江戸期版本を読む

江戸期版本・写本の翻字サイトとして始めました。今は、著作権フリーの出版物のテキストサイトとして日々更新しています(一部は書籍として出版)。校訂本文は著作物です。翻字は著作物には該当しません。ご利用下さる場合、コメントでご連絡下さい。

(第一 下)

 正成、遥かに見送つて、嫡子正行を招き、涙を浮かめ、「汝、幼くとも、よく聞き置け。忝くも我、帝に頼まれ奉り、命を敵の矢先に懸け、身を戦場に投げ打つ事、誉れを取つて名を残さんためにもあらず。子孫の栄華を願ふにもあらず。朝敵を滅ぼし、国家安全の叡慮を休め奉らんと、義を重んずるばかりなり。今度の合戦、味方、必定打ち負け、王法忽ち傾き、御代を奪はれ給はん事、鏡に照らすが如くなれば、我、一つの謀り事を以て、さまざまお諫め申せども、坊門の宰相、邪の理を進め、君、用ゐさせ給はねば、力なく打つ立つたり。父が一期の名残の軍、花々しく戦ひ、一戦に腹を切るべきぞ。
 お事はこれより故郷に帰り、父が最期と聞くならば、いよいよ身を全うして、二十にも余る時、金剛山を要害として、住吉、天王寺に打つて出、近隣を脅かし、討手向かはば一命を、養由が矢先に懸け、義を紀信が忠烈に比べ、攻め戦ひ、君を御代に立て参らせ、父が憤りを散ぜん事、いかなる仏事孝養も、これにはなどか優るべき。今生にて汝が顔見る事も、これまでぞ。必ず言葉を忘るるな。」と、勇気撓まぬ弓取も、恩愛父子の浮世の別れ、涙をはらはらとぞ流しける。
 正行、聞きもあへず、「口惜しき父の仰せやな。楠正成が嫡子正行こそ、負け軍を考へ、道より逃げて帰りしと、世の嘲りに落ちん事、屍の上の恥辱候。殊に親の討死と、思ひ定めし軍場を、見捨つる子や候べき。是非御供に連れられずば、我等一騎駆け抜け、敏達天皇の後胤、井手の左大臣橘の諸兄公の末葉、楠河内判官が嫡子帯刀正行、生年十一歳と名乗つて、よき敵に駆け合はせ、引つ組んで刺し違へ、冥土の道の先駆けと、思ひ詰めたる正行、敵の旗をも見ぬさきに、帰れとは恨めしや。幼くて戦場の、妨げと成るならば、只今ここにて腹切らん。介錯して賜べ、人々。」と、芝の上にどうど居て、声も惜しまず泣きければ、あり合ふ軍兵、感涙に、鎧の袖をぞ絞りける。
 正成も、共に涙は先立てども、わざと声を荒らげ、「やあ、弓馬の家に生まれて、討死するが珍しきか。お事を年月養育せしは、父が最期の供せよとては、育てぬぞや。戦ふべき処に進み、引くべき処に退き、天下に功を立つるこそ、よき弓取とは名付けたれ。伝へ聞く、西天に獅子といふ獣あり。その獅子、子を産んで三日の内、その子を数千丈の巌壁より、真さかさまに投げ落とす。獅子の気分なき子は、岩角に身を破つて当座に死す。勢ひ備はる獅子の子は、宙よりひらりと跳ね返り、身を全うすと伝へたり。我が子の心を見る事は、畜類とても、かくの如し。
 「今、諸国八方に岨立つたる敵の中、幼き汝を帰す事、かの巌壁に投げ打つ、獅子の子よりも猶危ふし。汝、勇士の気分備はらば、数万の敵の鋒先の岩石も、凌ぎて砕く獅子の勢ひ、太平の御代と跳ね返せ。吉野初瀬の名木も、老木は次第に枯るれども、こぼるる種の色香を継ぎ、花の名高き山ぞかし。二葉の苗を残すこそ、巌とならん楠が、長き世までの形見ぞ。」と、鎧の引き合はせより一巻を取り出し、「これぞ、我が秘する処の軍術。この書を読みて道を得ば、父正成が長らへあるも、同然ならん。」と、一巻を手に渡し、「さあ、この上にも聞き分けなく、腹切らば切れ。供せばせよ。父が言ふ事、これまで。」と、馬引き寄せ、ひらりと乗り、思ひ切つたる心にも、ゆゆしき我が子の武者振りを、見るも限りと目に脆き、涙に手綱くり添へて、駒を控ふるばかりなり。
 正行も、理に当たる親の教訓、せん方もなみだを押さへ、「御言葉、一々承り候。」と、一巻取つて押し頂き、傅の恩地に馬引かせ、手綱かいくり打ち乗つて、親子、この世の別れの言葉、さらばとだにも言はばこそ。「欲を忘れ、情けを知り、義に逞しき大将は、百万騎に囲まれても、恥辱の死はせぬものぞ。この理も背くもののふは、勝つもまことの勝ちならず。恥を子孫に残すなり。心得たるか、正行。」「承り候。」と、互に駒を引き返し、東西に別れしが、振り返り振り返り、親は我が子の身の行方、子は又、親の最期の末、思ひ包みて弓取の、泣かぬを今の涙とは、よその袂に堰きかくる、湊河へぞ寄せにける。
 明くれば五月二十五日、尊氏の軍兵、海手山手百万余騎、楯を鳴らし、箙を叩き、鬨をどつとぞ上げたりける。楠、手勢七百余騎、同時に鬨を作り立て、多勢が中に割つて入り、喚き叫んで戦ひける。味方は小勢と言ひながら、一命を義路に懸け、名を末代にとどめんと、思ひ切つたる勇士ども、北より南へ追ひ靡け、西より東へ割つて通り、息をも継がせず攻め懸くれば、さしもの大勢、支へかね、須磨の上野へさつと引き、後陣の勢をぞ待ち居たる。
