唐僧来朝の事

 さる程に、彼の紀伊二位と申すは、紀伊守範元が孫、右馬頭範国が女なり、八十島下りに三位に叙し、軈て従二位して紀伊二位とぞ申しける。信西が妻室となりて、不思議多き中に、唐僧来りて、生身の観音なりとて拝する事あり。其の故は久寿二年の冬の比、鳥羽禅定法皇熊野山に御参詣ありしに、其の比那智山に唐僧あり、名をば淡海沙門といふ。彼の僧異国にて、我此の身を捨てずして、生身の観音を拝み奉らんといふ願を発し、天を仰ぎて一千日の間祈祷をなす。千日に満じける夜、「汝生身の観音を拝まんと思はば、日域に行きて、那智山といふ所に赴け。」といふ天の示現を蒙りて、渡海の本望を遂げて、彼の山に参籠せるなり。法皇此の由聞召して唐僧を召されければ、御前へ参りて、「和尚和尚。」と礼す。唐僧なれば、語を聞き知召す人なし。唯鳥の囀る如くなりしを、信西末座に候ひけるが、「禅加此法説除浄精にて来れるか。」と問へば、唐僧の曰く、「さにあらず。弘誓破戒説除大精にて来りたるなり。」と答ふ。さて唐僧信西が詞を聞きて、才学の程を量らんとや思ひけん、異国の事を問ひかけたり。「震旦の長安城より、天竺舎那大城へは幾万里ぞ。」と問へば、「十万余里。」と答ふ。「遺愛寺といふ寺はいづくにかある。」「天台山より西へ去る事七百里、白楽天の世を遁れし所ぞかし。」と答ふれば、唐僧難義を問はんとやおもひけん、「扁鵲が門には何かある。」といふ。「延命といふ草を植えたり。これを見る人、善を招き悪を避け、寿命久延。」といふ。「汝陽が門には何かある。」「乱樹といふ木あり。三十年に一度片枝に花咲き、片枝に果なる。之を取りて食ふ人、酔ふこと百余日、其の味西王母が桃に似たり。」「長良国とはいづくぞ。」「都城より巽へ去る事二百里なり。梵王の立て給ふ馬脳の塔あり。彼の塔の下には、摩訶曼陀羅華、摩訶曼殊沙華の四種の天華開けたり。釈尊燃灯仏の御許にして、髪をおろし給ひし所なり。」「大雪山には。」「薬寿王といふ木あり。彼の木の葉を鼓に塗りて、打つ音を聞く人、不老不死の徳を得たり。」「西山には。」「波珍といふ虫あり。首に諸の財を戴き、常に仏を供養し奉る思ひあり。」「長山には。」「三重の瀧あり。彼の瀧の水を呑む人、大に怒る心あり。されども竹馬に鞭打ちて、道心を催すといへり。」「瓠巴琴を弾ぜしかば。」「四方の鱗陸に上り。」「鈴宗笛を吹きしかば。」「天人袖を翻す。」「唐の太宗は。」「甕の辺にして、天下を治むる先相あり。」と、一々に答えければ、唐僧、「我が国より渡れる者か、此の国より来つて学せるか。」と問へば、「本より我此の国の素生なれども、若し遣唐使にや渡らんずらんとて、天竺、震旦、高麗、新羅、百済を始めとして、五六箇年の間に、上一人より下万民の申しかへたる詞まで学びたるなり。」と答へければ、「我生身の観音を拝み奉らんと、天の示現を蒙りて是れまで来れり。汝即ち生身の観音たり。我が願空しからず。」とて、信西を三度礼し、種々の引出物をしてけり。其の後信西我が国の詞を以て、此の趣を奏しければ、君を始め進らせて、供奉の人々皆不思議の思ひをなされけり。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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