官軍除目を行はるる事 附 謀叛人官職を止めらるる事

 さる程に伏見源中納言師仲は、「勧賞を蒙る身にてこそ候へ。信頼卿内侍所を取つて東国へ下し進らせんとせられ候ひしを、女坊門局の宿所、姉小路東洞院に隠し置き進らせて候へば、朝敵に与せざる支証分明に候。信頼時々伏見へ来りしも、権勢に恐れて、心ならず交はるにて候ひき。叛逆の企てに於ては曽て存ぜず。能く能く聞し開かるべし。」と陳じ申されけり。河内守季実、其の子息左衛門尉季守は、遁るる所なくして、父子ともに誅せられ、軈て叙位除目行はれて、大弐清盛は正三位に叙し、嫡子左衛門佐は伊予守に任じ、次男大夫判官基盛は大和守、三男宗盛は遠江守になる。清盛の舎弟三河守頼盛は尾張守になる。伊藤武者景綱は伊勢守に補す。上卿は花山院大納言忠雅卿、職事は蔵人朝方とぞ聞えし。信頼卿の舎兄兵部権大輔基家、民部権少輔基通、令弟尾張少将信俊、子息新侍従信親、播磨守義朝、中宮大夫進朝長、右兵衛佐頼朝、佐渡式部大輔重成、但馬守有房、鎌田兵衛政家以下、七十三人の官職を止めらる。此の内両人軈て尋ね出されて、民部権少輔基通は陸奥国へ、尾張少将信俊は越後国へぞ流されける。其の外或は誅せらるる者、後日にも多かりけり。
 昨日まで朝恩に誇りて、余薫一門に及びしかども、今日は誅戮を蒙つて、愁歎を九族に施す。朝に仕へて、楽しみを春花の前に開き、誠めを蒙りては、歎きを秋の霜の本に顕はす。夢の富は、覚めての悲しみなり。一夜の月早く有漏不定の雲に隠れ、朝の咲みは、夕の涙なり。片時の花、空しく無常転変の風に従ふ。盛衰の理眼前にあり。生界の中に誰人か此の難を遁るべき。さても堀河天皇嘉承三年に、対馬守源義親誅伐せられしより以来、近衛院の御代久寿二年に至るまで、既に三十余年、天下静かにして、民唐尭虞舜の仁恵に誇り、海内浪治まりて、国延喜天暦の徳政を楽しみしに、保元に合戦ありて、洛中始めて騒ぎしをこそ、あさましき事と思ひしに、幾程の年月をも送らざるに、又此の乱出来て人多く滅びしかば、世既に末になりて、国亡ぶべき時節にやあらんと、心ある人は歎きあへり。同じき二十九日公卿僉議あつて、此の程大内に兇徒殿舎に宿し、狼藉繁多なり、清められずして、還幸ならん事然るべからざるよし、議定区々なりとぞ聞えける。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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