 大森彦七盛長、駒駆け据ゑ、大音上げ、「鬼神ならぬ楠。某が一軍に、正成兄弟首取つて、敵味方の目を覚まさん。彦七を手本にせよ。」と、広言吐いて、打つて懸かる。正成も駒駆け寄せ、「何、大森とや。合はぬ敵、不足ながら、心ざしの優しや。」と、まつしぐらに駆け出す。この勢ひに気を失ひ、逃げ鞭打つて引つ返す。「きたなし、返せ。」と追つ駆けしは、早瀬の鮎を鵜の鳥の、追うて廻るが如くにて、程なく追つ詰め盛長が、上帯掴んでどうど打ち付け、首をかかんとせし処へ、薬師寺十郎、同じく次郎、弓手馬手よりむずと組む。「しや、物々し。」と両手を延べ、草摺掴んでねぢ合ふ間に、大森、小脇をそつと抜け、後をも見ずして逃げ失せけり。
 「ええ、大事の敵を洩らせしも、おのれら故。」と、両脇にしつかと挟み、「えいや、うん。」と絞め付くれば、眼口より血を流し、二人一所に伏したりける。これを見て、吉良、石堂、高、上杉六千余騎、楠を討ち留めんと、八方より喚いて懸かる。正成、元より討死と、思ひ定めし晴れ軍。望む処と太刀さしかざし、打つて出づれば、正季、正員、和田五郎、宗徒の兵抜き連れ抜き連れ、死に物狂ひの拝み打ち。当たる者を幸ひに、薙ぎ立て薙ぎ立て追ひ廻す。
 されども敵は百万余騎。入れ替へ入れ替へ攻め立つれば、七十三騎に討ちなされ、正成、今はこれまでと、一村在家に走り入り、これ屈強の最期場と、心静かに鎧脱ぎ捨て、「いかに、方々。そもそも最期の一念によつて、善悪の生を引くと言へり。九界の間に、何か御辺の願ひなる。」と問ひければ、弟の正季、からからと笑ひ、「ただ七生まで、同じ人間に生まれ出、朝敵尊氏を滅ぼさん事、我等が願ひの一つなり。」と、言はせも果てず、正成、嬉しげに打ちうなづき、「罪業深き悪念なれども、我もかやうに思ふなり。いざや、同じく生を替へ、この本懐を達せん。」と、言ひもあへず押し肌脱ぎ、氷の刃一文字。背骨をかけて引き廻せば、宗徒の一族十六人、従ふ兵五十余人、我も我もと刺し違へ、同じ枕に伏したりし。惜しかりし、惜しかりし。日本無双の名将の、最期の程ぞ潔き。
 あひもすかさず大森彦七、大勢引き具し、込み入つて、一々に首かき落とし、「おお、めでたし、心地よし。抜かぬ太刀の高名。楠が首、尊氏公に奉らば、三箇国は取れたもの。日頃、心を通はせし勾当の内侍も、坊門宰相が計らひにて、今宵、我が手に入る筈。むまい事の掴み取り。早う内侍の顔が見たい。」と言ふ処へ、女房二人、先に立ち、長持を舁き入れさせ、「宰相殿のお使。」と、聞くより彦七、大きに喜び、「おお、満足、満足。人目を憚り長持とは、宰相殿の一策。さりながら、いとしい君の箱入。気の詰まるもおいとしい。まづまづ御見。」と蓋をあくれば、恥づかしげに、薄衣深く顔隠し、籬の梅の早咲きの、雪に埋もれし風情なり。
 彦七、猶も心浮かれ、「そのおぼこなが、猶うまし。そ様を我が手に入れんため、この度の軍も、某が手を砕き、御覧候へ。楠一家を討ち留めたり。これより、義貞が首ねぢ切らんは、寝鳥を差すよりいと易し。世になき新田に心中を立てんより、日の出の我等に靡かれよ。色こそ黒けれ、心は伽羅。まづ我が陣屋へ同道して、新枕の酒盛せん。いざさせ給へ。」と肩に掛け、二足三足は歩みしが、ああら不思議や。今まで軽き上臈の、俄に重き小夜衣、我が妻ならぬ念力か。大磐石を肩先に、畳みかけたる如くにて、五体ちつとも働かず。「やあら、しれ者ござんなれ。」と、太刀に手をかけ振りあふのけば、こはいかに。和田の新発意源秀、くわつと見開く眼の光。二面の鏡研ぎ立てて、額に付けたる如くなり。
 大森、わなわな震ひ出し、こわごわ下にそつと下ろし、逃げ入らんとする処を、「これこれ、彦さん。手が悪い。幾瀬、心を尽くすとは、偽りか。どこへ行かんす。いとし、可愛いと言はんした、言の葉は嘘かいな。おお、辛気。跡じ寄りさんすは早秋風か。」と、見上げ見下ろす高入道。しやならしやならの八文字は、二王を揺るがす如くなり。
 彦七、五体縮めども、弱みを見せじと大音上げ、「やあやあ、源秀。智仁勇を兼ねしと言ふ、楠さへ討ち取つたる盛長。言はれぬ腕立てせんよりも、腹を切れ。」とぞ呼ばはりける。源秀、今はたまられず、長持の棒押つ取り延べ、「やい、礼儀知らずの国賊。楠一族、国のため君のため、死を善道に守つて、潔く切腹せしを、何ぞや。おのれが討ち留めしなんどとは、どの頬げたから吐き出した。いざ、来い。源秀が手並を見せん。」と、打つてかかる。盛長、猶も口減らず、「侍たる身が、坊主を相手にするものか。」と、言ひ捨てて逃げて行く。「やあ、出家侍、犬畜生。余すまじ。」と、ほつ立てほつ立て叩き立て、八方微塵に打ち立つれば、辺りに近付く者もなく、皆散り散りに逃げてけり。
 「さもさうず、さもさうず。これより河内に立ち越え、正成の最期を伝へ、重ねて義兵を挙ぐべし。」と、甲斐なき首を取り集め、怒れる眼にはらはらと、涙貫く玉鉾の、道は生田の森の露。末の雫や末の世に、誉れを永く伝へける。

