【翻字】
楠正成(くすのきまさしげ)
仁(じん)と義(ぎ)と 勇(ゆう)に やさしき ものゝふは 火(ひ)にさへやけず 水(みづ)に溺(おぼ)れず
〇士は橘の諸兄公(もろゑこう)の末裔(ばつゑい)也元弘 の軍(いくさ)に功(こう)あつて摂河泉の太守たり 建武の乱(らん)に聖運(せいうん)の開(ひら)かざるを歎(たん)じ 摂州湊(みなと)川の戦(たゝか)ひに潔死(けつし)す平生 禅法を信(しん)じて孤峯(こほう)大灯関山の 諸師に参す最後(さいご)に明極俊(みんきのしゆん)禅師 に見(まみへ)て一喝(かつ)の下に悟入(ごにう)すと云々 後醍醐帝士が此哥を聞召(きこしめし)て古今(こゝん) の軍哥(ぐんか)也と称(しよう)し給へりとぞ
【校訂本文】
楠正成
仁と義と 勇に優しき 武士は 火にさへ焼けず 水に溺れず
〇士は橘諸兄公の末裔なり。元弘の軍に功あつて、摂河泉の太守たり。建武の乱に聖運の開かざるを歎じ、摂州湊川の戦ひに潔死す。
平生、禅法を信じて、孤峯・大灯・関山の諸師に参す。最後に明極俊禅師に見へて、一喝の下に悟入す、と云々。
後醍醐帝、士がこの歌を聞こし召して、「古今の軍歌なり」と、称し給へり、とぞ。
平生、禅法を信じて、孤峯・大灯・関山の諸師に参す。最後に明極俊禅師に見へて、一喝の下に悟入す、と云々。
後醍醐帝、士がこの歌を聞こし召して、「古今の軍歌なり」と、称し給へり、とぞ。
【語釈】
橘諸兄:奈良時代の公卿。正一位・左大臣。
元弘:1331年~1333年。
摂河泉:摂津・河内・和泉の三カ国
建武:1334年~1336年。
孤峯:孤峰覚明。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。
大灯:宗峰妙超(本書12)。臨済宗の寺院・京都大徳寺の開山。
関山:関山慧玄。臨済宗の寺院・京都妙心寺の開山。
明極俊禅師:明極楚俊。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、元から日本へ渡来した禅僧。
元弘:1331年~1333年。
摂河泉:摂津・河内・和泉の三カ国
建武:1334年~1336年。
孤峯:孤峰覚明。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。
大灯:宗峰妙超(本書12)。臨済宗の寺院・京都大徳寺の開山。
関山:関山慧玄。臨済宗の寺院・京都妙心寺の開山。
明極俊禅師:明極楚俊。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、元から日本へ渡来した禅僧。
【解説】
15人目は楠木正成です。紹介文は前半に経歴、後半に禅との関わりがまとめられています。
「最後に明極(楚)俊に見へて、一喝の下に悟入す」とあるのは、楠木正成を扱った各書に書かれている、湊川合戦の途次、摂州広厳寺での参禅の逸話です。しかしこの逸話は史実性が非常に疑わしく、後世に作られた虚構のようです。
歌意は平明です。下の句は『臨済録』本文13-13にある「入火不焼、入水不溺」とほぼ同じ表現です。

コメント