新院左大臣殿落ち給ふ事
さる程に右衛門大夫家弘、其の子中宮侍長光弘、馬に乗りながら、春日表の小門より馳せまゐり、「官軍雲霞の如く攻め来り候上、猛火既に御所に掩ひ候。今は叶はせ給ふべからず、急ぎ何方へも御開き候べし。」と申せば、只今出で来たる事の様に、上皇は東西を失ひて御仰天あれば.左府は前後に迷ひて、「只汝今度の命助けよ。」と許りぞ宣ひける。即ち四位少納言を召して御剣を賜はる。成隆朝臣これを賜はつて帯かれたり。上皇も早御馬に召されたりけるが、余りに危く見えさせ給へば、蔵人信実、御馬の尻に乗つて抱き進らす。
左大臣殿の御馬の尻には、四位少納言乗つて抱き奉りけり。東の門より御出あつて、北白河を指して落ちさせ給ふ処に、何処よりか射たりけん流矢一筋来つて、左大臣殿の御首の骨に立つ。成隆之を抜いて捨てたりけれども、血の走る事、水弾を以て水を弾くに異ならず。されば鐙をも踏み得ず、手綱をも取り得給はずして、真倒に落ち給へば、成隆朝臣も落ちてけり。式部大輔盛憲、左府の御首を膝にかき載せ、袖を御面に覆ひて泣き居たり。蔵人大夫経憲も馳せ来つて、抱き附き奉りけれども、甲斐もなし、延頼は松が崎の方へ落ち行きけるが、之を見奉つて、甲冑を脱ぎ捨て、経憲と共に小家のありけるに舁き入れまゐらせて、先づ創の口を灸し奉りけれども叶はず.次第に弱り給ひけり。矢目を見れば、御喉の下より左の御耳の上へぞ通りける。逆に矢の立ちけるこそ不思議なれ。神矢なるかとぞ覚えし。血も更に止まらずして、白青の御狩衣、朱に染まるばかりなり。御目はいまだ働けども、物をも更に宣はず。さらば暫く休め奉らんと思へども、判官の領円覚寺へ官軍発向する由聞えければ、斯くては如何とて、経憲車取寄せて舁き載せ進らせ、嵯峨の方ヘぞ赴きける。漸く嵯峨に至つて、経憲が墓所の住僧を尋ぬれども無かりければ、荒れたる坊に入れ奉りて、此の夜は爰にぞ明しける。
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