前頁  目次  次頁

吉野都女楠

第一

 往んじを尋ねて来れるを知る。大権聖者の未来記、見つんべし。東魚来つて四海を呑み、西鳥来つて東魚を食らひ、海内、既に一に帰し、再び九五の御位、後醍醐の帝と重祚ある。逆臣相模入道が一族滅びて後、足利治部大輔尊氏、いささか朝家を怨み奉り、東国勢を引率し、矢矧、鷺坂、竹の下、数ヶ度の軍に勝ち誇り、おのれと征夷大将軍に押しなつて、帝都間近く攻め入りしを、新田左中将義貞、楠判官正成、陳平、張良が肺肝より、出たる如き名大将、命を風前の塵に懸け、義を金鉄より堅くして、駆け破り駆け悩まし、千変万化の合戦に、さしもの尊氏、終に打ち負け、筑紫をさして落ち潮の、八重九重や都の内、万歳をこそ唱へけれ。
 時に建武三年五月十五日、新田義貞、早馬を立てて奏聞ある。「そもそも朝敵尊氏、大友、少弐を従へ、九州の軍兵五十万騎、兵船数千艘にて攻め上り、尊氏が弟直義、山陰山陽の大勢、陸路を打つて雲霞の如く、播州の赤松、敵に組し、苔縄の城に立て籠り、官軍を遮り候を、義貞、備後備中に支へ、挑み戦ひ候間に、敵船、はや須磨明石を馳せ越え候。」と、追々注進頻りなり。
 天皇、大きに驚かせ給ひ、楠判官正成を、やがて御前に召されける。「さて義貞が注進、事急なり。罷り向かつて合戦を致すべし。」との勅諚。楠、畏つて奏せしは、「数年の戦に疲れたる御方の小勢。筑紫方は新手の大勢。機に乗つたるに駆け合はせ、常の如くの合戦は、御方、打ち負け申さん事、決定。まづ新田殿をも召し返され、君は比叡山へ臨幸なり、正成も河内に退き、敵を都へおびき入れ、河尻をさし塞ぎ、籠の鳥の如くにして、兵粮を止め、敵軍、次第に疲れ落ちん処を、新田殿は山門より押し寄せ、正成は搦手より攻め上り、真中に包んで一蒸し蒸す程ならば、朝敵、一戦に滅びん事、正成が方寸の内におぼえ候。軍は必ず、一旦の勝負を見るなかれ。始終の勝ちこそ肝要にて候へ。たとへ官軍、百度戦ひ、百度負くるとも、正成一人生きてあると聞こし召さば、聖運、終に開かるべしと、思し召され候へ。」と、世に頼もしくぞ奏しける。
 坊門の宰相清忠、御簾の前につつと出、「やあ、臆したるか、楠。尊氏が多勢に聞きおぢして、一戦にも及ばず河内へ退き、君を比叡山へ臨幸なし奉れとは。命の惜しさに、帝位を軽しめ申すよな。総じて新田義貞、勾当の内侍に思ひを残し、都に心引かるる故、軍手ぬるく、敵に勢ひ付きたるに、御辺も河内へ引かんとは、故郷の妻子がゆかしいか。伊予国の住人、大森彦七盛長といふ武士、尊氏に組するといへども、某に縁ある故、裏切りして味方に力を加へんとの内通あれば、味方の勝利目前にて、御辺らが命に気遣ひのない事は、この宰相が請け合ひ。早々、発向あるべし。」と、嘲り顔して申さるる。
 楠、元より私の怒りに、忠を忘れぬ良雄。いよいよ面をやはらげ、「仰せにては候へども、その大森彦七が内通にて、味方、勝ちに極まらば、なほ以て正成、向かふまでも候はず。さりながら、詩歌管絃は殿上の御もて遊び。弓馬合戦の道は、武門の諫言に任せられ、是非に都を明け渡し、敵に一旦勝ちを与へ、重ねて畢竟の勝ちを御覧あるこそ、謀り事を帷幄の内に巡らし、勝つ事を千里の外に顕はす籌策にて候。」と、子房が秘蔵、孔明が骨髄、残る方なく奏せらる。
 宰相、大きに色を損じ、「御辺が言ふまでもなく、弓馬合戦の道なればこそ、賤しき汝等、禁庭へ召さるる條、有難しとは存ぜずや。先年御辺、千早、赤坂の城郭にて、六波羅の大勢を傾け、相模入道滅びしも、全く武略の手柄にあらず。君の聖運、天に叶ひ、宗廟社稷の大小の神祇、王法を守護し給ふ故。殊に今度は目に見えたる勝ち軍。大森が御蔭にて、手柄すべきはこの度。早、打つ立て。」とありければ、軍法不覚の卿相雲客、口々に、「敵の内通あるからは、天の与へ、この時。是非是非楠、馳せ向かひ、朝敵尊氏、一戦に攻め滅ぼし、宸襟を休め奉れ。」と、衆議一決の勅諚は、うたてかりける御運なり。正成も、「この上は、さのみ申すに及ばず。」と、御前を立ちけるが、これぞ最後の合戦と、思ひ定めし忠臣の、屍は刃に消ゆれども、義は砕かれぬ楠と、朽ちせぬ名をこそとどめけれ。
 元来正成、智仁勇を兼備し、死を善道に守る良将。今度の合戦、味方必定、負け軍。討死の時、極まれりと、本国へも立ち帰らず、すぐに五月十六日、あり合ふ手勢五百余騎、嫡子帯刀正行十一歳、父が馬に押し並べて打ちければ、舎弟正季、一族和田の新発意源秀、同じく新兵衛尉、紀六左衛門、恩地の左近、馬物具を輝かし、心の花も咲きかくる、桜井の宿に着きけるが、まだ雲凝りて五月雨の、やや夕立と降る雨は、瀧の落つるが如くにて、人馬の足を立てかね、生田の森に打ち入れて、暫く晴れ間を待ち居たり。
