江戸期版本を読む

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【翻字】
[山]アゝちつと
煖(あつたか)に成(なつ)た鰒(ふぐ)と同じ事だ[色]おめへ鰒を喰(くい)なんすかへ
[山]くはねへじやアさみんな喰ふ物を[色]ヲヤヲヤほんに
お前方のほうじやア肴に色々の俳名が有(ある)そふだネ
[山]ウ蛸が天蓋(てんがへ)海老が緋(ひ)の衣(ころも)鰯(いはし)が大僧正(だいそうぜう)の[色]ナゼ
大僧正とはへ[山]ハテいはしの事をば紫といふじやアねへか
大そう正でなければむらさきやア着られねへからさ[色]
ヘヱゝ成ほどね鰒の事はへ[山]ふぐの事は素人がてつぽうと
いふけれども夫じやア知れるからせつほうといふのさ[色]フウそん
なら十三日からふぐか初るのかへ[山]ナニサそりやアほんの
説法さ[色]ホゝゝホゝゝおめへ又いつ来なさるへ[山]廿日過でなかア
こられめへ[色]ナゼいつも午の日にやア笠森イいきなさる
じやアごぜんせんか[山]どふもそれでも説ほうでも初ると
当分は出られねへ[色]そんなら廿日過にきつと来な
よそしてわつちやア又あつちイいつて来やすよ今に
お国さんをよこしやせふ[山]ナニあの子は寝て居よふ
から可愛そふにもうよこさずともゑへはナ[色]そんなら
淋しくと寝て居な又追付(おつゝけ)来るから(とおくの戸のはしごゟ下りて小袖をたしおもてのはしご
ゟ上りてそつと○へ入)
【通釈】
山花「ああ、ちょっと温かくなった。フグと同じことだ」。お色「あなた、フグを食べなさるかえ」。山花「食わないものか。誰でも食うものを」。お色「おやおや、本当に。あなたがた(僧侶)の方では、魚にいろいろな俳名があるそうだね」。山花「うん。タコが〈天蓋〉。エビが〈緋の衣〉。イワシが大僧正・・・」。お色「なぜ〈大僧正〉と?」。山花「はて、イワシの事を〈紫〉と言うじゃねえか。大僧正でなければ紫(の法衣)は着られねえからさ」。お色「へえ、なるほどね。フグの事は?」。山花「フグのことは、ふつうの人が〈鉄砲〉と言うけれども、それだとわかってしまうから、〈説法〉と言うのさ」。お色「ふうん。それなら十三日から〈フグ〉が始まるのかえ」。山花「なにさ、それは本当の説法さ」。お色「ホホホホ。あなた、又いつ来なさるかえ」。山花「二十日過ぎでなきゃ、来られねえだろう」。お色「なぜ?いつも午の日にゃ、笠森に行きなさるじゃございませんか」。山花「どうめ、それでも説法でも始まると当分は出られねえ」。お色「そんなら二十日過ぎにきっと来なよ。そして私は又あっち(の座敷)に行って来ますよ。じきにお国さんを寄越しましょう」。山花「なに、あの子は寝ているだろうから、可哀想だからもう寄越さなくてもいいわな」。お色「それなら淋しく寝ていな。又そのうち来るから」と、奥のはしご段から下りて、小袖を出し、表のはしご段から上ってそっと(もう一人の客の)座敷に入り、
【語釈】
・鰒と同じ事・・・不詳。フグ料理は「体が温まる料理」とされていて、それを洒落たか。また、後に僧たちが「フグ」を「説法」と呼ぶとあるところから、あらかじめここで会話中に出しておいたものか。
・俳名・・・不詳。本義は「俳人としての雅号」であり、転じて役者の芸名を指す。ここは魚介類を俳人に見立て、それらが名乗る「異名」という意で使ったものか。
・天蓋・・・仏具の一。仏像などの上方にかざしたり,つったりする絹張りの笠。笠の周囲に垂らされた瓔珞(ようらく)などの飾りがタコの足に似ているところからの命名か。
・緋の衣・・・僧正の位にある者が着けた緋色の衣。また、僧がエビをいう隠語。エビはゆでた時に赤くなるところからの命名か。
・むらさき・・・「イワシ」の女房詞。古来、「紫」は高貴な者だけが着用を許され、「藍」を着る者より高位であったことから、「藍(鮎)よりもまさる」意からの命名。
・しろうと・・・ここでは「(僧侶以外の)一般人」の意か。
・鉄砲・・・「フグは食べて当たる(中毒する)と死ぬ」ところからの洒落によるフグの異名。
