無塩君の事
爰に斉の国に婦人あり、無塩と号く。形醜くして色黒し。喉結ぼほれ項肥えたり。腰は折れたるが如く、胸は突出せるが如し。蓬乱の髪は登徒が妻に勝れ、襤褸の上の絹、董威が輩に超えたり。折頞と鼻塞に、高匡と眶高に、顩顊と頤細に、隅目と目眇みたり。されば三十になるまで敢て娶る者なし。或時宣王の宮へ詣でて申さく、「妾君主の聖徳ある事を聞きて、后妃の数に連ならん事を願うて詣で来れり。」宣王即ち漸台に酒肴を設けて之を召す。時に左右の見る人、口を掩ひ目を引き笑ふ。王未だ言葉を出し給はず。婦人睢眄と目見張りて、胸を打ちて、「危いかな危いかな。」と四度申せば、宣王、「何事を宣へるか。願はくは其の故を聞かん。」女答へて曰く、「大王は今天下に君たれども、西に衛秦の愁へあり、南に強楚の敵あり、外には三国の難あり、内には姦臣聚まれり。既に今春秋四十七に至るまで、太子立ち給はず。只継嗣を忘れて婦人をのみ集む、好む所を恣にして憑むべき所を緩くせり。若し一旦に事出で来らば、社稷静まらじ。これ一。五重の漸台を造りて、金を敷き玉を鏤めて国中の宝を尽し、万民悉く疲れたり。これ二。賢者は山林に隠れ、侫臣は左右にあり。偽り曲る者のみ進みて諫め諭す者なし。これ三。酒を嗜み女に溺れ、夙夜に思ひを蕩し志を恣にして、前には国家の治を思はず、後には諸侯礼を収めず。これ四。危いかな危いかな。」と申せば.宣王聞き給ひて、「今寡人がいふ所、是れ至れる理なり。誠に我が誤りの甚しきなり。身の全からざらん事近きにあり。」とて、立所に漸台を壊ち棄て、彫琢を止め、諂へる臣を退け、賢者を招き、女楽を遠ざけ、沈酔を禁じ、終に太子を選び、此の無塩君を拝して后と定めしかば、帝国大に安し。是れ醜女の功なりといへり。
然るを今は只顔色に耽り、寵愛を前として後宮多き故に、国乱るるなり。されば周の幽王は褒似を愛して、本の后申后、並に其の腹の太子を捨て、褒似を后として、当腹の伯服を以て太子とせしかば、申后怒りをなして.繒綵を西夷犬戎に与へて、幽王の都を攻めしかば、烽火を挙ぐれども兵も参らずして.幽王討たれ給ひて、周国亡びてけり。都て天下の乱れ政道の違ふ事、後宮より出づるなり。依つて詩に曰く、「婦人長舌ある、是れ禍ひの階なり。天より降すにあらず、婦人より成る。」といへり。長舌とは言ふ事多くして、禍ひをなすなり。是れ強ひて君を教へて悪をなさしむるにもあらず、乱の道を語るにもあらざれども.婦人を近づけ其の詞を用ゐれば、必ず禍乱起るなり。されば婦人は政に交ることなし。政に交れば乱是れより成るといへり。史記には、「牝鶏朝する時は、其の里必ず亡mぶ。」といへり。牝鶏の時を作るは、所の怪異にて.其の郷亡ぶるが如く、婦人政をいろふ事あれば国乱るといへり。然るを鳥羽院、美福門院の御計らひに任せて、御恙も坐ぬ新院を押下し進らせて、近衛院を御位に即け奉り、嫡孫を閣きて、第四の宮当今御受禅ありし故に、此の乱出来せり。嫡々を閣き坐すは故院の御誤りにや。然れども天津日嗣は、掛けまくも忝く天照大神より始めて、今に絶えざる御事なれば、昔より此の御望みありし君、一人も御本望を遂げられたることなし。されども御計らひ違ふ故にや、是れより世乱れ初めて、公家忽ちに衰へ、朝儀愈廃れたり。洛中の兵乱は、之を始めと申すなり。
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