 雨に波寄る昆陽の池、堤を急ぐ蓑笠は、早苗の賤かと見捨つれば、下部二人に長持舁かせ、四十余りの女房の、雨に争ふ涙の雫、しをれまろびて走り来る。下部ども、長持どつかと下ろし、「ええ、どう因果の夕立や。目も鼻もあかれぬ。いざ、来い。あの森で少し晴らして行くまいか。これ、そこな女子殿、長持預けた。番召され。」と、二人は森へぞ走りける。女、とかうにかきくれて、嘆き沈みて立ちけるが、思ひ寄りある顔付にて、長持の棒取つて捨て、石を拾ひてちやうちやうちやう、叩く手先に力なき、女力も念力の、天や見通す鍵の穴。錠前離れ、落ちければ、「なう、有難や。さあ、お出。」と、蓋を取る手にすがりつき、二十ばかりの上臈の、涙隙なく息籠り、顔にばらつく乱れ髪、柳桜をこきまぜて、水に浮かめし如くなり。「いざ、下部どもの来ぬさきに。」と抱き出せば、「ああ、嬉しや。この池こそみづからに、菩提を勧むる功徳池よ。そなたも珠数を持つてか。」「お肌に御本尊掛けてか。」「おお、本尊掛けたるほととぎす。あやめの沼は水浅し。」と、深みを尋ね、さまよひたる。
 正成、馬上より遥かに見付け、「あれあれ、身を投ぐる女あり。敵か、味方か。いづれにもせよ、源秀、駆け付け、助けられよ。」とありければ、「承る。」と和田の新発意、畦を伝うて走り寄る。その丈六尺七寸、いにしへの弁慶もあざむくばかり、鬼のやうなる赤入道。二人は、「あはや。」と手を合はせ、飛び入る処を引き寄せて、しつかと抱く。「なう、さうせいでも死ぬる身を。せめて身体に疵付けず、死なせて賜べ。」と飛び入るを、「これ、上臈。殺す程なら、何の止めう。あれなるは楠判官正成。物の哀れを見捨てぬ気質。仔細、とつくと聞き届けよとの使なり。」と言ひければ、「さては、楠殿とや。みづからこそ、新田義貞の妻、勾当の内侍なり。お情けに、新田殿の陣屋へ送り賜べかし。」と宣ふ処へ、二人の下部、立ち帰り、「やあ、う、長持の錠、ねぢ切つた。おのれ、取り逃がし、手振りで帰つて、こちとが命あるものか。こつちへうせう。」と取り付く処を、源秀、二人が首筋引つ掴み、「手振りで帰れば取らるる命、ここにて取つてくれんず。」と、蘆間にかつぱと打ち込めば、五体を絡む菱かづら、泥に酔うてぞ失せにけり。
 その隙に楠親子、馬乗り放し、とかういたはり給ひければ、内侍も涙にくれながら、「常々、夫の物語。楠判官正成は、慈悲第一の大将と、聞きしに変はらぬ御情け。何と報じ参らせん。一とせ、猿楽見物の時、伊予国の住人、大森彦七盛長とやらん、みづからに心を懸け、坊門の宰相を仲立ちにて、威勢で脅し、文で濡らし、色変へ品替へ口説きしを、つれなく返事も致さぬ間に、新田義貞の妻となつたるは、上様よりの勅諚。天下晴れての夫婦ぞや。それにこの度、義貞殿、西国発向の留守を窺ひ、宰相、理不尽に乱れ入り、先約は大森。仲人の宰相、義理が立たぬの何のとて、無理無体に長持に押し入れて、送らるる。なう、遣る方なさ、頼りなさ。乳母が慕ひ来るとは知らず、つむりも上がらず、息もならぬ長持を、揺るやら振るやら打ち付け廻る、その響き。胸にこたへ、目もくらくらと、幾度か死に入りし。火の車に乗せて行く、地獄の迎ひもかくやらん。この上のお情けに、我が夫の陣屋まで、送り届けて賜はれ。」と、乳母もろとも手を合はせ、かき口説きてぞ泣き給ふ。
 正成、打ちうなづき、「さこそ、さこそ。我、大内を出でしより、かやうの事のあらんとは、宰相が言葉の色にて察せしなり。義貞の御陣所へ、送り申すは易けれども、宰相、かくと洩れ聞かば、陣場に女中を召されしと、悪しざまに奏聞し、叡慮を以て御夫婦の仲を裂かば、御恥辱を招くに似たり。それそれ、源秀。これより都へ御供し、玄恵法印に預け参らせよ。道中、人に悟られぬ用心第一。疾く疾く。」とありければ、「合点、合点。智略はお家、勧学院の雀。任せて置け。」と小躍りして、郎等二人が具足を脱がせ、長持に入れ、棒さし通し、担はせて、「これ、内侍様も乳母御も、慮外ながら下女にして。我等は又、この体。」と、内侍の打掛、鎧の上に衣かづき、二王のやうなる大入道、五日帰りの花嫁と、しやならしやならと振り掛けて、「さあ、腰元衆。早うおぢやや。」と夕影も、眼は朝日、照る月の、都の方へと急ぎける。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 ・鎧の上に衣かづき――底本「鎧の上か衣かづき」。『近松全集 第3巻』により改めた。