・午の日・・・干支(えと)による暦法では、午の日は十二日周期で訪れる。
・笠森・・・江戸谷中の笠森稲荷神社。午の日は稲荷の縁日であった。
・おっつけ・・・やがて。そのうちに。まもなく。
・小袖をたし・・・不詳。衣服を改めている描写か。
・○・・・版本の刻みがつぶれていて判読不能。「床」あるいは「奥」か。
【解説】
 情事を終え、二人が魚介類を指す僧侶間の隠語を話していますが、これは読者サービスでしょう。ともあれ、当時の僧侶が全く世俗的であったことがよくわかります。
 ここでも女郎は客の次回来訪時期を聞いています。むろん、営業目的ですが、予約を確実にする意味と、他の客とのバッティングに備える意味があるのでしょう。この夜もお色は二人の客座敷を往復しています。「はしごする(いくつかの場所を続けてわたり歩くこと)」の意味をまさに体現するかのようです。バッティングが事前にわかれば、調整することもできたでしょう。「馴染みのお客は今はあなただけ」といっても、本当に一人であったわけではないでしょう。このあたり、女郎の営業努力がしのばれます。
 最後、お色がはしご段を上下しているのは、客は使わない従業員用の通路があったのでしょう。途中で上に羽織る衣服を改め、それぞれの客を接遇していたのでしょう。おおよそそのように推測できます。
 女郎と客の秘め事を盗聴するかのような隠微な楽しさ、女郎屋を女郎の側から見る好奇心、一般読者のそういった関心を満足させるのが本書のような洒落本であったのでしょう。

  

【翻字】
[色]もしへ此中(ぢう)お頼ん
申た事はどふしておくんなせんすへ[山]随分のみ込(こん)で居る
けれどもどふもまだちつと工面が悪いよ[色]アノゑんぽう
とやらはまだかへ[山]ナニゑんぽうたア何の事(こつ)たウゝ何か説法
か[色]ホゝゝホゝゝその説法さまだ済(すま)ねへかへ[山]十三日から初る筈(はづ)
だ[色]それが済と出来やすかへ[山]ウゝ夫せへすめばどふでも
してやるよ[色]ほんにかへわつちやア当(あて)にして居やすよ[山]
随分あてにしや[色]わつちも根津に居たときやア相応に
客もあつたつけがネ爰(こけ)へ来てからアみんな切(きれ)やした
それでおめへに斗(ばかり)度々云(いゝ)にくひけれども[山]ナニサおれもなり
せへすればどふでもしてやるけれどもどふも思ふ様にやアいか
ねへて[色]なんでもこうして来ておくんなんす物だから
わつちも御如在にやア存(ぞんじ)やせんからネすへ長く来て
おくんなせんし[山]おらアもふ本尊さまかけて替る気
はねへから手前も替らずに呼んでくれたがゑへ[色]
そりやアもふお前せへ来ておくんなせばどふしてわつち
が替るもんでごぜんすなぜか今夜アきうくつな寝
よふをして居なせんすねマア帯(おびよう)ときなんしな[山]
あつちの客が待つて居ようぜ[色]ナニよふごぜんす
寝るとたわいはごぜんせん怖そふにそつちノ斗よりなん
すねもつとこつちイよりなよ(是より咄しもやみしばらくすぎて)
【通釈】
お色「もし。この間からお頼み申していた事は、どうして下さいますえ」。山花「ちゃんとわかっているけれども、どうもまだ少し懐具合が悪いよ」。お色「あの、〈エンポウ〉とやらはまだかえ」。山花「なに?〈エンポウ〉たあ何の事だ。何か〈説法〉(の事)か」。お色「ホホホホ、その〈説法〉さ。まだ済まねえかえ」。山花「十三日から始まるはずだ」。お色「それが済むと(金の工面が)できますかえ」。山花「うん。それさえ済めばどうにでも(工面)してやるよ」。お色「本当にかえ。私はあてにしていますよ」。山花「しっかりあてにしてな」。お色「私も根津にいた時にゃ、それなりに客もあったっけがね、ここに来てからはみんな切れました。だからあなたにばかり度々、言いにくいけれども(無理を言ってしまって)」。山花「なにさ、俺もできることならどうにでもして(無理を聞いてやる)けれども、(そう)思うようには行かねえって」。お色「何でもこうして来て下さいますものだから、私も(あなたのことを)いい加減には思いませんからね、末永く来て下さいまし」。