのわけはねへか[中]アレまだいゝなんすよそんならモウ
わつちやアいやよ[庄]アゝいふめへいふめへもふ押付(おつつけ)むけへだらう
中直りに(と夜着(よぎ)引かぶれば屏風(べうぶ)がぎちぎち)
【通釈】
庄兵衛「それほど又俺と切れたいなら、切れてやろうわさ」。お中「どうして私が切れたい事があるものでございますか」。庄兵衛「それでも、『お幸でも誰でも呼べ』と言うじゃねえか」。お中「それも、あなたが無理なことばかりいいなさるから、切れたくって(無理を言うの)だと思いますからさ。あなたにナニしてからこっちは、(他の)客は皆切れてしまうし、あなたが来なさらない段になれば、私は生きてはいられません」。庄兵衛「それならいいよ。馬鹿な、泣くことはねえ」。お中「それだといっても、あんまり(いじめようが)ひどい」。庄兵衛「どれ、顔を拭いてやろう。こちらを向きな」。お中「なに、拭かなくっても良うございます」。庄兵衛「これさ(、強情な女だ)、まあ(なんでもいいから)こっちを向きなよ」。お中「はい」。庄兵衛「よし」。お中「はい」。庄兵衛「何もかも俺が悪かった。謝るから堪忍しな」。お中「なに、堪忍するの謝るのという(水臭い)仲じゃございませんわな」。庄兵衛「それなら機嫌を直しな」。お中「あなたも機嫌をお直しなさいな」。庄兵衛「俺はもうとっくに機嫌が直った」。お中「本当かえ。憎らしい人ね。泣かせてから(優しくするなんて)」と(言って)抱き付く。庄兵衛「本当に園大夫とは何でもねえか」。お中「あれ、まだ(その事を)言いなさるよ。そんならもう私は嫌よ」。庄兵衛「ああ、(もう)言うめえ言うめえ。もうそろそろ迎え(が来る)だろう。仲直りに・・・」と言って、掛布団を引きかぶると、屏風がぎちぎち(ときしむ音がする)。
【語釈】
・なん・・・「何」。事物・人などをぼかしてさす語。ここでは庄兵衛との関係を言う。当時、一人の客が遊女と関係を持った時、同じ店で他の遊女と関係を持つことは原則なく、店内では疑似的な夫婦関係と見なされた。
・わけ・・・男女間のいきさつ。また、情事。
・おっつけ・・・やがて。そのうちに。まもなく。
・迎え・・・不詳。庄兵衛を迎えに来る者とも考えられるが、おそらくはお中の属する置屋からの迎えか。
・夜着・・・寝るときに上に掛ける夜具。特に、着物の形をした大形の掛け布団。
【解説】
 お中が居直って別れを覚悟する言葉を言って泣き出すと、庄兵衛は態度を軟化させ、優しい態度を見せ始めます。このあたりは、今も昔も変わらない、男女の痴話喧嘩の典型的展開でしょう。そのあとは、読むのもばかばかしい、グダグダの仲直りに落ち着きます。
 お中の涙や言葉にどれほどの真実があるのかはわかりません。けれども、「変語」における客が当時の色里に遊ぶおおかたの客であるとすると、本編で描かれている庄兵衛は、男としてはうらやむべき、大成功している客であるとは言えるでしょう。同じ遊ぶならこういう客になりたいものだと、男たちは色里通いの理想・目標・お手本にしたことでしょう。これを読んで当時の男たちは、顔をにやつかせていたのではないでしょうか。男というものは本当にしようのない、まったく進歩のない生き物のようです。

  

【翻字】
[庄]どふして手前(てめへ)の懐(ふところ)にあつた物を人にたのまれたの
なんのといつてすむもんだそりやアはや手めへはだま
す事が上手だから合点(がつてん)するものもあるかしらねへが
おいらアまあ合点はしねへ[中]そんならおめへどふでも
うたぐりなんすかへ[庄]しれた事さ[中]わつちやア又お前
もお幸(かう)さんの事なんぞも咄(はなし)なんすもんだから隠し
ちやア結句(けつか)わるかろふと思つて(是より泣(なき)声になり)そして又だま
