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【翻字】
一路居士(いちろこじ)
月やみむ 月には みへず ながらへて うき世(よ)をめぐる 影(かげ)もはづかし
〇居士は仁和寺一代の門主たり しが世(よ)をいとひ竊(ひそか)に遁(のが)れて左海(さかい) に閑居(かんきよ)し詩哥(しいか)を弄(もてあそ)びて清貧(せいひん)を たのしまる一休和尚住吉に住菴 の時居士が元(もと)へ来て曰万法道(まんはふみち)有 如何是(いかんこれ)一路(ろ)と申されしに居士言(ごん) 下(か)に万事休(ばんじきう)すべし如何是一休と 答(こた)ふこれより互(たがひ)に往通(ゆきかよ)ひて禅 を学ぶつねに菴中の松より一(ひとつ)の 畚(ふご)を街(ちまた)におろし往来(ゆきゝ)の志(こゝろ)ざし をうけて其日を送(をく)る一日里の童(わらべ) 戯(たはふれ)に馬沓(ばくつ)を入置しかば是をみて 我粮(わがかて)既に尽(つき)たりとて遂(つい)に断食(だんじき) して逝(せい)す其跡(そのあと)寺となりて一路山 禅海(ぜんかい)寺と号して大徳寺の末派(まつば)たり

【校訂本文】
 一路居士
 月や見む 月には見へず 長らへて 浮世をめぐる 影も恥づかし
 〇居士は、仁和寺一代の門主たりしが、世を厭ひ、竊かに遁れて、左海に閑居し、詩歌を弄びて、清貧を楽しまる。
 一休和尚、住吉に住菴の時、居士が元へ来て、曰く「万法、道有り。如何、是、一路」と申されしに、居士、言下に「万事、休すべし。如何、是、一休」と答ふ。これより、互ひに往き通ひて、禅を学ぶ。
 常に、菴中の松より、一つの畚を街に下ろし、往来の志を受けて、その日を送る。一日、里の童、戯れに、馬沓を入れ置きしかば、是を見て、「我が粮、既に尽きたり」とて、遂に、断食して、逝す。その跡、寺となりて「一路山禅海寺」と号して、大徳寺の末派たり。

【語釈】
仁和寺:京都にある真言宗の門跡(皇室との関係が深い)寺院
門主: 門跡寺院の住職
左海:堺(現大阪府堺市)
住吉:現大阪市住吉区
畚:竹・わら・縄などで網状に編み、四すみにつりひもをつけ、物を入れて運ぶ用具。もっこ。
馬沓:ひづめを保護するための藁や皮革・和紙などでつくった馬用の履物。
一路山禅海寺:現堺市堺区神石市之町にあったことが「堺観光ボランティア協会ニュース 252号(H30.5)」に見える
大徳寺:京都にある臨済宗の寺院

【解説】
 22人目は一路居士です。この紹介文は寛政8年(1796)刊の『和泉名所図会』巻之二の「一路山禅海寺」の記述をほぼそのまま抜粋したものです(一部は『堺鑑』(貞享元年(1684年)刊)にも見えます)。歌も同書中に見えます。
 歌意は難解です。「月はこの私を見るだろうか。(いや)月にはこの私は見えない。私はこのように長生きをして、浮世を生きている。月の光の前に、きまりが悪いことだ(。月は昔も今もこうして天を巡り世を照らして人々に愛されているのに、私はうかうかと長生きするばかり、月を恥じて身を隠すようにその光を仰ぎ見ているのだから)」。「月」は仏の教え、「月光」はその恵みの比喩でしょう。しかしこのように解すると、禅僧の歌らしくはなくなります。
 一方で紹介文中の一休との問答はきわめて禅的です。一休の問が自分の名をかけていることに、一路は即座に一休の名をかけて答えています。互いに相手の名をかけながら、内容は仏教の教えをふまえています。論理を超えた求道の精神が躍如としています。
 一路は経歴は定かでありません。ここにあるとおり、門跡寺院・仁和寺の門主であったとすれば、親王ないしは皇族の子であったと思われます。