二 艶なる描写
紫式部日記の描写上の特色はあれこれと指摘されるが、其の最も著しい特色は艶といふことである。艶は、日記の用例からすると、「大方の空も艶なるに」といふ場合はよい意味に用ひられてゐるが、「艶がりよしめく」といふ風に、それを自覚して態度に現せば「ぶる}ことになつて人から嫌はれる。かやうにして式部は決して艶であることを以て理想としてゐないが、現在の我々から見て此の日記のもつ美しさは、艶といふ文字を用ひて表現するのが最も適当してゐる。少くとも和泉式部日記を眺めて来た眼からすると感傷主義から浪漫主義に進んでゐるといへる。これは和泉式部が内面の寂しさのみを描かうとしてゐるに対し、紫式部は外面の花やかさを描かうとしてゐる相違の結果と考へられるが、一度寂しさに徹することがあつて始めて花やかなものの描写も真実味が出てくるのであらう。丁度大和物語のやうな悲哀の情を基調とする物語の段階を経ることによつて、始めて源氏物語の段階に進み得るやうに。もとより紫式部日記の中にも自己の心境を記した部分があつて、その部分には和泉式部日記の精神の系統の流れを見るのであるが、公的日記としての部分は概して艶麗である。先に其の最も艶麗と思はれる箇所を示して見よう。
渡殿の、戸口の局に見出だせば、ほのうちきりたる、朝の露もまだ落ちぬに、殿(道長)ありかせ給ひて、御隨身召して、遣水はらはせ給ふ。橋の南なる女郎花の、いみじう盛りなるを、一枝折らせ給ひて、几帳(式部の)のかみよりさしのぞかせ給へり。御様のいと恥づかしげなるに、我が朝顏の思ひしらるれば、これおそくてはわろからんと、の給はするにことづけて、硯のもとによりぬ。
どの行にも憂はしきもの、嘆かしきものは見出されない。霧の深い朝、目もさめるやうな道長の姿、女郎花、几帳、かう辿つてくると、ただ唯美的なものが物柔かい旋律に乗つて漂ふのである。
上よりおるる道に、弁の宰相の君の、戸口をさし覗きたれば、昼寝し給へる程なりけり。萩、紫苑、いろいろの衣に、濃きこうちぎ上に着て、顔は引き入れて、硯の筥に枕して、臥し給へる額つき、いとらうたげになまめかし。絵にかきたる物の姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、物語の女の心地もし給へるかなといふに、見あげて、物ぐるほしの御様や、ねたる人を、心なく驚かすものかとて、少し起きあがり給へる顔の、うち赤み給へるなど、こまかにをかしうぞ侍りしか。
これは絵にかいたやうな、感覚的色彩的情趣的な美しさに、心も酔ふやうに感じ、口おほひを引きやつて話しかけると、小言をくらつて、耽美的な気持を破られたのである。絵のやうな美しさ、これは紫式部の求めてゐる所と見え、後にも「よき墨絵に髪どもおほしたるやうに見ゆ」「唐絵ををかしげにかきたるやうなり」「女絵のをかしきにいとよう似て」「絵にかきたる物合の所にぞいとよう似て侍りし」「絵にかいたる顔して」とある。宇津保物語が音楽の美にあこがれたやうな、観念的な美を求める時代は既に過ぎ去つて、情趣的な美をわが眼に見ようとするのである。
次に紫式部日記の描写が技巧的である点を考へて見よう。
秋のけはひたつままに、土御門殿の有様、いはん方なくをかし、池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づき渡りつつ、大方の空も艷なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう凉しき風のけしきにも、例の絶えせぬ水の音なむ、夜もすがら聞きまがはさる。
これは有名な開巻の文であるが、描写の意識を考へてみるに、不断の御読経の声はそれ自身にあはれであるが、大方の空の艶なるにもてはやされてあはれがまさるといひ、又やうやう時刻が過ぎて風の気色が涼しくなると、その不断の御読経の声が、例の絶えせぬ水の音と聞きまがはされるといひ、何れも複雑にして美しさを増す関係をいひ現さうと苦心してゐる。又、
綾ゆるされぬは、例のおとなおとなしきは、無紋の青色、もしは蘇芳など、みな五重にて、かさねどもは皆綾なり。大海のすり裳の、水の色花やかに、あざあざとして、腰どもは固紋をぞ、多くはしたる。袿は菊の三重五重にて、織物はせず。若き人は、菊の五重の唐衣を、心々にしたり。云々。
に於て、「綾ゆるされぬは」が大主語で、それが「おとなおとなしきは」と「若き人は」とに別れるのであるが、随分と論理的な強い含みを示してゐるわけである。又、
まだ夜深き程の月さし曇り、木の下をぐらきに、御格子まゐりなばや、女官はいまださぶらはじ、蔵人まゐれなど、いひしろふ程に、後夜の鐘うち驚かし、五壇の御修法、時はじめ、われもわれもとときあげたる伴僧の声々、遠く近く聞きわたされたる程、おどろおどろしく尊し。
の如きは、緊張した時刻の経過が如何にも歯切のよい句で示され、場面もよく現れてゐるが、これには相当の苦心があるものと考へられる。又、
十五日の月、曇りなく面白きに、池の汀近う、かがり火どもを木の下にともしつつ、屯食どもたてわたす。あやしき賤の男の、さへづり歩くけしきども迄、色ふしに立ち顔なり。殿守が、立ちわたれるけはひも怠らず、昼のやうなるに、ここかしこの岩がくれ木のもと毎に、うち群れてをる上達部(の)随身などやうの者どもさへ、おのがじし語らふべかめることは、かかる世の中の光の出でおはしましたる事を、陰にいつしかと思ひしも、及び顔にこそ。そぞろにうち笑み、心地よげなるや。まして殿の内の人は、何ばかりの、数にしもあらぬ五位どもなども、そこはかとなく腰もかがめて行きちがひ、いそがしげなる様して、時にあひ顔なり。
の如きは、歓びに溢れてゐる場面、その歓びが下々のものにまで行きわたつて、意気込んでゐるさまを巧に描き出してゐるが、これは決して単なるあるがままの無雑作ではありえない。
次に紫式部日記が高雅なをかしさの外に、くだけたをかしみをも記してゐる点を考へて見よう。御湯殿の御儀式の所で、
殿の公達ふたところ、源少将など、うちまきを投げののしり、我れ高う打ちならさんと争ひ騒ぐ。へんち寺の僧都、護身にさぶらひ給ふ、頭にも目にもあたるべければ、扇をささげて若き人々に笑はる。
とあり、五日の夜、殿の御産養の所で、
その夜の、御前の有様の、いと人に見せまほしければ、夜居の僧のさぶらふ、御屏風をおしあけて、この世には、かうめでたきこと、まだえ見給はじと、いひ侍りしかば、あなかしこあなかしこと、本尊をばおきて、手をおしすりてぞ喜び侍りし。
とあり、道長が夜中にも暁にも参り給ひつつ、御乳母の懐をひきさがせ給ふといふ所で、
ある時は、わりなきわざしかけ奉り給へるを、御紐ひきときて、御几帳のうしろにて、あぶらせ給ふ。あはれ、この宮の御しとにぬるるは、嬉しきわざかな、このぬれたるあぶるこそ、思ふやうなる心地すれと喜ばせ給ふ。
とある。これらは現にあつた事実といふよりも見た事実であり、更にいへば書かうとした事実であつて、式部の表現の力量が如何に幅のあるものであるかを示すのである。
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