東国へ院宣
「東国へも院宣を下さるべし。」とて、按察使前中納言光親卿、うけたまはりて七通ぞ書かれける。「左京権大夫義時、朝敵たり。早く追罰さるべく、勧賞、請ふによるべき」趣なり。武田・小笠原・千葉・小山・宇都宮・三浦・葛西へぞ下されける。院宣の御使には、推松とて、究めて足早き者ありける、是を撰びてぞ下されける。平九郎判官、私の使を相添へて、承久三年五月十五日の酉の刻に都を出でて、「劣らじ。負けじ」と下りける程に、同十九日の午の刻に、謙倉近う、片瀬と言ふ所に走り付きたり。平九郎判官の使は案内者にて、先に鎌倉へ走り入りて、駿河守に文を付けたれば、披見して、「返事申すべけれども、道の程も如何がしき間、わざと申さぬなり。」とて、追ひ出だしぬ。
駿河守、この文をかい巻きて、権大夫のもとへ持ち向かへ、「已に、世の中こそ乱れて候へ。去る十五日、光季討たれぬ。胤義が私の文、御覧候へ。」とて、権大夫義時、折節、諸人対面の前に、引き披ひて置きたり。権大夫、「さては、御辺の手にこそ懸かり参らせ候はんずらめ。」。三浦駿河守、打ち退きて袖引き繕ひ、「是こそ御詞とも覚えぬ仰せにて候へ。平家追討より以来、度々の戦に忠節を致し、一度も不忠の儀、候はず。自今以後とても又、疎略を存ずべからず。もし、偽り申す事候はば、遠くは熊野の嶽、近くは伊豆・箱根、別しては、若宮三所・足柄・松童、殊更頼み奉る三浦十二天・栗浜・森山、惣じては、日本国中の大小の神祇・冥道、示現し給へ。御後ろめたき事、候はず。」とぞ申しける。権大夫打ち笑ひて、「さては、心安く候。今まで、この事の出来候はぬこそ不思議に候へ。是は、兼てより存じ儲くる事なり。今は、推松も定めて鎌倉へ入らんずらん。尋ねよ。」とて、尋ねられけり。
推松、人の気色替はり、何となくさわがしければ、ある者のもとに隠れ居たりけるを、一々に鎌倉中を捜しければ、笠井の谷より尋ね出だし、引つ張り、先に立ててぞ参りける。院宣、皆奪ひ取るが如くして、大概ばかり読ませて、後に焼き捨てられぬ。
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