(五)【松坂】松坂は飯高郡東北部にありて、人口九千七百。郡役所{県庁を距ること四里。飯高・飯野二部を管す}・電信分局・公園等あり。市街繁盛にして伊勢街道に属す。

挿絵048L

{此の地の城堡は旧と松ヶ島と名づく。元亀元年塩田長助の築きし処なり。後天正十二年豊太閤の命に依りて蒲生氏郷江州日野よりここに移る。同十六年氏郷松ヶ島の城を廃して四五百森に移し、松阪の城と号く。同十八年采女正服部一忠ここに移り、関ヶ原逆党に与し国除る。而して後、兵部少輔古田重勝、同男重恒継て主たり。元和五年紀藩の領邑となり、世々監守を置けり。}
{山室山に本居氏の社あり。本居宣長は松坂の人、国学を以て名あり。}

挿絵049

(六)【亀山】亀山は鈴鹿郡南部の中央にあり。石川氏の旧城下にして人口二千三百。郡役所{県庁を距る七里余。鈴鹿全郡を管轄す}のある所にして、郡中の名邑なり。城堡は安芸守関宗一、関の故城を移して此に築く。後数多の変遷を経て、主殿頭石川総慶、備州松山よりここに移ると言ふ。亀山の東北に連りて【庄野】・【石薬師】あり。西方に【関】・【坂ノ下】の駅邑あり。此の地と共に東海道の駅路に属す。
(七)【久居】久居は一志郡東北境にあり。旧と藤堂氏の支府なり。寛文中、野辺野の地を開きて舘を造る。是を久居舘と言ふ。市街も亦従ひて開く。人口三千八百。郡役所{県庁を距る二里。一志全郡を管す}のある所なり。
(八)【相可】相可は多気郡の東北部にある名邑にして、郡役所{県庁を距る六里余}あり。本郡を管す。熊野街道に属す。
(九)【白子】白子は奄芸郡の北岸にあり。郡役所{県庁を距る四里余}ありて、河曲・奄芸の二郡を管す。南に上野駅あり。共に伊勢街道に属す。
[此の地の海浜を鼓ヶ浦と言。属邑寺家に白子山観音寺あり。聖武天皇の勅願にして天平勝宝年中藤原不比等の建立なり。不断桜の名木あり。四時花を開く。]
(十)【楚原】楚原は員弁郡御園の東にあり。郡役所{県庁を距る十三里余}ありて本郡を管す。
(十一)【菰野】菰野は三重郡の西部にあり。土方氏の旧城下にして小市街を為せり。湯ノ山温泉のある所なり。
(十二)【長嶋】長嶋は桑名郡佐屋川海門の島上にあり。南北二里余、東西十五、六町。旧と増山氏之に居る。桑名郡の小市街なり。
(十三)【神戸】神戸は河曲郡にあり。旧と本多氏の城下にして人口二千七百あり。伊勢街道に属す。
(十四)【一身田】一身田は奄芸郡の南部にあり。人口一千六百余。此の地に真宗専修寺派の本山あり。詣づる者常に絶えず。此の地より西北に連りて窪田・椋本・楠原の三駅あり。津より東海道関駅に出づる駅路に属す。
[開祖見真大師仏法弘通の為め東国に下り、嘉禄二年下野国芳賀郡大内ノ庄高田に大伽藍を草創す。後堀河天皇詔して専修阿弥陀寺の号を賜ひ、勅願寺の綸旨を賜ふ。真宗興行の本基なり。寛正六年中興僧都真恵法印、下野国高田より大伽藍を此に移し、高田山専修寺と名づく。蓋し此の地は往昔大師化導の勝地なり。明治十二年、今上皇帝御震筆見真の二字扁額を賜ふ。]

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(十五)【田丸】田丸は度会郡の東北部にあり。人口千二百。旧と久野丹波守宗成の領地にして、維新以前まで子孫相承して城主となる。此の地は山田より牟婁郡に至る宿駅なり。
{田丸城は暦応以前、南朝御方の軍兵の営建せし処にして、今を距ること凡そ五百六十余年、古城の存するもの実に稀なり。}

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