為義の北の方身を投げ給ふ事
さる程に秦野次郎は、即ち六條堀河へ参りたれば、母は未だ下向もなし。依つて八幡の方へ馳せ行くに.赤井河原の辺にて参り逢ひたり。延景馬より飛び下りて、輿の轅に取りつけば、軈て輿をぞ舁き居ゑける。「判官殿は、比叡山にて御出家候ひて、十七日の暁頭殿の御許へ渡らせ給ひ候ひしを、隠し置き進らせて、様々に申させ給ひ候ひしかども、天気終に許させ給はで、咋日の暁七條朱雀にて失ひ進らせ候ひぬ。五人の御曹司達をも、昨日の暮程に、北山船岡と申す所にて皆斬り奉り候ひぬ。六條殿に渡らせ給ひつる四人の君達をも、船岡山にて只今失ひ申し候。これは乙若御前の最後の御形見を進らせられ候。」とて件の髪を取り出し、御有様を委しく語り申ししかば、母上之を聞き給ひ、「夢か現か如何せん。」とて、即ち消え入り給ひしが、良暫しあつて少し心地出で来て、「今朝八幡へ参りつるも、判官や子共の為ぞかし。氏神にて坐せばと、憑みを懸けてぞ参りしに、皆々失せぬらん。神ならぬ身の悲しさよ。斯かるべしと思ひなば、何かは物へ参るベき。今朝しも彼等に副はずして、最後の姿を今一目見ざりし事の悔しさよ。夜べ此等が面々に我も参らんといひしを、様々にすかして寝入りたる間に、賢顔に詣でたれば、定めて下向したらば口口に恨みんを、如何答へましと今までも案じたるに、いかに大菩薩のをかしく思し召しつらん。せめては一人なりとも具したらば、終には失はるるとも、今までは身に副えてまし。夢にもかくと知るならば、何しに八幡へ参るべき。妾子共に打連れて、船岡とかやへ行き失せにし一つ所にて、兎にも角にもなるならば、かほどに物は思はじ。」と、あこがれ給ふぞ痛はしき。其の儘既に絶え入り給ひしが、定業ならぬ命にて.又生き出で給ひけり。「今は屋形に帰りても、誰を友にか侍らん。只わらはをも、判官殿のきられ給ひし処へ具して行き、同じ野原の露とも消え果てさせよ。」とかこち給ひ、既に輿より走り出で、身を投げんとこそし給ひけれ。
延景並に介錯の女房など様々に申しけるは、「御歎きはさる御事にて候へ共、御身一人の事ならず。大殿並に君達の御事思召さんに附けても、御様など替へさせ給ひて、一筋になき御跡を弔ひ進らせらるべきなり。御身をさへ失はせ給ひなば、なき人の御為弥罪深かるべき御事なり。されば左大臣殿の北の方も、御様を替へさせ給ふ、平馬助殿の女房も、五人の子共に後れて、さこそ心憂く思召しけめども、様替へてこそ坐せ。縦令御命を失ふとも、六道四生の間に、入道殿にも君達にも、逢ひ進らせらるる事難かるべし。香の煙に形を見、幻の便りに声を聞きしも、皆身を全くしたりし故なり。」など慰め奉れば、「わらはもさこそは思へども、今日明日様をかへんには、落人の方様の者と思はぬ人はあらじ。然らば名乗らずば左右なく許すまじ。明かさんに附けては、為義入道の妻の、兎ありて角ありてといはれん事も恥かし。其の上、人は一日一夜を経るにも、八億四千の思ひありといふ。殊なる思ひなき人も、さ程の罪のあるなるに、縦令出家となりたりとも、月日の立つに随ひて、年老いたる人を見ん時は、入道殿もあの齢にあらんと思ひ、幼き者を見ん折は、我が子共も是れ程にはなりなんと、思はん次の度毎に、斬らせし人も恨めしく、斬りけん者も情なく思はん事も心憂し。然れば凡夫の習ひにて、我が身の物を思ふ様に、人も歎きのあれかしと思はん心も罪深し。斯かる愁へに沈みては、念仏も更に申されじ。只同じ道に。」と歎き給ふを、色々に慰め奉れば、「さらばせめて七條朱雀を見ばや。」と宣へば、各悦びて彼処に輿を舁き居ゑたれども、何の余波も見え分かず。「さらば船岡へ。」とて、桂河を上りに北山を差して行くほどに、五條が末の程に岸高く水深げなる所にて、輿を立てさせ、石にて塔を組み、入道よりはじめ、四人の君達のためと回向して、懐袂に石を入れ.さらぬ体にもてなし、「入道の失せ給ひし所へ行きたれども、声する事もなく、目に見ゆる物なし。又船岡へ行きたりとも、同じ事にてこそあらんずれ。わらは年来観音を憑み進らせて、毎日普門品三十三巻、弥陀の名号一遍唱へ申すが、今日物詣でにいまだ終らず。屋形に帰りたらば、幼き者どもの玩物を見んに附けても.爰にては兎ありし角ありしなど思はんに、心乱れて勤めもせらるまじければ、爰にて満じて、聖霊達にも回向せん。」とて、猶石塔を組み給ふかとこそ思ひしに.岸より下へ身を投げて、終にはかなくなりたまふ。めのとの女房之を見て.続いて河へぞ入りにける。供の者共之を見て、あわて騒ぎ走り入つて尋ぬれども、石を多く袂に入れ給ひける故にや、軈て沈みて見え給はず。程経て遥かの下より取上げて、二人ながら即ち其の夜、鳥部山の煙となし奉りて、遺骨をば円覚寺にぞ蔵めける。今朝船岡にて、主徒十人朝の露と消え行けば.今夜は桂河にて二人の女房夕の煙と立登る。生死無常の理、あはれなりし事どもなり。
(底本:『日本文学大系 第十四巻』「保元物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))
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