(三)都邑
  【上野町】は平地の中央にあり。其周囲は水脈環繞(じよう)し尤も便利の地なるが故に、市街繁庶(はんしよ:にぎやか)にして伊賀国第一の都邑なり。然れども隣国との交通不便なれば、商業は未だ甚だ盛ならず。人口は壱万二千余。官衙は阿拝・山田郡役所{県庁より十二里}・裁判所・郵便電信局等あり。
   {上野城は今より凡そ三百年の前、筒井定次(つつゐさだつぐ)の築きし所なり。後、藤堂氏の本府となれり。}

挿絵047

  【名張町】は伊勢・大和の通路に当れる小市街にして伊賀国第二の都邑なり。人口三千余。伊賀・名張郡役所{県庁より十三里}あり。
   {名張は、藤堂氏の旧支府なり。}
   {上野・名張間には電話機の架設(かせつ)あり。)
   {頃ろ奈良県より初瀬街道に沿ひ伊勢を経て志摩に達する鉄道を敷設せんとする計画あり。他日若し成就せば県下の一大利便とならん。}
 都邑より出す製造品は、上野の傘・籠・麻糸等を著名とす。紙類は各地より出で、重要の産物なり。
 阿拝郡【丸柱村】より出す陶器は伊賀焼{又、丸柱焼}と称し、土質粗にして堅固なり。多く出すは土瓶・土鍋等の日用品にして、価廉(れん:やすし)なり。

(四)人情風俗 飾りけ稍少なくして朴直(ぼくちよく:すなお)なり。然れども都邑の人は其風頗る都雅なり。

[附説]{此国は古の帝都に近かりしも、山国にて往来不便なれば、開化は海岸の地方よりも後れしならむ。伊賀の建ち始まりしは天武天皇の頃にして、夫れより国司といふ役人ありて久しく支配せしが、足利の時に仁木氏の領分となり、後、織田信雄攻めて全国を取り、豊臣秀吉、又之を奪ひて筒井定次に与へたり。徳川将軍に至り、藤堂高虎此国を賜はる。是より凡そ二百五十年の間、太平打続きしが、当時の習として要害を専一とし、道路を開く等の事は絶てなかりしが故に、隣国との交通随て興らざりし。維新の後、藩廃せられ、三重県の支配となれり。}

復習問題
 {此国の概勢を述べよ。〇山脈は何れにありや。〇何れの部分が尤も高峻なるや。〇伊勢・伊賀の通路に当る山は。〇隧道は何処にありや。〇隧道は如何なる功用ありや。〇山より出す物品を挙げよ。〇高地の産物は。〇川は何故に西流するや。〇伊賀川・名張川に就き話せ。〇其の産物及び舟楫の便否を述べよ。〇平地は何れの部分にありや。〇其の地味は如何。〇農産物は如何。〇伊賀は何故に寒きや。〇伊賀・伊勢の気候の分界線は如何。〇上野町は何故に伊賀第一の都邑たるや。〇道路と市街との関係は如何。〇名張町に就て話せ。〇製造物を挙げよ。〇伊賀焼の事を話せ。〇人情風俗は如何。〇此国の歴史に就て汝が知る所を話せ。

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