歌仙

 さてその後、頼朝公、拝殿に立ち出給ひ、数の歌仙を御覧じて、「いかに、方々、聞き給へ。いづれの宮、社頭にも、みな万民の宿願にて、絵馬歌仙を掛け奉る。中にもこの三十六枚の歌仙と申すは、これ並びなき名歌たり。あるとのみばかりにて、事の心をよも知らじ。いでいで、この歌の品々を、あらまし説いて聞かすべし。こなたへ参れ、方々。」と、一々次第に述べ給ふ。
 「そもそもこの歌仙と言つぱ、中頃、四條の大納言、公任と言ひし人、選び置かれし人々なり。歌仙と書いては、歌の聖とこれを読む。されば、三十六人の歌人は、世に類なき名人なり。まづ左の第一番は、柿本の人丸。この人丸と号すは、忝くも大聖文殊の化身たり。和歌の道を広めんため、かりに人間と現れ、奈良の帝に宮仕へ、位正三位に至り、一代の詠歌の数、五千三百八十首、みな真言の秘密なり。中にもここに書かれたるは、ほのぼのと明石の浦の朝霧に、島隠れ行く舟をしぞ思ふ。この歌の口伝、様々なりと申せども、これは神道の根本、仏果菩提の妙文なり。人間生死の有様を。浦漕ぐ舟になぞらへ、弘誓の海を渡り、涅槃の岸に至るべき、その行く末を思ひ遣る、深き心を詠まれしなり。狂言綺語の戯れも、讃仏乗の因縁とは、よくこそこれを伝へたれ。
 「さて右の第一は、紀貫之の詠歌に、桜散る木の下風は寒からで、空に知られぬ雪ぞ降りける。この貫之と申すは、延喜の帝の御時に、歌の誉れ世に高く、御書所を承り、住吉玉津島、蟻通しの明神にも、会ひ奉る歌人なれば、これ又、凡人ならずとて、かの人丸と諸共に、和歌の祖師とぞ定めらる。歌の心を尋ぬるに、嵐の誘ふ山桜、木蔭の雪と積もれども、照る日の光曇らねば、空に知られぬ理の、げに類なき名歌かな。
 「左の二番はこれも又、同じ延喜の御宇にありし、凡河内の躬恒なり。詠める歌には、住之江の松を秋風吹くからに、声うち添ふる沖つ白浪。歌の心は浜松の、梢の響き、沖つ風、立つ白浪も音添へて、神の心を涼しめの、さつさつの声とや聞こゆらん。右の二番の歌人に、伊勢と言へるは女なり。書かれし歌は、三輪の山いかに待ち見ん年経とも、尋ぬる人もあらじと思へば。歌の仔細を尋ぬるに、これは枇杷の左大臣、仲平と申せし人の、心変はりを恨みつつ、大和国へ赴く時、詠みて贈りし歌なれば、さてこそ所も三輪の山、しるしの杉の古事を、我が身の上によそへたり。
 「さて左の第三は、中納言家持。春の野にあさる雉子の妻乞ひに、おのがありかを人に知れつつとは、春の狩場に住む雉子の、草葉に身をば隠せども、妻恋ひかぬる折々は、けいけいほろろと鳴く声に、よその袂も濡れぬべし。右の方の第三は、山辺赤人の連ねし歌は、和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ、蘆辺をさして田鶴鳴き渡る。げにこの浦の習ひとて、女浪は立たで片男浪、蘆辺の田鶴の立ち騒ぎ、行方も知らぬ心なり。
 「在原業平の歌の言葉は、世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからましと、花に心を染め川の、深き情けをあらはせり。僧正遍照の詠歌には、末の露本の雫や世の中の、後れ先立つためしなるらん。げに世の中の有様は、今日は人の上、明日は我が身を白露の、風待つ程の命ぞと、思ひ知れとの教へなり。猿丸大夫は、遠近のたつきも知らぬ山中に、おぼつなくも呼子鳥かなと、頼りなき身を奥山の、鳥の心にたとへたり。小野小町が、侘びぬれば身をうき草の根を絶えて、誘ふ水あらば去なんとぞ思ふと、詠みけん歌の心こそ、殊に優れて哀れなれ。昔の花の一盛り、世に落ちぶれし行く末は、水の上なる浮草の、定めかねたる身の程も、思ひ遣らるる言葉かな。
 「ここに左の十六に、蔵人左近と聞こゆるは、これも女の歌仙なり。岩橋の夜の契りも絶えぬべし、明くる侘しき葛城の神と、詠める心は、いにしへの役の行者の、葛城や久米路に架けし岩橋の、渡しも遣らで中々に、神に憂き目を見しめ縄、長き恨みを結びける、夜の契りぞ哀れなる。大中臣の能宣が、千歳まで限れる松も今日よりは、君に引かれて万代や経んと、子の日の松の行く末も、久しかるべきためしぞと、君を祝ひし名歌なり。
 「十八番の終はりには、左に平兼盛が、詠歌を見れば、暮れて行く秋の形見に置く物は、我が元結の霜にぞありけると、老いを厭ひて詠む歌も、ただ我々が身の上に、思ひ知らるる理の、昔に変はる黒髪は、霜の翁と衰へて、過ぐる月日は梓弓、引くにとまらぬ世の中の、生老病死の有様を、悟れと詠める心なり。右の止まりは中務、これこそ伊勢が一人姫、母に劣らぬ名人なり。連ねし歌は、鴬の声なかりせば雪消えぬ、山里いかで春を知らましと、げに心なき鳥類も、時を忘れぬ初声に、四方の春をや知らすらん。されば、花に鳴く鴬、水に住む蛙の声、いづれか歌を詠まざるや。神も仏も押しなべ、納受あるは、この道なり。やあ、弓馬の家に生まるるとも、歌の道をも嗜むべし。」と、一々次第に語らせ給ひ、すぐに還御なされける。
 今に絶えせぬ大日本、王法仏法国法は、万劫経るともよも尽きじと、貴賤上下押しなべて、喜びの眉をぞ開きけり。

