【翻字】
一絲(いつし)和尚
一絲(いつし)和尚
梅(むめ)が香(か)を さくらの 花(はな)に 匂(にほ)はせて 柳(やなき)の枝(えだ)に さかせてしかな
〇師名は文守(ぶんしゆ)号は一絲(いつし)久我具(くがとも) 尭卿(のりけう)の男也薙髪の後偶禅禄(のちたまたまぜんろく) を閲(けみ)して半(なかば)は信じ半は疑(うたが)ふ之(これ)より 沢菴(たくあん)の室(しつ)に入て深(ふか)く直指(ぢきし)の旨を 叩(たゝ)く一日大恵普説(だいゑのふせつ)を読(よみ)て忽然(こつぜん) と大悟す愚堂(ぐだう)和尚の灯明(とうめい)を得 て大に宗風をふるひ元和帝の 帰依(きゑ)ことにして霊源法常(れいげんほうじやう)の二 寺を開創(かいそう)す又江州永源寺に 至(いたつ)て寂室(じやくしつ)の道(みち)を中興(ちうこう)す正保 三年三月十九日寂す寿三十九 勅して仏頂(ふつてう)国師と諡を賜ふ
【校訂本文】
一絲和尚
梅が香を 桜の花に 匂はせて 柳の枝に 咲かせてしがな
〇師、名は文守、号は一絲、久我具尭卿の男なり。
薙髪の後、たまたま、禅禄を閲して、半ばは信じ、半ばは疑ふ。之より、沢菴の室に入りて、深く、直指の旨を叩く。一日、『大恵普説』を読みて、忽然と大悟す。愚堂和尚の灯明を得て、大いに宗風を振るひ、元和帝の帰依ことにして、霊源・法常の二寺を開創す。又、江州・永源寺に至つて、寂室の道を中興す。
正保三年三月十九日、寂す。寿、三十九。勅して「仏頂国師」と諡を賜ふ。
薙髪の後、たまたま、禅禄を閲して、半ばは信じ、半ばは疑ふ。之より、沢菴の室に入りて、深く、直指の旨を叩く。一日、『大恵普説』を読みて、忽然と大悟す。愚堂和尚の灯明を得て、大いに宗風を振るひ、元和帝の帰依ことにして、霊源・法常の二寺を開創す。又、江州・永源寺に至つて、寂室の道を中興す。
正保三年三月十九日、寂す。寿、三十九。勅して「仏頂国師」と諡を賜ふ。
【語釈】
久我具尭:岩倉具堯。室町後期から江戸初期の公家。
沢菴:沢庵宗彭(本書27)。安土桃山から江戸前期の臨済宗の僧。
直指の旨を叩く:ここでは、禅宗の教えを請うために修行する意。
大恵普説:不詳。宋の臨済宗の僧・大慧宗杲の『大慧普覚禅師書』(及びその注解書)を指すか。
愚堂:愚堂東寔(本書29)。安土桃山から江戸前期の臨済宗の僧。
元和帝:第108代・後水尾天皇
霊源:霊源寺。現京都市北区の臨済宗の寺。
法常:法常寺。現亀岡市の臨済宗の寺。
永源寺:現滋賀県東近江市の臨済宗の寺
寂室:寂室元光。鎌倉後期から南北朝の臨済宗の僧。康安元年(1361年)に創建された永源寺の開山。
沢菴:沢庵宗彭(本書27)。安土桃山から江戸前期の臨済宗の僧。
直指の旨を叩く:ここでは、禅宗の教えを請うために修行する意。
大恵普説:不詳。宋の臨済宗の僧・大慧宗杲の『大慧普覚禅師書』(及びその注解書)を指すか。
愚堂:愚堂東寔(本書29)。安土桃山から江戸前期の臨済宗の僧。
元和帝:第108代・後水尾天皇
霊源:霊源寺。現京都市北区の臨済宗の寺。
法常:法常寺。現亀岡市の臨済宗の寺。
永源寺:現滋賀県東近江市の臨済宗の寺
寂室:寂室元光。鎌倉後期から南北朝の臨済宗の僧。康安元年(1361年)に創建された永源寺の開山。
【解説】
30人目は一絲文守です。紹介文はその略歴、歌は平易で、無差別の境地を詠んだものかと思います。

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