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【翻字】
梅天(ばいてん)禅師
しらざるは 仏(ほとけ)も 人(ひと)も 同(おな)じこと さてこそ 人の迷(まよ)ひこそすれ
〇師名は無明(むみやう)号は梅天俗称(ぞくせう)を 須田何某家之(すだなにがしいへゆき)と号す豊後 杵築侯(きつきこう)の臣たりしが智勇(ちゆう) 有(あつ)て肥州島城(ひしうしまばら)の乱に功あり 愚堂国師を邑の養徳(やうとく)寺に 礼し参問数度(さんもんすど)に及(およ)び機契(きかい) して許可(きよか)を得たり遂(つゐ)に禄(ろく)を 辞(じ)し落艸して熊野に隠栖(いんせい) す后城東に白河(はくが)寺勢陽に 慈眼(しげん)寺をひらきて大に道(だう) 俗(ぞく)を導(みちび)く延宝丙辰五月二日 化す寿七十

【校訂本文】
 梅天禅師
 知らざるは 仏も人も 同じこと さてこそ人の 迷ひこそすれ
 〇師、名は無明、号は梅天、俗称を須田何某家之と号す。
 豊後・杵築侯の臣たりしが、智勇有つて、肥州・島城の乱に功あり。愚堂国師を村の養徳寺に礼し、参問、数度に及び、機契して、許可を得たり。遂に、禄を辞し、落艸して、熊野に隠栖す。後、城東に白河寺、勢陽に慈眼寺を開きて、大いに道俗を導く。延宝丙辰五月二日、化す。寿、七十。

【語釈】
杵築侯:松平英親。豊前国竜王藩主・松平重直の長男。重直は寛永14年(1637年)、島原の乱に参陣。父の死後家督を継ぎ、正保2年(1645年)、杵築に移封された。
島城の乱:島原の乱
愚堂:愚堂東寔(本書29)。安土桃山から江戸前期の臨済宗の僧。
養徳寺:現杵築市の臨済宗の寺
機契して:不詳。「禅機がぴたりと合って」の意か
許可:師が弟子の悟境を認めてこれを証明すること
落艸:不詳。落髪・出家の意か。
城東:山城国東部
白河寺:不詳
勢陽:伊勢国
慈眼寺:不詳
延宝丙辰:延宝4年(1676年)

【解説】
 37人目は梅天無明です。紹介文はその略歴です。
 歌は、無知であるせいで迷うのは人でも仏でも同じだと詠んでいます。