【風俗】本国の人情風俗は、粗山城人に似て怜悧にして能く職業を営むと雖も、間々華飾を喜み篤実忍耐の気に乏しきものあり。然れども山村・僻地に至りては概ね質素にして朴直なり。教育の任に当るもの、意を用ゐて善く導かざるべけむや。
【生業・産物】沿海に住むものは多く漁業を事とし、山地各村の人民は専ら農業を務め、其の余業として樵業をなす。商業は津及び四日市最も盛にして、松坂・山田之に次ぐ。四日市及び津は商業上の要路に当りて諸国の貨物茲に輻湊す。製造も亦盛にして、奄芸・河曲両郡の酒類、三重郡室山村の製糸場及び川島村の紡績場等は殊に有名なり。毎年製する所の生糸は四千余斤に及び、紡績は一万二千貫に至る。度会郡明野も亦近来大に開墾し、三重県勧農場となり、其の地に植物・菜蔬等を植ゑ、又養蚕伝習場及び製糸場を設置し盛に蚕糸を製す。其の他牧場ありて、牛・馬・豚及び鶏等を牧蓄す。漁業は一般に安濃・奄芸・朝明の海岸を盛なりとす。
[明野勧農場は明治十三年開業以来、開墾する処の惣反別二百八十丁六反歩あり。其の中に三重県獣医講習所を設置し生徒を薫陶す。]
【製造物】度会郡の春慶塗、神路山の榊・御山杉等にて造りし箸・盃、多気郡の壺屋紙・煙草袋、飯高郡の深野紙、飯野郡の甘汞、安濃郡の津綟子紗・桟留・団扇・阿漕焼と称する陶器、奄芸郡の染形紙等にして、何れも県内著名の産物なり。就中万古焼は、桑名・朝明及び三重郡より出づる有名なる陶器にして、西洋各国に輸出す。
【農産】米・麦・大豆・藍・菜種・綿・繭・甘藷等にして、製茶は各郡より出だすこと甚だ盛にして、輸出量最も夥し。
[三重郡菰野の近傍には多く茶園を培植し、以て製茶を輸出す。所謂菰野茶と称するものこれなり。]
【附説】此の国は上古より著名の事蹟ある地方にして、名所旧蹟に富めり。然れども詳に挙ぐるに遑あらず。又有名なる古戦場等あり。其の内著しき者は、南朝延元三年高師泰・細川頼春等京師より発し、雲出川洲股{須ヶ瀬を言ふ}・川口{今の河口谷を言ふ}等処々に戦ひ、師泰等敗北す。方今古の官道を考ふるに、江州より鈴鹿郡を経て、奄芸郡椋本の南より安濃河原を経て一志郡新家・木造に至りて雲出川を渉り、月本一志駅{今の曽原}に至る順路なり。今の島貫を渉るに非ず。又下流は雲出郷より星合の西を渉りて一志の駅に至る古街道なり。今古の差を以て洲股の称を識るべし。此の川の古戦場なるは著名にして、世人の知る処なり。又此の川を限りて以南を南伊勢と称し、以北を北伊勢とす。永禄・天正中、国司北畠家は此の川より以南を管裁して、以北をば関家・神戸及び長野の諸将之を領す。天正の晩年に及びて豊臣氏一統の後は、北五郡を尾州に属して織田秀次之を領し、南をば蒲生飛騨守之を所領せり。故に今に至り南北の境域とす。

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