義朝野間下向の事 附 忠致心替りの事

 さる程に義朝は、大炊が許におはししが、斯くてもあるべきならねば、軈て立ち出で給ふ。大炊は、「是れにて御年を送り、閑に御下り候へ。」と申しけれども、「爰は海道なれば、悪しかりぬべし。朝長をば見続ぎ給へ。」とて出でんとし給ふ処に、宿の者共聞き附けて、二三百人押寄せたり。佐渡式部大輔これを見て、「爰をば重成討死して通し進らせ候はん。」とて、或家に走り入り、馬引出し打乗つて、「狼藉なり、雑人共。」とて、散々に蹴散らして子安の森に馳せ入り、向ふ敵十余人射殺し、「左馬頭義朝自害するぞ。我が手にかけたりなど論ずべからず。」とて、先づ面の皮をけづり、腹十文字に掻切りて、二十九と申すに、終に空しくなりにけり。皆これを大将と思ひて帰りければ、夜に入りて宿を出で給ふ。
 中宮大夫は、夜明くるまで出でられず、大炊参りて見奉れば、空しくなり給へるに、小袖引懸けて置かれたりしかば、「見続ぎ進らせよとは、御孝養申せとにてありけり。」とて、泣く泣く彼の竹原の中に収め奉りけり。其の後平賀四郎にも暇賜ひて、勢を附けて攻め上りたまふべき由宣へば、「さて何処を差して御下り候ぞ。」と申されければ、「先づ尾張の野間に行き、忠致に馬物具請うて通らんずる。」と宣へば、平賀四郎、「長田は大徳人にて世を窺ふ者なれば、落人隠し奉らん事如何。」と申しければ、「されども鎌田が舅なれば、何事かあらん。」と宣へば、「さては、義信は御上りに参り逢ひ奉らん。」とて別れけり。
 義朝鎌田を召して、「海道は宿々通り得がたきなる、是れより内海へ著かばやと思ふは如何に。」と宣へば、「鷲栖の玄光と申すは、大炊が弟なり、隠れなき強盗、名誉の大剛の者にて候。憑みて御覧候へ。」と申せば、然るべしとて、此のよしを仰せらるるに、玄光悦びて、「是ならずば、何事か頭殿の御用あるべき。」とて、小船にて下る処に、府津に関すゑて舶をも捜しければ、此の船をも寄せよとて、「何船ぞ。」と咎むれば、「玄光ぞかし。」といふ。「玄光ならんには、いかに夜は行くぞ。」といへば、「今日明日ばかりの年の内なれば、夜も得休まぬぞ。」とて漕ぎ通る。同じき二十九日に、尾張国知多郡野間の内海に著き給ふ。長田荘司忠致請取り奉りて、様々にもてなし申せども、「御馬を巡らせよ、急ぎ御通りあるべし。」と宣ひければ、「せめて三日の御祝ひ過ぎてこそ、御立ち候べけれ。」とて、頻りに留め奉れば、力なく逗留し給ふ。
 さる程に長田荘司、子息先生景致を近づけて、「さても此の殿をば通しや奉る、是にて討ち申すべきか、如何に。」といふに、景致申しけるは、「東国へ下り給ふとも、人よも助け進らせじ。人の高名になさんよりも、是にて討ち奉りて、平家の見参に入れ、義朝の知行分をも申し賜はらば、子孫繁昌にてこそ候はんずれ。」といひければ、「尤も然るべし。但し名将の御事なれば、小勢なりとも、討ち奉らん事大事なり。」と申せば、「御湯ひかせ給へ。」とて、湯殿へすかし入れ奉りて、橘七五郎は、近国に無双の大力なれば、組手なるべし。弥七兵衛、浜田三郎は手ききなれば、刺し殺し進らすべし。鎌田をば内へ召されて、酒を強ひふせ、軍の様を問ひたまへ。頭殿討たれ給ひぬと聞きて走り出でば、妻戸の陰に待ち懸けて、景致斬り伏せ候はん。金王丸と玄光法師をば、外侍にて若者共の中に取り籠め、引張りて刺し殺し候はんに、何の仔細候べき。」と計らへば、湯殿しつらひて、正月三日に荘司御前にまゐり、「都の御合戦、道すがらの御辛労に、御湯召され候へ。」