【翻字】
月菴禅師(げつたんぜんじ)
枯(かれ)果(はて)て しかと 花(はな)さく 梅(むめ)が枝(ゑ)に 声(こゑ)をもたてず 鶯(うぐひす)の啼(なく)
〇師名は宗光(そうくはう)号は月菴幼(よう)にし て峰翁(ほうおう)禅師を礼して薙髪(ちはつ)す 後大虫岑(たいちうのしん)公の印記(いんき)を受(うけ)て 大明円通大同禅昌等の諸刹(しよさつ)を 開く康応元年三月廿二日微(び) 疾(しつ)を得て尚平生(なをへいぜい)のごとく夜 に入て衆(しゆ)を辞(じ)して長(なが)く往(ゆく)寿 六十四勅して大祖(たいそ)禅師と諡す 師又大明寺に住し給ふ時其村(そのむら) 何某(なにがし)が飼(か)へる所の牛おのが尾先(をさき)を 喰切跪(くひきりひざまづき)て師に献(けん)じ罪業(ざいごう)を懺(ざん) 悔(げ)するてい也師之(しこれ)をあはれみ為(ため)に 禅戒を説(とき)其尾を払子(ほつす)となし給ひし とぞ尚大明寺にこれありと云々
【校訂本文】
月菴禅師
枯れ果てて しかと花咲く 梅が枝に 声をも立てず 鶯の啼く
〇師、名は宗光、号は月菴。幼にして、峰翁禅師を礼して、薙髪す。後、大虫岑公の印記を受けて、大明・円通・大同・禅昌等の諸刹を開く。康応元年三月廿二日、微疾を得て、尚、平生のごとく、夜に入りて、衆を辞して、長く往く。寿、六十四。勅して、大祖禅師と諡す。
師、又、大明寺に住し給ふ時、その村某が飼へる所の牛、己が尾先を喰ひ切り跪きて、師に献じ、罪業を懺悔する体なり。師、これを憐れみ、ために、禅戒を説き、その尾を払子となし給ひし、とぞ。尚、大明寺にこれあり、と、云々。
師、又、大明寺に住し給ふ時、その村某が飼へる所の牛、己が尾先を喰ひ切り跪きて、師に献じ、罪業を懺悔する体なり。師、これを憐れみ、ために、禅戒を説き、その尾を払子となし給ひし、とぞ。尚、大明寺にこれあり、と、云々。
【語釈】
峰翁禅師:峰翁祖一。鎌倉時代の臨済宗の僧。
大虫岑公:南宗の禅僧。元弘元年(1331年)創建の伊予国松山・宗昌寺の開山。
印記:ここでは、禅宗で師僧が弟子に法を授けて悟りを得たことを証明・認可する印可状を書くこと
大明:正平22年/貞治6年(1367年)、但馬国に創建された臨済宗の寺院
円通:元中6年(1389年)、但馬国に創建された臨済宗の寺院
大同:大同2年(807年)天台宗の寺院として創建。後、月菴を中興開山として臨済宗の寺院となった。
禅昌:延文年間(1356年 - 1361年)、摂津国に創建された臨済宗の寺院
康応元年:1389年
払子:獣毛などを束ね、これに柄をつけた法具
大虫岑公:南宗の禅僧。元弘元年(1331年)創建の伊予国松山・宗昌寺の開山。
印記:ここでは、禅宗で師僧が弟子に法を授けて悟りを得たことを証明・認可する印可状を書くこと
大明:正平22年/貞治6年(1367年)、但馬国に創建された臨済宗の寺院
円通:元中6年(1389年)、但馬国に創建された臨済宗の寺院
大同:大同2年(807年)天台宗の寺院として創建。後、月菴を中興開山として臨済宗の寺院となった。
禅昌:延文年間(1356年 - 1361年)、摂津国に創建された臨済宗の寺院
康応元年:1389年
払子:獣毛などを束ね、これに柄をつけた法具
【解説】
17人目は月菴宗光です。紹介文の前半は略歴、後半は牛の霊験譚です。
歌はいかにも禅臭の強い歌意です。枯れ木に咲く梅の花、声を出さずに啼く鶯。論理的には矛盾していますが、矛盾のままで同時にそのように存在している、人もそのように本来あるのだ、ということなのでしょう。

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