三條殿発向 並 信西の宿所焼き払ふ事

 さる程に信頼卿は、同じき九日の夜子の刻許りに、左馬頭義朝を大将として、其の勢五百余騎、院の御所三條殿へ押寄せ、四方の門々を打固め、右衛門督乗りながら、「年来御いとほしみを蒙りつるに、信西が讒に依つて、信頼討たれ進らすべき由承り候間、暫しの命助からんために、東国の方ヘこそ罷り下り候へ。」と申せば、上皇大いに驚かせ給ひて、「何者か信頼を失ふべかなるぞ。」とて、あきれさせたまへば、伏見源中納言師仲卿御車を差寄せ、急ぎ召さるべき由申されければ、「はや火を懸けよ。」と声々にぞ申しける。上皇あわてて御車に召さるれば、御妹の上西門院も、一つ御所に渡らせ給ひけるが、同じ御車にぞ奉りける。信頼、義朝、光保、光基、季実等、前後左右に打囲みて、大内へ入れ進らせ、一本御書所に押籠め奉る。軈て佐渡式部大輔重成、周防判官季実、近く候して君をば守護し奉る。さても此の重成は、保元の乱の時も、讃岐院の仁和寺の寛遍法務が坊に渡らせ給ひしを、守護し奉りて讃州へ御配流ありし時も、鳥羽まで参りし者なり、如何なる故にや、二代の君を守護し進らすらんと、人々申しあへり。
 三條殿の有様申すも愚かなり。門々をば兵ども固めたるに、所々に火を挙げたり。猛火空に充ちて、暴風煙雲を揚ぐ。公卿殿上人局の女房達に至るまで、これも信西が一族にてやあるらんとて、射伏せ斬り殺せば、火に焼けじと出づれば矢に中り、矢に中らじと返れば火に焼け、矢に恐れ火を憚る類は、井にこそ多く飛び入りけれ。それも暫くの事にて、下なるは水に溺れ、中なるは倶に圧されて死し、上は火にこそ焼けにけれ。造り重ねたる殿舎の、烈しき風に吹き立てられて、灰燼地に迸りければ、如何なる者か助かるべき。彼の阿房の炎上には、后妃采女の身を滅ぼす事なかりしに、此の仙洞の回禄には、月卿雲客の命を殞すこそあさましけれ。左兵衛尉大江家仲、右衛門尉平康忠、爰を最後と防ぎ戦ひけるが、終に討たれてければ、家仲、康忠が首を鋒に貫き、大内へ馳せ参り、待賢門に差挙げて、喚き叫びたる外は仕出したる事ぞなき。
 同じき丑の刻に、信西が宿所姉小路西洞院へ押寄せて火をかけたれば、女童のあわてて迷ひ出でけるをも、信西が姿を替へてや逃ぐらんとて、多くの者を斬り伏せけり。
 保元の乱以後は、理世安楽にして、都鄙扃をわすれ、歓娯遊宴して、上下の屋を双べしに、火災の余煙に民屋多く亡びしかば、「こは如何になりぬる世の中ぞ。此の二三箇年は洛中殊更静かにして、甲冑を鎧ひ弓箭を帯する者もなかりしかば、適持ち行く人も、憚りなる体にこそありしに、今は兵ども京白河に充ち満てり、行末如何あるべき。」と、歎かぬ人もなかりけり。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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