百日曽我 終

前頁  目次  次頁

百日曽我(一名団扇曽我)

第五

 数ならぬ、身にも宿にも来る秋は、折も違へぬ風の音。去年まで魂を祭りし身が、今年は影もあら精霊の、棚に折り敷く蓮葉の、盂蘭盆祭る哀れなり。
 痛はしや母上は、虎、少将が黒髪の、思ひ切つたる姿を見て、「面影に立つ我が子の顔。物忘れする老いが身に、などこればかりは忘れぬぞ。」と、日の暮れ、夜半の明くるにも、折節に増す嘆きなり。元より貧家の曽我の末、なほ御勘気は強くなり、世間広き弔ひを、すべき便りもなかりけり。
 「まことや、菩提の死霊は法界の廻向に、如くは無しと聞くぞ。」とて、祐成や時宗の最期場に、日覆ひ構へ、竈を設け、接待に天台乳花の茶を煎じ、行き来の人に施し、一遍の廻向を受くべしと、鬼王兄弟水薪、折り汲み運べば、虎、少将、母上も諸共に、取る茶柄杓の廻向の念仏。往来の僧俗、男女貴賤を分かず、聞き及び、立ち止まり、「これ、広大の功徳ぞ。」と、皆々茶を受け、手向をなし、「一杯に喉を潤し、二杯に暗き心を明らめ、三杯に枯れたる魂を探り、四杯に軽き汗をおこして、平生不平の気を散じ、五杯には肌潔く、六杯にはおのづから仙霊に通達し、七椀喫するその内に、清風に乗じて不退地の雲に遊ぶ。」と、皆礼拝して念仏す。妙なる功徳と聞こえけり。
 かかる処に編笠にて、顔隠したる侍一人、茶を飲みて廻向をなし、懐中より黄金一包み取り出し、「近頃殊勝千万。只さへ不勝手の曽我殿、御兄弟に離れ、さぞ不自由に候はん。貧者の御茶、只飲み申すはいかがなり。」と、膝に置いて立たんとす。老母御覧じ、「お心ざしは嬉しけれども、子どもが追善に施す茶。あたひを受けんやうは無し。返弁致す。」と返さるる。かの男、小声になり、「いや、これは、我一人の金子にあらず。鎌倉の大名衆、方々を貢ぎのため、少しづつ奉加を致され、集められたる金なれば、恩に着給ふ事でもなし。平に取つて置き給へ。」と、虎に渡せば辞退する。少将に遣れども手に取らず。「しからば御兄弟、精霊に参らする。」と、さし置いて逃げて行く。
 禅師坊、外より帰り、包みし黄金を取つて、かの者に投げ付け、襟元掴んでどうと引つ据ゑ、「いづくの誰とは知らねども、慮外千万なる奴めかな。身こそ貧なれ、伊東が孫、曽我兄弟が追善ぞや。但し、おのれは、茶を売る出茶屋と見たか。先祖よりこの方、曽我一家が、物を売つて商ひしたるためしなし。おのれ、誠の心ざしならば、たとへ一紙半銭なりとも、寺へ持参し、三宝に供養すべき事。たとへ千金万金にもせよ、群衆の中にて茶のあたひを取つて、日本無双の五郎十郎が、潔き屍に泥を塗るか、推参者。殊に鎌倉中の大名が、奉加して集めたと。ええ、胸悪や、けがらはしや。さほど曽我を大切に思ふならば、兄弟が存生に心ざしもあるべし。など時宗が一命をも、申し受けて助けざりしぞ。祐経が威勢に恐れ、世間を憚り、見ぬ顔せし腰抜けどもが。何ぢや、この目腐り金。兄弟の者どもには、忘れ形見の子供等あり。もしもの事のあるならば、甥どもに腹巻せさせ、この法師が衣の上に鎧投げかけ、坊主頭に兜を頂き、痩せたる馬に打ち乗つて、太刀脇挟み、一陣に進んで、よき敵と引つ組み、討ち取り、一方を切り破り、剛なる者の子々孫々と、後代に名をとどめんと、朝暮念ずる我々が、諸大名の奉加を受け、生きたる甲斐があらうと思ふか。浮世も命も捨て坊主、いつの時をか待つべきぞ。鎌倉中の大名の、総名代には不足なれども、おのれが相手ぢや。逃さぬ。」と、腕まくりし怒りしは、すさまじかりける勢ひなり。
 かの者、笠を取つて捨て、「おお、頼もしし、頼もしし。必ず粗忽せらるるな。某は、頼朝公の御近習、大友の一法師。元服して、大友の左近の将監に任ぜられ、若君へ付けられ、只今は頼家公に仕へ申すよ。しかるに、祐成、時宗、前代未聞の勇士とて、君、御感ましまし、照明荒神現人神と斎ひ、富士の裾野に社を立て、兄の宮、弟の宮、勧請あり。近日、御社参との御事なり。その節、兄弟の忘れ形見の幼き者、所領を下され、頼家公の御伽に、召し出されんとの御内意なり。しかれども、方々久しく沈淪流浪の家、俄の用意、見苦しかるべし。沙汰なしにこの黄金、手に入れ置けと、忝くも頼家公、御懇切の尊意なり。必ず粗忽し給ふな。」と、言ひもあへぬに禅師坊、「あつ。」と頭を地に付くれば、老母を始め虎、少将、鬼王兄弟まろび出、「世に有難き御恵み、いつの世にかは忘るべき。これに付けても祐成や、時宗が浮世に長らへ、この仰せを同じやうに、承る程ならば、いかに嬉しかるべき。」と、先立つ物は涙なり。
 大友、重ねて、「御内意なれども、この首尾にて、かやうに顕はし申す上は、この通りを披露致し、追つ付け御社参あるべき間、その節、罷り出向かひ、御目見え候べし。委細は和田殿、秩父殿より申さるべし。まづ、お暇。」とありければ、只、「御前をば宜しきやうに。」と礼儀を述べ、暇乞ひつつ用意ある。
 嘆きは失せてめでたさの、曽我の出世の喜びも、太平の代の秋津君、仁義の道や白旗の、裾野の社に御参詣。忝くも大将御父子、曽我兄弟の神霊に、御手を合はさせ給ひければ、近習外様の召し具の人、残らず法施を捧げられ、取り分き今日は重陽の、折に幸ひ曽我菊や、種絶やさじと若どもに、河津の本領三万町、安堵の御判の墨色も、深き恵みに取り添へて、御恩をになふ木瓜の、紋も再び栄えける。めでたかりける次第なり。