すが上手だといひなんすが何がおめへをだました事
がごぜんすいかにわつちがよふな者だとつてもそん
なにいぢめなんす事(こた)アおざゐせん[庄]何も手前を
いぢめやアしねへ[中]それでもいつお前をだました事
がごぜんしてたますが上手だのなんのといゝなんす
[庄](少しこまりかんがへて)そんならいおふか夏中(なつぢう)手前がいふ事にやア
帷子(かたびらを着て寝るとしわに成(なつ)て悪いから浴衣(ゆかた)を
拵(こしらへ)て置(おゐ)てやろうといつたがとふとふ出来ずに仕廻(しまつ)
たじやアねへか[中]それがそんなに腹が立(たち)いすかへ下町の
客衆(きやくしゆ)が金をとられるはづだつけが夫から来はせず夫に
盆前にもちつとでもお前の方(ほう)イ足(たし)たからどふも
出来ねへもの[庄]盆前の事がそれほど惜(おし)くはゑへはサ
ひどひ工面をしてあの金はけへそふ[中]ナニサそれが惜い
のほしいのでそふいふのじやアございせんはナなんでも
一言いへばその様に言葉質(ことばじちよ)を取(とつ)ていぢめなんす(なきながら)
お前も又男のよふでもねへそらほどわつちがいやに成(なり)
なんしたらさつぱりときれてお幸さんでも誰でも
よびなんしたがよふごぜんす今迄お心安く致(いたし)ゐし
て色々な事をも申(もうし)んしたが嘸(さぞ)お腹も立(たち)ゐせう
が堪忍(かんに)しておくんなんしお前斗(ばかり)アそふしたおこゝろ
じやア有(ある)めへとおもつてほんに勿躰(もつてへ)ねへ親もうみつけ
ねへからだにまで疵(きず)ウ(とあとはいはず此所にていよいよなく)
【通釈】
庄兵衛「どうして自分のふところにあったものを、人に頼まれたのなんのと言って済むものか。そりゃあ、もともとお前は(人を)だますことが上手だから、(そんな言い訳で)納得するものがいるか知れねえが、俺はまあ納得はしねえ」。お中「そんならあなた、どうしても疑りなさるかえ」。庄兵衛「(答えるまでもなく)知れた事さ(疑うよ)」。お中「私は又、あなたも幸さんのことなんぞも(隠さずに私に)話しなさるもんだから、(私のほうも)隠しちゃあ、かえって悪かろうと思って」。お中はここから泣き声になり、「そして又『(私は)だますのが上手だ』と言いなさるが、どうして(私が)あなたをだましたことが(今までに一度でも)ございますか。(つまらない女郎である)私のような者だといっても、そんなにいじめなさる事はございません(でしょう)」。庄兵衛「何も(俺は)お前をいじめはしねえ」。お中「それでもいつ(私が)あなたをだました事がございまして、(私のことを)だますのが上手だの何のと言いなさる?」。庄兵衛は少し困り、考えて、「そんなら言おうか。夏のいつだったかに、お前が言うことにゃあ、『帷子を着て寝るとしわになってよくないから、浴衣をこしらえておいてやろう』と言ったが、とうとうできずに終わったじゃねえか」。お中「それがそんなに腹立ちますかえ?下町の客のお金を受け取れるはずだったのが、あれから(この店に)来ず(じまいで結局もらえず)、その上、盆前に(たとえ)少しで(はあって)もあなたの方に(お金を)回したから、(それでお金が足りなくなって、浴衣が)どうしてもできねえもの(、嘘をついたのではありませんわ)」。庄兵衛「盆前の(俺にくれた金の)事がそれほど惜しいなら、いいさ、たいへんな工面をして(でも)あの金は返そう」。お中「何さ、それが惜しいとか欲しいとかでこういうのじゃございませんわ。何でも(私が)一言言うと、そのようにそれを証拠にして取って、(私を)いじめなさる。今までお心やすくいたしまして、色々なことを申しましたが、さぞお腹もお立ちでしょうが、堪忍して下さい。あなただけは、そういうお心じゃあなかろうと、(私は今まで)思って、本当に恐れ多い(ことでした)。親も(こんな風には)産み付けなかった、この体に傷・・・」と、後(の言葉)は言わないで、ここのところでいよいよ(激しく)泣く。
