【翻字】
[山]アゝちつと
煖(あつたか)に成(なつ)た鰒(ふぐ)と同じ事だ[色]おめへ鰒を喰(くい)なんすかへ
[山]くはねへじやアさみんな喰ふ物を[色]ヲヤヲヤほんに
お前方のほうじやア肴に色々の俳名が有(ある)そふだネ
[山]ウ蛸が天蓋(てんがへ)海老が緋(ひ)の衣(ころも)鰯(いはし)が大僧正(だいそうぜう)の[色]ナゼ
大僧正とはへ[山]ハテいはしの事をば紫といふじやアねへか
煖(あつたか)に成(なつ)た鰒(ふぐ)と同じ事だ[色]おめへ鰒を喰(くい)なんすかへ
[山]くはねへじやアさみんな喰ふ物を[色]ヲヤヲヤほんに
お前方のほうじやア肴に色々の俳名が有(ある)そふだネ
[山]ウ蛸が天蓋(てんがへ)海老が緋(ひ)の衣(ころも)鰯(いはし)が大僧正(だいそうぜう)の[色]ナゼ
大僧正とはへ[山]ハテいはしの事をば紫といふじやアねへか
大そう正でなければむらさきやア着られねへからさ[色]
ヘヱゝ成ほどね鰒の事はへ[山]ふぐの事は素人がてつぽうと
いふけれども夫じやア知れるからせつほうといふのさ[色]フウそん
なら十三日からふぐか初るのかへ[山]ナニサそりやアほんの
説法さ[色]ホゝゝホゝゝおめへ又いつ来なさるへ[山]廿日過でなかア
こられめへ[色]ナゼいつも午の日にやア笠森イいきなさる
じやアごぜんせんか[山]どふもそれでも説ほうでも初ると
ヘヱゝ成ほどね鰒の事はへ[山]ふぐの事は素人がてつぽうと
いふけれども夫じやア知れるからせつほうといふのさ[色]フウそん
なら十三日からふぐか初るのかへ[山]ナニサそりやアほんの
説法さ[色]ホゝゝホゝゝおめへ又いつ来なさるへ[山]廿日過でなかア
こられめへ[色]ナゼいつも午の日にやア笠森イいきなさる
じやアごぜんせんか[山]どふもそれでも説ほうでも初ると
当分は出られねへ[色]そんなら廿日過にきつと来な
よそしてわつちやア又あつちイいつて来やすよ今に
お国さんをよこしやせふ[山]ナニあの子は寝て居よふ
から可愛そふにもうよこさずともゑへはナ[色]そんなら
淋しくと寝て居な又追付(おつゝけ)来るから(とおくの戸のはしごゟ下りて小袖をたしおもてのはしご
ゟ上りてそつと○へ入)
よそしてわつちやア又あつちイいつて来やすよ今に
お国さんをよこしやせふ[山]ナニあの子は寝て居よふ
から可愛そふにもうよこさずともゑへはナ[色]そんなら
淋しくと寝て居な又追付(おつゝけ)来るから(とおくの戸のはしごゟ下りて小袖をたしおもてのはしご
ゟ上りてそつと○へ入)
【通釈】
山花「ああ、ちょっと温かくなった。フグと同じことだ」。お色「あなた、フグを食べなさるかえ」。山花「食わないものか。誰でも食うものを」。お色「おやおや、本当に。あなたがた(僧侶)の方では、魚にいろいろな俳名があるそうだね」。山花「うん。タコが〈天蓋〉。エビが〈緋の衣〉。イワシが大僧正・・・」。お色「なぜ〈大僧正〉と?」。山花「はて、イワシの事を〈紫〉と言うじゃねえか。大僧正でなければ紫(の法衣)は着られねえからさ」。お色「へえ、なるほどね。フグの事は?」。山花「フグのことは、ふつうの人が〈鉄砲〉と言うけれども、それだとわかってしまうから、〈説法〉と言うのさ」。お色「ふうん。それなら十三日から〈フグ〉が始まるのかえ」。山花「なにさ、それは本当の説法さ」。お色「ホホホホ。あなた、又いつ来なさるかえ」。山花「二十日過ぎでなきゃ、来られねえだろう」。お色「なぜ?いつも午の日にゃ、笠森に行きなさるじゃございませんか」。山花「どうめ、それでも説法でも始まると当分は出られねえ」。お色「そんなら二十日過ぎにきっと来なよ。そして私は又あっち(の座敷)に行って来ますよ。じきにお国さんを寄越しましょう」。山花「なに、あの子は寝ているだろうから、可哀想だからもう寄越さなくてもいいわな」。お色「それなら淋しく寝ていな。又そのうち来るから」と、奥のはしご段から下りて、小袖を出し、表のはしご段から上ってそっと(もう一人の客の)座敷に入り、
【語釈】
・鰒と同じ事・・・不詳。フグ料理は「体が温まる料理」とされていて、それを洒落たか。また、後に僧たちが「フグ」を「説法」と呼ぶとあるところから、あらかじめここで会話中に出しておいたものか。
・俳名・・・不詳。本義は「俳人としての雅号」であり、転じて役者の芸名を指す。ここは魚介類を俳人に見立て、それらが名乗る「異名」という意で使ったものか。
・天蓋・・・仏具の一。仏像などの上方にかざしたり,つったりする絹張りの笠。笠の周囲に垂らされた瓔珞(ようらく)などの飾りがタコの足に似ているところからの命名か。
・緋の衣・・・僧正の位にある者が着けた緋色の衣。また、僧がエビをいう隠語。エビはゆでた時に赤くなるところからの命名か。
・むらさき・・・「イワシ」の女房詞。古来、「紫」は高貴な者だけが着用を許され、「藍」を着る者より高位であったことから、「藍(鮎)よりもまさる」意からの命名。
・しろうと・・・ここでは「(僧侶以外の)一般人」の意か。
・鉄砲・・・「フグは食べて当たる(中毒する)と死ぬ」ところからの洒落によるフグの異名。
・午の日・・・干支(えと)による暦法では、午の日は十二日周期で訪れる。
・笠森・・・江戸谷中の笠森稲荷神社。午の日は稲荷の縁日であった。
・おっつけ・・・やがて。そのうちに。まもなく。
・小袖をたし・・・不詳。衣服を改めている描写か。
・○・・・版本の刻みがつぶれていて判読不能。「床」あるいは「奥」か。
【解説】
情事を終え、二人が魚介類を指す僧侶間の隠語を話していますが、これは読者サービスでしょう。ともあれ、当時の僧侶が全く世俗的であったことがよくわかります。
ここでも女郎は客の次回来訪時期を聞いています。むろん、営業目的ですが、予約を確実にする意味と、他の客とのバッティングに備える意味があるのでしょう。この夜もお色は二人の客座敷を往復しています。「はしごする(いくつかの場所を続けてわたり歩くこと)」の意味をまさに体現するかのようです。バッティングが事前にわかれば、調整することもできたでしょう。「馴染みのお客は今はあなただけ」といっても、本当に一人であったわけではないでしょう。このあたり、女郎の営業努力がしのばれます。
最後、お色がはしご段を上下しているのは、客は使わない従業員用の通路があったのでしょう。途中で上に羽織る衣服を改め、それぞれの客を接遇していたのでしょう。おおよそそのように推測できます。
女郎と客の秘め事を盗聴するかのような隠微な楽しさ、女郎屋を女郎の側から見る好奇心、一般読者のそういった関心を満足させるのが本書のような洒落本であったのでしょう。