前頁  目次  次頁

三部経

 ややあつて禅師坊、「ああ、愚かなり、母上様。病に冒され、剣に伏し、火に入り水に溺るるも、前世の業。品こそ変はれ、生死の縁、逃るる道のあるべくは、世尊入滅あるべしや。十神力をあらはせば、一日も百千歳、迷ひの衆生は以如半日。飽かず惜しと思ひなば、千歳の夢の心ぞや。母も姉も聞き給へ。禅師坊が最後に、自受用即身成仏の、御法を説いて聞かすべし。御前伺候の人々も、鳴りを静めて聞き給へ。
 それ世尊一代、五千七千の経巻は、そも華厳寂滅道場に始まり、法華涅槃に書き終はる。その中間の五時八教、中にも薩達磨芬陀利花、妙法蓮華と翻じたり。三世の諸仏出世の本懐、衆生成仏の直路、超八醍醐の鷲の峯、上なき法と説かれたり。ここに暫く、縁なき衆生を度せんがため、方便の門を構へて、妙法蓮華の五字を隠して、南無阿弥陀仏の六字に摂す。五戒十善の窓の前には、顛倒の霧立ち昇り、座禅の床には、煩悩の眠り深く、修行の天地に至り難き、愚痴の凡夫は、六字を称して極楽に往生す。娑婆分段の凡身には、恩ありあだあり貧福あり。善悪上下の品々も、冥途の道に入りぬれば、刹利も首陀も変はらざりけり。己心の弥陀、唯心の浄土なれば、本来無東西、何処有南北と観ずべし。提婆達多は前生にて、仏の師匠たりし身が、阿鼻に堕して苦を受くる。不軽菩薩は打擲せられ、憎まれながら妙覚の、仏の位に至り給ふ。皆これ一念信解の徳。
 「それ六字の名号と言つぱ、華厳経にて南の字を表し、阿含経にて無の字を摂し、方等経にて阿の字を開き、大般若にて弥の字をつづめ、法華経を以て陀の字を皆会し、南無阿弥陀仏と申すなり。妙楽大師の御釈に、諸経所讃、多在弥陀、縁深厚故と述べ給ふも、深き心や有明の、一心三観の胸の月は、円頓止観の空にかかり、隨縁真如の初潮は、同一鹹味の岸に満つ。中道実相の車は、無二無三の門に轟き、一乗菩提の駒は、平等大恵の園にいばふ。等覚深位の時鳥は、妙覚究竟の峯に鳴き、二乗作仏の鴬は、無作三身の谷に囀り、諸行無常の春の花は、是生滅法の嵐に散り、生滅滅已の秋の時雨は、寂滅為楽の紅葉を染む。一子出家の功力によつて、妙荘厳の悟りを得、韋提希夫人の無生忍に、あやかり給へ、母上様。禅師が素懐、これにあり。思ふ事も言ふ事も、これまでなり。人々、さあ、我が首を召されよ。」と、目を塞いでぞ居たりける。
 頼朝、重ねて、「学問と言ひ、武勇の法師。近頃惜しき者なれども力なし。この上は、罪な作らせそ。早々、討つて捨てよ。」とある。しかる処へ、新田の四郎忠常、「言上の事あり。」と、簀戸を開かせ伺候する。人々は涙ながら、「あれ、祐成討つたる敵。人こそ多きに、あの者が討つたるか。恨めしや、面憎や。腹立ちや、口惜しや。食ひ殺してのけたや。」と、歯噛みをなして嘆かるる。
 忠常、御前に向かひ、「曽我の十郎を討ちとめ、高名三度の都合、合うて候。御契約の御馬、賜はらん。」とぞ申しける。君、聞こし召し、「それは沙汰にも聞きぬらん。新開を使にて、汝が方へ引かせし処に、朝比奈が狼藉にて盗み取り、行き方知らず。それ故、義盛を始め、三浦一党閉門をせさせ、新開までも、出仕をとどめ置きつるわ。」と宣へば、新田、大きに不興し、「いや、これは御諚ともおぼえず。以前、君の仰せには、三度の手柄仕れ。それまでは頼朝が、預かつたりとの御意なれば、畢竟、我らの預け物。盗まれしとは大将の、御意とも存ぜず。馬を得んばかりに、祐成を討つて候間、是非に於いて御馬を、後とも言はず、たつた今、賜はらん。」とぞねだれける。
