佐々木に続いて川を渡る面々
佐々木に続きて渡す者には、中山五郎次郎・佐野与一・浦野太郎・横構五郎・白井小太郎・多胡宗内、是等なり。秋庭三郎も同じ手に渡しけれども、御尋ねありけるには、佐々木、存ずる旨やありけん、「我等は見ず。」とぞ申しける。後に七騎渡すには、小笠原四郎・内海九郎・河野九郎・四宮右馬允・勅使河原小三郎・長江与一平六、是なり。
やがて続きて渡しける若狭兵部入道・関左衛門尉入道・小野寺中務丞・佐嶋四郎、四騎、打ち入りて渡しけるが、若き者共の馬強なるは、河を守らへてよく渡す間、子細なし。関左衛門尉入道、身は老者なり、馬は弱し、押し落とされ、下り頭に成りければ、聟の佐嶋四郎、見捨て難く思ひて、取りて返し、押し双べて、馬の口に付きたりけるが、押し入られ、二目とも見えず、共に流れて失せにけり。是は、佐嶋四郎、国を立ちける時、妻室、言ひけるは、「我が親は、頼もしき子、一人もなし。我に年頃情けを懸け給ふ事、誠ならば、この言葉の末を違へずして、我が父、相構ヘて見放し給ふな。」と、軍と聞きし日より、打ち出づる朝まで、鎧の袖を控ヘて言ひける事をや思ひ出だしたりけん、同じく流れけるこそ哀れなれ。故郷の者共、この事を伝へ聞きて、「さ言はざりせば、一度に二人には後れまじき物を。」と歎きけるこそ甲斐なけれ。
安東兵衛等十四騎、溺る
安東兵衛、同じく一門なりける弥藤内左衛門、十四騎、大勢の渡すより下、狭かりける所の、まことに深く見ヘけるを、「ここを渡さば、大勢よりも前に、向かひ岸に著くべし。」とて、がばと落とす。殊に深き所にて、一騎も見えず沈みけり。武蔵国の住人、阿保刑部丞実光・塩谷民部丞家経、同国の者として、所領も境を双べて、朝夕申し通ずる中にて、今日も一所に打ち連れ言ひ合ひて、同心に川端に進んで「渡さん」としけるが、「我等が子共、数多あり。我こそ空しからめ、子共さへ失はん事、悲しく」や思ひけん、武蔵守殿へ使に参らせければ、是等も心得て、「御供にこそ候はめ。」と申す。「小賢き奴原かな。」とて追ひ返す。「我等、已に八旬に及んで、『病にてぞ死なんずらん』と思ひつるに、今かかる御大事出で来て、人のつらに成りて、この河にて命を失はん事、尤も本望なり。」民部丞殿も、「さ承り候。刑部丞殿。」とて、がばと落とす。二目とも見えず流れけり。
その後は、馬次第にぞ渡しける。久瀬左衛門二郎・大山弥藤太・善右衛門太郎・安芸庄四郎・片徳民部四郎・山内弥五郎・高田小太郎・成田兵衛・女陰四郎・神澤八郎・奈良八郎・科河六郎太郎・志村弥三郎・豊嶋弥太郎・伊佐大進太郎・相馬五郎子共三人・物射次郎太郎・下妻小次郎・佐野八郎入道・同二郎太郎・渋谷平三郎・木戸刑部丞・手塚少輔太郎春日三郎・足濯平内・長江小四郎・飯田左近・塩谷四郎・土肥三郎・仲藤八・成田次郎・嶋平三郎・同平四郎・同平五郎太郎・平三五郎・覚嶋小二郎・大河津小四郎・対馬左衛門二郎・湯原六郎・岡部六郎・飯高六郎・金子与一太郎・大倉六郎・讃岐左衛門六郎・大塩太郎・満野四郎・布施左衛門二郎・県左衛門四郎・片切六弥太・弥藤太左衛門尉・飯嶋太郎・備前房・大高六郎・岡部介庄三郎・石田左近・飯沼三郎・桜井次郎・嶋津次郎・石川三郎・斎藤左近・今泉七郎・塩谷摧二郎太郎、是等を始めとして、宗徒の者共、九十六人、打ち連れ打ち連れ渡しけるが、助かる者なく、流るる者多かりけり。「上・下、八百余騎、流れて死にたり」とぞ聞こヘし。
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