【翻字】
蜷川新右衛門親当(になかわしんゑもんちかまさ)
生(むま)れぬる この暁(あかつき)に 死(しゝ) ぬれば けふの夕部(ゆふべ)は 秋風(あきかぜ)ぞふく
〇師本姓(ほんしやう)は宮家代々朝廷(てうてい) 北面(ほくめん)の武士也文才(もんさい)有て和哥(わか) をよくす且(かつ)教外の宗を学び 龐蘊(ほううん)居士が風(ふう)をしたひて法名(はふめい) を知蘊(ちうん)と号す当時(たうじ)の宗匠(そうしやう)に 参じ又一休和尚に見(まみへ)て誰(たそ)の話(わ)に 悟入(ごにう)す其時のうたに 誰(たそ)や誰やたそこそ誰よ たそはたれたそこそ たそよ誰はたれなれ 一休大に之(これ)を許可(きよか)せらる其卒(そのそつ) する時一族を集(あつめ)て談笑(たんせう)の中に 終(おわ)ると云々此哥は士の辞世なるよし
蜷川新右衛門親当
生まれぬる この暁に 死しぬれば 今日の夕べは 秋風ぞ吹く
〇師、本姓は宮家。代々、朝廷北面の武士なり。文才有りて、和歌をよくす。且、教外の宗を学び、龐蘊居士が風を慕ひて、法名を知蘊と号す。当時の宗匠に参じ、又、一休和尚に見へて、「誰そ」の話に悟入す。その時の歌に、
誰そや誰そや 誰そこそ誰そよ 誰そは誰 誰そこそ誰そよ 誰そは誰なれ
一休、大いにこれを許可せらる。
その卒する時、一族を集めて、談笑の中に終わる、と、云々。この歌は、士の辞世なる由。
誰そや誰そや 誰そこそ誰そよ 誰そは誰 誰そこそ誰そよ 誰そは誰なれ
一休、大いにこれを許可せらる。
その卒する時、一族を集めて、談笑の中に終わる、と、云々。この歌は、士の辞世なる由。
【語釈】
本姓:苗字・名字と異なる、古代以来の本来の氏族名
宮家:正しくは宮道氏。菩提寺の最勝寺が富山市蜷川にある。
北面の武士:上皇の御所(院)の北面に詰め、院中の警備にあたった武士。
教外の宗:禅宗
龐薀居士:龐居士。中国・唐の禅仏教者。『龐居士語録』で有名。
宗匠:学徳ともにすぐれた名僧
「誰そ」の話:不詳。『碧巌録』第一則「達磨廓然の話」に「帝云く、朕に対する者は誰そ、磨云く、不識」とあり、あるいはこれを指すか。
宮家:正しくは宮道氏。菩提寺の最勝寺が富山市蜷川にある。
北面の武士:上皇の御所(院)の北面に詰め、院中の警備にあたった武士。
教外の宗:禅宗
龐薀居士:龐居士。中国・唐の禅仏教者。『龐居士語録』で有名。
宗匠:学徳ともにすぐれた名僧
「誰そ」の話:不詳。『碧巌録』第一則「達磨廓然の話」に「帝云く、朕に対する者は誰そ、磨云く、不識」とあり、あるいはこれを指すか。
【解説】
21人目は蜷川新右衛門親当です。
紹介文はその略歴の他に、一休との交流の逸話が紹介されています。また、歌が辞世であるとしており、歌の詞書的な説明をしています。
歌は、死を生の否定とせず、両者の区別を超越する禅的な境地を表現しています。

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