胤義父子、東山・人丸のもとに行く

 平九郎判官、所々にて散々戦ふ程に、郎等・乗りかへ、或いは落ち、或いは討たれて、子息・太郎と父子二騎に成りて、「今は、かなはじ。」とて、東山なる所、故畠山六郎、最後に人丸と言ふ者のもとへ行きて、馬より下りて入りたり。疲れて見へければ、干飯を洗はせ、酒取り出で、進めたり。
 暫くここに休息して、判官、鬢の髪切りて、九つにつつみ分けて、「一つをば、屋部の尼上に奉る。一つをば、太秦の女房に伝へ給へ。六つをば、六人の子共に一つづつ取らすべし。今一つをば、わ御前にをきて、見ん度に念仏申して、とぶらひ給へ。」とて取らすれば、人丸、泣く泣く是を取る、心の中こそ哀れなれ。さて、胤義、「太秦にある幼稚の者共、今一度見ん。」とて、父子二人と人丸三人、下簾懸けたる女車に乗り具して、太秦へ行きけるが、子の嶋といふ社の前を過ぎけるに、「敵、充ち満ちたり。」と言ひければ、「日を暮らさん。」とて、社の中に父子隠れ居たり。人丸をば車に乗せて置きぬ。

   藤四郎頼信が事

 さる程に、古へ、判官の郎従なりし藤四郎頼信とてありしが、事の縁ありて家を出で、高野にありけるが、「都に軍あり」と聞きて、「判官、討たれてかおはしますらん。尸をも取りて孝養せん」とて、京へ出でて、東山を尋ねけるに、「太秦の方ヘ。」と聞きて、尋ね行く程に、子の嶋の社を過ぎけるに、「あれ、如何に。」と言ふ声を聞けば、我が主なり。不審に思ひて入りて見れば、判官父子、居給ヘり。
 「如何に。」と申せば、「軍破れて落ち行くが、『太秦にある幼稚の者共を今一度見んか』と思ひて行く程に、敵、充ち満ちたる由聞こゆる間、日の暮れを待つぞ。」と言へば、藤四郎頼信入道、「日暮れて、よも叶ひ候はじ。天野左衛門が手の者、満ち満ちて候へば。」と申しければ、太郎兵衛、「今は、かくぞ自害するべきなり。頼信入道よ、汝、うづまさに参りて、母に申さんずる様は、『《今一度、見参らせ候はん》とて参り候ふが、敵、路次に満ちて、叶ふまじく候ふ程に、御供に先立ち、自害つかまつり候。次郎兵衛胤連は、高井太郎時義と懸け隔てられて、東山の方へ落ち行き候ひつるが、討たれて候ふやらん。自害つかまつりて候ふやらん。行衛も知らず候。去年春の除目に、兄弟一度に兵衛尉に成りて候へしかば、世に嬉し気に思し召されて、《哀れ、命存らへて、是等が受領・検非違使にも成りたらんを見ばや。》と仰せ候ひしに、今一度悦ばせ参らせ候はで、先立ち参らせ候ふこそ、口惜しく覚え候へ。』と申せ。」とて、念仏申し、腹掻き切りて臥しぬ。

   胤義、自害

 未だ足の動らきければ、父判官、是を押さへて静かに終らせて、「首をば太秦の人に今一度見せて、後には駿河守殿に奉り、言はん様は、『一家をば、皆失ふて、一人、世におはしますこそ目出度く候へ。』と申すべし。」とて、西に向かひ十念唱へ、腹掻き切りて臥しぬ。藤四郎入道、この首を取りて社に火かけ、二つの首を持ちて、泣く泣く太秦へ行きて、女房に見せ奉りければ、抱き拘へて、人目をも包まず、恥をも顧みず泣き悲しむ事、譬へん方もなし。
 藤四郎入道、申しけるは、「只今、敵乱れ入りて、奪ひ取り候ひなんず。『後には、駿河守殿に参らせよ。』と仰せ置かれ候ひつる。今は、給はり候はん。」と申しけれども、拘へ惜しみて放し給はざりけるを、兎角して乞ひ取りて、駿河守殿に奉る。一腹一生の兄弟として、思ひ合ひたりし中なれば、まことに哀れに覚へて涙を流し、そぞろに袖をぞ絞られける。首をば、「武蔵守殿へ参らせよ。」とて送らる。

(底本:「承久記」(国史研究会1917年刊『国史叢書 承久記』(国会図書館D.C.))

前へ   目次   次へ