【翻字】
蜷川親当妻(になかわちかまさのつま)
あさ糸(いと)の 長(なが)し みぢ かし むつ かしや 有無(うむ)の ふたつに何(いつ)か放(はな)れん
〇蜷川新右衛門が妻は其姓氏(せいし)を しらず夫親当(ちかまさ)は既(すで)に一休に参(さん) して悟道す一日妻と禅をかた るに妻余(よ)の言葉(ことば)はなくて 此哥(このうた)を詠(ゑい)ぜしに夫親当ふかく 許可(きよか)せしとぞ
【校訂本文】
蜷川親当妻
麻糸の 長し短し むつかしや 有無の二つに いつか放れん
〇蜷川新右衛門が妻は、その姓氏を知らず。夫・親当は、既に一休に参じて、悟道す。一日、妻と禅を語るに、妻、余の言葉はなくて、この歌を詠ぜしに、夫・親当、深く許可せし、とぞ。
【語釈】
許可:印信許可。師が弟子に法を授けて、弟子が法を得て悟りを開いたことを証明認可すること。
【解説】
24人目は蜷川新右衛門親当の妻です。この人については何もわかりません。禅との関連もここに書かれている内容が全てのようです。
歌の意味も難解です。上の句と下の句の関連がわかりません。強いて解釈すると以下の通りです。「麻糸に長いのと短いのがあって、それを使っての裁縫はしにくい。(そのように、世俗に生きていると、何かと不愉快な事が多くて、それらから逃れられないから、いっそ)有=世俗を離れて、無=出家の境涯に生きたいものだ(。そうすれば、煩悩を離れて求道に精進できるのに)」。

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