【語釈】
・はや・・・実は。ほかならぬ。もともと。
・幸さん・・・不詳だが、おなじ深川の女郎であろう。
・けっく・・・かえって。むしろ。反対に。
・何が・・・反語の意を表す。どうして…か、そんなことはない。
・じゅう・・・ある期間のうちのある時。
・帷子・・・生絹 (すずし) や麻布で仕立てた、夏に着るひとえの着物。
・言葉質・・・人の言ったことを、のちの証拠として取っておくこと。また、その言葉。言質 (げんち) 。
・きず・・・相愛の男女がその愛の変わらぬ証としてした、刺青、切指、爪を抜く等の「心中立て」による傷。
【解説】
 庄兵衛とお中の痴話喧嘩は、園大夫への手紙から、思わぬ方向へどんどんと流れて展開していきます。読んでいて仲裁する気にもならないばかばかしい展開、まさに痴話喧嘩です。
 読んでいてわかることは、庄兵衛にお中がお金や贈り物を渡したり約束したりしていることです。前の「変語」では、女郎のほうが客にものをねだり、客がそれに応じていました。それをごく一般的な女郎と男客の関係だとすると、本編の庄兵衛とお中の関係は、レアケースとまでは言えないまでも、女郎のほうが男客に入れ込んでいる、ありそうでなかなかない関係であったようです。「粋事」という編名も、それを示唆しています。
 ともかく、最後にお中は互いの関係を清算しようと言って、泣き崩れます。これは職業上の演技なのか、それとも愛情からの真実の涙なのか、私には判断がつきません。そこがおそらくは本編の作意であると同時にその文学的価値でもあるのでしょう。B級文学ではあるでしょうが、B級にはB級の価値があるものです。 

  

【翻字】
[庄]それ
でもせんどの文はありやアなんだ[中]ほんにお前(めへ)も
あれほど此ぢうも訳をはなしたものをまだうたぐり
なんすのそらほど心元なく思ひなんすなら又よく
咄(はなし)いせふ(と床の内へ入)[庄]いゝにや又はなさずとも此ぢうの訳は
おれも覚(おぼへ)て居るよなんぼ手前(てめへ)があいつらに憎
まれちやア客の前(めへ)イどんな事をいおふもしれねへから
柳に受(うけ)てあやなして置(おく)のなんのと口ぎれへな事
をいつても不断常住つき合(あふ)もんだに仍(よつ)てどんな
事をするか知れねへそして又あんなおかしなにへきら
ねへ返事(へんしよ)をゆつちやアあつちでも合点(がつてん)して居るもん
じやアねへ[中]それだから又一昨日(おとてへ)もなんのかのと
いつてよこしたけれどもやつはりいつまでも同じ
返事斗(ばかり)して置(おき)いすマアよく思つても見なんしたか
であの人と色でもする気なら何の為にお前に
咄すもんでごぜんす大概(てへけへ)つもりにも知れた事を[庄]
成(なる)ほど此(この)わけをしよてから咄せばおれもかまはねへ
けれどもせんどあの文(ふみ)をおれに見付けられてしよふ
事なしに咄(はなし)たものだから疑ふめへ物ぢやアねへはサ[中]
サアそれもお前のいゝなんす事でごぜいすけれどもあの
文に名でも書(けへ)て有(ある)じやアなし隠す気ならわつち
がのじやアねへ人に頼まれたといつても済(すみ)いすはナ
【通釈】
