贄田三郎、自害す

 贄田三郎、三箇所に痛手負ひて、太刀を杖に突き、よろぼひよろぼひ判官の前に参りて、「今は、かく罷り成り候ふ程に、弓も引かれず、太刀ももたげられ候はねば、『御供つかまつらん』とこそ存じ候へども、敵にとらへられ、敢へて犬死につかまつり候はんよりは、先立ち奉りて、死出の山にて待ち参らせ候ふべし。」とて、さひたる太刀を取り直し、鋒、口に含み、鐔本まで貫ぬかれてぞ臥しにける。
 はや、館にも火は懸かりぬ。贄田四郎ばかりぞ、防ぎ矢をば射ける。判官、嫡子寿王を招きて、「時こそよく成りたれ。自害せよ。言ひつる言に似せ、構へて、よく振舞へ。寿王。」と言ひければ、「自害は如何様にし候ふやらん。」「只、腹を切れ。」とぞ言ひければ、則ち、腹巻の高紐切りて推し除け、直垂の紐解きくつろげて、赤木の柄の刀指したりけるを抜き、柄を取り直し、「きらん。きらん」としけるが、流石、をさなき故にや、左右無く切るを得ず。父・光季、「あはれ、自害やし損ぜんずらん」と思ひて、「如何に寿王、火こそよけれ。火へ入れかし。」と言へば、つひ立ち、刀持ちながら、火に飛び入らんとしけるが、度々焔を顔に吹き懸けられ、幾程遁れんとて、走り帰り走り帰り、二、三度ばかりしたりける。光季、是を見るに、目も昏れぬ。

   伊賀判官、自害す

 「寿王、さらばここへ寄れ。」とて、左の方に居て、片手をば取り組み、片手をば膝に置き、寿王が貌をつらつらと守り、「『親と成り子と成るも、先世の盟ひぞ』と言いながら、是程、光季に契り深かりける子は非じ。稚けなければ、落ちて跡をもとぶらはれ、『世にもあれかし』と思へども、『供せん。』といふ上は、それこそ願ふ所の幸ひなれ。生きて如何なる孝養報恩を営むとも、『是に過ぐべし』とも覚へず。死出の山を連れて越えん事こそ嬉しけれ。『人手に懸けじ』と思ふ程に、我が手に係けんずるぞ。『我、うらめし』と思ふなよ。」とて、暫く守りて、「敵は手痛く寄る。さりとては」と思ひければ、掴んで引き寄せ、首掻き切りて、首とむくろを後ろ様に炎の中へ投げ入れて、二目とも見ず。
 東へ向かひて三度伏し拝み奉り、「南無帰命頂礼、鎌倉八幡大菩薩・若宮三所、権大夫が為に、命を王城に捨て置きぬ。」と祈誠して、又、西に向かひて三度伏し拝み、「南無西方極楽教主弥陀如来、本願誤り候はずば、必ず迎へ給へ。」と、念仏高らかに三十返ばかり申しけるが、腹掻き切りて、寿王が焼けるに飛び加はり、打ち重なりてぞ焼けにける。
 贄田四郎、防ぎ矢射けるが、是を見て、腹掻き切り、主と同じく伏し重なりてぞ焼けにける。その後、防ぐ者はなし。寄せ手、思ふ様に乱れ入り、烟の隙より焼け首少々取りてぞ帰りける。
 光季、昨日までは鎌倉殿の御代官として、都を守護してありしかば、世の覚へ・時のきら、肩を双ぶる人もなし。宿所も宮殿楼閣と見えしかども、今日は片時の灰燼となり、空しき名をのみ残しける。行衛を聞くこそ哀れなれ。

(底本:「承久記」(国史研究会1917年刊『国史叢書 承久記』(国会図書館D.C.))

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