と申せば、然るベしとて、軈て湯殿へ入り給へば、三人の者隙を窺ふに、金王丸御剣を持ちて、御垢に参りければ、都て討つべき様ぞなき。程経て「御帷子進らせよ。」といへども、人もなき間、金王丸腹を立て走り出でける其の隙に、三人の者共走り違ひてつと入り、橘七五郎むずと入り、組み奉れば、心得たりとて取つて引寄せ、押伏せ給ふ所を、二人の者共左右より寄りて、脇の下を二刀づつ刺し奉れば、心は猛しと申せども、「鎌田はなきか、金王丸は。」とて、終に空しくなり給ふ。金王丸走り帰つて之を見て、「にくい奴原、一人も余すまじ。」とて、三人ながら湯殿の口に斬り伏せたり。
 鎌田兵衛は、忠致に向ひて酒を飲みけるが、此の由を聞きてつい立つ所を、酌取りける男刀を抜いて飛びかかる。政家取つて引寄せ、其の刀を以て二刀刺す所を、後より、「景致も。」と首を討ちて打落す。鎌田も今年三十八、頭殿と同年にて失せにけり。玄光法師は、頭殿討たれ給ひぬと聞きて、「是は鎌田がわざにてぞあるらん、先づ政家を討たん。」とて、長刀持ちて走り回りけるが、「鎌田もはや討たれぬ。」と聞きて、「さらば長田めを討たばや。」とて、金王丸と二人、面も振らず切つて回り、数多の敵斬り伏せて、塗籠の口まで攻め入りけれども、美濃尾張の習ひ、用心厳しき故に、帳台の構へしたたかに拵へたれば、力なく長田父子をば討ち得ずして、厩に走り入り、馬引き出し打乗り打乗り、「留めんと思はば留めよ。」と呼びけれども、遠矢少々射懸けたるばかりにて、近づく者なかりしかば、玄光は鷲巣に留まり、金王は都へ上りけり。
 鎌田が妻女之を聞き、討たれし所にたづね行き、「我は女の身なれども、全く弐心はなきものを、如何に恨めしく思ひ給ふらん。親子の中と申せども、我もさこそ思ひ侍れ。あかぬ中には今日既に別れぬ、情なき親に添ふならば、又も憂き目や見んずらん、同じ道に具し給へ。」とて、須臾は泣き居たりけるが、夫の刀を抜くままに、心もとにさしあて、俯伏し様に伏しければ、貫かれてぞ失せにける。忠致左馬頭を討ち奉る事は喜びなれども、最愛の女を殺し、歎きにこそ沈みけれ。景致、頭殿の御首、並に鎌田が首を取り、死骸どもをば一つ穴に掘り理む。いかに動功を望めばとて、相伝の主を討ち、現在の婿を害しける、忠致が所存をば、悪まぬ者もなかりけり。
「安禄山が主君玄宗を傾け、養母楊貴妃を殺し、天下を奪ひ取りしかども、其の子安慶緒に殺され、安慶緒は又父を弑したるに依つて、史思明に殺されて、ほどなく禄山が跡絶えぬ。忠致も行末如何あらん。」と、人皆申し侍りき。譜代の家人なる上、鎌田兵衛も婿なれば、義朝の頼み給ふもことわりなり。情なかりし所存かな。知らぬは人の心なり。されば白氏文集に、「天をも度りつべく、地をもはかりつべし、只人のみ防ぐべからず。海底の魚も、天上の鳥も、高けれども射つべし、深けれども釣りつべし。独り人の心の相向へる時、咫尺の間もはかる事能はず。陰陽神変皆度りつべし、人間の咲みは是れ怒りなり。」といふことを、とかくも、今こそ思ひ知られたれ。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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注:原文中に句読点及び引用の終点を示す鍵括弧が欠落した箇所があり(…玄光悦びて「是ならずば、…)(…相向へる時咫尺の間も…)(…是れ怒りなりといふことを、…)、補いました(…玄光悦びて、「是ならずば、…)(…相向へる時、咫尺の間も…)(…是れ怒りなり。」といふことを、…)。