山花「俺はもう、本尊にかけて変わる気はないから、お前も変わらずに(俺を馴染み客として)呼んでくれていい」。お色「そりゃあもう、あなたさえこうして来て下さいましたら、どうして私が変わる事がありましょう。なぜか今夜は窮屈な寝ようをしていなさいますね。まあ帯を解きなさいな」。山花「あっちの客が待っているだろうぜ」。お色「なに、良うございます。寝るとたわいもございません。怖そうにそっちの方にばかり寄りなさいますね。もっとこっちへ寄りなよ」と、ここのところから会話もやみ、しばらく時が過ぎて、
【語釈】
・もし・・・相手に呼びかけるときに言う語。
・ずいぶん・・・その人の能力・身分・立場などにふさわしいさま。分相応に。それなりに。
・工面・・・金回り。ふところぐあい。
・ゑんぽう・・・お色がわざと「説法」という語を避けて隠語風に作ったでたらめの言葉。
・根津…江戸本郷の根津権現門前に当時岡場所があり、栄えていた。
・如才・・・気を使わないために生じた手落ちがあること。また、そのさま。手抜かり。
・呼ぶ・・・客として招待する。まねく。本来は山花が客であるが、この場合は、客に対する選択権を女郎が持っていたのでこう言ったか。
【解説】
 お色が「説法」という語を避けたのは、山花が身分を偽り隠している客だからでしょう。山花はすんなり「説法」と口に出していますから、そんな配慮は少なくともここでは無用だったとお色は思い、「ほほほ」と笑ったものでしょう。
 また、お色が山花にねだっているものはここでは明記されていません。おそらくは着物か何かの私物かと思われます。山花は「説法が終わりさえすれば任せておけ」と受け合います。説法が行われる時は人も集まって寺は賑わい、いわゆる書き入れ時でもあったのでしょう。僧侶である山花にとって、説法は収入を当てにできる時だったのでしょう。
 客である山花がお色に「これからも変わらず俺を呼んでくれ」と言っていることも合わせ、このくだりは不明な点の残る難解な箇所です。それでも、山花が女郎への誓いを「本尊にかけて」と言うところのおかしさは非常にわかりやすいと言えます。山花は行動レベルだけでなく、心底から破戒僧なのです。

  

【翻字】
[山]そんなきげんじやアねへはさ気がもめて[色]ホゝゝホゝゝ
ほんに宵にやアでへぶ腹ア立(たち)なすつたね[山]腹ア立
ねへでどふするもんだ五日の晩にもあんな仕内(しうち)をして
置(おゐ)て又今夜も名代(めうでへ)だもの[色]成ほどこよひの事(こた)ア
わつちが悪ひけれども五日の晩にやア全躰(ぜんてへ)お前が吉田
屋イいきなすつたもんだからわつちも腹の立まゝにあ
の様な事をもしたのさ今夜だとつてももふちつと
早く来なさればお前の方(ほう)イ出るけれどもおそく来な
すつたが不肖(ふせう)さそれも外(ほか)の客衆(きやくしゆ)ならどふともする
けれども夕部(ゆふべ)もけへした客だからどふも仕かたがご
ぜんせん[山]色客だろう[色]ナニサもふいつそすかねへ酒
ばつかり呑んでネついぞもふホゝゝホゝゝ[山]つゐぞどふした
[色]ナニサナニサつゐぞナニサ咄(はなし)なんざあした事アごぜんせん[山]
嘘ばつかり[色]嘘じやアごぜんせん[山]武士か町人か[色]ナニサ
折助(おりすけ)だんのサ[山]手前が居ざあやかましくいおふぜへ
[色]ナアニ酔(よつ)て寝ているからよふごぜんすもつとこつちイ
よりな[山]ヲゝ足がいてへまちやまちや
【通釈】
山花「そんな気分じゃねえわさ。(お前がいつになったら来るかと)気がもめて」。お色「ホホホホ。本当に宵にはだいぶんと腹を立てなさったね」。山花「腹を立てねえでどうする。五日の晩にもあんな仕打ちをしておいて、又今夜も代理だもの」。お色「なるほど今宵のことは私が悪いけれども、五日の晩には(その前に)あなたが吉田屋へ行きなさったもんだから、私も腹の立つままに、あのような事もしたのさ。
