常盤六波羅に参る事
さる程に清盛は、義朝が子共常盤が腹に三人ありと聞きて、「しかも皆男子なり。たづねよ。」とありしかば、常盤が母を召し出して問はれける程に、「左馬頭殿討たれ給ひぬと聞えし日より、子共引具して、何地ともなく迷ひ出で侍りぬ、争でか知り侍らん。」と申しければ、「何でふ其の母を搦め取つて尋ねよ。」とて六波羅へ召し出し、様々に誡め問はれけり。母泣く泣く申しけるは、「我六十に余る身の命、今日明日も知らぬ老いの身を惜しみて、未だ遥かなる孫共の命をば争でか失ひ侍るべきなれば、知りたりとも申すまじ。まして知らぬ行末、何とか申し候はん。」と口説きければ、水火の責めにも及ぶべかりしを、常盤宇多郡にて此の由伝へ聞き、母の為に憂き目に逢んは如何せん、我故母の苦しみを見給ふらんこそ悲しけれ。仏神三宝もさこそ悪しと思召すらめ。子共は僻事の子なれば、終に失はれこそせんずらめ。隠しも果てぬ子共故、科なき母の命を失はん事の悲しさよと思へば、三人の子ども引具して都へ上り、本の住家に行きて見れば人もなし。「こは如何に。」と尋ぬれば、あたりの人、「一旦六波羅へ召され給ひしが、いまだ帰り給はず。」とぞ答へける。
常盤先づ御所へ参りて申しけるは、「女の身のはかなさは、若し片時も身に添へてや見ると、此の幼き者共引具し、傍田舎に忍びて侍りつるが、妾ゆゑ行方も知らぬ老いたる母の、六波羅へ召されて憂き目に逢ひ給ふと承れば、余りに悲しくて、恥をも忘れてまゐりたり。早々幼き者と諸共に、六波羅へ遣らさせましまして、母の苦しみを止めて給はり候へ。」と申せば、女院を始め進らせて、有りとある人々、「世の常は、老いたる母をば失ふとも、後世をこそ弔はめ。幼き子共をば如何殺さんと思ふべきに、子共をば失ふとも、母を助けんと思ふらんありがたさよ。仏神も定めて憐み思召すらん、年来此の御所へまゐるとは、皆人知れり。」とて、尋常に出立たせて、親子四人清げなる車にて、六波羅へぞ遣はされける。
見馴れし宮の内も、今日を限りと思ふには、涙も更に留まらず、名をのみ聞きし六波羅へも近づけば、屠所の羊の歩みとは、我が身一つに知られたり。常盤既に参りしかば、伊勢守景綱申次にて、「女の心の儚さは、暫しも若しや身に添へ侍ると、幼き者相具して、片辺土へ忍びて侍りつるが、行方も知らぬ母を、召し置かせ坐すと承つて、御尋ねの子共具して参り候。母をば疾く疾く助けおはしませ。」とかき口説きければ、聞く人涙をば流しける。清盛此の由聴きたまひて、先づ、「子弟相具して参りたる條、神妙なり。」とて、軈て対面し給へば、二人の子は左右の脇にあり、幼きをば抱きけり。涙を抑へて申しけるは、「母は本より科なき身にて候へば、御免し候べし。子共の命を助けたまはんとも申し候はず。一樹の下に住み、同じ流れを渡るも、此の世一つの事ならず。高きも卑しきも、親の子を思ふ習ひ、皆さこそ侍らめ。妾、子共を失ひては、かひなき命、片時も堪へてあるべきとも覚え候はねば、先づわらはを失はせ給ひて後、子共をば兎も角も御計らひ候はば、此の世の御情、後の世までの御利益、是に過ぎたる御事候はじ。ながらへて夜昼歎き悲しまん事も罪深く覚え侍る。」と口説きければ、六つ子母の顔を見上げて、「泣かで能く申させ給へ。」といへば、母は弥涙にぞ咽びける。
さしも心強げにおはしつる清盛も、頻りに涙の進みければ、押拭ひ押拭ひして、さあらぬ体にもてなし給へば、さばかり猛き兵共、皆袖をぞしぼりける。忍びあへぬ輩は、多く座席を立たれけるとかや。常盤は今年二十三、梢の花はかつ散りて、少し盛りは過ぎたれども、中々見所あるに異ならず。本より眉目容姿人に勝れたるのみならず、少きより宮仕へして物馴れたる上、口ききなりしかば、理正しう思ふ心を続けたり。緑の黛紅の涙に乱れて、物思ふ日数経にければ、其の昔にはあらねども、打萎れたるさま、猶世の常には勝れたりければ、「此の事なくては、争でか斯かる美人をば見るべき。」と申せば、或人語りけるは、「能きこそ実にも理よ。伊通大臣の、中宮の御方へ人の眉目好からんを進らせんとて、九重に名を得たる美人を、千人召されて百人選び、百人が中より十人選び、十人が中の一とて、此の常盤を進らせられしかば、唐の楊貴妃、漢の李夫人も、是には過ぎじものを。」といへば、「見れども見れども、弥珍らかなるも理かな。」とぞ申しける。
さる程に母は免されけるに、「此の孫共を失ひて、明日をも知らぬ老いの身の助かりても何かせん。うたての常盤や、老いの命を助けんとて、あの子共をば何しに具してまゐりけん。四人の子共の事を思はんより、唯老いの身を先づ失はせ給へ。」とて、泣き悲しみけるも理なり。足音の荒らかなるをも、今や失はるる使なるらんと肝をけし、声高に物いふをも、はや其の事よと魂を失ひけるに、大弐宣ひけるは、「義朝が子共の事、清盛が私の計らひにあらず、君の仰せを承つて執り行ふ許りなり。伺ひ申して、朝議にこそ従はめ。」と宣へば、一門の人々並に侍共、「如何に斯様に御心弱き仰せにて候やらん。此の三四人成長候はんは、只今の事なるべし。君達の御為、末代懼ろしくこそ候へ。」と申せば、清盛、「誰もさこそ思へども、おとなしき頼朝を、池殿の仰せにて助け置く上は、兄をば助け、幼きを誅すべきならねば、力なき次第なり。」と宣ひけり。常盤は母子共の命今日に延ぶるも、偏に観音の御計らひと思ひければ、弥信心を致して、普門品を読み奉り、子共には名号をぞ唄へさせたまひける。かくて露の命も消えやらで、春も半ば暮れけるに、兵衛佐殿は伊豆の国へ流さると聞えしかば、我が子共は何処へか流されんと、肝を消し伏し沈みけるが、幼ければとて、流罪の儀にも及ばざりけり。
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