二 土佐日記
一 此の日記の欠点
土佐日記は古今集の撰者として有名な紀貫之が、土佐守の任を果てて京に上る時の海路日記である。承平四年(一五九四)十二月廿一日土佐を出発し、翌年二月十六日京の旧宅に入るまで五十五日間の生活が日を追うて記されてゐる。
此の日記は今から丁度千年前の著作に係るが、之を読むものがそこに千年の隔りを見出すことは困難である。何となれば今日我々が日常使つてゐる語彙がとても多量に見出されるからである。たとひ我々が註釈書なしに此の日記の本文だけ読んだとしても、大意をつかむに困難を感じないであらう。文法・発音は稍々異つてゐるが、それも現代の文法・発音から連想もつかないといふものは極めて稀である。かういふ現象は単に土佐日記に止まらない。総べての古典に於て、程度の差こそあれ、同様のことがいヘる。これは決して偶然の出来事ではなく日本の言葉・文章の伝統性を物語るのである。何故に伝統性が保たれたか、この説明は述べるとなると際限がないので、ここでは一切触れないこととする。ただ我々は古典に対する態度として、さう古い物扱ひをしないで、身近なものと見ようとするのであるが、かういふ態度をとる理由としてかやうな事情を述べるに止めておく。
此の日記を一読したものは、誰でも此の日記性質とか価値とかに対して疑問と失望を抱くに相違ない。作者は土佐を出発するに際して、京から連れて行つた女児を失つたといふに、日記中には至る所に諧謔を飛ばしてをるが、厳粛な悲みとか深刻な心情とかいふものは少しも現してゐない。これは作者自身が諧謔の好きな男で、厳粛深刻な体験を忌避してゐるのではないかと疑へば疑へる。それから此の日記は徒らに海上航行の不自由な生活をかこち、或は楫取にあたりちらし、例へば「この楫取は日もえはからぬかたゐなりけり」の如くいひ、或は知人・隣人に対して白眼を向けてゐるが、その反面少しも生活そのものの叙述に力めようとした跡が見えない。かかる主観の羅列のどこに文学的な価値があるか、甚だ疑はしいものであるといふ不満が起るであらう。此等の疑問は一応尤もなものであるが、これは何れも土佐日記を正しく理解して行く上の用意を欠いてゐる結果である。
土佐日記を正しく理解する為には、作者の性格、年令、身辺の事情、旅行の性質を始め、作者の文学観などを予め十分に理解しておく必要がある。先づ作者の日記に現はれた性質は「こちこちしき人」にて(二月七日の條)義理堅く、他から厚意を示されると何か之に対する返礼をしなければ気の済まないといふ、稍々潔癖性をもつてゐる。作者の年齢はよくわからないが、正月廿一日の條に、海上航行の不安と海賊襲来の恐怖とから気をくさらし「頭もみなしらけぬ、七十八十は海にあるものなりけり」といつてゐる所から見ると、六十歳位であつたと想像され、交通の不便な上にも不便な僻地に老骨をもつて赴任してをつたわけである。されば今任が果てて京に帰へるのは嬉しいのであるが、天候を案じながら貧弱な舟でのろのろと航海して行き、あけてもくれても不自由な生活をつづけてゆく事は、現代の我々の想像もつかないほど憂鬱なもので、一寸のことでも気に障り腹立たしくなり、爪はじきをせざるを得ないのである。その上国司在任中征伐してゐた海賊が復讐するといふ心配もあるし、自分としては愛児を失つた心の痛手もあるし、貫之としては実に気の毒な同情すべき状態であつたといへる。かういふ風に作者の心情を同情してみるならば、早く京に帰りたいといふ待望が交通の不便に妨げられ、不自由な苦しい生活に押しひしがれた「わびしい」感情が、日記の大部分を占めてゐる理由が理解されるであらう。土佐を出発して今日で何日、今日で何日と物憂い日の続くのを指折り数へてゐる倦怠は、実に堪へ難いものであるが、その内にも順風が吹いて船路の安全な日ほど嬉しいことはないのである。若し作者が女性であつたならば、かういふ海上生活の苦痛・倦怠の中からも、単純に京に帰れる喜びのみを強調し、読者には決して不愉快な方面を示さなかつたかもしれないが、貫之としてさういふあどけない態度を示すには余りに「こちこちしい」性質の持主であつたのである。同様にして愛児の死の悲しみに就いても、何もかも忘れて唯悲嘆の情のみを強調するといふ風のひたむきな態度になるには、余りに海上生活は憂鬱に満ちてゐたのである。寧ろ土佐日記としては物憂い倦怠の中に、京に帰る喜びと、愛児を失つた悲しみとが、無秩序に横はつてゐるといふ所に特色があるとみるべきである。
次に貫之の文学観といつたものを考へてみよう。貫之は漢文学から仮名文学への過渡時代に出てきて仮名文学を開拓しようとしたのであるが、その時代にはまだ後の優雅・優美といふやうなものを現実の全生活の中に見出す迄には至つてゐない。誠にほのぼのとした状態でただ趣向のをかしさといふやうなものを考へてゐた程度である。その趣向といふのが、古今集に夥しく見える懸詞・縁語によつて表現されるやうなものであつた。又物名や誹諧的な趣向もその内に含まれてゐる。又単純な対照や駢儷など、例へば「もとごとに浪うちよせ、枝ごとに鶴ぞ飛びかふ」「黒き鳥のもとに白き浪をよす」の如き趣向、又、単なる配合、例へば「所の名は黒く、松の色は青く、磯の浪は雪の如くに、貝の色は蘇芳に、五色にいまひと色ぞ足らぬ」の如き趣向、又、単なる譬喩、例へば「春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞありける」の如き趣向も此の内に含まれてゐる。かういふわけで貫之の芸術的態度は近代人のやうに深刻強烈なものでなく、とても物柔かなほのぼのとしたものであつて、克明な写実をなすとか深刻強烈な悲嘆を訴へるとかいふ風に迄は進み得なかつたのである。土佐日記が何となく素朴であるのは専ら以上のやうな理由によると思ふのである。
校訂者注)1:「深刻な心情」、底本は「深到な心情」。誤植と見て訂正。2:「用意を欠いてゐる」、底本は「用意を欠いでゐる」。誤植と見て訂正。
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