今夜だって、もう少し早く来なされば(私も最初から)あなたの方に出るけれども、遅く来なさったのが不運さ。それも他の客ならどうとでも(都合を付けなど)するけれども、前の晩も帰した客だから、どうにも仕方がございません(。それで遅れました)」。山花「色客なんだろう?」。お色「なにさ、もうむしろ好きでない(客さ)。酒ばかり飲んでね。ついぞ、もう、ホホホホ」。山花「ついぞ、どうした」。お色「なにさ、なにさ、ついぞ、話なんざあした事はございません」。山花「嘘ばっかり」。お色「嘘じゃあございません」。山花「武士か、町人か」。お色「なにさ、折助ですのさ」。山花「お前が(横に)いなかったら、(その客が)やかましく(文句を)言うだろうぜ(。そろそろ戻らなくてもいいのか)」。お色「なに、酔って寝ているから良うございます。もっとこっちへ寄りな」。山花「おお、足が痛え。待ちや、待ちや」。
【語釈】
・不肖・・・不運・不幸であること。
・色客・・・情人である遊客
・いっそう・・・むしろ。かえって。
・折助・・・近世、武家で使われた下男の異称。
【解説】
 俳諧宗匠に変装して女郎屋に来た山花は、夜更けにようやくやってきた馴染み女郎のお色に文句を言います。「五日の事」とはおそらく、客とした来たけれども結局お色が来なかったことを言っているようです。当時は「振る」と言って、江戸の色里では、指名した遊女が座敷に来ないことがあったようです。お色はそれに対して、「それは山花が別の女郎屋に行ったことへの腹立ちまぎれの仕返しだ」と答えています。遊女と客は疑似的な夫婦関係であったというのは、それが成立するエリアが廓・岡場所全体、その店内だけ、エリアはなく成立しない、というように、遊女の格に応じて変化したようです。馴染み客が同じ色里の他の店に行ったことを咎めていますから、お色、あるいは谷中いろは茶屋の色里としての格は、決して低くはなかったようです。
 前の晩も来ていたというもう一人の客については、本編後半で登場します。山花に「情人ではないし、話をしたこともない、酒を飲んで寝るだけの客」と言うお色の言葉が果たして真実であるのかどうかが本編のもう一つの楽しみです。
 この後、山花とお色の会話が続きます。徐々に彼の僧侶としてのとんでもない姿が描かれます。その罰当たりな破戒僧ぶりをご期待下さい。

  

【翻字】
来るか来るかと待(まつ)ときや来(こ)いて余所(よそ)へかはれてまゝ
ならぬ夜更(よふ)けて[相方お色](来る)おくにさんおくにさん[名代お国]あいあい
ウゝゝウゝゝ[坊主客(ハイミヤウ)山花]是(これ)々おきなおきな[お色]お国さんお国さん是さ
是さもうちつと気をつけなよ[お国]あいあい[山花]これさこれさ[国]
モウおけへりなせんすかへ[色]いゝにやサまだけへりなさるの
じやアねへマアちつとあつちイいつとくんな[国]ヲヤお色さん
かへわつちやア又お帰(けへ)りなせんすかとおもひしたよいつ
そモウ眠くつて眠くつてなりやせん[色]おとよさんの所(とこ)イでも
いつてねて居な[国]アイそんならいつてめへりやせふ
(と出て行)[色]よく寝る子だねへ(といひながらとこへ入)[山]なんても来ると
寝たがねげへりもしやアしねへ[色]お前(めへ)又どふぞしやア
しなんせんか[山]ナニ馬鹿な事を[色]それでもお前
がふ断可愛らしい可愛らしいといゝなさるから知れねへもの
【通釈】
(女郎屋へ行って指名したはずの女がなかなか来ないで、今に)来るか、来るかと待つ時には来ないで、他所(の客)に買われて、(とかく)思い通りにならない(時が少なくないものだが、そんな日のある)夜も更けて、その夜指名した女郎のお色が(ようやく)来て「お国さん、お国さん」。お色が来るまでの代理をしていた女郎のお国が「はいはい。ううう・・・」(と寝ぼけている)。坊主の客で俳号は山花(という、ここへは俳諧師匠として隠れて遊びに来ているその男が)「これ、これ。起きな、起きな」。お色「お国さん、お国さん。これ、さあ、これ、さあ。もう少し(寝込んでしまわないように)気をつけなよ」。お国「はい。はい」。山花「これ、さあ、これ、さあ」。お国「もうお帰りなさいますかえ」。