法皇崩御の事
かくて今年は暮れにけり。明くる四月二十七日改元あつて.保元とぞ申しける。此の比より法皇御不予の事あり。偏に去年の秋、近衛院先立たせ給ひし御歎きの積にやと、世の人申しけれども、業病受けさせ給ひけるなり。日に随つて重らせ給へば、月を追うて憑み少なく見えさせ坐せば、同じき六月十二日、美福門院、鳥羽の成菩提院の御所にて御飾り下させ給ひ、現世後生を憑み進らさせ給ふ。近衛院も先だち給ひぬ。又偕老同穴の御契り浅からざりし法皇も、御悩重らせ給ふ御歎きの余りに、思召し立つとぞ聞えし。御戒の師には三瀧の上人観空ぞ参られける。哀れなりし事どもなり。法皇は権現御託宣の事なれば.御祈りもなく御療治もなし。唯一向御菩提の御勤めのみなり。七月二日終に一院隠れさせ給ひぬ。御年五十四。未だ六十にも満たせ給はねば、猶惜しかるべき御命なり。有為無常の習ひ生者必滅の掟、始めて驚くべきにあらね共.一天くれて月日の光を失へるが如く、万人歎きて父母の喪に遭ふに過ぎたり。釈迦如来生者必滅の理を示さんとて、娑羅双樹の下にて仮に滅度を唱へ給ひしかば、人天倶に悲しみき。彼の二月中の五日の入滅には、五十二類憂への色を現はし、此の七月二日の崩御には、九重の上下悲しみを含めり。心なき草木も愁へたる色あり、況んや年頃近く召使はれし人々、如何許りの事をか思ひけん。まして女院の御歎き、申すも中々愚かなり。玉簾の内に龍顔に向ひ奉り、金台の上に玉体に双び給ひしに、今は灯の下には、伴ふ影も坐さず、枕の元には、古を恋ふる御涙のみぞ積りける。古き御衾空しき床に残りて、御心を砕く種となり、古の面影は常に御身に立添うて、忘れたまへる御事ぞなき。有待の御身は、貴き賤きも高き卑きも異なることなく、無常の境界は、刹利も首陀も替らねば、妙覚の如来、猶因果の理を示し、大智舎利弗、又先業を顕はすことなれば、凡下の驚くべきにはあらねども、去年の御歎きに、今年の御悲しみの重なりけるを如何せんとぞ思召しける。
(底本:『日本文学大系 第十四巻』「保元物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))
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