義朝弟共誅せらるる事

 さる程に左馬頭に重ねて宣旨下りけるは、「汝が弟共皆尋ね出し進らすベし。殊に為朝とやらんは、鳳輦に矢を放さんなど申しける奇怪の者なり、搦め捕りて誅すべし。」となり。義朝畏まつて.方々へ兵を差遣はして尋ねられければ、此処彼処より尋ね出してけり。為朝は敵寄すると見ければ、何地ともなく失せにけり。「四郎左衛門頼賢、掃部助頼仲、六郎為宗、七郎為成.九郎為仲以上五人の人々、都へは入るべからず。」と仰せ下されければ、直に船岡山へ率て行きける。五人ながら馬より下りて並み居たり。最後の水を与ふるに、各畳紙にて之を受けける中に、掃部助頼仲、此の水を取つて唇を押拭ひて申しけるは、「我幼少よりして、人の首を斬る事数多し、左様の罪の報いにや、今日既に我が身の上になりにけり。兄にて坐せば、左衛門尉殿こそ先立たせ給ひて、御供仕るべけれども、軍門に君の命なく、戦場に兄の礼なしと申せば、死を先にする道、強ひて礼を守らざるにや。其の上存ずる仔細候。日来皇后宮の御内に、申し通はす女あり、夜前も来つて、見参すべき由申し侍りしを、叶ふまじきよし.心強く申して返し候ひき。定めて只今も尋ね来らんと覚え侍り。最後の有様を見えても詮なし。又不覚の涙の先立たんも本意なく思ひ侍れば、先立ち申し候。六道の衢にて必ず参会奉るべく候。」とて、直垂の紐を解いて、頚を延べてぞ斬られける。其の後四人ながら斬られけり。皆能くぞ見えたりける。次の日陣頭へ持たせて参る。左衛門尉信忠之を実検す。獄門には懸けられず、穀倉院の南なる池の端へぞ捨てられける。是れは故院の御中陰たる故とぞ、皆人申しける。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「保元物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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