お色「いいや、まだお帰りなさるのじゃあない。まあ(もういい、私が来たから邪魔だから)ちょっとあっちへ行ってくんなよ」。お国「おや、お色さんかえ。私は又(お客が)お帰りなさいますのかと思いましたよ。たいそう眠くって眠くってなりません」。お色「おとよさんの所へでも行って寝ていな」。お国「はい。そんなら行って参りやす」と出て行く。お色「よく寝る子だねえ」と言いながら床に入る。山花「何でも(あのお国はここに)来ると(すぐに)寝たが、寝返りもしやあしねえ(。それぐらいよく寝ていた)」。お色「あなた、又(あのお国と)どうかしやしませんでしたか?」。山花「何、馬鹿なことを」。お色「それでもあなたがふだんから(お国のことを)可愛いらしい、可愛らしいと言いなさるから、(今夜だってどうだか)知れねえものさ」。
【語釈】
・坊客(ぼんかく)・・・不詳だが、「女郎屋に客として来た寺の僧侶」で「坊(主の)客」の意。当時僧侶は女犯禁制であったが、実際にはそれを犯す僧侶は少なくなかった。
・国字・・・「(我が)国(の文)字」の意で「いろは」と読む。江戸谷中の感応寺門前に当時岡場所があり、通称が「いろは茶屋」であったことから、谷中の意。
・来るか来るか・・・当時江戸の遊里で馴染み客が同じ日に複数来店すると、遊女は複数の座敷を回った。客によってはずいぶん待たされたり、来ずに終わることもあった。
・相方・・・相手の女郎。
・名代(みょうだい)・・・ある人の代わりを務めること。また、その人。代理。
・はいみょう・・・俳号。俳名。俳句の作者としての雅号。
・いっそ・・・まったく。たいそう。
・なんでも・・・よくはわからないが。
【解説】
 今の台東区にある谷中天王寺は改称後の名称で、当時は感王寺であり、当時は富くじの興行で賑わいを見せた寺でした。その門前に通称「いろは茶屋」と呼ばれる岡場所があり、僧の客が多かったようです。藤沢周平原作「鬼平犯科帳」に「谷中いろは茶屋」という作品があり、ドラマ化もされていて、それで知る人も多いようです。
 本編「坊客」だけは副題に地名がありません。「国字(いろは)」とあり、なぜそうしたかは定かではありません。末尾に「感応寺」とありますから、恐らくは隠す意図からでなく、それだけ有名であったためではと推察します。
 本編は他の三編に比べると最も難解です。客の言動も女郎の言動もよくわかりません。ただ、逆に言うと、本編に描かれているとおりに当時の女郎屋を理解すればよいのかもしれません。夜中に馴染みの女郎がようやく僧侶の馴染み客、もっともその僧侶は俳諧の師匠に化けて来ているのですが、その座敷に来て、留守中の代理を務めていて寝込んでしまっていた、おそらくは年若い後輩の女郎を追い出して床に入り、男が若い女郎と通じていないことを確かめている、読み取ったままの様子が当時の谷中という岡場所の一女郎屋で実際に展開されていたのであろうと読めばよいのだろうと思います。
 当時は僧侶は女遊びは禁止で、露見すれば刑事罰を受けたり寺を追われるなどの社会的制裁を受けたようです。本編の坊主が俳諧の師匠に変装しているのは、当時俳諧の師匠で僧体(僧の姿)にしていた者が多かったからでしょう。当時は俳諧宗匠に限らず、医者や諸芸の芸人など、僧侶と同じ格好をする者が多くいたようです。ただ、その禁制も厳密に守られていたというよりは、むしろ本編が示すように「隠れてやる分にはお構いなし」が実態に近かったようです。それで暮らしが立つ人たちもいたはずで、世の中は持ちつ持たれつ、今も昔もこの辺りの事情に大きな違いはないようです。

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【翻字】
[庄]それほど又おれ
と切(きれ)たくはきれてやろうはサ[中]ナニわつちがきれてへ事
が有(ある)もんでごぜんす[庄]それでもお幸でも誰でもよべ
といふじやアねへか[中]それもお前が無理ばつかりいゝなんす
から切たくつての事と思ひすからさお前になんして
からこつちイは客衆はみんなきれてしまうしお前が来
