頼朝生捕らるる事 附 常盤落ちらるる事

 斯かる処に同じき二月九日、義朝の三男前右兵衛佐頼朝、尾張守の手より生捕りて、六波羅に著き給ふ。同じき次男中宮大夫進朝長の首をも奉らる。其の故は彼の尾張守の家人弥平兵衛宗清、尾州より上洛しけるが、不破の関の彼方関が原といふ所にて、なまめいたる小冠者が、宗清が大勢に恐れて藪の陰へ立忍びければ、怪しみて捜す程に、隠れ所なくして囚はれ給ふに、宗清見れば兵衛佐殿なりしかば、喜ぶ事限りなし。軈て具足し奉りて上る程に、青墓の大炊が許にぞ宿しける。聊か聞き及ぶ事ありければ、何となく御園に出でて見回すに、新らしく壇築きたる所に、卒堵婆一本立てたり。即ち其の下を掘らせて見れば、幼き人の首と骸とを差合せて埋みたり。これを取りて事の仔細を尋ぬれば、力なく大炊有りのままにぞ申しける。宗清悦んで、同じく持参しけるなり。依つて頼朝をば、先づ宗清にぞ預け置きける。
 其の時延寿腹の姫君、兵衛佐の召捕られたまひて、都へ上られければ、「我も義朝の子なれば、女子なりとも、終にはよも助けられじ。一人々々失はれんよりは、佐殿と同道にこそせめてならめ。」とて伏し沈み給ひけるを、大炊延寿いろいろに慰めて取留め奉りけり。其の瀬過ぎければ、さりともと思ひ心許しけるにや、二月十一日の夜、夜叉御前唯一人青墓の宿を出で、遥か隔たりたる株瀬河に身を投げてこそ失せ給へ。十一歳とぞ聞えし。武士の子は、などか幼き女子も猛かるらんとて、哀れを催さぬ者もなかりけり。母の延寿は志深かりし頭殿にも後れ奉り、其の形見とも思ひ慰めし姫君にも別れにければ、一方ならぬ物思ひに、同じ流れに身を沈めんと歎きけるを、大炊様々に拵へければ、母の心も破り難くて、せめての悲しさに尼になり、亡夫並に姫君の後世を、他事なく弔ひけるとなり。
 六波羅より左馬頭の子共尋ねられけるに、既に三人出できたり。兄二人は早首を梟けられぬ。頼朝も軈て誅せらるべし。此の外九條院の雑仕常盤腹に三人あり、皆男子にてあなりとて尋ねられければ、常盤之を聞きて、「我故頭殿に後れ奉つて、せん方なきにも、此の忘形見にこそ、今日までも慰むに、若し敵にも捕はれなば、片時も堪へてあるべき心地もせず。さればとて、はかばかしく立忍ぶべき便りもなし。身一つだにも隠しがたきに、三人の子共引具して、誰かは暫し宿すべき。」と、泣き悲しみけるが、余りに思ひ得る方もなきままに、「年来憑み奉りたる観音にこそ歎き申さめ。」とて、二月九日の夜に入りて、三人の少き人を引具して、清水寺へこそまゐりけれ。母にも知らせじと思ひければ、乳母童の一人をも具せずして、八つになる今若をば前に立て、六歳の乙若をば手を引き、牛若は二つになれば、懐に抱きつつ、たそがれ時に宿を出で、足に任せてたどり行く、心の中こそ哀れなれ。仏前に参りても、二人の子共を脇に居ゑ、唯さめざめと泣き居たり。終夜の祈請にも、「わらは九つの年より月詣でを始めて、十五になるまでは、十八日毎に三十三巻の普門品を読み奉り、其の年より毎月法華経三部、十九の年より、日毎に此の三十三体の聖容をうつし奉る。此の如くの志、大慈大悲の御誓にて照し知召すならば、わらはが事は兎もかくも、只三人の子共のかひなき命を助けさせ給へ。」と口説きけり。誠に三十三身の春の花、匂はぬ袖もあらじかし。十九説法の秋の月、照らさぬむねもなかるべければ、さすがに千手千眼、哀れとは見そなはし給ふらんとぞ覚えける。
 漸々暁にもなり行けば、師の坊へ入りけるに、日比は左馬頭の最愛の妻なりしかば、参詣の折々には、供の人にいたるまで、きよげにこそありしか。今は引替へて、身を窶せるのみならず、尽きせぬ歎きに泣き萎れたる姿、目もあてられねば、師の僧あまりの悲しさに、「年来の御情、争でか忘れ進らせん。幼き人もいたはしければ、暫しは忍びてましませかし。」と申せば、「御志は嬉しく侍れども、六波羅近き所なれば、暫くも如何はべらん。誠に忘れ給はずば、仏神の御憐みより外は、憑む方も侍らねば、観音に能く能く祈り申してたび給へ。」とて、又夜中に出でければ、坊主泣く泣く、「唐の太宗は仏像を礼して、栄華を一生の春の風に開き、漢の明帝は経典を信じて、寿命を秋の月に延ぶと申せば、三宝の御助け空しかるまじく候。」と慰めけり。字多郡を心ざせば、大和大路を尋ねつつ、南を差して歩めども、習はぬ旅の朝だちに、露と争ふ我が涙、袂も裾も萎れけり。二月十日の事なれば、余寒猶烈しく、嵐に凍る道芝の、氷に足は破れつつ、血にそむ衣の裾子ゆゑ、余所の袖さへ萎れけり。はふはふ伏見の伯母を尋ね行きたれども、古源氏の大将軍の北の方などいひし時こそ、結びも親みしか。今は謀叛人の妻子となれば、うるさしとや思ひけん、物詣でしたりとて、情なかりしかども、若しやと暫しは待ち居つつ、待つ期も過ぎて立返れば、日もはや軈て暮れにけり。又立寄るべき所もなければ、怪しげなる柴の戸にたたずみしに、内より女出でて、情ありてぞ宿しける。世にたたぬ身の旅寝とて、憂き節繁き竹の柱、あるかひもなき命もちて、独り歎くぞ、萱の七ふと思ふ人はなし。されど今宵もみふに唯、伏見の里に夜を明し、出づれば軈て木幡山、馬はあらばや歩みても、君を思へば行くぞとよと、幼き人に語りつつ、誘ひ行けば此の人々、歩み疲れて平臥し給ふ。常盤一人を抱ける上に、二人の人の手を引き腰を押へて、行き悩みたるありさま、目もあてられず。玉鉾の道行く人も怪しめば、是れも敵の方様の人にやと肝を消す処に、旅人も哀れに思ひければ、見る者毎に負ひ抱きて助け行く程に、泣く泣く大和国宇多郡龍門といふ所に尋ね至り、伯父を頼みてぞ隠れ居にける。

(底本:『日本文学大系 第十四巻』「平治物語」(国民図書1925年刊。国立国会図書館D.C.))

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