庄兵衛「それでもこの間の手紙は、ありゃあ、何だ」。お中「本当にあなたも(疑り深い)。あれほどこの間も訳を話したのに、まだ疑りなさいますの。それほど心配に思いなさるなら又よく(訳を)話しましょう」と言って寝床に入る。庄兵衛「いいや、訳は話(し直)さないでもこの間の(お前が言った)訳は俺も覚えているよ。いくらお前が、あいつらに(冷淡にして)憎まれちゃあ(あいつらが)客の前でどんな事を言うか知れないから(どんな無理を言いかけられても)逆らわないで適当にあしらって置くの何のときれいごとを言っても、(お前とあいつらとは女郎と芸人、俺とは違って)ふだんいつも付き合うのだから、(俺の知らないところで)どんな事をするか知れねえ。そして又あんな煮え切らねえ返事をしたら、男のほうも納得しているもんじゃねえ(、きっとお前を諦めたりはしていないはずだ)」。お中「それだから又おとといも(あいつが)なんのかのと言って寄こして来たけれど、やっぱり私は(仕返しが怖いから、はっきりとは断らずに)やっぱりいつまでも同じ(煮え切らない)返事をしておきます。まあよく考えてもみて下さい。そもそも(私が)あの人と色事でもする気なら、何のためにあなたに話すもんでございます?たいてい少し考えてもわかりそうな事を」。庄兵衛「なるほど。(今話した)この訳を最初から話していたなら俺も気にしないけれど、この間俺にあの手紙を見付けられて、(それをごまかそうとしてあの時お前は訳を)仕方なしに話したもんだから、疑って当然だろうよ」。お中「さあ、それもあなたの言い分でございましょうけれど、(私のほうから言いますと、)あの手紙に名前でも書いてあるじゃなし、(ごまかそうとして私があの人との仲をあなたに)隠す気なら、『この手紙は私のじゃない。人に頼まれ(てことづかっ)ただけだ』と言っても済みますわな」。
【語釈】
・先度・・・さきごろ。このあいだ。せんだって。
・柳に受ける・・・逆らわないで、されるがままになる。
・あやなす・・・巧みに扱う。あやつる。
・口綺麗・・・口先だけで言うりっぱなこと。きれいごと。
・常住不断・・・常に続いていて絶え間のないこと。いつも。
・合点・・・理解すること。納得すること。得心。
・たかで・・・はじめから。そもそも。
・色・・・情事。色事。
・つもり・・・推測すること。おしはかること。
・かまわない・・・差し支えない。気にしない。
【解説】
 庄兵衛とお中の痴話喧嘩は、痴話喧嘩の例にもれず、ややこしく入り組んでいます。彼がお中と園大夫の仲を疑うのは、以前にお中が手紙を持っていたのを見つけたことがあったからです。その時にはお中の方から庄兵衛に次のように説明しています。「実はそれは新内流しの園大夫という男にあてた返事であるが、前からその男は私に言い寄っていて、私にはあなたがいるから当然断るのだけれども、袖にして逆恨みされて嫌がらせをされても困るから、あいまいに返事をしているのだ」。
 けれども庄兵衛は疑っています。「それは、俺に手紙を見つけられて仕方なく言ったごまかし、嘘だ」。
 お中はこう言い返します。「嘘をつく気なら最初から打ち明けたりはしない。名前などどこにも書いてないから、ごまかすなら『別の女郎からことづかった手紙だ』と言っている」。
 書いていてばかばかしくなります。男の言い分も女の言い分も一理はありますが、互いに根拠がありません。おなかの最初の説明も本当かどうかわからないし、庄兵衛の疑いも、どこまで本気かはわかりません。手紙にしたところが、客の気を引くための小道具の一つなのかもしれません。
 この先二人の言い争いは、手紙を離れて「嘘」「だます」に移ります。二人の痴話喧嘩はこれから佳境に入ります。 

  

【翻字】
しばらく有て上ぞうりの音)ばさばさ
[庄](ねたふりにて)ごうごう[相方お中](来りたばこ吸つけて)あいサアたばこ[庄]ごうごう
[お中]又たぬきかへくすぐりいすよ[庄]アゝくすぐつてへ
誤(あやまつ)た誤た[中]そんならナゼねたふりをしなんした[庄]ナアニ
ほんにとろとろとしたものを[中]まだ嘘をつきなんすよ
