討手の使共、賀陽院御所へ帰参して、事の由、申し入れければ、一院、御感斜めならず。はやに勧賞行はるべき旨、仰せられけるを、胤義、申しけるは、「何條それ程の事に勧賞候ふべし。御大事を遂げられて後にこそ。」と申しければ、「いしくも申したり。」と感じ仰せらる。「さても伊賀判官、朝敵と成りしは奇怪なれども、一引きも引かず討ち死にす。あはれ、勇々しかりける兵かな。」と、上一人より下万民まで、誉め惜しまぬ者ぞ無かりける。
そもそも一院、尋ね下されけるは、「当時関東に、義時と一所にて死ぬべき者は、いか程かあるべき。」。胤義、申しけるは、「朝敵となり候ひては、誰かは一人も相随ひ候ふべき。推量つかまつり候ふに、千人ばかりには過ぎ候はじ。」と申しければ、児玉の庄四郎兵衛尉、「あはれ、判官殿は僻事を申され候ふ物かな。只千人しも候ふべきか。平家追討以来、権大夫の重恩を蒙り、『如何なる事もあらば、奉公をつかまつらばや』と思ふ者こそ多く候へ。只千人候ふべきか。如何に少しと申すとも、万人にはよも劣り候はじ。かく申す、家定程の者も、関東にだに候はば、義時が方にこそ候はんずれ。」と申しければ、一院、真に御気色悪げなる体にて、「奇怪に申す者かな」と思し召されける。後にぞ「よく申したりける」と、思し召し合はせられける。
京中には、山々寺々の僧侶、国々の住人等、参りける。熊野法師には、田部法印・十万法橋・王法橋・万劫禅師、山法師には、播磨竪者・小鷹智性坊・丹後、清水法師には、鏡月坊・帰性坊などを召されて参りける。
奈良法師を召されければ、僉議して申しけるは、「平家、この寺を焼き払ひて、跡方も無かりしを、鎌倉右大将、力を合はせて当国の守護人を除け、東大寺・興福寺を再興し、供養の時は、仰せに随ひ、上洛して守護を加へ、随分志深かりし事なれば、只今も源平争ふ事あらば、何度も白旗の方人つかまつり、命を捨つべきなれども、是は一天の君の仰せなれば、王土に住みながら、いかでか随ひ奉らでもあるべき。なれば、少々参らせよ。」とて、学生には土護の覚心、堂衆には円音、是等二人を始めとして、事を好む悪僧、少々ぞ参りける。「北陸道へは討手を向けらるべし。」とて、仁科次郎・宮崎左衛門尉親式・糟屋左衛門尉・伊王左衛門尉、是等を始めとして、官軍少々下されける。
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