なんせん段になればわつちやア生(いき)ちやアいられゐせん
[庄]そんならゑへよばかな泣事(なくこた)アねへ[中]それだとつて
もあんまりむごい[庄]トレ皃(かほ)を拭(ふい)てやろうこつちらアむ
きや[中]ナニふかずともよふごぜいすよ[庄]是さマアなんでも
こつちよをむきやよ[中]あい[庄]よサ[中]あい[庄]何もかも
おれが悪かつた誤るから堪忍(かんに)しや[中]ナニかんにするの誤る
のといふ中じやアごぜんせんはナ[庄]そんならきげんを
直しや[中]お前もきげんを直しなんし[庄]おらアもふとう
にきげんが直つた[中]ほんにかへ憎らしい人にやアなかせてからに(とだきつく)
[庄]ほんに大夫とのわけはねへか[中]アレまだいゝなんすよそんならモウ
わつちやアいやよ[庄]アゝいふめへいふめへもふ押付(おつつけ)むけへだらう
中直りに(と夜着(よぎ)引かぶれば屏風(べうぶ)がぎちぎち)
【通釈】
庄兵衛「それほど又俺と切れたいなら、切れてやろうわさ」。お中「どうして私が切れたい事があるものでございますか」。庄兵衛「それでも、『お幸でも誰でも呼べ』と言うじゃねえか」。お中「それも、あなたが無理なことばかりいいなさるから、切れたくって(無理を言うの)だと思いますからさ。あなたにナニしてからこっちは、(他の)客は皆切れてしまうし、あなたが来なさらない段になれば、私は生きてはいられません」。庄兵衛「それならいいよ。馬鹿な、泣くことはねえ」。お中「それだといっても、あんまり(いじめようが)ひどい」。庄兵衛「どれ、顔を拭いてやろう。こちらを向きな」。お中「なに、拭かなくっても良うございます」。庄兵衛「これさ(、強情な女だ)、まあ(なんでもいいから)こっちを向きなよ」。お中「はい」。庄兵衛「よし」。お中「はい」。庄兵衛「何もかも俺が悪かった。謝るから堪忍しな」。お中「なに、堪忍するの謝るのという(水臭い)仲じゃございませんわな」。庄兵衛「それなら機嫌を直しな」。お中「あなたも機嫌をお直しなさいな」。庄兵衛「俺はもうとっくに機嫌が直った」。お中「本当かえ。憎らしい人ね。泣かせてから(優しくするなんて)」と(言って)抱き付く。庄兵衛「本当に園大夫とは何でもねえか」。お中「あれ、まだ(その事を)言いなさるよ。そんならもう私は嫌よ」。庄兵衛「ああ、(もう)言うめえ言うめえ。もうそろそろ迎え(が来る)だろう。仲直りに・・・」と言って、掛布団を引きかぶると、屏風がぎちぎち(ときしむ音がする)。
【語釈】
・なん・・・「何」。事物・人などをぼかしてさす語。ここでは庄兵衛との関係を言う。当時、一人の客が遊女と関係を持った時、同じ店で他の遊女と関係を持つことは原則なく、店内では疑似的な夫婦関係と見なされた。
・わけ・・・男女間のいきさつ。また、情事。
・おっつけ・・・やがて。そのうちに。まもなく。
・迎え・・・不詳。庄兵衛を迎えに来る者とも考えられるが、おそらくはお中の属する置屋からの迎えか。
・夜着・・・寝るときに上に掛ける夜具。特に、着物の形をした大形の掛け布団。
【解説】
 お中が居直って別れを覚悟する言葉を言って泣き出すと、庄兵衛は態度を軟化させ、優しい態度を見せ始めます。このあたりは、今も昔も変わらない、男女の痴話喧嘩の典型的展開でしょう。そのあとは、読むのもばかばかしい、グダグダの仲直りに落ち着きます。
 お中の涙や言葉にどれほどの真実があるのかはわかりません。けれども、「変語」における客が当時の色里に遊ぶおおかたの客であるとすると、本編で描かれている庄兵衛は、男としてはうらやむべき、大成功している客であるとは言えるでしょう。同じ遊ぶならこういう客になりたいものだと、男たちは色里通いの理想・目標・お手本にしたことでしょう。これを読んで当時の男たちは、顔をにやつかせていたのではないでしょうか。男というものは本当にしようのない、まったく進歩のない生き物のようです。

  

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