[庄]そんなら正直にいをふ手前(てめへ)が来ねへ内(うちや)アどふして
ほつてもねられやアしねへがあんまり来よふが遅いから
寝たふりをしたものさ[中]どふもわつちも早く来たくつ
てならねへけれどもお前の来なんした時ばかり早く
来ちやアわるいからおもしろくもねへ咄(はなしよ)をして居
やした[庄]ナアニそふじやア有(ある)めへ表ざしきイ園大夫(そのたゆふ)が来て
居るそふだから[中]又そんな事をいゝなんすよ
【通釈】
しばらく経って、上草履の音がばさばさ。庄兵衛は寝たふりをして「ごう、ごう」(と、いびきをかく)。庄兵衛の馴染み女郎のお中が来、たばこを吸い付けて「はい、さあ、たばこ(をお吸いな)」。庄兵衛「ごう、ごう」。お中「又狸寝入りかえ。くすぐりますよ」。庄兵衛「ああ、くすぐってえ。謝るよ、謝るよ」。お中「そんならなぜ寝たふりをしなさった」。庄兵衛「なあに、本当にとろとろっと(うたたねを)したのに」。お中「まだ嘘をつきなさるわよ」。庄兵衛「そんなら正直に言おう。お前が来ねえ間はどうしていても寝られやしねえが、あんまり来るのが遅いから、寝たふりをしていたのさ」。お中「どうも(遅くてすいません)。私も早く来たくてならないんだけれど、あなたの来た時だけ早く来ては(体裁が)悪いから、面白くもない(無駄)話をしていました」。庄兵衛「なあに、そうじゃああるめえ。表座敷に園大夫が来ているそうだから、遅れたんだろう)」。お中「又そんな事を言いなさるよ」。
【語釈】
・上草履・・・遊女が遊女屋にいるときに、はいて歩く厚い草履。
・大夫・・・ここでは説経節および義太夫節などの浄瑠璃系統の音曲の語り手。江戸浄瑠璃・新内節は1760年ごろに始まり、すぐに座敷浄瑠璃として色里で流行した。
【解説】
 冒頭で庄兵衛が狸寝入りをしているのは、「別にお前なんかを待ちわびてなんかいない」という男の見栄でしょう。「その訳を言え」とお中が責めるのは、「起きて私を待っていた=私に首ったけだと正直に白状しなさい」と迫る意味でしょう。すると男は正直に、「ここへ来るのが遅すぎる」と女を責めます。女は「他の客との間で差が出ないように、無理に遅く来ているのだ」と弁解します。
 女の男に対する働きかけは、押したり引いたり、攻めたり守ったりとさまざまに変化します。お中の気持ちというより、客を篭絡する女郎の手管であったのでしょう。
 男は「園大夫」という名を口にします。これは続きを読むと、男でしかも客ではなさそうです。おそらくは当時人気のあった「新内流し」です。彼らは二人組になって色里を流して歩き、女郎屋で遊ぶ客に招かれては座敷に上がって新内を聞かせて稼ぎました。男は馴染みの女がその新内流しの一人とデキているのではないかと疑ったのです。その理由はすぐ後に書かれていて、次回ご紹介します。その男芸人が表座敷にきていることを耳にしていた男は、そのためにここに来るのが遅れたのだろうと女を責めているのです。
 しかし、これも男の手管なのかもしれません。前回の部分で庄兵衛は、武蔵屋の突き出し女郎と遊べるように取り持てと、船頭の権次に頼んでいます。庄兵衛は「お中に首ったけ」ではないのです。
 この後、庄兵衛とお中は、手紙や嘘をめぐって言い争いを続けていきます。どこまでが本気でどこまでが手管なのかわからない、たわいない痴話喧嘩です。本編を最後まで読み終えて、「本当にくだらないものを読んでしまった」と心底思う人はいるでしょう。私もそう思いました。しかし、くだらないやり取りをあるがままに描写する、それもまた文学であるように思います。

  

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