【翻字】
盤珪(ばんけい)禅師
盤珪(ばんけい)禅師
さしむかふ 心(こゝろ)ぞ きよき 水(みづ)かゞみ 色(いろ)つかざれば 垢(あか)つきもせず
〇師名は永琢(ゑいたく)号は盤珪十二才の 時儒士(じゆし)の大学明徳章(めいとくのしやう)を講(こう)ずる を聞(きゝ)心に疑(うたが)ふ処ありて之より深(ふか)く 直指(ぢきし)の宗(しう)をしたふ薙髪(ちはつ)して 雲甫(うんほ)の祥(しやう)公に随侍(ずいじ)し又愚堂(ぐだう) 石[弓昌弓]了菴超元等(せきていりやうあんてうげんとう)の数師(すし)に 参じて遂(つい)に悟入(ごにう)す播州(はんしう)竜門 寺に住して大に僧俗(そうぞく)を化度(けど)す 一とせ和州吉野(よしの)にをわせし時大に ひでりし里民(りみん)水に苦(くる)しむ師数々(かずかず)の鄙(ひな) 哥(うた)を作(つく)り里人(さとびと)をして之(これ)をうたはしめ 給ふに忽(たちま)ち大に雨降(あめふり)て村々の喜(よろこ)び 斜(なゝめ)ならざりしとぞ元禄六年九月 三日示寂せらる朝廷(てうてい)其徳を称(しやう)して 弘済(こうさい)禅師の号を賜(たま)ひ重ねて正眼(せうげん) 国師と諡(をくりな)し給ふ
盤珪禅師
さし向かふ 心ぞ清き 水鏡 色付かざれば 垢付きもせず
〇師、名は永琢、号は盤珪。
十二才の時、儒士の『大学』「明徳章」を講ずるを聞き、心に疑ふ処ありて、之より深く直指の宗を慕ふ。薙髪して、雲甫祥公に随侍し、又、愚堂・石[弓昌弓]・了菴・超元等の数師に参じて、遂に悟入す。播州・竜門寺に住して、大いに僧俗を化度す。
一年、和州・吉野にをわせし時、大いに日照りし、里民、水に苦しむ。師、数々の鄙歌を作り、里人をして之を歌はしめ給ふに、忽ち、大いに雨降りて、村々の喜び、ななめならざりし、とぞ。
元禄六年九月三日、示寂せらる。朝廷、その徳を称して、「弘済禅師」の号を賜ひ、重ねて「正眼国師」と諡名し給ふ。
十二才の時、儒士の『大学』「明徳章」を講ずるを聞き、心に疑ふ処ありて、之より深く直指の宗を慕ふ。薙髪して、雲甫祥公に随侍し、又、愚堂・石[弓昌弓]・了菴・超元等の数師に参じて、遂に悟入す。播州・竜門寺に住して、大いに僧俗を化度す。
一年、和州・吉野にをわせし時、大いに日照りし、里民、水に苦しむ。師、数々の鄙歌を作り、里人をして之を歌はしめ給ふに、忽ち、大いに雨降りて、村々の喜び、ななめならざりし、とぞ。
元禄六年九月三日、示寂せらる。朝廷、その徳を称して、「弘済禅師」の号を賜ひ、重ねて「正眼国師」と諡名し給ふ。
【語釈】
大学:儒教の「五経」の一である『礼記』の第42篇。後世、朱熹が再構成して注釈を付し、儒教の根本経典「四書」の一とした。
直指の宗:禅宗
雲甫の祥公:雲甫全祥。元和2年(1616年)に創建された赤穂の臨済宗寺院・随鴎寺の開山。
愚堂:愚堂東寔(本書29)。江戸初期の臨済宗の僧。
石[弓昌弓]:不詳
了菴:不詳
超元:道者超元。明末清初の禅僧。長崎・崇福寺住持。
竜門寺:寛文元年(1661年)に盤珪永琢を開山として創建された現姫路市の臨済宗寺院。
化度:人々を教え導いて迷いから救うこと。「教化済度」の略。
元禄六年:1693年
直指の宗:禅宗
雲甫の祥公:雲甫全祥。元和2年(1616年)に創建された赤穂の臨済宗寺院・随鴎寺の開山。
愚堂:愚堂東寔(本書29)。江戸初期の臨済宗の僧。
石[弓昌弓]:不詳
了菴:不詳
超元:道者超元。明末清初の禅僧。長崎・崇福寺住持。
竜門寺:寛文元年(1661年)に盤珪永琢を開山として創建された現姫路市の臨済宗寺院。
化度:人々を教え導いて迷いから救うこと。「教化済度」の略。
元禄六年:1693年
【解説】
34人目は盤珪永琢です。紹介文には略歴の他、霊異譚があります。
歌は平明です。
歌は平明です。

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