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【翻字】
玄虎蔵主(げんこぞうす)
われもなく 人も渚(なぎさ)の うつぼふね 月(つき)ばかりこそ 乗(のる)とみへける
〇師名は玄虎号は大空(たいくう)幼(よう)より村(むら)の 文殊堂(もんじゆたう)に入て静坐(せいざ)する事常也 壮(そう)なるに及び出家して崇芝岱(そうしのたい)禅 師の法を嗣(つぎ)て勢州浄眼(じやうがん)寺に居 す一日 皇大神宮神遊(しんゆう)して師(し)に 大戒(だいかい)を受(うけ)たまへり又浅香の深谷(しんこく) に炎(ほのふ)さかんに燃熱湯(もへねつたう)しきりに湧(わく)里 人仍(よつ)て地獄谷と呼(よぶ)師かしこに至(いた)り 坐禅するにおのづと息(やむ)でふたゝび 燃(もゆ)る事なし師又人の示(しめし)を求(もとむ)る ときは一の長刀(なぎなた)を携(たづさ)へ之(これ)を打(うち) 振(ふつ)て曰近前来(きんせんらい)近前来你(なんじ)が為(ため)に教(をしへ)ん 凡参禅は韓信(かんしん)が水を後(うしろ)にして 戦(たゝか)しが如く又は猫の鼠をねらふが如く すべしと申されしとぞ 朝廷其徳(てうていそのとく) を称して活性(くはつせう)禅師の号を賜ふ 永正二年七月廿三日寂す

【校訂本文】
 玄虎蔵主
 我もなく 人も渚の 空穂舟 月ばかりこそ 乗ると見へける
 〇師、名は玄虎、号は大空。幼より、村の文殊堂に入りて、静坐する事、常なり。壮なるに及び、出家して、崇芝岱禅師の法を嗣ぎて、勢州・浄眼寺に居す。
 一日、皇大神宮、神遊して、師に大戒を受けたまへり。又、浅香の深谷に、炎、盛んに燃え、熱湯、しきりに湧く。里人、仍つて、地獄谷と呼ぶ。師、かしこに至り、坐禅するに、おのづと息んで、再び燃ゆる事なし。
 師、又、人の示しを求むるときは、一の長刀を携へ、之を打ち振つて、曰く「近前来、近前来、你がために、教へん。およそ、参禅は、韓信が水を後ろにして戦ひしが如く、又は、猫の鼠を狙ふが如くすべし」と申されし、とぞ。
 朝廷、その徳を称して「活性禅師」の号を賜ふ。永正二年七月廿三日、寂す。

【語釈】
蔵主:禅寺の経蔵を管理する人
空穂舟:中がからっぽの舟
崇芝岱禅師:崇芝性岱。室町時代の曹洞宗の僧。
浄眼寺:現三重県松阪市の曹洞宗の寺院。文明十年(1478年)、大空玄虎を開山として創建
大戒:仏教で出家した者が遵守すべき戒
浅香:現松阪市大阿坂町
地獄谷:浄眼寺の南西数百mにある谷(「阿坂史跡マップ」)
示し:手本を見せてわからせること。教えること。
近前来:「こちらに来い」の意
韓信:紀元前3~2世紀の中国の将。前漢王朝建国に貢献した。
水を後ろにして戦ひし:紀元前204年に韓信が敵の大軍を撃破した時の戦法で、故事成語「背水の陣」となった
永正二年:1505年

【解説】
 23人目は大空玄虎です。紹介文には、略歴と逸話の他に、二つの霊異譚が含まれています。
 歌は、叙景歌としては平易ですが、禅的な意味は難解です。我と人の区別を超えた悟りの境地を詠んでいるのでしょう。