 垣の外には母上、「憎き奴が言葉やな。たとへ龍馬、千疋万疋にもせよ、人の大事の秘蔵子を、馬に替へて討つたるとは。人非人の畜生め。」と、声を上げてぞ泣き給ふ。頼朝もあぐませ給ひ、「その儀ならば、外の物を、何にても望め。」とある。新田、辺りを見廻し、「しからば、御馬の代はりに、この禅師坊を申し受け候べし。」「いやいや、彼は大事のめしうど。叶ふまじ。頼朝が重代、髭切、膝丸にても望め。」とある。新田、かぶりを振り、「いや、馬は四足ある物に、足も手もなき御太刀は、嫌にて候。是非禅師坊を賜はらずは、但し、始めの通り、松島月毛を賜はるか。二つに一つの御返答、承らぬその内は、全くここを立ち申さじ。」と、どうど座を組み居たりけり。
 頼朝、思案に尽き給ひ、「この上は、せん方なし。禅師坊を取らする。」と、御言葉も収まらぬに、「こは有難し。」と罷り立ち、縄切りほどき、塵打ち払ひ、「これこれ、曽我の母御、疾う疾う連れて帰られよ。」はつとばかりに手を合はせ、「神か仏か新田殿。生々世々の御慈悲なるわ。」と、忠常を拝むやら、禅師坊をさするやら、行きつ戻りつ泣いつ笑うつ、嬉しさ、足も地に付かず。暫しどよめき喜びし、心ぞ思ひ遣られたる。
 かかる処へ朝比奈の三郎、松島月毛の口を取り、御白洲に馳せ参じ、「義秀めは盗みを仕り、ぢきに立ちのき候へども、思案を仕り、我と我が身を訴人に罷り出候。盗んだ処は罪深けれども、自身訴人の御褒美に、この馬は朝比奈が、拝領致し申すべし。もし御聞き入れなくば、訴人致して益もなし。一層、元の盗人なり。和田の一門九十三騎、三浦の一党同類を組し、盗みを致す程ならば、恐らく鎌倉中、東八ヶ国を盗み立て、後には何を盗まうも知れ申さず。時にはかへつて、我が君の御損たらん。理を曲げて、義秀に拝領、仰せ付けられかし。」と、恐れなくこそ申しけれ。
 頼朝、笑はせ給ひ、「朝比奈が我がまま、今に始めぬ事ながら、これは余り興がつたり。さりながら、和田一家に免じて取らするなり。」と仰せける。朝比奈、かうべを地に付け、「有難し、有難し。」と御礼申し、「さて、こりや新田。お主は近頃でかいたり。あの禅師坊が命は、日本国が御訴訟しても、叶はぬ処。まづ、かうせうと思ひ、さて、この馬を盗んだり。朝比奈と同腹中。でかいた、でかいた。さあ、この馬を朝比奈が、引出物にわ殿に遣つた。これでどこも円うなる。名はあさ比奈と名乗れども、智恵は深いな、分別よし秀。褒めてくれよ。」とどつと笑へば、我が君も、伺候の人々一同に、興に入つてぞ感じける。
 かくて大将、簾中に入り給へば、海野太郎行氏、役所より駆け来り、「これ、朝比奈殿。御辺の仕方、新田は喜びなるべきが、この海野は立ち申さず。御辺が馬を盗みし故、某、召し捕つたる禅師坊を、忠常に助けさせ、争ひのあるこの馬を、新田に遣るは何事ぞ。それでは海野が一分立たず。料簡し直せ、朝比奈。」と、言へば義秀、えせ笑ひ、「いや、小癪な一分だて。自体、あの馬は、御辺などには似合はず。お主達には牛が良し。その上あの馬は、手柄三度したる者に、賜はらんとの御事なるに、ろくな手柄を一度もせいで、御馬を望むは、経も読まずに布施取るか。今でも手柄に、さあ、この朝比奈を投げて見よ。」と、大手を広げ、追ひ廻せば、「我がまま者の無法破り。構ひはせぬ。」と口の内、ぶつくさくつぶやきて、表をさして逃げ出づる。
 新田、朝比奈どつと笑ひ、禅師坊親子の人に、礼儀をなせば人々も、「朝比奈の心ざし、新田殿の御情け、敵にてはなかりけり。草の蔭なる兄弟も、さぞ喜びのみつ瀬川。帰らぬ水のあはれ世に、長らへ一所にあるならば、いかがは嬉しかりなん。」と、なほ繰り言の悔やみ草。昔恋草しのぶ葺く、伏せ屋に誘ひ帰らるる。げにや楽しみ悲しみは、定め方なき人界なるわと、今こそ思ひ知られたれ。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 ・華厳寂滅道場に始まり――底本「華厳寂滅場に始まり」。『近松全集 第3巻』により改めた。
 ・賜はらんとの御事なるに――底本「賜はらんとの御詞に」。『近松全集 第3巻』により改めた。

↑このページのトップヘ