高枝次郎の奮戦
武蔵国の住人・高枝次郎、河の瀬を渡して只一騎、細縄手に懸かり、敵に向かひて追ひ懸けて行く。七、八騎ありける勢、取りて返し、高枝を中に取り籠めて、散々に戦ふ。高枝次郎、片足を田へ踏み入れ、片足をば縄手にひざまづいて、切り伏せられぬ。甲も打ち落とされて、痛手負ひて横様に臥したりけり。敵一人、寄り合ひて、取りて押さへ、「首取らん」としける所に、東国の兵、颯と続きたりければ、首をも取らず、打ち捨てて落ち行きぬ。
御方勢、近づきて見れば、鎧・物の具・面も朱に成りて、誰とも見えず。大将軍武蔵守、「あら、無慙やな。この者、痛手負ひたり。誰ぞ。」と問ひ給へば、未だ死にやらで、片息したりけるが、「是は、武蔵国の住人・高枝次郎と申す者にて候ふ。」と申す。武蔵守、うち聞きて、「不便の事や、手をよくよく見よ。」とありければ、人々、走り寄りて見るに、痛手・うす手、三十三箇所きられぬ。「いかに。助かるべきか。」と、「心地はいかが。」と問ふ。「この手にては、死に候はじ。」と申す。「如何がすべき。道までは叶はじ。」とて、御文遊ばし、御使一人添へて、それより鎌倉ヘぞ下されける。「是は、武蔵国の住人・高枝次郎と申す者にて候。六月六日、杭瀬河の軍に、手、数多負ひ候。道にては、如何にも療治叶ひ難く問ひ参らせ候。随分、忠を致せし者にて候へば、相構へて構へて扶かり候ふ様に、御計らひあるべき」由、権大夫殿へぞ申されける。
伊佐三郎、山田次郎と討ち合ふ
さる程に、京方落ち行きけるを、各々、追ひ懸け追ひ懸け行く程に、伊具六郎有時が手の者・伊佐三郎行正、山田次郎を目に懸けて行く程に、かなたの端もこなたの岸も、草は生ひ茂り、河の底も見へざるに、馬の尻足踏み外して、さかさまに帰りければ、山田次郎、堀の底にぞ下り立ちたる。伊佐三郎、馳せ寄りて、「如何なる者ぞ。」「山田次郎重忠ぞかし。わ君は誰ぞ。」「伊佐三郎行正。」と名乗り、鐙を越えて落ち合ひて、底の堀にて引き組む間、敵・御方、是を知らず。山田次郎、乗り替へ・下人もなし。伊佐三郎、雑色一人具したり。主が軍せば、寄りて手伝ひもせず。打ち合ふ時は、立ちのき見物し、戦ひ疲れて休む時は、寄りて傍に居る。かくする事、三度に及べり。
かかりける処に、山田が郎従・藤兵衛尉、落ち行きけるが、「さても、我が主は何と成り給ひけん」と思ひて、取りて返し見ければ、底の堀に太刀打ちの音しけり。打ち寄りて窺へば、主君なり。「是におはしましけるや。藤兵衛こそ参りて候へ。」とて、馬より飛びをり、主をおのれが馬に掻き乗せ、堀より上らんとす。伊佐、山田が甲のしころを掴んで、引きたりけれども、大力なれば、甲の緒をつつと引き切りて、山田、落ち行きぬ。
伊佐、山田を打ち取られぬは違恨なれども、甲のしころ・鞍を奪ひ留めたれば、「伊佐が高名。」とぞ申しける。山田次郎、落ち行きけるに、美濃小関にて、高き梢に旗を結ひ付けてぞ落ち行きけり。是は、「『ここに敵あり』と思はせんが為なり」と覚へたり。
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