新院御経沈めの事 附 崩御の事

 さる程に新院は、八月十日に御下著の由、国より御請文到来す。此の程は松山に御座ありけるが、国司既に直島といふ所に御所を造り出されければ、それに遷らせおはします。四方の築垣築き、只口一つあけて、日に三度の供御進らする外は、事問ひ奉る人もなし。さらでだに習はね鄙の御住居はかなしきに、秋も漸う闌け行くままに、松を払ふ嵐の音、叢によわる虫の声も心細く、夜の雁の遥かに海を過ぐるも、故郷に言伝せまほしく、暁の千鳥の洲崎にさわぐも、御心砕く種となる。我が身の御歎きよりは、僅に附き奉り給へる女房達の伏し沈み給ふに、弥御心苦しかりけり。
 我遥かに神裔を受けて天子の位を践み、太上天皇の尊号を蒙つて、枌楡の居を占めき。先院御在世の間なりしかば、萬機の政を心に任せずといへども、久しく仙洞の楽しみに誇りき。思出なきにあらず。或は金谷に花を翫び.或は南楼の月に吟じ、既に三十八年を送れり。過ぎにし方を思へば、昨日の夢の如し。如何なる前世の宿業にか、斯かる歎きに沈むらん。縦令烏の頭白くなるとも、帰京の期を知らず。定めて望郷の鬼とぞならんずらん。偏に後世の御為とて、五部の大乗経を、三年が程に御自筆に遊ばして、貝鐘の音も聞えぬ所に置き奉らんも不便なり。八幡山か高野山か、若し御免しあらば、鳥羽の安楽寿院の御墓に奉り置きたきよし、平治元年春の比、仁和寺の御室へ申させ給ひしかば、五の宮よりも、関白殿へ此の由伝へ申させ給ふ。殿下より能き様に執り申させ給へども、主上終に御許されもなくして、彼の御経を即ち返し遣はさる。御室より、「御咎め重く坐す故、御手跡なりとも、都近く置かれ難き由承り候間、力及ばず。」と御返事ありければ、法皇此のよし聞召して、「口惜しきことかな。我が朝にも限らず、天竺震旦にも、国を論じ位を諍うて、伯父甥謀叛を起し、兄弟合戦を致す事なきにあらず。我此の事を悔い思ひ、悪心懺悔のために此の経を書き奉る所なり。然るに筆跡をだに、都に置かざる程の儀に至つては力なし。此の経を魔道に回向して、魔縁となつて、遺恨を散ぜん。」と仰せければ、此の由都へ聞えて、「御有様見て参れ。」とて、康頼を御使に下されけるが、参りて見奉れば、柿の御衣のすすけたるに、長頭巾をまきて、大乗経の奥に御誓状を遊ばして、千尋の底に沈め給ふ。其の後は御爪をもはやさず、御髪をも剃らせ給はで、御姿をやつし、悪念に沈み給ひけるこそ恐ろしけれ。
 かくて九年おはしまして、長寛二年八月二十六日に、御歳四十六にて、志度といふ所にて隠れさせ給ひけるを、白峯といふ所にて煙になし奉る。此の君怨念に依つて、生きながら天狗の姿にならせ給ひけるが、其の故にや中二年ありて、平治元年十二月九日、信頼卿に語らはれて、義朝大内に立籠り、三條殿を焼き払ひ、院内をも押籠め奉り、信西入道の一類を滅ぼし、掘り埋まれし信西が死骸を掘り起し、首をば大路を渡しけり。絶えて久しき死罪を申し行ひ、左府の死骸を恥かしめなど、余りなる事申し行ひしが果す処なり。
 去んぬる保元三年八月二十三日に、御位春宮に譲りたまふ、二條院是れなり。院と申すは、先帝後白河の御事なり。信頼も忽ちに滅びぬ。義朝も、平氏に打負けて落ち行きけるが、尾張国にて相伝の家人、長田荘司忠致に撃たれて、子共皆死罪流刑に行はる。誠に乙若宣ひけるが如くなり。栴檀は二葉より香しく、迦陵頻は卵の中に妙なる音あるが如く、乙若幼けれども、武士の家に生れて、兵の道を知りけることこそ哀れなれ、此の乱は讃岐院いまだ御在世の間に、まのあたり御怨念の致す処と人申しけり。
 仁安三年冬の比、西行法師諸国修行の次に、白峰の御墓に参りて、つくづくと見まゐらせ、昔の御事思ひ出し奉りて、かくぞ詠み侍りける、
  よしや君むかしの玉の床とてもかからむ後は何にかはせむ
 治承元年六月二十九日、追号ありて崇徳院とぞ申しける。かやうに宥め進らせられけれども、猶御憤り散ぜざりけるにや、同じき三年十一月十四日に、清盛朝家を恨み奉り、太上天皇を鳥羽の離宮に押籠め奉り、太政大臣以下四十三人官職を止め、関白殿を太宰権帥に遷し進らす。是れ直事にあらず、崇徳院の御祟りとぞ申しける。其の後人の夢に、讃岐院を輿に乗せ奉り、為義判官子共相具して先陣仕り、平馬助忠正後陣にて、法住寺殿へ渡御あるに、西の門より入れ奉らんとするに、為義申しけるは、「門々をば不動明王、大威徳の固め給ひて入り難し。」と申せば、「さらば清盛が許へ入れ進らせよ。」と仰せければ、西八條へなし奉るに、左右なく内へ御幸なりぬとぞ見えたりける。誠に幾程なくて、清盛公物狂しく成り給ふ。是讃岐院の御霊なりとて、宥め進らせん為に、昔御合戦ありし、大炊御門が末の御所の跡に社を造りて、崇徳院といはひ奉り、並に左大臣贈官贈位行はる。少納言惟基勅使にて、彼の御墓所に向ひて、大政大臣正一位の位記を読み懸けけり。亡魂もさこそ嬉しと思召しけめと、皆人申しあへり。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「保元物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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