主上六波羅に行幸の事

 さる程に主上は、北の陣に御車をたて、女房の飾りを召して御鬘を奉る。同じく御宝物共を渡し奉らんとて、内侍所の御唐櫃も、大床まで出したりけるを、鎌田が郎等怪しめ奉りて、留め進らせけるを、伏見源中納言師仲卿に申合はせて、坊門の局の宿所へぞ遷し奉りける。中宮も、主上と一つ御車にぞ召されける。別当惟方、新大納言経宗、直衣に柏挟みして供奉し、藻壁門より行幸なし奉れば、此の門は金子、平山固めたり。家忠、「如何なる御車ぞ。」と申せば、別当、「上臈女房達の出でさせ給ふなり。惟方があるぞ。別の仔細あるまじ。」と宣へども、金子猶怪しみて、弓の弭にて簾掻揚げ、松明振り入れて見奉れば、二條院御在世の初め、御歳十七になり給ふ上、龍顔本より美しく坐すに、華やかなる御衣は召されたり、誠に目も迷ふばかりの女房に見えさせ給ふ。中宮はおはします、争でか見咎め奉らん。故なく落し進らせけり。清盛の郎等伊藤武者景綱、黒糸縅の腹巻の上に、小張著て雑色になる。館太郎貞康、黒革の腹巻の上に、牛飼の装束して、御車を仕る。
 上東門をからりと遣り出すほどこそあれ、土御門を飛ぶが如くに行幸なる。左衛門佐重俊、三河守頼盛、常陸介経盛三百余騎にて、土御門東洞院に待ち受け奉り、御車の前後を守護して、六波羅へこそ入れ奉りけれ。事故なく行幸成りてければ、平家の人々勇み悦ぶ事限りなし。軈て蔵人右少弁成頼を以て、六波羅を皇居となされたり。「朝敵ならじと思はん輩は、急ぎ馳せ参らせよ。」と触れられければ、大殿、関白殿、太政大臣、左大臣、内大臣已下、公卿殿上人、我も我もと参られけり。内裏へと志して馳せ参る兵ども、此の由を聞きて、我先にと急ぎ参りければ、六波羅の門前には、馬車の立所もなくせき合ひたるに、色節の下部に鎧うたる兵相交りて、雲霞の如くに河原表まで充ち満ちたり。清盛は之を見て、「家門繁昌弓箭の面目。」とぞ悦び給ひける。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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