【翻字】
大愚(たいぐ)和尚
大愚(たいぐ)和尚
しればまよひ 知(し)らね ば 迷(まよ)ふ のりの道(みち) 何(なに)か仏(ほとけ)の まこと成(なる)らん
〇師名は宗築(そうちく)号は大愚はじめ 智門祚(ちもんそ)禅師に嗣(つぎ)て武州の南泉 寺に住す一老婆(らうば)あり子をうしなふ て師(し)に引導(いんだう)を求(もと)めしかうして問(とふ)て 曰幸(さひわ)ひに慈悲(じひ)を蒙(かふむ)る今我子何(わがこいづ) 処(こ)にか往(ゆく)と師さらに答(こたふ)る事能(あた)はず 婆痛哭(ばつうこく)してさる師おもへらく婆子(ばし)に 一問せられて落所(らくしよ)を知らず住院何 の為(ため)ぞと寺(てら)を捨(すて)て参州須瀬(すせ) の山中に入また江州の円鏡(ゑんきやう)に移(うつ)りて 日夜に精修(せいしゆ)して遂に大事を領(れう)し 越州に大安寺を開て大に祖風(そふう)を挙(あぐる) 朝廷賞(てうていしやう)して諸(しよ)相非相(ひさう)禅師の号を 賜ふ寛文九年七月十五日寂す寿 八十六
大愚和尚
知れば迷ひ 知らねば迷ふ 法の道 何か仏の 真なるらん
〇師、名は宗築、号は大愚。初め、智門祚禅師に嗣ぎて、武州の南泉寺に住す。一老婆あり。子を失ふて、師に引導を求め、しかうして、問ふて曰く「幸ひに、慈悲を蒙る。今、我が子、何処にか往く」と。師、さらに答ふる事能はず。婆、痛哭して、去る。師、思へらく「婆子に一問せられて、落所を知らず。住院、何の為ぞ」と。寺を捨てて、参州・須瀬の山中に入り、また、江州の円鏡に移りて、日夜に精修して、遂に大事を領し、越州に大安寺を開きて、大いに祖風を挙る。朝廷、賞して「諸相非相禅師」の号を賜ふ。
寛文九年七月十五日、寂す。寿、八十六。
寛文九年七月十五日、寂す。寿、八十六。
【語釈】
智門祚:智門玄祚。臨済宗の僧。美濃国南泉寺4世。
南泉寺:元和2年(1616年)、現東京都荒川区に大愚を開山として創建された臨済宗の寺院
引導:死者に対して僧侶が法語を称えて涅槃の世界に行くように導くこと
須瀬:現愛知県豊橋市嵩山(すせ)町
江州の円鏡:不詳。あるいは「江」でなく「紀」で、現和歌山県上富田町の円鏡寺を指すか。
大安寺:万治元年(1658年)、現福井市に大愚を開山として創建された臨済宗の寺院
寛文九年:1669年
南泉寺:元和2年(1616年)、現東京都荒川区に大愚を開山として創建された臨済宗の寺院
引導:死者に対して僧侶が法語を称えて涅槃の世界に行くように導くこと
須瀬:現愛知県豊橋市嵩山(すせ)町
江州の円鏡:不詳。あるいは「江」でなく「紀」で、現和歌山県上富田町の円鏡寺を指すか。
大安寺:万治元年(1658年)、現福井市に大愚を開山として創建された臨済宗の寺院
寛文九年:1669年
【解説】
31人目は大愚宗築です。経歴中にある老婆との逸話は血の通った優しい人間味を感じます。
歌は平易ですが、意味深い内容で、厳しさと温かさを感じます

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