第一章
   第一課 総論
【位置・境域】三重県は東海道の西端より南海道の東頭に跨り、北緯三十三度乃至三十五度、西経三度乃至五度にあり。北は尾張・美濃に隣接し、西は近江・山城・大和に隣し、西南は紀伊に連り、南は大洋に面し、東は伊勢の内海を隔てて尾張・三河に相対す。
【地形・面積】地形は西南に長く東南に短く、相交はりて恰もメ字形をなす。長き者四十四里、短き者二十四里、内海に面する地は大なる屈曲少なしと雖も、外洋に沿ふ所は屈曲多く、従ひて岬・湾等も亦多し。周囲六百二十二里、幅員は三百五十九方里あり。
【地勢】地勢は西境より南部に渉り総て高地に属し山岳相連り、殊に西南の大和と接する所は、高山・峻嶺相重なりて人跡甚だ稀なり。内海に面する地は多くは低地にして山脈を見ず。故に川流は大抵西部諸山より発して内海に入るもの多し。今其の山脈の大勢を挙れば、南方、紀伊・大和の国界、大台ヶ原山より数派に分れ、一は南面して牟婁郡に入り、一は東して諸山となり朝熊山に至る。又一は北して国見・高見の諸山となり、伊賀・伊勢・大和の境なる三国岳に至りて又二派に分れ、一は北に走り、一は西北に赴きて伊賀をめぐり、伊賀・伊勢・近江の境なる三国ヶ岳にて再会し、尚北方の諸山となり東に赴き多度山に至りて尽く。
【気候】気候は概ね温和にして、風雨・寒暑略々其の当を得て(平均摂氏十九度)大に人身に適せり。然れども其の高地に属する部分は、沿海の地に比すれば稍々寒冷なり。牟婁郡は地位南に在りて、広漠たる大洋に向ふを以て最も温燠なり。概して山地の外は積雪甚だ稀なり。
【区画】管地は伊賀・伊勢・志摩及び紀伊の内南北牟婁両郡と共に二十一郡なり。町数二百七十余、村数一千五百四十余、戸数十七万三千四百余、人口八十八万四千余。歳入大凡百九十五万円なり。
【管轄沿革】明治四年廃藩の後、安濃津県を津に置き、伊勢国安濃郡以北と伊賀国を併せて之に属し、又南部に度会県を置き、一志郡以南と志摩国及び紀伊国牟婁半郡を管轄す。安濃津県庁は初め安濃郡津にありしが、五年三月三重郡四日市に移して三重県と改称し、六年十二月復津に移して仍ほ三重県と称す。九年四月度会県を廃して悉く三重県に併す。是に於て四国二十一郡全く一県の統治に帰せり。十一年七月郡区更正の令あり。乃ち管内を画して十五部と為し、各部に郡役所を置き郡治を掌理せしむ。十二年十二月新に庁舎を安濃郡下部田村に建つ。今の県庁即ち是なり。

挿絵026

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校訂者注)三重県の経度はおおよそ東経136度から137度の間に位置し、本書の記述「三重県は…西経三度乃至五度にあり」は明らかな誤りである。