六波羅合戦の事

 さる程に悪源太は、其の儘六波羅へ寄せらるるに、一人当千の兵ども、真前に進みて戦ひけり。金子十郎家忠は、保元の合戦にも、為朝の陣に駆け入り、高間三郎兄弟を組んで討ち、八郎御曹司の矢前を免れて名を揚げけるが、今度も真前駆けて戦ひけり。矢種も皆射尽くし、弓も引折れ、太刀をも打折りければ、折太刀を提げて、あはれ太刀かな、今一合戦せんと思ひ、駆け回る処に、同国の住人足立右馬允遠元馳せ来れば、「是れ御覧候へ足立殿、太刀折りて候。御帯添候はば、御恩に蒙り候はん。」と申しければ、折節帯添なかりしかども、「御辺が乞ふが優しきに。」とて、先を打たせたる郎等の太刀を取りて、金子にぞ与へける。家忠大きに悦んで、又駆け入りて敵数多討ちてけり。
 足立が郎等申しけるは、「日比より御前途に立つまじきものと思召せばこそ、軍の中にて太刀を取りて人に賜はるらめ。此の程は最後の御供とこそ存ぜしかども、是れ程に見限られ奉りては先立ち申すに如かじ。」とて、既に腹を切らんと、上帯を押切りければ、遠元馬より飛んで下り、「汝が恨むる処尤も理なり。然れども金子が所望黙しがたきに、御辺が太刀を取りつるなり。軍をするも主のため、討死する傍輩に乞はれて、与へぬ者や侍らん。漢朝の季札も、徐君に剣を乞はれて、惜しまずとこそ承れ。暫く待て。」といふ処に、敵三騎来りて、足立を討たんと駆け寄せたり。遠元真前に進みたる武者を、能つ引いてひようと射る。其の矢誤たず内兜に立つて、馬より真倒に落ちければ、残りの二騎は馬を惜しんで駆けざりけり。遠元軈て走り寄りて、帯いたる太刀を引切りておつ取り、「汝が恨むる処尤もなり、太刀を取らするぞ。」とて、郎等に与へ、打連れてこそ又駆けけれ。
 悪源太宣ひけるは、「今日六波羅へ寄せて、門の中へ入らざるこそ口惜しけれ、進めや者共。」とて、屈竟の兵五十余騎、錏を傾けて駆け入れば、平家の侍防ぎかね、はつと引いてぞ入りにける。義平先づ本意を遂げぬと喜んで、喚き叫びて駆け入り給へり。清盛は北の台の西の妻戸に、軍の下知して居給ひけるが、妻戸の扉に、敵の射る矢雨の降る如くに中りければ、清盛宣ひけるは、「防ぐ兵に恥ある侍がなければこそ、是まで敵は近づくらめ。いでいでさらば駆けん。」とて、紺の直垂に黒糸縅の鎧著、黒塗の太刀を帯き、黒母衣の矢負ひ、塗籠籐の弓持ちて、黒き馬に黒鞍置かせて乗り給へり。上より下までおとなしやかに出で立たれけるが、鐙踏ん張り大音挙げて、「寄手の大将軍は誰人ぞ。かく申すは太宰大弐清盛なり、見参せん。」とて駆け出でられければ、御曹司之を聞き給ひ、「悪源太義平爰にあり、得たりやをう。」と、叫んで駆く。平家の侍之を見て、筑後守父子、主馬判官、菅親子、難波、瀬尾を始めとして、屈竟の兵、真前に馳せ塞がつて戦ひけり。源平互に入り乱れて、爰を最後ともみ合うたり。孫子が秘せし処、子房が伝ふる処、互に知る道なれば、平家の大勢、陽に開きて囲まんとすれども囲まれず、陰に閉ぢて討たんとれども討たれず。千変万化して、義平三方をまくり立て、面も振らず切つて回り給ひしかども、源氏は今朝よりの疲れ武士、息をも継がず攻め戦ふ。平家は新手を入れ替へ入れ替へ、城にかかりて馬を休め、駆け出で駆け出で戦ひければ、源氏終に打負けて、門より外へ引退き、軈て河を馳せ渡し、河原を西へぞ引きたりける。
 義朝之を見たまひて、「義平が河より西へ引きつるは、家の瑕と覚ゆるぞ。今は何をか期すべき。討死せん。」とて駆けられければ、鎌田馬より飛んで下り、七寸に立ちて申しけるは、「昔より源平弓矢を取つて、何れも勝り劣りなしと申せども、殊更源家をば皆人猛き事と申し侍り。譬へば栴檀の林に余木なく、崑崙山には土石悉く美玉なるが如く、源氏に属する兵までも、弓矢取りては名を得たり。それに今朝よりの合戦に、馬なづみ人疲れて物具に透間多く、矢種尽き打物折れて、残る御勢過半は創を被れり。今敵にかけ合ふともかひがひしき事はなくて、雑人の手にかかり、遠矢に射られて討たれ給はんこそ、歎きの上の悲しみなれ。如何に況んや大将の御死骸を、敵軍の馬の蹄にかけん事をや。暫く何処へも落ちさせたまヘ。山林に身を隠しても、御名ばかりを残し置き、敵に物を思はせたまはんこそ、謀の一つにても候べけれ。只今爰にて討たれさせ給ひなば、敵はいよいよ利を得、諸国の源氏は皆力を落し果て、忽ちに敵に属し候ひなん。縦令遁れがたくして、御自害候とも、深く隠し進らせて、東国の御方の憑みある様にこそ御計らひ候はんずれ。死せる孔明生ける仲達をはしらかすとこそ申したるに、やみやみと敵に打捕られたまはんこと、誠に子孫の御恥辱たるべし。御曹司も、定めて御所存あつてぞおはすならん。早落ちさせ給へ。」と申せば、「東へ行かば逢坂山、不破の関、西海に赴かば、須磨、明石をや過ぐべき。弓矢とる身は、死すべき所を遁れぬれば、中々最後の恥あるなり。ただ爰にて討死せん。」と進み給へば、政家重ねて申す様、「こは御諚とも覚え候はぬものかな。死を一途に定むるは、近くして易く、謀を万代に残すは、遠くして難しといへり。叶はぬ所にて御腹召されん事、何の義か候べき。越王は会稽に降り、漢祖は滎陽を遁る。皆謀をなして、本意を遂げしにあらずや。身を全くして敵を滅すをこそ、良将とは申して候へ。疾く疾く延びさせたまへ。」とて、御馬の口を北の方へ押し向けければ、鎌田が取り附きたるを力として、兵数多下り立ちて駆けさせ奉らねば、力なく河原を上りに落ちられけり。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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注:原文中に誤植があり(…義平爰にあり、得たりやをう。」と、叫んて駆く。…)、訂正しました(…義平爰にあり、得たりやをう。」と、叫んで駆く。…)。