常盤註進 並 信西子息各遠流に処せらるる事
爰に左馬頭義朝の末子、九條院の雑仕常盤が腹に三人あり。兄は今若とて七つなり、中は乙若とて五つ、末は牛若とて今年生れたり。義朝此等が事心苦しく思はれければ、金王丸を道より返して、「合戦に打負けて、何地ともなく落ち行けども、心は跡を顧みて、行先更に覚えず。何処に在りとも、心安き事あらば、迎へ取るべきなり。其の程は深山にも身を隠し、我が音信を待ち給へ。」と申し遣はされければ、常盤聞きもあへず、引きかづき伏し沈めり。幼き人々、声々に、「父は何処にましますぞ。頭殿は。」と問ひ給ふ。良ありて常盤泣く泣く、「さても何方へとか聞えつる。」と問ひければ、「譜代の御家人達を御憑み候ひて東の方ヘとこそ仰せ候ひし。暫くも御行末覚束なく存じ候へば、暇申して。」とてぞ出でにける。
さる程に少納言入道の子共、僧俗十二人流罪せられけり。「君の御為敢て不義を存ぜざりし忠臣の子共なれば、縦令信頼義朝は流されて配所にありとも、赦免あつて召しこそ返さるべきに、結句流罪に処せらるる科の條何事ぞ、心得難し。」といへば、「此の人々元の如く召し仕へられば、信頼同心の事ども、天聴にや達せんずらんと恐怖して、新大納言経宗、別当惟方の勧めなるを、天下の擾乱に紛れて、君も思召し誤りてけり。」と、心ある人は申しけるが、虚名は立せぬものなれば、幾程なくて召し返され、経宗惟方の謀計は顕はれけるにや、終に左遷の愁へに沈みけり。
信西の子共、内外の智、人に勝れ、和漢の才、身に備はりしかば、配所に赴く其の日までも此処彼処に寄り合ひ、歌を詠み詩を作りて、互に余波をぞ惜しまれける。西海に赴く人は、八重の潮路を別れて行き、東国へ下る輩は、千里の山河を隔てたる、心の中こそ哀れなれ。中にも播磨中将成憲は、老いたる母と幼き子とを振り捨てて、遼遠の境に赴きける。せめての都の余波惜しさに、所々にやすらひて、行きもやり給はざりけるが、粟田口の辺に馬を駐めて、
道の辺の草の青葉に駒とめてなほ故郷をかへりみるかな
かくて近江をも過ぎ行けば、如何に鳴海の潮干潟、二村山、宮路山、たかし山、浜名の橋を打渡り、小夜の中山、宇津の山をも見て行けば、都にて名にのみ聞きしものをと、それに心を慰めて、富士の高峰を打詠め、足柄山をも越えぬれば、いづくを限りとも知らぬ武蔵野や、堀兼の井も尋ね見て行けば、下野の国府に著きて、我が住むべかんなる、室の八島とて見遣り給へば、煙心ぼそく上りて、折から感涙止め難く思はれしかば、泣く泣くかくぞ聞えける。
我が為にありけるものを下野や室の八島に絶えぬおもひは
爰をば夢にだに見んとは思はざりしかども、今は住家と跡をしめ、習はぬ草の庵、譬へん方も更になし。
(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))
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